Sunday, December 19, 2010

就職難問題に思う

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就職氷河期、なのだろうか。

学生との付き合いはOB訪問程度。この目で見るサンプルこそ少ないが、今就職活動をしている平均的学生はある意味で可哀相だなと感じる。同時に、今起きている変化は何も学生だけに対してのものではないと認識。

「就職氷河期」という言葉は非常にミスリーディングな言葉だ。あたかも、その時期が限定的であるかのように聞こえる。本当にそうだろうか?
日本を取り巻く環境はジリジリと変化していたが、リーマンショックがそれを一気に加速させた。そして顕在化した。企業は環境の変化を認めたのだ。そしてそれに手を打ち始めたのだ。切実だった。ただそれだけ。企業は生き残るため、変化に対応しなければならない。それだけのことだ。

日本の大卒就職率は世界トップかトップクラスだ。失業率も他先進国に比べても低い。それでもその環境に対して不満を持つというのは、甘すぎるとしか言いようがない。ビジネスの世界は変化との戦いだ。変化を予想して早めに手を打つ。変化に順応する。変化を上手く利用する。そういうことが求められる。
変化に不満を持って終わりでは、その先は長くない。これは企業だろうがそこに勤める人だろうが、学生だろうが同じ。

今就職活動をしている学生がある意味で可哀相だというのは、丁度過渡期であるが故に、余計な未練や幻覚に襲われているから。この変化を冷静に受け止め、アクションに繋げるのは、多くの学生にとってハードルが低いものではない。どうしても過去のプラクティスにしがみつき、自分の頭で考えること、信念を持ってオリジナルな動きをすることから逃げがち。自己防衛のために、環境の変化のせいにせざるを得ない。それが「就職氷河期」というマジックワードだ。社会人側もその思考を助長しがちで、変化を認めたくない大人が自分に対しても起きている変化だということに目を背けつつ、学生を憂う。

もう一度言うと、今問題だとされる我が国の就職難は一時的なものではない。今後さらに加速することはほぼ間違いないと思う。何故かは、一つ冷静な頭で世界経済の動きと日本の位置を考えれば誰でも分かろう。日本企業の新卒採用制度はある意味素晴らしいが、行き過ぎていた。大卒就職率は異常だったのだ。あまりにも入り口が緩かった。必然性が低かった。変化に対応するため、企業が緩すぎたところから手綱を締めるのは至極当然のこと。次に変化の影響が出るのは、既に働いている人たち。これはただの順番の話にすぎない。

だから学生たちは、企業への入り口のところでスクリーニングがきつくなっている今の状況を憂いてもしょうがない。企業に入ったところで遅かれ早かれ影響は出始める。肝心なのはそこじゃない。自分が学生だろうが、若手社会人だろうが、中間管理職だろうが、大事なのは、変化を見据え、動き、それをチャンスに変えることだ。企業自体にそれが求められる以上、その構成員である個人がそれを求められるのは当然。

就職難と言われる今の状況を見ている高校生や大学1,2年生はそれなりに考えるだろう。準備もするだろう。それでいいと思う。社会人は、その変化を自分のものと捉え、意識を変えた人間は大丈夫だし、それをしなかった人間はいずれ苦しむ。どちらにしても、ちゃんと分かっている人には大した問題ではない。準備期間が少なかった、現・就職活動生は一番大変なのだろうが、上述の通り、どの道後になって直面する問題なのだと理解して今を頑張ればいい。

状況の厳しさをただ嘆くだけの学生と、それを他人事のように報じるメディアの存在が情けなく思え、こんなことを書いた。環境は常に変化している。変化しているからこそ面白いんだ。変化するからこそチャンスがあるんだ。

これを書いている自分も全く同じ状況にいる。新卒採用を過去に終えた人間のポジショントークではないので、念のため。