Saturday, December 26, 2009

イタリアの旅3 -花の都と水の都を巡って-

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南イタリアを離れて、長いことユーロスターに揺られ辿り着いたのは「花の都」フィレンツェ。
フィレンツェと言えば何を思い浮かべるだろうか。訪れる前に僕が描いていたのは、メディチ家を中心とした貴族文化と芸術、パリのような華やかさ、それから『冷静と情熱のあいだ』だった。
華やかな貴族文化に正直そこまで興味がなかった僕は、今回の旅の中ではフィレンツェにあまり重点を置いていなかった。ところが、実際に訪れるといい意味で想像を裏切られた気がした。意外に渋かったのだ。

「花の都」の歴史は確かに美術館やブランド街に見て取ることができたのだが、今のフィレンツェは夕方のオレンジ色と家々のオレンジ色とがよく合う哀愁に満ちたともいえる街だった。一部の華やかな通りを除いて、古い小さな店が並ぶ街並みにはゆったりとした静かな時間が流れていた。そこで暮らす人たち一人ひとりが街の歴史を守り、街を愛し、今のフィレンツェをつくっているようだった。

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上の写真は名所のヴェッキオ橋からアルノ川とグラツィエ橋を望んで。水面に写る建物が美しい。ちなみにグラツィエ(Grazie)とは「ありがとう」の意。これは覚えた。

フィレンツェをすっかり好きになってしまったのだが、その理由の一つが職人の街であること。特に皮革製品のラインナップと品質は素晴らしかった。昔からの職人が多くいて、本当にいいものを手頃な値段で売っている。craftsmanship に惚れた。ローマに引き続き、ここでもいくつか皮革製品を購入。革のノート、使えば何かいいアイデアが浮かびそうだ。

しかしすっかり忘れていたのが、貴族文化と「芸術」や「職人」との結びつきだった。知識としては当たり前のことなのだが、芸術家や職人を支えていたのは貴族だった。パトロンあってこそのルネサンスなのだ。貴族がいるからこそ、皮革製品の需要がある。食器でも名品が生まれる。これは現代においても根本的な部分に変わりはないと思う。芸術や職人の技術は金持ちのためだけのものでは決してないが、その価値を認め、彼らを貨幣経済から解き放とうとする力が振興におけるバックボーンとなることは間違いない。あらためてそれを感じることで、貴族文化に興味を持つことができるようになった。

ウッフィツィ・アカデミア両美術館で、『ダヴィデ像』やボッティチェリの『春』、『ヴィーナスの誕生』など名だたる芸術もしっかりと押さえ、フィレンツェはいろいろな面で大満喫できた。冒頭の写真は街のシンボルであるドゥオーモのクーポラ展望台から。463段の階段を上るのは相当にしんどかったが、フィレンツェを一望できる最高の場所だった。『冷静と情熱のあいだ』のロケ場所でもある。

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旅の終着点は憧れの地、ヴェネツィア。
僕は物心ついたときからこの神秘的な水の都に並々ならぬ興味を持っていた。この地のゴンドラを唄うもの悲しい曲は数多くあったし、子供ながらに街中に水路があるってどういうことなのだろうと思っていた。
ついに訪れたヴェネツィアはやはり、水の都だった。アドリア海の浮き島は、一つの島をあまたの水路が横切っているのか、それとも、バラバラのパーツを橋が繋いでいるのかわからないような不思議な土地だった。交通手段に車はなかった。形式様々だが、すべて船だ。こんな街、世界のどこを探しても他にないのではないだろうか。近年、土地の存続が危ぶまれるヴェネツィアだが、まだ沈まずにあって本当によかった。というかこの地を沈めたくない、とすぐさま当事者のような意識が芽生えた。

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水路を抜け、一歩外を見れば、そこはすぐ海だ。この水路によって細分化されたもろい街が広大な海を前にして形をとどめ、人々の暮らしを支えていることに本当に感動した。奇跡だと思う。

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ヴェネツィアには2泊したので、そこそこゆったりと街の空気を感じることができた。迷路のような細い路地は、夜になると宿に帰れないのではないかと思わせるほど複雑だったが、治安もよく、おそらくいつもと変わりないのであろう街の風景が確かにあった。水と船は人々の生活と本当に密接にリンクしていて、それが普通であることが不思議だった。

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夕方から夜にかけてのヴェネツィアは「哀愁」を帯びていて、あの風景をテーマにいくらでも曲がつくれそうだった。ガラス細工や仮面を扱う多くの店から漏れる暖かい色の明かりがこじんまりと街を照らし、冬の冷たく静かな水面に幻想的な風景を映していた。


あまりにも印象的だったので3回にわたって書いてしまったが、イタリアの旅は得るものの多い、素晴らしい旅だった。海外で初めて「和食を食べたい」と思わなかった旅でもあり、イタリアとの相性を感じた。こんな10日間の旅ではイタリアの1%も理解できなかったが、今回足を運べなかった都市を含めて、また何度でも訪れたい、そう思った。
また来る日まで、Arrivederci!
 

Sunday, December 20, 2009

イタリアの旅2 -アマルフィ・青の洞窟~南部の情緒-

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ローマを離れ、サレルノ経由で向ったのはアマルフィ。
鉄道駅のあるサレルノとソレントを結ぶ海岸線の中間地点に位置するのがアマルフィだが、その道のりは険しい。ほんとにこんな断崖絶壁の曲がりくねった道をバスで進むことができるのか…スリリングな思いの連続を乗り越えて到着したのは夕方で、美しい海岸線と、夕日に照らされオレンジ色に染まった白色の家々の風景が一気に目に飛び込んできた。すぐに世界遺産・アマルフィ海岸の魅力の虜になった。

いまだかつて見たことのない都市の形に惚れ込むとともに、一つひとつの建物、道、そして物語が長い時間をかけてこの街を造り上げたのだと感じた。ひっそりとはしているもののリゾート地。にもかかわらず、そこには確かな人々の暮らしがあった。スーパーや薬局も多く、観光客ではない、地の人々の生活が普通にある。こんなところで2年も暮らしたら人生観の一つも変わってくるだろうなと感じた。賃貸物件を並べる不動産屋もポツポツとあったが、安いところであれば月€500。意外と現実的だ。

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アマルフィの魅力は海の青と建物の白とのコントラスト。それを支える緑と太陽の光とがいろいろな表情を作る。垂直方向に重ね重ね建てられた白い建物群の中は迷路のような細い道が続き、そこには治安のいい、ほのぼのとした街の空気が流れている。朝と夜の薄暗い感じもまた趣深い街だった。

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切立った崖には名産である柑橘類の段々畑が伸び南イタリアの情緒が感じられる。

たまたま選んだホテルもオーシャンヴューの素晴らしい部屋で、もうどれだけでもここにいれるという思いを残しながら、次の地へ向った。また訪れたい。

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カンツォーネ「帰れソレントへ」や工芸品の街として有名なソレントを経由してナポリへと向った。ソレントでは工芸人の血が騒ぎ、その心意気を持ち帰るべく、しっかり購入。写真の中の一つが今我が家にある。

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ナポリは大きな港町特有の治安の悪さを感じたが、南部の"都市"を見るという意味では一巡りして良かったと思う。唄で有名なサンタ・ルチア港にも足を運んだ。横須賀の欧州版?といったところか。
ナポリは、街自体の観光というより、どちらかというと"拠点"として滞在。鉄道で世界遺産のポンペイ遺跡に行ったり、フェリーでカプリ島に行ったりした。

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カプリ島は、青いパッケージのh&sシャンプーのCMでも(たぶん)使われている「青の洞窟(Grotta Azzurra)」で有名。今回ももちろんそれを見に行った。洞窟への入り口はかなり狭く、手漕ぎボートの中に寝る形で入っていく。故に、天候や潮の状態によっては入れないことも多いらしく、今回はラッキーだった。そもそもイタリアで最も降水量の多い11月にも関わらず、この旅では一度も雨に合うことがなかった。晴れ男としか言いようが無い。

洞窟の中にいたのは多分ほんの数分だったと思うが、言葉では言い表せない幻想的な空間が広がっていた。これがどのようにして自然にできたのか全くわからない。何故にここまで洞窟の奥まで碧いのか。奇跡とはこのことだ。そしてよくこんな小さな洞窟を発見したなと。いつ見れなくなるかわからないぐらい繊細なバランスによって造られているこの空間を肌で感じることができて良かった。実はそのfragileな様子が見るものに一層美しさを感じさせるのかもしれない。

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洞窟へは、こうして入る。ほんとによく発見したな…
 

Monday, December 14, 2009

イタリアの旅1 -エステ荘を歩いて-

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ここに書くのがだいぶ遅くなったのだが、11月に10日間ほどイタリアへ旅に出た。
なぜイタリアかといえば、土地への興味、文化への興味、イタリア製品への興味、そしてイタリアンが好きといろいろ条件が揃っていたからだ。イタリアは初めてで、どの都市にも興味があったが、時間を考えて取捨選択し、結局以下のルートで回ることにした。せっかくなのでこのBlogにも少しだけ旅の風景を書くことにした。

<旅のルート>
Roma → Salerno → Amalfi → Sorrento
→ Napoli → Capri → Firenze → Venezia

旅行では定番の中部~北部の主要都市に加え、南イタリアを回った感じです。


▼ローマの風景

最初に降り立ったのが首都ローマ。
首都だけあって人は多い。中央駅周辺ではイタリアのイメージをまず一つ壊される。
街はきれいとは言えないし、伝統的なものもそれほど感じない。列車のpaintingにも驚く。もう描けるところがないぐらいに車両にはpaintingがなされている。イタリアの地を拠点とした芸術家たちのDNAが今も息づいているのだろうか。ただ、その内容は日本のガード下のラクガキと変わりはない。

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後で比較してわかったことだが、ローマとナポリの中央駅周辺は特に美しくない。
ただ、中央駅を離れて街に出れば、そこにはイタリアの歴史と現代の人々の生活とがミックスされた、思い描いていたイタリアがあった。ローマ市街の建物はその一つひとつから歴史を感じることができ、日本にはない不思議な時間軸を感じた。

主要な名所は回ったものの、たぶん今回の旅では本当の意味でローマの良さはわからなかったと思う。そこは首都、いろいろなものが混在する街だし、住まなければローマの何かは知れない。

意識していなかったのにたまたま、少し運命的に目に入ったのが、以前に書いたことがある Campo Marzio Design の店だった。
日本には店がないので、セレクトショップ、ネットショップで一部の製品が買えるぐらい。場所も調べていなかったのに偶然バスで通り過ぎたことに感謝し、いろいろ買って帰った。やはりモノがいいし、最高の店だった。A4のノートホルダーは特に気に入った。ITO-YAの黒いホルダーを使っていたが、鮮やかなオレンジ色の皮製ホルダーに変えることにした。

Campo Marzio Design HP :
http://www.campomarziodesign.it/index.html

ローマといえば、世界最小の主権国家であるヴァティカン市国にも行った。サン・ピエトロ広場には、おそらくローマ教皇を映したりするのであろう大型モニターがあったが、でかでかとPanasonicの文字。「繋がっているな」と感じた。世界のどこにあるものでも誰かが作っている。

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コロッセオは巨大だったし、トレヴィの泉はやはり青々としていたのだけれども、ローマの旅を振り返って最も印象に残っているのはその郊外にあるエステ荘(Villa d'Este)を訪れたことだ。
世界遺産でもあるVilla d'Esteは古代ローマの別荘地であるティヴォリ(Tivoli)にある。
僕はたしか中学生ぐらいのときにこのエステ荘を知った。好きな作曲家の一人であるフランツ・リストの曲「エステ荘の噴水」に衝撃を受けて以来、気になり続けていた存在。ここを訪れることは実はこの旅の一つの目的でもあった。

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エステ荘は枢機卿イッポリート2世(Ippolito d'Este)が1550年に修道院を改築したもの。美しく構成された広い庭園と数々の噴水が非常に素晴らしい。まさに水の饗宴。
エステ荘を幻想的な世界にしているのは噴水だけでなく、緑でもある。高く上がった噴水の形は糸杉のシルエットで両者が何ともいえない融合を果たす。糸杉といえばゴッホだが、僕も糸杉というものには何故か特別な感情を持っている。あのひょろりとしなやかに上昇するフォルムは何なのだろうか。不思議と気持ちが安らぐのだが、一方で少し哀しくもある。リストは1877年に『巡礼の年 第3年』の中で「エステ荘の噴水」だけでなく、「エステ荘の糸杉に 哀歌」という曲を2曲書いている。
晩年、リストは僧籍を取りエステ荘に滞在したのだが、後のラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」に大きな影響を与えることになる印象派音楽がここで生まれたことは頷ける。

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エステ荘は確かに五感が研ぎ澄まされる、文字通りの「別荘」だった。訪れる人の人生観にも影響を及ぼすぐらい圧倒的でかつ感傷的な地にいつかまた行きたいと思った。人生に迷ったときには特に。

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エステ荘は高台にある。周辺の長閑な風景が一望できる。俗世から一歩出た気持ちになる。

Villa d'Este :
http://en.wikipedia.org/wiki/Villa_d'Este

写真の数々 :
http://www.youtube.com/watch?v=rNNLpbz2bRE


「エステ荘の噴水」 フランツ・リスト
演奏:クラウディオ・アラウ(Claudio Arrau)