Monday, November 24, 2008

静かな夜に Keith Jarrett

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最近、というほどでもないが少し前に買ったキースの disc
ともに名盤中の名盤で、どれだけの人の心を揺さぶったかわからないであろう2枚。The Melody At Night, With You の方は昔借りたことがあったのだが、手元に置いておきたくなって買ったもの。

The Melody At Night, With You <keith jarrett>

珠玉の1枚。
都会の喧騒から離れて静かな夜を過ごしたいときに最高。
人間の感情が湧き出るどこかの部分にダイレクトに刺さってそれを揺さぶってくる静かで感傷的な Melody.
言葉ではうまく表現できないのだが、この作品を聴くと感受性のようなものが高まった状態で極主観的に自分の人生を振り返りたくなる。というか勝手に振り返ってしまう。キース自身が人生の哀愁を感じながら演奏しているために、それが聴いているこちらにも伝わってくるのかもしれない。音楽の持つ不思議な力というか何か得体の知れない音を介したコミュニケーションの存在を感じる。

こういう感性全開の音楽を聴いて心を洗うことがたまには必要だと思う。明かりを消して、うまい酒を片手に少しまどろみながら、キースの紡ぎ出す音に酔いしれては如何でしょうか?この作品を聴いたことがない人がいるとしたら何が何でも勧めます。ぜひ。

ちなみに中でも僕が大好きなのは、
#4 Someone To Watch Over Me
#5 My Wild Irish Rose
#9 Be My Love

The Köln Concert <keith jarrett>

こちらは全く雰囲気の違う作品。
全曲即興演奏というキース特有のコンサート in ケルン。
即興でこんな音楽が生まれたことに度肝を抜かれることは確かで、この1枚で人生変わったという人も多いが、僕の個人的趣味では上の The Melody At Night, With You の方が完成度は高い。大枠のある音楽と完全即興との違いはやはりある。シンプルであればあるほど一音一音の表現は難しいし、一つの音が含んでいるものも大きい。そういう意味で The Melody At Night, With You はキース最高の1枚だと思うのだ。

もちろんこのケルンコンサートもすごい作品であることに変わりは無い。即興演奏というのは僕も家でよくやるのだが、けっこう冗長になりがちだし、弾いている本人が気持ちいいだけで、客観的に全体を見ると構成云々とはかけ離れたものになっているはずだ。しかし、このケルンコンサートはけっこうな長さの演奏なのにも関わらず、構成が素晴らしい。メロディーも斬新でいて心地いいものが次から次へと出てくる。キースにとってピアノの音というのはきっと麻薬的なものなんだなと思う。そうじゃなきゃこんな即興、ステージでできない。鬼才です、ほんと。


To:僕の周囲の人
①の The Melody At Night, With You 買って聴いて良かったら教えてください。
Jazz聴きながら酒でも飲みましょう。
 

Friday, November 21, 2008

市場周辺トピック

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いくつかのトピックを備忘録/雑記的に。

▼そろそろ潮時? Citi

 The Economist のオモシロまんが

Citiグループの株価が4ドル台に突入し、上のまんがのGM程ではないが、いよいよ臭ってきた。
さすがにCitiが Chapter11 なんていうことになると米国内でも大パニックなのであらゆる手立てで救済されるとは思うのだが、こうなったらCitiに口座を持っている意味も薄れてきた。土曜やっていたり、一定額以上預けていればタダでATMから引き出しし放題だったり、邦銀とは違った独特の利便性があったが、一番の特徴はグローバル性とそれにちなんだ外貨関連の便利さだったように思う。ところが、外貨預金などは預金保証制度の適応外なので、これだけ credit risk の高まった状態では嫌な感じ。円預金も保証されているとはいえ、もしもパニックになったらいろいろ面倒そうなので、そろそろ引き上げ時かなとも思う。Citiの経営状況は米国だけでなく世界にとって一つの大きなカギだ。

▼大学もやられている

駒沢大がデリバティブ取引で154億円の損失を出したというニュースに次いで今度は立正大の含み損148億円のニュース。損失は計上されていないものの、資産運用のための金融取引でやられている点に変わりは無い。
いまや金融機関以外でもデリバティブ取引は当たり前のように行われていて今後も思わぬ会社が思わぬ損失を計上する可能性はあるだろう。大学のような教育機関で立て続けにこういうニュースが出るというのは事態の深刻さを物語っていると思う。同時に大学経営の厳しさも感じ取れる。

▼じわりじわりと新世界を目指すマーケット

今週もよく相場が動いた。リスク回避傾向に。
株も為替も10月24日の底に近づきつつあるが、年内どこかで突き抜けるのだろうたぶん。GBPやNZDに関しては最安値圏。今日もまた思ってしまった…ニュージーランド旅行に行きたいと。ニュージーランドの牧場とかでノホホンとしたい。

あの10月24日の対円最安値はこんな感じ(by Reuters)
ハードカレンシー以外は適当にチョイスしてあります。
別にこのポジションを持っているわけではありません。念の為。
これを基準にマーケットを見ると面白いです。

それにしても円高。年明けから燃油TAXも下がり、ますます海外旅行のチャンス。通貨危機に近い状況のお隣韓国へは燃油TAXもあまりかからないので格安お手軽ツアーが可能。週末にサクッとキムチでも食べに行くかというのも全然可能です。ちなみに僕の友人の何人かは旅行目的及びブランド品購入目的でさっそく韓国に行くそうだ。

▼原油続落

WTI先物もとうとう50ドルを割ったし、身の回りを見ても、徐々にマーケットの下落が価格に転嫁されてきている。最終消費者としてはめでたいか。
とにかくこれからどうなるのかさっぱりわからない。ただ、再び1バレル20ドル時代が来るかといったらさすがにそれは…と思ってしまう今日この頃。

▼芸大卒、異色の元チェリストトレーダー

田中雅(TADASHI TANAKA)という人をご存知?

ざっくりとした人物背景

(一部引用)
『ところが高校2年のとき、突然、将来への疑問と不安が頭をもたげてきた。
「エリートコースに乗った人間の人生が見えてしまった。自意識が強かったのでしょう、サラリーマンで一生が終わる人生を受入れられなくなったんです」
他人と違ったことをしたい、自分なりの人生を送りたいと、人は誰しも考える。
問題はそれを実行に移せるか、人と違った道を歩くことへの不安に耐えながら、自らの思いを全うする意思が強固であるかどうかであろう。』

経歴が面白すぎる。自由人になるにはものすごい決断力がやはり必要か。

五嶋みどりの弟の五嶋龍もあれだけのヴァイオリンの才能をもちつつ、ハーバードで物理学を専攻しているのだからもはや僕とはスペックが違う。
"理系"と"classical music"、何か通ずるところはあるのかもしれない。
 

Sunday, November 16, 2008

時間について Ⅱ

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【Introduction】
前回のentryではリソースとしての時間、お金との交換能といったところに触れたが、今回はその続きとして時間の投資というものを考える。ビジネスパーソンが自己投資に励みなさいという内容の本を読みつつ、自分の持っている時間で何をしようか考えるという光景はたぶん世界中のどこでも見られる。別にビジネスパーソンに限らずとも、人間はみな未来のために何かをやって何かをやらないというような「選択」を日常的にしながら人生を営んでいる。
ここでは「自分の時間を何かに投資する」という表現を、「何かの目的、目標のために今の時間を使って何かをする」というニュアンスで用いることにする。例えば、グローバル化が一段と進んだ未来を見越して今英語を勉強することに時間を使うというのは時間の投資。一方で、今何となく音楽が聴きたくなって、1時間程他に何もせずに音楽を聴いたというのは投資ではなく、ただリソースとしての時間を音楽を聴くという行為のために消費しただけ。

自分の持っている時間というリソースをどのように使うかは自由で、時間の「消費」によって人間は幸せを感じることが多い。これは普通、我慢してやるようなことではないからだ。一方で、時間の「投資」は必ずしも人間に幸福感を与えない。例えば将来のために勉強するという行為を通して自分が成長していることを実感し、嬉しく思える人は幸せで充実した時間を過ごしていると言えるが、嫌々やっていた上、投資に見合う結果が何もでなければその時間はその人にとって幸せを生み出すような性質のものではない。「投資」というのは100%リターンが得られるものではなく、全く無駄な投資になってしまうこともある。未来に結果がわかるものなのだから当たり前だ。米国会計基準の勉強を何年もしていた人にとって、世界が全く違う会計基準で統一されてしまうということが起きれば、それはそれは複雑な思いだろう。

人間に与えられた時間は物理的に有限なので、何に時間を使うかというのは人生のメインテーマで、迷うところなのだが、僕は次のような時間の投資は絶対にしたくない。

「(先輩に言われたからor本に書いてあったから…etc)とりあえずそれをやっておこう。」

意思の欠如した時間投資だ。人に勧められた、本に書いてあった…という理由で面白くないのを我慢して自分に「いつかの未来のため、将来のため…」と言い聞かせて本当にやりたいこともやらずにする時間投資。目的もなく、将来何かのプラスになるだろう、とりあえずやっとこうというスタンスで時間を投資することほどの時間浪費はないのではないかと思う。それならまだ一日中好きなようにぐーたらして瞬間瞬間の欲求に忠実にネコのように生きる方がよほど人生トータルでは幸せだと思う。(これは比喩です。実際のネコの気持ちはわかりません。昔飼ってたけれども。)

【時間の現在価値】
僕は「今を生きる」を軽視し、「将来のため」を重視し過ぎる風潮、環境には疑問と危機感を感じている。「今この瞬間が大事」と言ってきかない若者に対して大人が「何を言っているんだ、好きなことばかりやっていないで将来のことを考えろ」と言うのはよくあるケースではなかろうか。時間を豊富に持つ若者に対してよくわからない時間投資を無責任に強要するのは、金持ちにリスクのわからない変な金融商品を買わせることとそう大差ない。
賢明な大人であれば、過去と未来の境界が「今」なのではなく、実際には「今」しか存在していないことをもっと認識すべきだと思う。「今」の時間こそ最も大事で最も価値があるのだ。

ファイナンスは現在から未来のお金について考えるものだが、その核となる考えは、お金はいつのものかによって価値が違うということだ。今の100万円と20年後の100万円じゃ価値が全然違うという具合に。価値の違いを生み出しているのはリスクであって、未来のお金をリスクを考慮して現在の価値に換算したものがいわゆる現在価値というもので、お金の投資をする人たちはみな必死になってこの「見積もり」をする。ところがお金の現在価値には頭が回るのに、時間の現在価値については全く考えない人が非常に多いと感じる。僕の周りだけだろうか。
老後に楽して好きなことをやって暮らそうとして、今「つまらない、苦しい、あと20年」とか思いながら働いたり、いつかきっと役立つと言われるがままに、自分の意志なくつまらないと思う勉強、仕事に時間を投資したり…。こういう時間の使い方をしている人はちょっと立ち止まって考えた方がいい。未来の24時間は決して今の24時間とは等しくないということを。
僕はこの歳にしては人の死の近くにいたことが多いと思う。同級生の訃報も既に聞いている。そして死ななくても、障害をもったり、病気になったりというケースは往々にしてある。だからかもしれないが、将来自分に今と同じ質の十分な時間が確保されているとは到底思えない。リスクがあるのだから、その分未来の時間は現在価値に換算すると少ない。特にビジネスパーソンは自分の持っている時間が「リスク性資産」であることをあまり認識できていないように思う。毎日元気な人ばかりの職場に、元気な人ばかりが移動する通勤時間帯の電車に乗って行き、元気な人が書いたビジネス書を読む。これでは無理も無いのかもしれないが、実際には人間はいつか死ぬ生き物であるし、簡単に病気にもなるし、障害も抱える。社会の変遷に伴ってますますそういうことが普通なものとしては実感できなくなっているのだ。

もう一つ大事なのは、たとえ健康に20年後をむかえられたにしても、今の時間と20年後の時間では「質」が違ってしまっていること。お金の場合、よほど経済や社会が壊れない限り、多い少ないの価値は変わるが将来も同じ機能をもっている。ところが、時間の場合、長い短いという価値の変化に加え、質も変化する。20歳でできることと60歳でできることは違う。そういう意味でも「今」の時間をどう使うかは非常に大事で、将来の時間と安易にスワップをしてしまってはいけないと思う。
「今」という点の集合こそ人生であり、どこまで点を打てるかはわからない。線(人生)が先にあって、その中に点(自分の今の位置)があるわけではないというのが僕の感覚だ。

【では時間をどう使うか】
結局のところ、強い意思による選択を繰り返し、「今」を充実させる、幸せを感じるということがトータルで幸せだと言える人生を作ると思う。自分の人生を作るのは自分。流されてはいけない。

だらだら書いたためにかなり非構成的な駄文になってしまったが今日も自戒シリーズなのでよしとします。さて来週から気を取り直して、もっと"want"に忠実に生きよう。冬ボーナスも近いが、サラリーマンマインドセットに毒されてはいけない。



モモ <Michael Ende>

*『モモ』の世界では、時間貯蓄銀行に節約した時間を預けると、5年で2倍になると灰色の男が言っていた。かなりの利率。14.8%ぐらいか。 時間っていうのは相当なリスク性資産だということだね。

*灰色の男たちに占拠された街では子供たちが以前のような創造的な遊びをしなくなり、「将来のため」という理由で勉強ばかり。大人が変わってしまったことによる被害者。子供の人生にも多大な影響を及ぼす大人に対して「しっかりしろ」というエンデのメッセージが至る所に散りばめられている。
 

Sunday, November 09, 2008

時間について Ⅰ

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毎日のように24時前後に帰っているとついつい「時間がない」と思ってしまう。
残業中、帰宅後寝るべき時間が訪れとき、日曜の夜…「時間がない」と思う瞬間は多い。
楽しすぎて時間が早くすぎてしまったという感覚とは全く違う。やるべきことは多いのだが、何かに時間が食い潰されたような感覚。いい感覚ではない。
今日は自戒の意味も込めて、時間についての考えをメモしておこうと思う。

時間には非常に大きな価値があるということには誰もあまり異論を唱えないだろう。活かさなければ意味がないという話もあるが、物理的に少しも時間がなければ活かすこともできない。つまり人生を如何様にもする基本的"材料"なのだ。使い方は人それぞれ。人生を構成する要素の中でも最もファンダメンタルなものの一つだと思っている。そして寿命に差こそあれ、とりあえずはほとんどの人に生まれたときに平等に与えられる。たまに非常に不平等で、生まれてすぐにその生涯を終えてしまう子もいるが。

この人生にとって大事なリソースである時間をどのように使うかは人の勝手で、人間は時間を何かと交換して生きていく。例えばこうしてパソコンのキーボードを叩くことに対しても自分の時間は対価として払われている。仕事をするのも、寝るのも、食べるのも、全て時間という資源を利用している。食べたり寝たりというのは人間がこの世に生まれた太古の昔からやっていることなのだろうが、いつしか人間は労働というシステムを取り入れるようになった。それは自分の時間を何か別の「もの」に交換するシステムとしての色を強くもっている。労働をして、その代わりに食べ物をもらうという具合。(詳しくはないが)おそらく時系列的にはその後だと思うのだが、お金というこれまた何かと交換して使うものが発明された。以後、人類社会では何かと交換して使う基本的リソースは時間とお金の2つになった。この2つ、もちろん性質は違うが、今ではお金の方が数段出世してしまった。お金は世の中にあるほとんどの"モノ"と交換可能で、モノとモノを交換する際の媒介機能も持っている。非常に便利で凄い力を持っているので人々はお金を欲しがる。ところが、もう一つお金という資源には時間とは決定的に違う特徴がある。前述のとおり、ほとんどの人は時間をもって生まれてくるが、お金を持っては生まれてこないということだ。これが何を意味するかと言うと、今の世の中では物質的な何かを手に入れるためには大体お金を経由するため、お金自体を手に入れなくてはならないということ。そしてモノをお金に換えてもいいのだが、そんなモノももっては生まれないので、唯一生まれながらにして持っている時間を使うことになる。これが現代版「労働」の仕組みで、働かなければ生きていけないというやつだ。

労働のシステムによって時間とお金の間に交換レートが生まれた。このレートは何によって決まるかというと、一つは時間提供者(=労働者)の本源的価値。その人だけが持つ能力があれば高くなるし、そうでなくても効率的に仕事ができるとか正確だとか健康だとか、いろいろな要素がある。もう一つは需給関係。これは経済学の教科書に書いてあることと同じ。世の中に自分の時間を売ってお金が欲しい人が溢れていて、一方でお金を払って時間を買いたい人がわずかだったら、当然レートは「お金高時間安」になる。円高ドル安とかと一緒。僕は個人的に時間の価値は非常に高いと思うのだが、どうも世の中を見ると俄然「お金高時間安」な気がする。例えばアルバイト。1時間¥800で働いたとき、その人はそのレートでお金と時間を交換したことになる。もちろんアルバイトによってお金以外のものを得て楽しんでいる人はそれでいい。こうした時間とお金の交換に付随する要素(楽しみ、悲しみ、経験、疲労感、成長…)はいろいろあるが、例えばそれがあまり感じられないときはどうだろう。単純労働で特に楽しくもないし、ちょっと疲れるぐらいという感じ。こういう労働って世の中に溢れてると思うし、自分もよくやった。お金があるなら他のことしてるよっていう時間の使い方。僕だけではなく多くの人が経験してるんじゃないかな。一方で、お金で時間を買うっていう例も身近に溢れている。まず人を雇っている側の人。もちろん総合的な労働力を買っているのだが、そこには時間を買っているという意味も多分に含まれている。自分でもできることを「これやっといて」とお金を払って頼むのは、その時間を自分が別のことに使うためにそうしているにすぎない。あとは、タクシーや電車なんかもそう。人間って歩ける生き物じゃなかったっけ?いやいや、労力と時間を交通費で買っているんです。もっと顕著な例が東京大阪間の新幹線と飛行機。新幹線で2.5hぐらいかけて行けばいいところ飛行機で50分ぐらいで行く人はより高いお金を払って時間を買っている。労力を省き、時間を短縮する機械を買うこともそう。お手伝いさんを雇うのもそう。時間を買っている例だ。

こうしてみると、やっぱり時間を売るときは安いのに時間を買うときは高くない?と思うのだが、それは現在の需給の関係上そうなっているにすぎないし、前述のとおり、時間はみんなが平等にもって生まれてきているものなのに対し、お金は後から手に入れるものだからだ。その辺りの議論はまた今度にするとして、言いたいのは、時間とお金は交換可能で、時間の価値はお金やモノに対して相対的に評価されがちだということ。こういう状況下では時間の価値は1時間どれぐらいとかそういう風に考えられる。物理的に定められた時間の長さで価値を決められてしまいそうなのだが果たしてそんなんでいいのだろうか?

最初に書いたとおり、時間というのは人生を如何様にもする材料なのだ。そりゃ生きていく上である程度は仕方ないけれど、お金やモノに交換していくだけじゃもったいない。もちろんそれで happy な人もいるから一概には言えないけど。少なくとも僕はただ1回の人生でそれじゃ嫌だ。
給与や賞与をもらうと、あらかじめ作ってあるExcelシートにそれを入力する。そうすると、累計や税率や時給がパッと出るようになっている。自分のコストを常に意識して働き、それに見合った value を出そうなんてビジネスパーソンごっこしてるけど、一歩ひいて自分の人生を考えたとき、「どうなんかね、コレ」って思ってしまうのもまた本音。特に大きな企業ゆえ、valueとか言うのも憚られるぐらいばかばかしい仕事もあって、それに対して1時間のコストいくらなんて考えながら残業していたら虚しくもなってくる。まさに時間の切り売りじゃないか。

今日は時間の交換能についてざっくりと。続きは次回。
ちなみに、大人が読むべきだと思う時間に関するテキストはミヒャエル・エンデの「モモ」。
小さいとき白黒映画で見てけっこうなインパクトがあったのを覚えていたが、また活字で読んだ。
素晴らしい作品。何とも言えない世界観。もし読んだことがない大人がいたら是非読んで欲しい1冊。


モモ <Michael Ende>

「ほんとうの時間というものは、時計やカレンダーではかれるものではないのです。」
p317にこうあります。
 

Monday, November 03, 2008

DESIGN TOUCH 2008

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「Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2008」に行ってきた。
今年のテーマは"ジャパンデザインを楽しむ"らしく、日本人を中心にデザイナー、クリエイターが集結。ただの展示だけでなく、気軽に買えるマーケット、参加型コーナー、オークション、セミナーなど面白いコンテンツでいっぱいだった。昨年始まったイベントだそうなのだが、こういうのってバンバンやって欲しい。

僕はというと、行った時間が若干遅めだったこともあり、あまりイベントを堪能できなかったのだが、Tシャツに絵を描いてきた。ミッドタウンガーデンでは青空の下、幅広い分野のデザイナーたちが様々なテントを設けていてその中の一つが¥1000でオリジナルTシャツを作ろうというよくありそうな企画。
一見すると水彩絵の具に見える、理想科学工業という会社の出している特殊なインクを使って筆で布に絵を描いていく。絵の具筆とかパレットを見るのが久しぶりだったので思わずやってしまった。
ノープランな上、日も落ちてきて描きづらい&時間もなかったので、テキトーになってしまったが、一応40分ほどの制作時間を経て完成。
土台の純白Tシャツの質がかなりbadで外着になるかはわからないけど、結構楽しかったのでよしとします。これがそのTシャツ。ペラペラな布に絵の具筆ってのは結構描きにくかったりする。

あとはオークションコーナーで面白いのが出品されていた。
特に気になったのが以下2点。

倉俣史朗 Shiro Kuramata|How High the Moon
通常のイスは脚や背などに構造体を必要とするらしいのだが、これは素材のスチールメッシュだけで強度を持たせることに挑戦したもの。なんだか無機的。

北川原温 Atsushi Kitagawara | Verdi
シェルフ。天童木工製。実際に見ると結構なインパクトで、こんなダイナミックな本棚を生かす空間はどんな空間かを考えるのも面白い。こんな形ながら、素材の研究により強度は十分保たれているらしい。"デザイン力+素材力+最高の制作技術"による至高の作品。


いや~東京いいよ。