Wednesday, January 30, 2008

electronic × wooden

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SoftBank 発 SHARP
“THE PREMIUM TEXTURE”シリーズが good!

ミニマルな design と機能が当たり前になってきた中で新たな付加価値をつけてきたのだ。
このシリーズ、なんとボディに本物の木や革を使用しているというから驚きだ。物質的にこれだけ異種のものをしっかりとくっつけるのはなかなか大変だったと思うのだが、薄さを維持したまま見事にやってのけた。木工をやっていたこともあり、天然のもの、とりわけ木が好きな僕としてはかなりビビッときてしまった。(携帯は機種変したばかりなのだが…)

この写真を見る限り、非常に美しいです。

http://www.softbankmobile.co.jp/corporate/news/press/2007/20080128_09/008.html

こういった最先端の機器に木のぬくもりがプラスされていくというのは非常に素晴らしい。
MoMA design store でも電子機器に木を取り入れた product をみかけた。
枝つきUSBメモリだ。

<Wooden Memory Sticks>
http://www.oooms.nl/usb/

オフィス環境にこんなのを取り入れればなんだか癒されるだろう。
人間だって地球自然の産物のうち。やっぱり有機的なものには癒されます。

今日の key word は「木」ということで、おどろきのPCのご紹介。
こんなのがあることにビックリ。

<木製PC>
http://blogga.ru/2005/09/12/wooden_comp/

リンク先にはキーボードやマウスの拡大写真があるので是非見てください。
秀逸!!
木には恵まれた国、ロシアの存在感を感じてしまう。
個人が作ったもののようだが、なんとロシアでは本当の意味での「木製ケータイ」も作られている!
おどろき。実用性は謎だが、やはりあたたかい。

木のない家はさみしい。完全に無機質な部屋もスタイリッシュでなかなかいいけど、トータルで家、そして居住空間を考えたときに、木のぬくもりに溢れた部屋というのは必ず欲しい。
自作の木製家具、机、ソファーの肘掛、ピアノ…僕の部屋には木のぬくもりが溢れています。家自体は鉄筋コンクリートのマンションですが…

さて、これからも“electronic × wooden”には期待したいところです。
 

Friday, January 25, 2008

人工生命? ~Synthetic biology~

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合成生物学のフィールドでなかなか hot なニュース。
アメリカのクレイグ・ベンター博士が率いる民間研究チームが、ゲノムサイズは小さいながらも細菌の一種である“Mycoplasma genitalium”のゲノム(582,970 bp)を含んだ DNA を完全に化学合成することに成功したようだ。
24日、Science電子版にて publish された。

<Science 電子版内の News>
“Scientists Synthesize a Genome From Scratch”
http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2008/124/3

<Abstract>
“Complete Chemical Synthesis, Assembly, and Cloning of a Mycoplasma genitalium Genome”
http://www.sciencemag.org/cgi/content/abstract/1151721


ゲノムの全合成はウイルスでは既に実現しているものの、ウイルスは定義上「生物」ではないため、今回バクテリアのゲノム合成が達成されたことは、生物を創る一歩という意味では大きな前進ともとれる。
定義上のウイルスと生物の境についてはさておき、ウイルスと今回のバクテリアとではゲノムサイズのオーダーが違う。細菌はウイルスに比べて断然「複雑」だということだ。今回の大規模な全合成の過程を覗いてみるとそれはそれは大変なもので、まだまだ簡単にできるというイメージはないが、「できた」という結果自体が驚きだ。今後もこのチームからは目が離せない。

このニュースを見てびっくりしたのは非常に偶然だったからというのもある。
今回の成果がまだ公になっていない日本時間の24日の午後にたまたま「人工生命」の定義についての話をしていたからだ。

この研究に関するニュースでは「人工生命」の可能性についても触れられている。
ところで、「人工生命」と言うとコンピュータ内シュミレーションの際に出てくる AL をイメージする人も多いだろうが、その名前のとおり、細かい部品などからコンピュータ自体を作るのと同じようにして生命体を創るというイメージも持たれている。実際に合成生物学(Synthetic biology)の現場ではこのようなイメージに近い感じでも人工生命創出に向かった研究がなされているし、生命のシステムの一部となりうるパーツも次々につくられている。こんなことが「生物」でもできてしまえば、本当にもう神だ。

しかし、今世間一般で使われている「人工生命」という単語のなかで「人工」というのはもっと大きい意味で使われている。人が手を加えるか加えないかという一次元的な基準で「天然」の逆にあたるのが「人工」なのだ。だから今回のようなニュースで「人工生命がもうじきできてしまうのではないか?」と報じられても、上述のような本当に「人間によって完全に創られた生命」という少し恐ろしいものがすぐにできるわけではない。今回の研究成果がもたらすのは、当面の見通しとしては「人間が手を加えた生命」のデザイン性が格段に上がるという可能性ぐらいだ、と解釈するのが冷静かと思う。
考え方によっては「人間が手を加えた生命(この世にはあまた存在する)」のデザイン性が格段に上がるというのは「生命を一から創る」というのと同じぐらいのインパクトがあるかもしれないが、僕はこの違いはかなりあると思っていて、後者ができるようになってしまった瞬間に人類は何か新しい時代に突入するのではと考えている。
もっと極端に言うならば、「進化を急速にしたり、今あるものを改造する」レベルと「ゼロから生命を創る」レベルの差だろう。

学問や科学者の追う興味という観点から見ればそんなところなのだろうが、生命科学・工学によって僕たち人類がおかしな発展を遂げていることは間違いないとも思う。学問的には「ゼロから創る神」にはまだまだなれないのかもしれないが、「生命倫理」としてくくられる問題群は急速に拡大している。「バイオ・ハザード」をはじめとする多くのSF映画のような人類滅亡の絵はいつ現実となってもそれほど不思議ではない。

Wednesday, January 23, 2008

GeneTree と Eve1

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“GeneTree”をご存知? 
http://www.genetree.com/

「遺伝子SNS」とでも言うのが妥当だろうか。
去年の10月にできたサイトで、遺伝子的な「つながり」、「近さ」を key として交友を深めようというもの。
同サイトを立ち上げたソレンソン分子系図学財団(SMGF)関係の責任者は、
『 GeneTree では、美しく文書化された家系図という価値あるものを残せるのと同時に、友人や遠い親せきとの楽しく感動的な交流方法を提供する』と述べている。

SMGF は4000万ドルほどの費用をかけて、世界の9割にあたる172ヶ国でDNAのサンプリングを行ってデータベースを作成したのだという。そこから導き出された系図を用いて、そして、さらにユーザーの情報を付加することで、ユーザーが遺伝系図内のどこにポジショニングしているのかを分析し、結果を通達する。ユーザーはその情報をもとに、どのような人が自分と遺伝子的に近いのかを知り、交友関係を広げることができる。一味変わったSNSなのだ。

参加者もなかなか多いようなのだが、僕はどうも気が乗らない。というか個人的には非常に危険なものに感じる。
サイトの説明では、positive なことばかりを前面に出している。
例えば、『憎しみや偏見は周りの環境によって生まれたもの(もともとは遺伝的にはつながっている人間同士)。』だとか、『みんながつながっているという気持ちが大切。』などだ。
確かに、こういう考え(反差別、反戦争…)は素晴らしいものだと思うし、僕も大いに肯定の立場なのだが、実にあやしい。
ユーザーは頬の裏からDNAをとってソレンソン・ゲノミクス社に送り、有料で検査してもらうことができるようになっているのだが、危険性についてはさしたる説明もなしに「安全」と言い切られていて、むしろ検査を推奨しているようにも見える。
「個人情報は漏らさない」とはしているが、遺伝情報というのは暗証番号やIDなどとはレベルの違う危険性をはらんでいる。個人にとって遺伝情報というのは言わば情報の「最後の砦」なのだ。
セキュリティシステムは数字や文字などの簡単なものから徐々に生物学的個体に固有のものを利用するように進化をとげている。キャッシュカードを例にとっても、暗証番号⇒ICチップ⇒指紋……というようにセキュリティは高度化している。顔認証、静脈認証などの認証技術も進んでいる。その行き着く先はどこだろうか?現代科学のレベルでは、まちがいなく DNA だろう。
そんな個人にとっての最高機密といえる情報を安易に提供するのは危険だと思うのだ。
今わからないようなことでも、科学の発展によって DNA からわかるようになるというのは想像に難くない。

サイト運営側としては、新しいコンセプトのSNSを人々に提供し、その代わりに遺伝情報を得てデータベースをより良いものにするという“Win-Win”の構図を描いているのだろうが、僕たちはくれぐれも危険性についてよく考えてから参加するのかしないのかその人なりの判断をすべきだろう。安易な考えには警鐘を鳴らす。


ところで、この遺伝系図は母子遺伝するミトコンドリアDNAをもとに作られているらしいのだが、ふと昔に読んだ本を思い出した。「パラサイト・イヴ」だ。確か中学校1、2年の頃に読んだのだが、この本もまたバイオへのいざないとして僕に大きな影響を及ぼした。専門用語の多さにもかかわらず、バイオに対する興味を掻き立てられてしまった思い出の本だ。細胞にパラサイトするミトコンドリアが宿主細胞との共生関係を破り、その関係を逆転しようとする壮絶なストーリーで、素直に面白い。
今となっては注釈を見なくとも用語の意味が分かるのが、なんとも時の流れを感じずにはいられない。

バイオに興味があって読んでいないという方は是非ご一読を。心情描写もなかなか生命科学的です。

  
 

Saturday, January 19, 2008

「超」整理法

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「超」整理法 <野口 悠紀雄>

野口悠紀雄の名前が専門以外のところで世に知れたのはこの本によると聞いていた。 そんな有名な本を、古い本ではあるが読んでみようと思って買った。(この手の本は普通古いと使えなくなっているものが多いのだが…)

読んでみると、コンピュータ関連のところはやはり今とは時代が違うため、参考にはならない。ただしかし、あの時代での筆者の適応力と先見性には目を見張るところがある。
さて、本書で一番注目するところはやはり序章と第1章だろう。それまでの整理法の常識を覆す発想が時間軸検索を用いた「押出しファイリング」というシステムであり、なるほど読んでみると確かに合理的だし、画期的だと思った。この部分は現在でも使えるのではないだろうか。
人間の記憶は「場所・位置関係」よりも「時間順」の方が精度がいい…うむ、確かに。
著者の命名法もなかなか面白かった。『家出ファイル』、『神様ファイル』、『ドッペルゲンガー・シンドローム』などなど。独特。

個人的にはところどころに散りばめられている著者のユーモアもツボだった。
p47のニハチの法則のところでは、『本書は例外』発言。
p81の写真には著者の本ばかりが並ぶ…等々。


ところで、第4章、終章には整理法という本題からは外れているが、非常にいいことが書かれているので引用しておこうかと思う。

『遊ぶ時間を十分に持つことこそ、究極的な「発想法」であろう。』(p202)

『知的な人々が周りにいれば、理想的なインキュベーターになる。』(p202)

『画一的な受け身の知識習得型から個性的で創造的な情報処理型へと、能力開発の方向を転換させる必要がある。このような能力を持った人材こそが、これからの日本を支えるために不可欠なのである。』(p218 終章 最終段落)

どれも、その通り!と素直に思えるものばかり。しかし、3つ目に関してはこの本の刊行から15年近くが経つというのに日本の教育の現状は改善どころか悪化しているような気がするのは僕だけだろうか。
 

Tuesday, January 15, 2008

パワー・プレゼンテーション

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パワー・プレゼンテーション <ジェリー・ワイズマン>

“Presenting to Win”
これが原著の題名らしいのだが、邦題がパワー・プレゼンテーションという、何だかかっこいいような悪いようなものになっていることがやや気になった。
何はともあれ、これは勝つためのビジネスプレゼンテーションの指南という目的で書かれたもので、読むまでは比較的テクニック寄りの内容なのかと思っていた。しかし実際に読んでみると、何とも「ゆるい」。このゆるさはいい意味のゆるさで大局的なイメージ。小手先のテクニック解説に傾倒した凡庸なプレゼン本とは一線を画する。
そもそもプレゼンテーションが何のためにあるのか、そして他の伝達手段とどう違うのかなど本質の部分を大事にしてあり、これからプレゼンテーションの技術を磨いていきたい人や初心に戻って自分のプレゼンテーションを改善したい人には非常に有用な内容となっている。分かったような気になる小手先の技術の解説は少ないのだが、不思議とプレゼンテーション作成への姿勢が正される感じだ。

仕事で文章を書くことについては、以前にも紹介した 『理科系の作文技術』 や 『考える技術・書く技術』 といった素晴らしい本があるが、この2冊が大事にしていることは同じで、「読み手のための文章」であるということだ。
同じように、プレゼンテーションは「聞き手のためのプレゼン」であるべきで、ここが一番力を入れなければならないことなのだ。自分たちの主張を理路整然と上手く説明することにだけ集中して作られたプレゼンテーションは自己満足の産物以外の何物でもなく、根本の目的は果たせない。本書はそうした姿勢が滲み出ていて、大事なことを思い出させられる。

著者のつくった言葉で “WIIFY” (ウィッフィー)というものがある。
英語の決まり文句 “What's in it for me?”(自分にとって、何の役に立つのか)をベースにした “What's in it for you?”(相手にとって、何の役に立つのか)というフレーズの頭文字をとったものらしい。本書ではこの WIFFY を大事にする。すなわち聞き手のためのプレゼンテーションであることを大事にしているのだ。
  

Sunday, January 13, 2008

さおだけ屋

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さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学
<山田 真哉>


よく売れた本。前回のレビューに引き続き、「よく売れた本は読んでおこうか」という発想のもと、今更購入した。
僕の周囲の評価は「微妙じゃない?」というようなものが多かったが、僕は素直に面白いと思ったし、こういう本は価値があると思う。
読んだ方も多いだろうが、内容は身の回りの何気ないトピックを通じて会計の基本を学ぶというもの。レベルは本当に低く、誰もが肩の力を抜いて読めるようになっている。僕がこの本に価値があると思ったのは、世の中の底上げにつながると思ったからだ。何となく貨幣経済に生きている人たちや、中学生、高校生あたりがこの手の本を読むことは、社会の健全化につながると思うのだ。世の中には罠がたくさん仕掛けられていて、何も考えていない人はその罠にはまってしまう。罠にはまったことさえ気づかない人さえもいる。そういう人たちが世の中の仕組みや自分の身の回りの現象を考えるきっかけとなれば素晴らしい。もちろん筆者としてはその流れの中でも特に「会計」に目が向けられれば本望なのだろうが…

ところで、会計というテーマで書かれた本書の全体とはあまり関係はないのだが、p143に
『「人脈」というとなるべく多くの業種の幅広い世代の人々と関係を持つことに重点が置かれがちだが、それは大きな勘違いだと思う。~(中略)~どんなに多くの「知り合い」を作っても、いざというときにものを頼むことができなかったり、こちらがまるで信頼されていなかったりしたならば、それはまるで意味のない「顔の広さ」である。』
と、人脈についての記述がある。
ここを読んでいて、就職活動をしていた頃に某VCの方に言われたことを思い出した。

「人脈っていうのは頼られて初めて人脈」

「さおだけ屋~」の中で言われていたことと大体同じことだが、分かっているようでたまに戒めないと自分の人生に反映されなくなってしまう。
たくさんの人の名刺を持っていても、薄く広い交友関係を持っていても、それは結局うわべだけで意味があるものかどうかは分からない。人脈とはいえない。
頼れる人が少ない、知り合いでなく「友人」が少ない…そう感じるときは、自分が相手に対して何も提供できていないのが原因だろう。そこを意識するだけでたぶん人生はもっと豊かなものになるのだろう。
 

Friday, January 11, 2008

初売りに思う

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1月初旬の初売りに合わせて買い物に出かけるのは毎年楽しい。
以前の entry でも書いたのだが、今年もいろいろ買い、あとは伊勢丹メンズ館でベルトやビジネスシューズでも買おうかというぐらいだ。(イセメンはなかなか Good な店で、ひとたび足を運べば他にも出費がありそうだが…)

流行
ところで渋谷や原宿で何気なく買い物をしているうちに、じわりじわりとチェック柄が流行ってきている匂いを感じた。ギンガムチェックやグレンチェック、アーガイル、千鳥格子なんかは流行り廃りのない定番なパターンなのかもしれないが、近年というか最近というかグレンチェックを良く見かけるようになったのは気のせいではないだろう。久しぶりに何軒も店を回ってビックリしたのは、メジャーなセレクトショップにタータンが多くなったという点だ。タータンはスコットランドの伝統的なチェック柄だが、僕は昔からなぜか感覚的に好きだった。しかし若い層をターゲットとしたアイテムの数はそこまで多いとは言えず、めぐり合えてもかなりの値段であることが多かった。それが、最近はアイテム数も増えてきているし、そこそこ手頃な値段で BEAMS や UNITED ARROWS のような大きなセレクトショップに並ぶようになった。昔4万円ぐらいしたようなウールのパンツと同等な質のものが2~3万円で売られている。この流通量の増加と価格の低下現象は明らかに流行サインであり、これから街でも良く見かけるようになるのではないかと思う。

量販店のアイテムや定価の決まった商品でない限り、ファッション界においては価格は好き放題につけられる。商品によっては粗利率がとんでもなく大きいのがこの業界の特徴で、原価なんてしれていることぐらい誰が見ても明白だ。価格をつける側は類似商品、競合店舗のプライシングを考慮しつつも、長年の勘で販売価格決定をするわけだから、その価格が下がっているということは基本的には高価格のままでは売れなくなったか、流通量が増加したかを意味することが多い。今回の場合、流通量、種類ともに増えているようなので売れなくなったというわけではない。売れるからこそ、置く店が増え、その結果、価格は抑えねばならなくなったのだ。
アイテム数が少なく高価格の状態でブームが巻き起こると、市場参入者が増加しアイテム数が多くなる。その結果価格は下がり、街でも希少さが低下する。その後スタンダードとなって長生きするか、しだいに流行から外れるか、どちらかの道を歩む…
ファッションの世界では意図的にこういう流れが作られていることが多いのだが、街でそんなことをふと考えるのもプロダクトライフサイクル分析風でなかなかおもしろい。

最近のメンズファッションでの例を他に挙げれば、ナロータイ、ジレ、スキニーなんかもそうだろう。
ナロータイがちょっと流行り始めたのは3、4年前ぐらいだろうか(僕の感覚では)。その頃は1本1万2千~1万5千円ぐらいして、アイテム数も少なかった。それが今や街でも多く見かけるし、メジャーなセレクトショップならどこでも6千~1万円ぐらいで幅広く売っている。
ジレ、ベストもそう。今じゃどこでもそこそこの値段で買える。スキニーパンツの流行もしかり。様々な価格帯で商品が用意されるようになった。
流行る前に完全に自分の好みで買っていたアイテムが街にあふれ出すとちょっとげんなりしてしまうこともあるが、それもファッションの一つの姿。僕は流行とかより、自分の感性のままに好きなものを好きなときに買う。そんなスタンスでショッピングを楽しみたいと思う。


web × sound
今年になって買ったものの中に、スウェーデンの Nudie Jeans のデニム、イタリアの BOEMOS のブーツがあるのだが、たまたま website を見てみると両社ともやっぱり音つき。この辺り非常に興味深い。こうなったら海外 website について徹底的にリサーチしてみようと思う。
Nudie Jeans の Video なんかすごく funny!!

Nudie Jeans : http://www.nudiejeans.com/start/

BOEMOS : http://www.boemos.it/

BOEMOS のブーツ。買ったのはこの型のヌバック。質と価格のバランスがなかなか良心的なところも気に入った。

 

Thursday, January 10, 2008

下流社会?

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下流社会 新たな階層集団の出現 <三浦 展>

評判は散々だったが、人の意見は人の意見。部数は出た本なのだから自分でも一応読んでみようと思って後れ馳せながら購入。
しかし、やはり何ともぼやけた本だった。そもそも本書執筆の目的が読者には伝わりにくい。 上司にリサーチしてこいと言われて、短期間で片っ端からデータを集めてそれなりの推論をしたというような感がある。

著者はマーケティングに従事されているということだが、もっとそのスタンスを全面的に押し出して書いた方が誤解は少なかったのではないかと思う。「下流社会」というシンプルながらやや sensational な題名と新書という組み合わせ、さらには前半の入り方によって、本書は単に社会現象をとらえた本として読まれうる。そうなると、本書を読んだ人は「自分はそうじゃない」だとか「根拠のない階層分けをするな」などと感じてしまう。データはサンプル数も少なく、推論も筆者の偏見がかなり入っているので当然だ。
この本はどう見てもマーケターサイドの本なのだ。だから大雑把なトレンドが掴めればそれなりに意味があるし、階層意識というあやふやな基準も役に立つ。ビジネスではそうやってターゲッティングをしていくものだ。(もっとデータはしっかりとるだろうが)
要は読み方さえしっかりすれば、全部がいらぬ情報というわけではなく、読者各々が得られるものも少なくはないはず。
とはいっても個人的には一冊の本としては駄作の判を押さずにはいられないが…


本書全体の話とはあまり関係はないが、P233の
『最近の新入社員といえば、小学校「お受験」が大衆化した世代の最初の世代であろう。小さいときから「選ばれた」人たち、自分と同じ階層の人間としか付き合ったことのない若者が、社会に出てきたのだ。』
という部分には共感するところがあった。これは主に東京の話なのだろうが、僕自身感じていることだった。筆者が危惧するこうしたタイプの人の中には、貧弱さを感じずにはいられないような人が確かにいる。早期受験や一貫教育などにメリットはあるが、同時にこういう問題も生じていることに親は感付かなければならないだろう。
 

Sunday, January 06, 2008

右左

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右翼と左翼 <浅羽 通明>

下馬評も良いなかなか画期的な本。どこが画期的かといえば、なんとなく分かっているようで分からい「右」と「左」について薄い1冊の新書が語っている点そのものだ。
僕のように日本で生きていれば右や左という言葉を耳にすることは誰しもある。そして各人が右と左に対して(特に右に対して)それぞれぼんやりとした知識やイメージをもっている。そうした中、今回は3つのことを知りたいと思い本書を手に取った。

ⅰ)右左の概念ができた背景とは?
ⅱ)自分の持っている知識やイメージは正しいのか?
ⅲ)右左は現代においても何らかの意味ある指標になりうるのか?

さて、読んでみると…

ⅰ)
歴史の知識がある人であれば本書を読めばすごく良くわかるのではないかと思う。残念ながら僕には難しいというか歴史の知識が足り無すぎるというか、細かいところはよく分からなかった。しかし、どのようにして生じた概念なのか、そしてそれがヨーロッパ、日本それぞれの歴史の中でどのように変わっていったのか大まかな流れを知るのにはちょうど良いものだった。そもそもフランス革命が起源ということすら知らなかった僕には大変勉強になった。

ⅱ)
予想通りだが、「とらえきれてはいないものの外れてはいない」という感じだった。とらえきれていなかったのは当然だった。右左の概念とは歴史そのものであって、それを知らなければ右左というのが意味ある指標かということ以前に、何にも当てはめることはできない。

ⅲ)
結論。個人的にはもう意味をなさなくなったと思う。
そもそも右と左は議会の席位置の話であって、立場を分かりやすくするような意味合いを持っていた。まさに通常使うミギやヒダリという一次元的な概念だったわけだ。それが軸の本数が次第に増え、右と左があらわすものも複雑になっていった。その複雑化の流れは国によって、そして時代によっても違い、現代では非常におぼろげなものとなってしまったというわけだ。
考えや立場を分かりやすくするための空間的な分け方として始まったものが、誰にでも分かるように考えや立場をはっきりとポジショニングすることができなくなったとき、その指標は指標として機能していないと思う。実際、右左という複合化された指標を使うより、個々の対立軸を何本も立てて総合評価をする方が明確だし、意味がある。

ただ、僕のような若い世代がまったく知らなくて良いということでもないと思う。上の世代の方が右左の指標を使って考えを述べたとき、それを正しく理解しなければならないからだ。どういう意図、そしてどういう理解のもと右や左と言っているのか解釈しなければならないのは僕だからだ。
そういう意味でも本書は役に立った。

僕のように歴史の弱い人は真ん中の3,4,5章をとばして読んでもいいと思う。
逆に歴史を勉強したい人は通史片手に本書をじっくり読むのもいいだろう。
 

Friday, January 04, 2008

Jungle × Animal

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年始の恒例といえば僕の中ではショッピング(服)なのだが、今年は服以外に一つ気になることを引き下げて街に繰り出した。
グラスだ。気に入っていたグラスが年末にひょんなことで欠けてしまい、ネットで探しても見つからないそのグラスがまだ手に入るのか心配だったのだ。


以前そのグラスを買った AMERICAN RAG CIE に行くと、幸いなことに欠けてしまったのと同じグラスが店頭にあった。
写真のグラスは両端がブラック、中央がシルバー。もともとブラックとシルバーを1つずつ持っていたのだがブラックが欠けてしまった。そこで今回ブラックを2つ買い足して写真のようになった。
このグラス、ジャングルとその中にいるいろいろなアニマルたちが描かれていて、その何ともいえない不思議さと、静かな「生」の予感が好きだ。


ARTRANCE CHURCH というブランドのサファリシリーズなのだが、他にもプレートやマグといったアイテムがあり、そちらも買い揃えたいと思っている。 何だか暮らしが楽しくなりそうだ。
こういったデザインが好きなのは、ルソーの描くジャングルとどこか世界観が近いからなのかもしれない。さらに遡れば、幼い頃にモーリス・センダックの「かいじゅうたちのいるところ」の世界観が大好きだったことにも繋がっていると思う。


  Henri Rousseau  「夢」

















サファリグラスを買ったついでに、もう一つ、La Rochere (ラ・ロシエール)というフランスのブランドのカップを買った。南の島で集めた貝でも入れて飾ろうと思う。

 
かいじゅうたちのいるところ <Maurice Sendak>
 

Tuesday, January 01, 2008

謹賀新年

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A HAPPY NEW YEAR

年末年始というのは毎年感慨深いものです。
昨年の12月は30日までしっかり忘年し、大晦日から今日にかけて、気持ちを2008年に切り替えるべくほのぼのとした空白の時間を過ごしています。

piano
         

2008年のピアノ初練習はショパンの幻想ポロネーズ。
最近は舟歌を練習しているのだが、今年のスタートは何となくポロネーズにした。


抱負というかキーワードというか
今年は久しぶりに書初めでもしようかと思ったのだが、家に道具が見当たらなかったので断念。
選んだ言葉はこの2つ。

「粒粒辛苦」
今年は僕にとって人生の中でも大きな節目となる年だと思うので、原点に帰ってこつこつと努力することを忘れないようにしたい。

「温故知新」
最近になって古い哲学や歴史にも興味をもつようになった。今年は今までと違った学びを大事にしようと思う。また、伝統的な組織からも学べることは多いだろうから、斜に構えずに自分の周りの環境を活かそうと思う。


自然洞 麺舗
12月30日。高校時代に昼休み、休み時間、学校帰りと本当に良く食べた思い出のラーメン屋に同窓の友人と再訪した。
最近の一番のお気に入りである 「らーめん鐵釜」 もいいけど、慣れ親しんだ味に思わずほっとしてしまった。おいしかったです。

◇自然洞 麺舗◇
埼玉県さいたま市浦和区北浦和1-21-13