Sunday, August 30, 2009

偶然の再会に思うこと

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8月27日、仕事を早々に切り上げ、東京都現代美術館(MOT)に向かった。
MOT×Bloombergでのプロジェクト、"PUBLIC SPACE PROJECT"として開催されている、"大西麻貴+百田有希 展覧会"の特別内覧&懇親会に参加するためだった。MOTの展示室以外のスペースを使って国内外の若手アーティストに作品を展示する機会を提供するプログラムだが、今回は、82,83年生という本当に若い建築家DUOの作品が取り上げられた。正直全く知らなかったのだが、興味があったし、"Food And Beverages Served"とあったし、で思わず申し込んだ。
MOT URL : http://www.mot-art-museum.jp/index.html

会場は、大西さん、百田さん、その関係者、建築界の方々、そして僕と同様縁あって内覧に参加した人々で賑っていて、日常ない刺激を受けることができた。作品も非常に面白く、若手DUOのセンスとそのスタンスに感服した。メインとなる鍾乳洞のような空間「夢の中の洞窟」はもちろん印象的だったが、僕は隣の会場に展示されていた彼らの設計した建築模型の方に興味を覚えた。特に「I邸」という、お伽話に出てきそうな家がかなり気に入ってしまい、こんな家に住んでみたいと素直に思った。決して広くはない土地に立つコンパクトな家なのだが、四角い家の周りに螺旋状に通路が巻きつく面白い構造で、しかもその通路は中を通ることはもちろん、上(外)をベランダのように歩くこともできる。言葉でなかなかうまく表現できない不思議な家だ。百田さんと話せる機会があったので聞いてみると、「"路地"が家に巻きつく」という不思議なコンセプトであることが分かった。家には興味があるので定期的にかなりの家(の写真)を見ているが、本当に新感覚。カメラを持っていなかったので写真が撮れず、かつネット上にもまだupされていないようなのでここに載せられず残念なのだが、ただの構想ではなく、クライアントもいてもうじき実際に建つということだ。是非見に行きたい。

偶然の再会は帰り際に訪れた。しっかりワインを飲んだ後、もう一度そのI邸の模型を見て帰ろうと思ったそのとき、誰かに呼ばれたのだった。そこにいたのはもう3,4年も会っていなかった高校時代の友人だった。クラスメートであり、共に本格的な木工作品を作る仲間だったが、彼は当時からずば抜けたセンスを持っていた。同時に非常に繊細で、「如才なく」という言葉とは対極にある生き方をしていた彼に何とも言えない可能性と興味を持っていたが、高校卒業後交信は途絶え、紆余曲折の後、美大の建築学科に進んだという話を聞いたのと、同窓会で軽く会った程度だった。
そんな彼は今回のプロジェクトの関係者だった。模型制作に尽力し、美術館のガラス箱に入ったメイン作品の模型には彼の名前が制作者として書かれていた。

再会に歓喜し、軽く話をして別れたが、一人の帰り道で僕はいろいろ考えずにはいられなかった。
「それぞれの道」についてだ。この歳になり、再会する学生時代の友人は皆それぞれの道を歩んでいる。それぞれの街でそれぞれの仕事、それぞれの暮らし…人には皆それぞれの道がある。世の中は広いし、人間ができることはたとえちっぽけなことだとしても、いろいろある。僕は一介のビジネスパーソンとして都会のど真ん中の高層ビルの森の中で日々暮らしているが、たぶん、僕に会う旧友にとって、それは「それぞれの道」に映るのだろう。だがしかし、それぞれの道を知っているのは、決めることができるのは間違いなく自分だけ。自分の意志で道を進まなければならない。右へ倣えはどれだけ楽なことかもしれないが、自分の道を歩んでいない可能性がある。年齢的にも自分の道を歩んでいていい頃だろう。今一度道について静かに考える必要がある。東京の大企業のビジネスパーソンが構成する世界は人間の見うる世界に比してあまりにも狭く、変化に乏しい、画一的な世界。その世界の誰が何と言おうが、僕は淡々と素直に、自分の道を歩まなければならない。いや、歩みたいと思う。
 

Monday, August 17, 2009

新世紀メディア論

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新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に <小林弘人>

「メディア」についてかなり熱い本。メディアには直接関わっていない僕は正直そのパッションについていけなかったのと、カタカナが多すぎる業界っぽい文章に疲れ、読了するのにかなり時間を要した。

小林さんはウェブメディアで成功している人だし、題名や前半の語り口からも、新聞や雑誌のような古いメディアはもうダメで、新しい形(ウェブ)に目を向けなさい、というような本かと初めは思った。ただ、読みにくい文章を越えて後半になって、いや最後の最後になって著者の想いが分かったように思えた。著者はメディアの本質自体が今とは違う何かに変わるとは言っていない。メディアや編集者というのは本質的には不変で、環境、形が変わっただけだ、と。新聞や雑誌という今衰退中の媒体の上で活動するメディア人、編集者の考え方が媒体の形式ありきになってしまっていて、それについて「違うだろ」と警鐘を鳴らしている。さらに著者は実はかなり紙メディアにも思い入れがあるように感じられる。p275辺りで特にそうした色が出ている気がする。紙には紙のいいところがあり、ウェブとは違う役割を果たせることを説いている。

僕はメディアに対し特に一家言があるというわけではまったくなく、普通に消費者として関わっている身だが、メディアについて誤解していたことが多分にあった。まだうまく言語化できるほど理解できていないが、本書は僕が考えていたものよりずっと上の概念の話をしていた。何回も読めばもう少し理解できるのかもしれないが、今回はとりあえずそれだけ感じることができた。読んでいて最初はつまらないと感じる本ほど深みがあったりする。

以下気になったところを簡単にメモ。(引用or要約)

・メディアビジネス=コミュニティへの影響力を換金すること(p22)

・「誰でもメディア」時代に突入。ただ、だからといって誰でもプロとしてやっていけるわけではない。カメラの例と同じ。誰でも写真は撮れるがプロ写真家としてやっていけるわけではない。「存在感は増しているのにもかかわらず、価値がデフレーションを起こしている。」(Lecture01)
⇒これは以前のエントリーで書いた音楽の価値の話と同じ。

・アテンションこそメディアの通貨(p31)

・クリエイティブの原点は共感の創出(p112)
⇒この一節は深い。

・「損益?赤字ならほかでバイトして、それをやり続けるだけですよ。」の発想の台頭で、メディア高給状態が崩壊。(p138)
⇒これがあるからウェブビジネスには正直手を出す気にはなれない。

・紙がやるべきこと→人間のキャパシティに合わせて情報をスクリーニング。「稀少性」の訴求。旧来のような情報コモディティ(日用品)から嗜好品への転換。(p179)
⇒「紙は嗜好品」の発想はかなり先進的。確かにそうなると思う。問題はいつ頃そうなるか。

・ウェブメディアの時代では、以下3つのスキルセットが必要。(p192)
(1)ウェブ上での人の流れや動きを直感し、情報を整理して提示する編集者としてのスキル
(2)システムについての理解、UIやデザインについての明確なビジョンと理解
(3)換金化のためのビジネススキーム構築までを立案できること

・「わたしが自ら会社を興したのも、社内での根回しや他部署との闘争などに辟易していたからです。出版の前に、まずは社内政治を戦い抜くだけで疲労してしまうわけですから。そして、その次には取次企業、あるいは代理店のネゴというふうに、真に見据えなければならない読者コミュニティからはほど遠くなっていくのが現状です。」(p223)
・「フローの高いウェブメディアでは、読者は上司の決裁など待ってくれない」
⇒これはメディアに限らずあらゆる大企業のBtoCビジネスに関係すること。大企業でも中小でも個人でも誰でもほとんどハンデなしに戦える環境ではこういう姿勢のBtoCはすぐに淘汰されるだろう。

・メディアビジネスの変遷。「ラージ・フォーカス、スモール・プロフィット」から「スモール・フォーカス、スモール・グループ、ラージ・プロフィット」へ。(p225)

・従来のパッケージング・メディアはそれ自体が完結しているのに対して、ウェブメディアはフローによって成立する。故に、そこからアクションを起こすことに繋げなければ意味がない。(p244)

・「人間は便利を欲しつつも、どこかで折り返し地点のようなものを内蔵していて、過剰な便利さに疲労するとそれを折り返し地点とした揺り戻しが起きるのではないかと。」(p286)
⇒同感。絶えず進化を続ける時代において大事なポイントだと思う。
 

Thursday, August 13, 2009

Mr Jones Watches

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時計を買った。
1週間程前に一つ買ったにも関わらず…
先週の月曜日、愛用していた腕時計の針が止まっていて電池交換に出したのだが、お盆の影響もあり、何と手元に戻ってくるのは1ヵ月も先。たまらず、代わりの時計を購入したのだが、急だった割になかなか気に入ったものが買えた。その出費から1週間も経たずに買ってしまうほど衝撃的な時計が現れた。

Mr Jones Watches

London の Crispin Jones という若手デザイナーの時計だが、本当に面白い。IDEOと協働したり、いろいろなPJTに携わっている同氏だが、最近はTenguというオモシロPJTと、この腕時計製作に重点を置いているらしい。

Mr Jones Watches のコンセプトは、
"Our watches are intelligent design pieces that do more than simply tell the time."
というもの。各シリーズを見ると、どれもこのコンセプトどおり、面白い"+1"がついている。そして時には時計が本来追求する機能を多少落としてでもその"+1"をつけるという作り方が粋だ。

例えば、"The Decider"というタイプの時計は"Yes"と"No"が毎秒交互に表示される。優柔不断な人はこの腕時計に判断を仰ぐことができる。すなわち、時計を見た瞬間に"Yes"ならGo!だ。

僕が今回即買いしたのは、Series 3 limited edition の"Cyclops"だ。『Odyssey』に登場する1つ目巨人の名前だが、色相環(だいぶ違う…)のように各時間の場所に12色の「目」が描かれている。数字は一切出てこない。そして「直線」も一切出てこない。多くの時計は目盛の部分や数字、針に直線がみられる。直線が「ある」とはおかしな話だが、逆に「ない」時計を作るとすればこの"Cyclops"のようになる。何ともシンプルでほのぼのとしたデザイン。
正直、正確な時刻はきっと分からない。電車にも容易に乗り遅れるだろう。だが、そこがこの時計の"+1"なのだ。
"Cyclops can be read with a relaxed kind of accuracy that offers a counterpoint to our hectic modern lives."
現代社会の慌しさからオーナーを救ってくれそうだ。


限定100本シリアルナンバー入りで、僕が買ったとき(今週月曜未明)はまだ残り24本あったのに、今はどうもsold out.
MoCoLocoで紹介された影響か、急ピッチで売れてしまったようだ。たまたまGBP/JPYがかなり円安に振れていたタイミングだったので、アホなレートで決済してしまったのだが、商品がすぐに売り切れてしまったことを思えば即買いして正解だった。

ちなみに、購入時多くの人が忌み嫌いそうなNo.44が残っていたので僕はあえてそれにしてみた。

まだ手元に届いていないし、安いし、材質的なクオリティーは未知なるも、今後も同氏の面白い時計には期待。

Mr Jones Watches :
http://www.mrjoneswatches.com/index.html
 

Wednesday, August 05, 2009

子供の危機

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前回のエントリーでは触れなかったが、『建築家 安藤忠雄』 の中で子供の教育について触れられている部分があった。「第10章 子供のための建築」の部分だ。

安藤さんは最近の「過保護」教育ぶりを危惧している。危惧というよりは子供が「かわいそう」だという主張かもしれない。

小学校で生徒が校舎のガラスに当たって怪我をした…
⇒ガラスにぶつかるのはガラスのせいなのか?(p282)

これは何とも奇妙でばかげた問いかけなのだが、最近ではおかしいほどに(このケースで言えば)ガラスの加害責任ばかりが追及される。

これでは建物の作り手、サービスの提供者も消極的になってしまう。

本書の中での安藤さんの主張を簡単にまとめると…(p282~291)
・子供の個性、自立心を育てようという発想と、危険のありそうなものは全て排除して、徹底的に管理された環境で保護しようという発想とは全く矛盾する。
・過保護であることは自己管理能力の発達を阻む。「生きている」緊張感がなくなる。
・自分で何か工夫して問題を切り抜けようという創造力は育つだろうか?
・今の子供たちの最大の不幸は、日常に自分たちの意思で何かが出来る、余白の時間と場所をもてないこと。昔であれば、放課後の時間と、大人の定めたルールも何もないどこの街にもポカンとある空き地。戦後日本の経済一本槍の社会が子供達からこの空き地と放課後を奪った。
・建築も同じ。つくり手が「ここはこう使ってください」と全部決めつけてしまっては、使い手が想像力を働かせて使っていく楽しみがなくなってしまう。

僕も全く同意見だ。
なぜ、子供や親が自分たちで何とかしようとしないのか、環境に立ち向かおうとしないのか。モンスターペアレント?なんてふざけて言っているけれど、これは相当大きな問題ではないか?親がまともでなくてどうやって子供を教育するのか?現在親になるには何も資格はいらないが、このあたりもう少し真剣に考える必要があるだろう。おかしな親に育てられた、自己管理能力のない子供がやがて親になったとき、そのまた子供は一体どうなるのだろうか?そうなってしまってはもう戻れない気がする。

ガラスの例で言えば、僕は小さいときから、そういう一見危険なものに触れさせられた気がする。母親の方針でプラスチックの皿は使わず、普通に割れたり欠けたりする食器を使っていた。はさみや包丁なんかもかなり早い段階で与えられた。これには本当に感謝である。子供は意外なほどに適応力を持っており、そして失敗してもその10倍ぐらい学ぶ。自己管理能力の育成と危険とを天秤に乗せたとき、絶妙なバランスを保つ監督者が親であり、いい親はクリティカルなダメージを受けることがないように目を光らせながらも、最大限自己管理能力を伸ばす。こうした「親の」能力というのは実は誰もが持っているものではなく、そうしたバランス能力が欠如してしまった親が所謂モンスターペアレントだったりするのだろう。

他方で、問題の背景には親の存在だけではなく、学校の教師もいるし、もちろん環境の変化もある。昔に比べ、あまりにも生活が便利になり、本当に至れり尽くせりといった状態。ありとあらゆる製品が非常に高い安全性基準をクリアし、危険性を排除した作りとなっている。モノが、文明が人をダメにしているのか、それとも人の要請により環境が変わっているのか、鶏と卵の議論になってしまうが、今がそのスパイラルの中であることは確かだろう。


こんな時代だが、しかし「教育者」は確かにいる。教育について最近刺激を受けたのは次の2人だ。

・渡辺健介さん(株式会社デルタスタジオ代表)

『世界一やさしい問題解決の授業』の著者であり、研修でお世話になった方。
研修の場でも酒の席でもいろいろな話を聞くことができたが、この人が「教育」に関する事業をやっていてよかったな…と心底思える人だ。
HPに、"デルタスタジオでは、世界のどこでも生き生きと、主体的に想像し、考え抜き、行動できる人材の育成を目指し、弊社「寺子屋」にて独自の教育を提供しています。"とあるが、今の親や日本の教育制度に欠けている要素を見事に補っている。子供の未来を創る素晴らしい仕事だと思う。

・横峯吉文さん(通山保育園理事長)

ゴルファーの横峯さくらの伯父さんで、Yokomine式学育で有名。先日TVで見て、そのリアルな教育法に感心した。
子供をやる気にさせる4つのスイッチ
 1.子供は競争したがる。
 2.子供は真似したがる。
 3.子供はちょっとだけ難しいことをやりたがる。
 4.子供は認められたがる。
を上手く使って、楽しみながら自己管理能力、創造力、問題解決能力などを身に付けさせる学育は素直にすごいと思った。
(参考)http://www.cosmo.bz/azc/index.html


子供の可能性は無限大とは言わなくとも、それに近いと思う。ただ、子供は自ら機会を得にいけるほど社会が分かっていない。機会を与えてやり、ポテンシャルを高めることこそが親や教育者の役割だろう。あとは「何をやるか」「どう生きるか」…を子供自身が考え、切り開いていけばいい。
 
 

Sunday, August 02, 2009

建築家 安藤忠雄

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建築家 安藤忠雄 <安藤忠雄>

素晴らしい本。ここ1年で読んだ本のBEST3には入ってくる。
最近「自伝」というジャンルの本を読むのが面白くなってきたように思う。昔は、自伝というと自分とは違う人が自分とは違う価値観に基づいて自分とは違う時代を過ごしてきた記録であり、そんなに気づきの多いものではないと思っていた。どちらかというと何かを得に行くというよりは読み物として楽しむものという整理だ。
そう捉えていた自伝が面白くなったのには二つ理由があるように思う。一つは、自己啓発の類の本をいろいろ読んだこと。自己啓発本からは多くのことを学べるし、視野を広げることもできるが、次第に、極端に言えば「どれも言っていることは同じ」というように感じてくる。新しい発見はもちろんあるが、内容が被ってくるのだ。そして何だかストレートに腹に落ちなくなってくる。「そういう考え方、視野があることは知っている」という状態で止まってしまって次のステップに行かないときがよくある。実生活での学びと上手く結び付けられればいいのだが、あくまでも「本」の中での話をすると、自伝が効く。自己啓発本で何となくinputしたようなことが、自伝を読んでいると繋がってくる。実生活に繋がったときほどではないが、科学の教科書で学んだ知識を実験によって確かめるような感覚がある。もう一つは、自分が以前と比してより人生について真剣に考えているということ。そろそろもやもやしたところから転機というかブレイクスルーを起こしてもいい歳なわけで、自伝を読んでいても、その人の一瞬一瞬の選択について真剣に考えてしまう。もはや僕でも書けてしまうような月並みな自己啓発本より、一回きりの真剣勝負そのものである自伝の方が面白いし、学びも多い。

さて、本書は、安藤建築を見ながら(写真も豊富)安藤さんが建築に対してどういう考え方をしているのか、そして建築家としての人生で何を感じてきたのか、どう生きてきたのか、そういうテーマが凝縮されている。正直、安藤建築は4つか5つぐらいしか頭に思い浮かばず、安藤さん自身についても、「元ボクサー」、「大学に行かずに独学で建築を勉強」ぐらいの断片的な事実だけしか知らなかったので、面白すぎて引き込まれるように読んでしまった。また読みたいのだが、面白かった部分を以下に一部メモ。

・建築家とは「社会的な組織をもった個人」(アーティストと建築家との違い)
・個人が組織に飲み込まれるようになってしまえば、その建築家は終わりだ。
(p11~12)

⇒建築家と芸術家との違いは何なのか、ということは非常に気になっていた。安藤さん自体が、建築家ではなくて芸術家だと揶揄されることがあるが、僕は本書の安藤さんの考えに触れて、やはりこの人は建築家なのだと感じた。安っぽい言葉で言えば、芸術家のように主張する建築家という感じ。


・モノづくり=モノに生命を与える尊い仕事(p36)

⇒モノに生命を与えるとは言い得て妙だ。物質とモノとの違いについて、よく分かる。


・知のレベル:抽象的な言葉≪≪実体験(第2章)

⇒ボクサーをやめ、24で世界放浪の旅に出た安藤さんが痛烈に感じたこと。これは本当にそうだろうなといつも思う。上述の、自己啓発本からの学びと自伝からの学びとの違いもこれと同じこと。


・既成のものを否定し、今に反逆する…経済国ニッポンへとなし崩し的に進んでいく社会にあって、安保闘争に始まる60年代には、それに抗って自分たちの人生を生きようという時代の精神が確かにあった。
・時代が、社会が、人間の感情を揺り動かす力に満ちていた。揺さぶられ、突出してきたありとあらゆる異形のものを、許容する包容力があった。
(p58~60)

⇒すごい表現だと思う。「人間の感情を揺り動かす力」…これにはかなり興味がある。個が圧倒的に弱いと感じる。世の中こんなに丸くて、画一的な価値観の下で動いていていいのだろうか?時代として、ひいては個人として面白いのだろうか?これは僕にとっても大きなテーマであると思う。


・世界の代表的な都市に見られる「時間の豊かさ」…1世紀以上昔の建物が、当たり前に使われ続けていて、その中で現代アーティストの前衛的な活動が繰り広げられている…そんな過去と現在、未来が渾然一体と重なり合う情景に、非常に新鮮な感動を覚えた。…成熟した都市の文化。(p107)
・一つの集合住宅の中に一つの街、共同体が育まれるのに充分な生活要素が封じ込められていた。そこには、単に量の供給を目的とした経済的メリットだけではない、集まって住むことでしか得られない豊かさが、はっきりと提示されていた。(p182)

⇒本書では「豊かさ」について考察する部分が散りばめられている。物質的な豊かさではなくて、どのような豊かさを人々に提供できるか、これについても僕の人生の中の「仕事」という側面において重要なテーマとなるだろう。


・やりたいことを見つけたら、まずはそのアイデアを実現することだけを考える。現実問題としてどうか、というのはあとで考えればいい。だから依頼を受けた敷地だけではなく、隣の敷地の建物まで設計して、模型をつくることもよくある。(p239)
・無謀な挑戦なのは分かっている。だが、無駄に終わったとしても、遠くに投げたボールを追いかけ走っていれば、進むべき道は見失わないでいられるだろう…そんな気持ちで毎日を過ごした。(p244)

⇒こういう姿勢いいと思う。簡単に見習えるものではないが、これぐらいの気概をもって生きたい。特に2つめのような生き方をしたからこそ、安藤忠雄という建築家は大成したのだろう。自分の生き方を見失いそうになっている人にとっては大きなヒントとなるはず。


・建築もまた、完全なるグローバリゼーションの時代を迎えた(p262)

⇒そう思う。建築家は自分の力を最大限活かすフィールドで仕事をしているだろうか?人々は世界中の建築家が生み出す可能性を考慮に入れて、自分の家のデザインを考えているだろうか?建築のグローバリゼーションを人々の豊かさに変換できるようなプラットフォーム作りには非常に興味がある。


・現実の世界では、本気で理想を追い求めようとすれば、必ず社会と衝突する。…連戦連敗の日々を送ることになるだろう。それでも、挑戦し続けるのが、建築家という生き方だ。
・何を人生の幸福と考えるか、考えは人それぞれでいいだろう。私は、人間にとって本当の幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。
(終章)

⇒建築家に限らず、だと思う。終章は建築から少し離れて、安藤さんの人生観に触れることができる。本書を読むと、安藤さんの人生は、必ずしも才能まかせの恵まれた、誰もがうらやむ光だけの人生ではないということに気づく。陰の中でどう生きるか、これが人生の本質なのかもしれない。

フローベールも次のような言葉を残している。
"The most glorious moments in your life are not the so-called days of success, but rather those days when out of dejection and despair you feel rise in you a challenge to life, and the promise of future accomplishment."

光の教会