Wednesday, August 27, 2008

花火

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暑さも和らぎ、今年の夏も終わろうとしている。
夏といえばやっぱり…というような言い方もしたくはないのだが、夏の風物詩は花火だ。
今夏も1回だが花火を見た。
僕は花火は芸術だと思っている。芸術作品には"仕事"という表現がよく使われるが、花火は英語で fireworks 。そもそも花火の起源が日本なのか外国なのかは知らないが言い得て妙な単語だと思う。
しかしもっと素晴らしいと思うのは日本語の"花火"という単語。非常にシンプルなのだが僕のイメージにはしっくりくる。
花火のいいところはどこだろうと考えたとき、当然視覚的美しさや音の清々しさが素晴らしいのだろうが、僕は、花火師の心意気と花火の儚さに芸術を覚えている。
僕は芸術を鑑賞するとき、作品そのものの独立した美しさ・性質に感銘を受けるだけでなく、作品を通して作者のマインドに触れることができた場合、さらなる芸術感というか得体の知れない感覚を覚える。
だから、作者がどのような思いでその作品を完成させたのか、またどのような感情をもってそのような表現をしているか知っているケース(例えば、人生を共に歩んできた人の作った音楽を聴く場合)では特に感じ取れるものが違う。プロや著名なアーティストの作品でなくとも、僕にとってだけの至高の芸術というものは確かに存在しうる。
これに近いのだが、直接知らない人の作品でもその人の感情が強く伝わってきた場合には、視覚、聴覚でのみとらえる芸術とは違うものとなる。つまり、作品を通して、作者と対話しているようなイメージだ。
花火の場合、なぜだか特にそのような感情が起こりやすい。わずか数秒で夜空に咲いた花が次の瞬間には消えていく…そんな儚い花に思いを込める花火師たちの心意気が伝わってきたとき、花火は他の何物にもかえることのできない芸術だと感じるのだ。

夏の少し涼しい夜と、浴衣にうちわ…日本の花火は"花火"のままで、そうした今と同じ要素に囲まれてこれからも夏の夜に儚く咲き続けてほしいものだ。

ちなみに今年行った花火は去年も行った多摩川花火大会。田園都市線をまたいで、2サイドで同時に行われる花火大会だが、個人的には世田谷区主催のものより、川崎市側のもののほうが好きだ。
音楽と花火をコラボさせた企画は挑戦的だがかなり面白い。特に去年の威風堂々は秀逸だった。

Tuesday, August 26, 2008

ビームスの奇跡

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ビームスの奇跡 <山口淳>

ビームスっていうのは不思議な店だ。「店」であって会社ではない、未だにそんな感覚が拭い去れない。
ビームスではこれまでどれだけ買い物したか忘れるぐらい買ったと思う。
若い世代なら誰もが通る「服屋の基本」のような位置づけともなっているのはビームスだけではない。アローズやシップス、ジャーナルスタンダードなどのセレクトショップもまさしくそう。こうした世間での認識、位置づけにより、一時期はメジャーなセレクトショップがつまらない、陳腐だと感じたものだった。特にビームスはそのプレゼンスがいい意味でも悪い意味でも大きい。みずほ銀行のCMでビームストートがどうだなんてやっていたのも記憶に新しいし、最近ではセブンイレブンにビームスとコラボった文房具が置かれたりしていた。つまり、出すぎなのだ。誰にでも身近なところにありすぎる。
一部の人間はこのような状況をあまり歓迎せず、メジャー(≒陳腐)化していない服屋に出入りする。上述のように僕もそうで、一時期はセレクトショップなんて…という感じで、メンズノンノやポパイでピックアップされるような「小さな店」をハシゴする買い物の仕方をしていたものだ。

ところが、ある時からまたビームスを訪れるようになった。他のセレクトショップには足りない魅力があったからだ。(未だにシップスやジャーナルでは買い物はほぼしない)
インターナショナルギャラリーやビームスFとの出会いがきっかけだった。今も当時もビームスはメジャーで、どこにでもあるようなシャツやパンツが1万円ぐらいの無難(クオリティにしてはちょっと高め?)な値段で売られている。またビームスのロゴが入っただけのようなつまらない商品もあり、こういう部分を見ると何だかがっかりしてしまうのだが、一方でビームスにはいろいろな顔があることに気づいたのだった。ギャラリーには今も何ともいえない雰囲気があるし、最もメジャーなビームス東京とかでだってけっこうエッジの効いたアイテムが売られている。いろんなものに手を出していていろんなところで顧客を逃しているが、また attract する力も持っている。そんな気がする。

今は買い物の時間があまり取れないこともあり、便利さという意味でセレクトショップを重宝しているが、たぶん時間があってもビームスには足を運ぶと思う。なんか面白いからだ。
本書を読むと、客としてそういう気がどうして起こるのか、少し納得できるところがある。
ビジネスという観点からもビームスは非常に面白い。これも理由の分からぬ面白さ。こんな企業ありうるのか?と思わせるような内容が本書にはこれでもかと収められている。よくも絶妙なバランスをとりながら、売り上げを伸ばしていけるものだ(利益の方は心配だが)。読了したところで不思議感は拭えない。
しかし言える事は、やっぱりこういうビジネスは自由な人・感性のある人でないとできない。そしていわゆる株式会社のような企業の枠組みを壊さなければ成立しない。頭の固い、感性不足の巨大コングロマリットがアパレルやブランドに手を出してもイマイチなわけです。

何も考えぬ客としても面白いし、ビジネスとしても面白い。今後もビームスが絶妙なバランス感覚を駆使して、自社のポジションをキープできるのか、見物だ。

ビームスの最大のリスク=設楽社長の引退
これは幻冬舎のアナリスト説明会で聞いた内容と同じ。
幻冬舎の最大のリスク=見城社長の引退

ワンマンチーム、どこまでいけるか?


※ちなみに、ビームスFの"F"は"Future"のFらしい。初めて知った。そんなことも知らずにスーツ買ってたよ…。いいねぇ"Future"っていうコンセプト。

※あと、アローズが、言わばビームスからの"枝"だということも初めて知った。

Monday, August 18, 2008

ウォーターマネー?

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ウォーター・マネー 「水資源大国」日本の逆襲 <浜田和幸>

発刊日(7月30日)だかその翌日だかに偶然見つけて購入したが、読まぬまま幾日も過ぎ、ようやく読了。
最近買ったはいいが読まずに放置というパターンの本が部屋の中で目立つようになってきた。
一度「後で読もう」リストに入ると、また新しく購入された本に対してプライオリティーが低くなり、どうにも読む機会がなくなってしまう。この問題を解決するためには、一定期間本屋に立ち寄らない、そして Amazon を開かないことが大事(笑)

さて、本書のタイトルにはいきなりひっかかった。ウォーター・「マネー」なのか、果たして?(まぁオイルマネーと対比してあえてキャッチーな題名をつけているのだろうけど…)
テクノロジー、経済水域、淡水、様々な面で確かに日本は水資源大国である可能性は高いが、それをマネーにしてしまうのはいかがなものかと。それが直感。今はまだ水という資源に関して真に深刻な状況とは言えない。これがもっと極端なケースになると、お金はあまり意味をなさなくなるはずだ。

例えば、生きていくのに必ずAとBの2つの物質が必要であるとする。世界にはXYZの3つの国しかなく、X国は経済大国でお金の面では他の2国を圧倒している。しかし、AはY国でしか、BはZ国でしか採れないということになったときどうなるか。Y国とZ国が物質A,Bを物々交換し、A,Bは決してお金には換えないというスタンスをとったときX国はもうだめだ。もしくは他2国に戦争をしかけて物質A,Bを奪うしかない。

こんな極端なモデルにはならないにせよ、世の中で一番流通してしまっていて価値がないものはもしかしたらお金かもしれない。
ダイヤモンドなんかは確かに産地が限られていて、それ故高いレートでお金に変換することが可能だ。同様に希少なものほど高いレートでお金に変換することができる。 しかし、人が生きるために最低限必要なものになると話は変わる。ダイヤモンドなんか別になくてもいいが…
水は命の源だ。そうであるからこそ、お金と交換できなくなる日が来ることも考えられるし、戦争のトリガーにもなる。
生きるために最低限必要なものが極端に偏ってしまったとき、長く続いた世界の貨幣経済は終焉を遂げるかもしれない。今普通に暮らしている分には世の中から貨幣の仕組みがなくなるとは考えづらいが、無効化・無力化の可能性は十分にある。

そんなことを考えつつ、本書を読んでいったが、なかなか面白かった。
この手の本はいささか主張が偏っていて、マスコミのように一つの事象を変に煽りたてる傾向があるが、その辺り差し引いて読んでも得るものは多々あった。そこそこfactベースで書かれていることもあり、今まで日本の強みは水だなんて考えてもいなかった人には特におすすめ。かなり最近のことまで反映されているところを見ると、良く練って書かれた本というわけではないので文章は粗いが、さっと読んで現状を捉えるのにはいい。

内容をざっくり挙げると以下のような感じ。
・水不足に困る人、国の現状
・水道事業の民営化
・水や水関連技術が限られた国や企業に独占される可能性
・水に関わる商売
・水に対するお金の流れ(ウォーターファンド)
・日本の水関連技術
・これからのkeyとなる廃水処理
・ダムについて
・水はどんな問題を引き起こすか(テロ)
・中国の話

最後に「中国の話」と書いたのは、あまりにも驚いたからだ。
本書には各国の水事情が書かれていたが、中国のひどいありさまが非常に印象的だった。
是非読んでください。3割減のスタンスで読んでも、まぁひどい…

ところで、裏表紙には
「これまで日本はエネルギーも食料もまったく自給できないで苦労してきたが、今後は水技術で世界に再び躍り出ることができる。世界に冠たる水テクがあれば、石油や食料とトレードして生きていくことが可能だ。」
とある。そうなんです。お金じゃなくて、他に必要なものとダイレクトにトレードするっていう発想が大事だと思う。水や水テクは日本の最後の切り札かもしれない。
 

Tuesday, August 12, 2008

青木淳の"HOUSE"

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そういえば、カルロ・ザウリ展に行った時、同時に MOMAT ではもう一つの展示が行われていた。
「建築がうまれるとき
 ペーター・メルクリと青木淳」
という展示で、ちょっとしか観る時間がなかったのが悔やまれるほど面白そうな展示だった。(実際、仕事後に2つの展示を観るのは時間的にムリ…)

ペーター・メルクリというスイスの建築家はそもそも知らなかったのだが、そのドローイングの過程はなかなか興味深かった。なぜ青木淳との組み合わせなのかは未だに謎なのだが、独特な雰囲気のある展示だったと思う。あと30分でもあれば…

ペーター・メルクリ : http://www.maerkli-peter.arch.ethz.ch/

もう一方の青木淳は日本で非常に有名な建築家なのだろうが、なぜだがあまり彼の仕事を観た記憶がない。LOUIS VUITTON 各店舗の設計者であることは知っていたが、その程度だったので今回の機を活かしてofficial site を見てみた。

AOKI JUN : http://www.aokijun.com/

上のサイトなのだが、これが面白すぎ。刺激されまくり。
特に HOUSE の仕事が最高。アルファベット1文字の題名にまずそそられる。
あまり奇抜なものではないし、一軒家建築だけあって素朴なのだがすごく温かみがある。
壮大な建設PJTや、芸術作品のような建造物は僕ももちろん好きだ。心躍るし、本当に凄いなと感嘆してしまう。だけど、1番ベースとなる「けんちく」ってのは家のような気がしている。建築っていうのが何のためのものかを考えたとき、建築家の芸術意識でもなくエゴでもなく、権力の象徴でもなく、機能重視のものでもなく…一番大事な目的はそれに関わる人、そこで暮らす人の幸せのためだと思う。そもそも1人、2人、数人単位の人の幸福を育むシェルターだと思うのだ。そういう観点で青木淳の建築を観たとき、非常に温かみを感じ、かつ建築の原点感が感じられる。よくわからなくても、この人に家作ってもらいたいなと思えてくるから不思議だ。

"ほぼ日刊イトイ新聞"の過去の特集にこんな面白いのがあった。
"AOKI JUN × ITOI SHIGESATO 建築っておもしろそう。"
http://www.1101.com/architecture/index.html

とりあえず、一番下までスクロールしてください。
第1回~第15回まであります。「もどる」を多用する必要がありなんだか読みにくいが、内容はかなり面白い。個人的には第12回あたりからが特に面白かった。
これを読んでますます青木淳のプロフェッショナリズムに魅せられてしまった。
いや、ほんとに将来建てる家が今から楽しみでなりません。

Sunday, August 10, 2008

人を動かす

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人を動かす <DALE CARNEGIE>

言わずと知れた名著を読んだ。
あらゆる自己啓発書の原典とも言われる本書はやはり読む価値があった。
デール・カーネギーは本書の他にも多くの自己啓発書の類の本を書いているが、これだけの事例を取り上げ、これだけヒューマンスキルの研究をしたことは賞賛に値するとしか言いようがない。
本書が書かれたのはとうの昔だが、社会構造が大きく変化した現代においてもこれだけ多くの人が読んでいることには驚かされる。やはりそれだけ素晴らしい本なのだろう。

さて、本書のジャンルであるが、一見すると対人関係戦略論。相手の心理構造を考え、自分の nature の感情をぐっと抑え、効果的な言動・行動をする。そういうメソッドが相当数の事例とともに解説されている。
そういう見方をすると、本書の内容を完全に実践している輩は何だかイヤな奴に映る。営業など、ビジネスのシーンでは非常に役に立つ内容ではあるが、ビジネス以外での対人関係においてここまで戦略的になるのは少々気持ち悪くさえ思える。
ところが、本書に対するスタンスや読み方によっては、そして何度も本書を読むことによっては別の境地に達するのだろうとも思える。すなわち、何も考えずに自然と本書に書いてあるような思考ができるようになったとき、本当に「幸せな人」や「偉人」…になれるのではないかと思うのだ。

p.300に以下のような記述がある。
『重ねていう。本書の原則は、それが心の底から出る場合にかぎって効果をあげる。小手先の社交術を説いているのではない。新しい人生のあり方を述べているのである。』

まだ僕には本書の内容を完全に自然なものにすることはできないと思う。だいぶ時間はかかりそうだ。しかし、本書の内容を当たり前なこととするべく努力し、そのために本書も何度も読み返したいと思う。


ところで、本書の核は以下の記述そのものだ。
『人を動かす秘訣は、この世に、ただひとつしかない。この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。しかし、人を動かす秘訣は、まちがいなく、ひとつしかないのである。すなわち、みずから動きたくなる気持を起こさせること…これが、秘訣だ。』(p.33)

フロイトやジョン・デューイを参考にして人間のあらゆる行動の動機を考えたとき、それは「自己の重要感」と「性の衝動」とに集約されるとし、本書は前者にフォーカスして書かれている。
その「自己の重要感」についての重要な記述が例えば以下2つだ。

『人はだれでも他人より何らかの点ですぐれていると思っている。だから、相手の心を確実に手に入れる方法は、相手が相手なりの世界で重要な人物であることを率直に認め、そのことをうまく相手に悟らせることだ。』(p.144)

『自己主張は人間の重要な欲求のひとつである。』(p.70)

「自己の重要感」というのは確かに人間にとって非常に重要な「生きている価値」かもしれない。逆に言えば、それがなければ存在意義がないという不安にさえ駆られる。人間は自分が存在することの意義を日々確かめるために「自己の重要感」を追い求める生き物なのかもしれない。
この「自己の重要感」という考えは本当に色々な言動・行動のベースとなりうる。
例えば、人を非難しない、代わりに褒めるというのも言ってしまえば「自己の重要感」の尊重問題に帰着する。
人を非難せずに褒めるということの重要性は本書内で大きなテーマとして述べられていたが、その論の中で特に印象に残った記述は以下3点。

『われわれは他人からの賞讃を強く望んでいる。そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる』(p.15 ハンス・セリエの言葉)

『神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる』(p.32 ドクター・ジョンソンの言葉)

『(お世辞とは)相手の自己評価にぴったりと合うことをいってやること』(p.47)

また、議論を避ける、誤りを指摘しないという項目中においては以下2つの記述が印象に残ったが、これも結局のところ「自己の重要感」に帰着する問題だろう。

『こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手にゆずるべきだ。百パーセントこちらが正しいと思われる場合でも、小さいことならゆずったほうがいい。細道で犬に出あったら、権利を主張してかみつかれるよりも、犬に道をゆずったほうが賢明だ。たとえ犬を殺したとて、かまれた傷はなおらない』(p.164 リンカーンの言葉)

『相手がまちがっていると思ったときには…思うばかりでなく、事実、それが明瞭なまちがいだったときにも、こんなぐあいに切り出すのがいいと思うがどうだろう……「実は、そんなふうには考えていなかったのですが…おそらくわたしのまちがいでしょう。わたしはよくまちがいます。まちがっていましたら改めたいと思いますので、ひとつ事実をよく考えてみましょう」。』(p.169)


このように「自己の重要感」を核として本書は書かれているが、若干脱線したところにもビビッとくる記述は散りばめられている。言われてみれば「あ~」となるような基本的なことなのかもしれないが、それが非常に大事なのだ。それが凝縮されている本書の価値はやはり僕が言うまでも無く高い。

最後に、特に印象に残った記述を備忘のためにも引用しておく。

『偉人は、小人物の扱い方によって、その偉大さを示す』(p.27 カーライルの言葉)

『成功に秘訣というものがあるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である』(p.57 ヘンリー・フォードの言葉)

『われわれは、自分に関心を寄せてくれる人々に関心を寄せる』(p.88 パブリアス・シラスの言葉)

『まるでどんちゃん騒ぎでもしているようなぐあいに仕事を楽しみ、それによって成功した人間を何人か知っているが、そういう人間が真剣に仕事と取っ組みはじめると、もうだめだ。だんだん仕事に興味を失い、ついには失敗してしまう』(p.94)

『物ごとには、本来、善悪はない。ただわれわれの考え方いかんで善と悪とが分かれる』(p.98 シェークスピアの言葉)

『良い習慣は、わずかな犠牲を積みかさねることによってつくられる』(p.114 エマーソンの言葉)

『人にものを教えることはできない。みずから気づく手助けができるだけだ』(p.168 ガリレオの言葉)

『河や海が数知れぬ渓流のそそぐところとなるのは、身を低きに置くからである。そのゆえに、河や海はもろもろの渓流に君臨することができる。同様に、賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人のうしろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない』(p.228 老子の言葉)

『人間は一般に、同情をほしがる。子供は傷口を見せたがる。ときには同情を求めたいばかりに、自分から傷をつけることさえある。おとなも同様だ…傷口を見せ、災難や病気の話をする。ことに手術を受けたときの話などは、事こまかに話したがる。不幸な自分に対して自己憐憫を感じたい気持は、程度の差こそあれ、だれにでもあるのだ』(p.245 アーサー・ゲイツの言葉)
 

Sunday, August 03, 2008

CARLO ZAULI

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カルロ・ザウリ展 @MOMAT(東京国立近代美術館)
に行ってきた(金曜)。色々な意味でギリギリだった。展自体が8/3までだったのと、閉館時間が20時(金曜日限定、最終入館19:30)だったからだ。職場から徒歩圏ということもあり、早々に仕事を切り上げて19時過ぎに入館。仕事帰りに美術館に行けるのは何とも幸せ。

さて、CARLO ZAULI はイタリア現代陶芸の巨匠らしいが、恥ずかしながら正直あまり知らなかった。そして"陶芸展"なるものを見るのも久方ぶり。僕はどちらかというと2Dより3Dの芸術を鑑賞する方が好きなので、陶芸というのもたまにはいいなという程度の思いで足を運んだ。
僕の陶芸に対するイメージは、壺、ろくろ、益子、九谷、備前…そんな感じだったのだが、現代陶芸というだけあるのかないのか、今回の展示にはいい意味で陶芸に対する上記のイメージを取っ払われた。
正直、こんなに自由でこんなに深く、こんなにダイナミックなものだったのか!と驚かされた。
陶芸は工芸の中の一分野で、機能を持ったものだと勝手に思っていた僕だったが、ザウリの作品はそうした区分けからは完全に解放されていた。

    <壺>1953     <球体のふるえ>1968‐1970     <塔>1986

CARLO ZAULI(1926‐2002)は1960-70年代の「ザウリの白」と呼ばれる代表的な陶彫作品で非常に有名で、世界的に権威のあるファエンツァ市主催の国際陶芸コンペでもグランプリを3度獲得したらしい。その非凡なる才能でイタリアの現代陶芸を牽引したというわけだ。

<翼のある形態>


<大きな白い破れた球体>


<形態のうねり>


気に入った作品は以下(似たような名前が多いので覚えている分)
 「アザラシ」 1958年
 「大きな白い破れた球体」 1967/68年
 「それは壺だった」 1971年
 「黒い汚染物質」 1972年
 「自然のアーチ」 1973年
 「歪められた欲望」 1987年

あとは、色のついていない作品の方が多かったのだけれども、たまにあった「青い」作品が絶妙だった。個人的にはザウリの青とでも呼びたいぐらい、その青さが美しかった。ターコイズ系の色になるのかな…吸い込まれるような深みのある青だった。

青といえば、こちらのタイルも非常に美しい青がベースとなっていた。

<タイル>1962


ザウリは実はタイルのデザイナーとしても活躍したらしく、本展、数多くのタイルの展示もあった。
そして僕もタイルが造りたくなった。本当に。もしかしたらタイル作りはけっこうお手軽にできるんじゃなかろうか。いいものを観ると、もの造りがしたくなる。いい刺激です。


MOMAT : http://www.momat.go.jp/index.html

CARLO ZAULI : http://www.museozauli.it/
 

Friday, August 01, 2008

ウェブ時代 5つの定理

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ウェブ時代 5つの定理 <梅田望夫>

『ウェブ進化論』、『ウェブ時代をゆく』とは形式が大きく違い、梅田さんがウェブ、シリコンバレー、今の時代の生き方…等に関係した金言を集め、本の形でシェアしたもの。
やはり梅田さんは若者に夢を与えるカリスマ性がある。「少年よ大志を抱け」というような hot なノリとはまた違うんだけれども、胸に何かが灯るような感覚を覚える。仮にシリコンバレーに行かなくとも、起業しなくとも、やりたいことを今すぐ始められなくとも、平凡な毎日の中、そういう感覚をふと思い出すこと自体にも価値があると思う。

梅田さんはオプティミズムを貫いた不思議と楽しい本で多くの若者を attract してきたが、今回はもっと上の世代にもメッセージが発信されていると感じた。第5定理は「大人の流儀」という題名になっていたが、後半はまさに日本の型に完全にはまった大人へのメッセージだ。正直言って今の日本とシリコンバレーでは環境が天と地ほど違いすぎる。若い人にいくら夢を見せたところで、受け皿がこれでは少し厳しい。シリコンバレーは「揺籃の地」と表現されるときがあるが、今の日本はどう考えても揺籃どころか、かごから立ち上がろうとする赤子があまりにも低い天井に頭をぶつけるという印象しかない。日本がこのような状況なのは決して若者に覇気がないだけではないし、技術志向が足りないだけでもない。上の世代がつくっている社会にも少なからず問題がある。若者を鼓舞するだけでなく、こうした日本の社会に対してもしれっと変化を求めるような文を忍ばせているあたりから、梅田さん自身は好きでシリコンバレーに住んでいるけど日本の未来のことも本当によく考えているのだと感じる。

さて、本書の冒頭で以下のような記述を見たときはホっとした。

『言葉の力はおそろしいものです。毎日毎日、心が萎えるような言葉をシャワーのように浴びるのと、オプティミズムにあふれた未来志向のわくわくする言葉に勇気づけられるのとでは、同じ人でもまったく違う人生が広がる。』(p10)

本当にそうだと思う。まさに後者の言葉を求めて本書を手に取った人は多いはずだ。
ズタズタな金融、物価上昇、環境問題…悲観すべきあまたの状況の中で、わくわくする言葉を発信し続けて他人まで幸せにするにはかなりのエネルギーがいる。本やブログなど万人の前でこうしたスタンスをとってくれるのは何ともありがたいことだ。
梅田さんのような人が社内にでもいたら面白いに違いない。まったく他力本願だが…
まぁ明確な目的を持ったら、生きる場所を変えてみるのがいいのだろう。

本書、数多くの金言が散りばめられてあり、共感・発見ともに多かったのだが、印象に残ったものを3つだけ引用しておく。

『大きく成長する会社は、ある時期に必ず異質な人材と組むものです。』(p79)

『ハッカーと画家に共通することは、どちらもモノをつくる人間だということだ。作曲家や建築家や作家と同じように、ハッカーも画家も、良いものをつくろうとしている。……ポール・グラハム』(p129)

『自分がやらない限り世に起こらないことを私はやる。……ビル・ジョイ』(p259)

3つめのビル・ジョイの言葉とかシビれるね。
明日も not creative な excel仕事をカチャカチャやってる時間があれば反芻しようかな。

"I try to work on things that won't happen unless I do them."

座右の銘の一つになりそうです。