Sunday, December 19, 2010

就職難問題に思う

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就職氷河期、なのだろうか。

学生との付き合いはOB訪問程度。この目で見るサンプルこそ少ないが、今就職活動をしている平均的学生はある意味で可哀相だなと感じる。同時に、今起きている変化は何も学生だけに対してのものではないと認識。

「就職氷河期」という言葉は非常にミスリーディングな言葉だ。あたかも、その時期が限定的であるかのように聞こえる。本当にそうだろうか?
日本を取り巻く環境はジリジリと変化していたが、リーマンショックがそれを一気に加速させた。そして顕在化した。企業は環境の変化を認めたのだ。そしてそれに手を打ち始めたのだ。切実だった。ただそれだけ。企業は生き残るため、変化に対応しなければならない。それだけのことだ。

日本の大卒就職率は世界トップかトップクラスだ。失業率も他先進国に比べても低い。それでもその環境に対して不満を持つというのは、甘すぎるとしか言いようがない。ビジネスの世界は変化との戦いだ。変化を予想して早めに手を打つ。変化に順応する。変化を上手く利用する。そういうことが求められる。
変化に不満を持って終わりでは、その先は長くない。これは企業だろうがそこに勤める人だろうが、学生だろうが同じ。

今就職活動をしている学生がある意味で可哀相だというのは、丁度過渡期であるが故に、余計な未練や幻覚に襲われているから。この変化を冷静に受け止め、アクションに繋げるのは、多くの学生にとってハードルが低いものではない。どうしても過去のプラクティスにしがみつき、自分の頭で考えること、信念を持ってオリジナルな動きをすることから逃げがち。自己防衛のために、環境の変化のせいにせざるを得ない。それが「就職氷河期」というマジックワードだ。社会人側もその思考を助長しがちで、変化を認めたくない大人が自分に対しても起きている変化だということに目を背けつつ、学生を憂う。

もう一度言うと、今問題だとされる我が国の就職難は一時的なものではない。今後さらに加速することはほぼ間違いないと思う。何故かは、一つ冷静な頭で世界経済の動きと日本の位置を考えれば誰でも分かろう。日本企業の新卒採用制度はある意味素晴らしいが、行き過ぎていた。大卒就職率は異常だったのだ。あまりにも入り口が緩かった。必然性が低かった。変化に対応するため、企業が緩すぎたところから手綱を締めるのは至極当然のこと。次に変化の影響が出るのは、既に働いている人たち。これはただの順番の話にすぎない。

だから学生たちは、企業への入り口のところでスクリーニングがきつくなっている今の状況を憂いてもしょうがない。企業に入ったところで遅かれ早かれ影響は出始める。肝心なのはそこじゃない。自分が学生だろうが、若手社会人だろうが、中間管理職だろうが、大事なのは、変化を見据え、動き、それをチャンスに変えることだ。企業自体にそれが求められる以上、その構成員である個人がそれを求められるのは当然。

就職難と言われる今の状況を見ている高校生や大学1,2年生はそれなりに考えるだろう。準備もするだろう。それでいいと思う。社会人は、その変化を自分のものと捉え、意識を変えた人間は大丈夫だし、それをしなかった人間はいずれ苦しむ。どちらにしても、ちゃんと分かっている人には大した問題ではない。準備期間が少なかった、現・就職活動生は一番大変なのだろうが、上述の通り、どの道後になって直面する問題なのだと理解して今を頑張ればいい。

状況の厳しさをただ嘆くだけの学生と、それを他人事のように報じるメディアの存在が情けなく思え、こんなことを書いた。環境は常に変化している。変化しているからこそ面白いんだ。変化するからこそチャンスがあるんだ。

これを書いている自分も全く同じ状況にいる。新卒採用を過去に終えた人間のポジショントークではないので、念のため。
 

Monday, November 08, 2010

I Love TASCHEN

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Architecture Now! 3, 4 <Philip Jodidio>

Architecture Now!シリーズを買い足した。4はだいぶ前から予約していたのだが、やっと手元に届いた。
まさに建築辞典。これだけハイクオリティーで、建築の「今」が詰まった本もなかなかないのでは?2冊並べると広辞苑なみのインパクトがある。
パラパラとページをめくるだけで、アイデアが湧いてきて、デザイン感覚が研ぎ澄まされる。建築というのは最高の機能物であり、芸術だ。いろいろなヒントが詰まっている。

さて、本書を出版しているのはドイツの出版社TASCHEN.
僕が尊敬してやまない出版社だ。

創業者のBenedikt Taschenは1980年、彼が18歳のときに小さな本屋を開いた。その後すぐに、Taschenは革命を起こす。彼は、art-bookが高すぎるということに問題意識を持ち、多くの人々の手に届くような価格で高品質な本を提供することを使命として出版活動を進めていったのだ。今でも企業として存続し、世界中の人にTaschenの本が愛されているのは、ひとえにそれが「良い仕事」であったからだ。

TASCHENという出版社は僕にとって、好きなデザイン、建築関連の本を低価格、高品質で提供してくれる愛すべき出版社というだけでなく、仕事の仕方、世の中への価値の生み方を教えてくれるexcellent companyなのだ。
 
TASCHEN HP : http://www.taschen.com/
 

Sunday, October 31, 2010

ホリエモンの本

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①拝金 <堀江貴文>

何かと話題になっている『拝金』を読んだ。
フジとライブドアのバトルをメディアが囃し立てたのは記憶に新しいが、実はけっこう前の話。今やリーマンもこの世にはない。
当時ホリエモンという人を何か痛快に感じたのは正直な感覚として残っている。そして、最終的に逮捕されたときには残念な気持ちになった。何と言うか、日本に。「出る杭」がどうのという諺はあるが、そういうシンプルな教訓以外にもいろいろ学ぶことがあった一件だったと思う。
そんなことを懐かしみつつ、最近またTwitterでよく発言を見るようになったホリエモンの小説ということで単純に興味が湧いたのだ。

面白かったと思う。小説としてどうこうという論調はあるが、そんなのは抜きにして、中身が面白いと思った。ホリエモンという人は本当にオブラートに包むということをしない。まぁ相対比較の話だが。考え方がくっきりしていて良い意味で分かりやすい。多様な考え方を認められない類の人にとってはある意味ハラワタが煮えくり返るような人物なのかもしれないが、僕はそうではないので、単純に楽しめるし、学べる。

話としては、あの事件の裏側をリアルかつスピーディーなストーリーとして仕上げたものだが、こういう本を小説として出版するところに、ホリエモンの人間らしさを感じた気がする。この本には、マスコミによって不本意に作られすぎたホリエモンという拝金主義キャラクターの誤解をどうにか解きたい、自分の本当の信念を知ってもらいたいというホリエモン自身の願望がこれでもかと詰まっている気がする。実際、この小説の主人公「優作」に自分を重ねて読んでいけば、同じような結末を迎えるとまではいかなくても、共感できる部分が全くないといことはないだろう。むしろ、だからこそ、当時あれだけホリエモンは一定層から支持されたんだと思う。
僕自身、当時から、別にホリエモンが嫌いというわけではない。


②君がオヤジになる前に <堀江貴文>

こちらは新刊。併せて読んだ。
こちらは、小説とは違って、極端さが全面に出ている。
もちろん、ホリエモンの本なのだからそういう前提で買っているし、歓迎。
そもそも、自分にとって極端と思える内容の方が学びや気づきは多いし、自分の思想と一致するような自己啓発本を精神安定剤的に読むよりは全然生産的。

本書を買ったのは、表紙イラストが「カイジ」や「アカギ」の福本さんだったことが大きい。ホリエモン×福本さん、というのは絶対面白いだろうな、と。実際、本としては、ざっくりとした感じだったが、軽い文体の中にはけっこうエッセンスがあったりする。全体としては過激で乱暴な感じの本だが、そこからどういう情報と学びを得るかは読者次第。そういうことだ。

本書のまえがきにある定義には納得。というかここは常日頃考えていることと完全に一致。定義というのは次の二つ。

一つは、
「オヤジとは年齢的なものではない。あらゆることを、より良き方向へ改善しようとすることを放棄してしまった者たちへの表現だ。」(P2)

もう一つは、
「思考停止とは安定を求め、自分の皮膚感覚や感情、生き方そのものに、こだわりを捨てるところから始まる。」(P4)

このオヤジのことを僕はオッサンと読んでいる。何も男に限らない。僕が結婚したくない唯一のタイプは、幸せになることを放棄してしまった女性、幸せになるための努力を怠る人。そういう人とパートナーになっても2人でいる意味はないのかな、と。


内容の話をすると、個人的に面白かった部分は以下3点。

・「ここを逃がしたら後はない」という発想は、もっと先にあるはずの限界を、自ら近くに引き寄せてしまっているのだ。(P63)

背水の陣というスタンスは大事だし、それが助けになることは多いが、逆にこういう考え方も面白いな、と。強欲的なようでナチュラル。そんな感覚。


・どうやって仕事の幅を広げればいいのか。ひと言、仕事先に「お客さんを紹介してください」と言えばいい。(P86)

これはなかなかできない。恥だとか、プライドだとか、常識だとか、そういうものが邪魔してできないだけ。それをシンプルにできる人は強いなと思う。謙虚とかそういうのじゃない。強さだ。


・(移動には電車でなく)タクシーを使え。タクシーに平気で乗れるぐらいまで、時給をアップさせろ。(中略)極論すれば、もしタクシー代も出せないよな仕事をしているのなら、その仕事には何の価値もないのだ。(P121)

これだけ読めばインパクトが強いが、なるほどな、と思った。タクシー云々の問題ではなくてマインドの問題。時間という資源に無頓着なうちは青い。ここは非常に勉強になった。勉強というか刺激か。


最後に、本書が荒削りだが面白いのは、ホリエモン自身の「迷い」が入っていること。98%のことには思うところをズバズバと断定口調で書いているが、2%の部分に迷いが入っている。だからこそ面白い。

P136に、こうある。
「僕は君の考え方に共感はできない。しかし、君はおそらく、僕の知らない幸せをこれからも生きていけるのだろう。」

その通り。どういう風に幸せに生きていくかは人それぞれ。だから幸せな人はその道を行けばいいし、逆にくすぶっている人は本書のような本を読んで極端な考えに触れるのもいい。
ホリエモンも幸せとか成功とかに貪欲だが、貪欲であればあるほど、不安だし、実は心の底で迷いがあるのだろう。そういう意味で僕らと何ら変わりはない。
 

Saturday, October 23, 2010

振り子の話

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ろくに実家にも帰らず、電話もたまのたまにしかしない親不孝息子なのだが、前に電話をしたときに母からいいアドバイスを貰った。昔から徳がある、というかよく僕のことを分かっている、そういう母親だ。

以下は、貰ったヒントを自分の中で咀嚼して腹に落としたもの。


人生に出てくる振り子の話。


人は生涯で、いろいろなものに興味を持つし、いろいろな願望を持つ。
いろいろな人生の歩み方があるとも思っている。

特に、今いる環境とか生き方と対極にあるようなものに憧れることは多い。
今日これがいいと思えば、明日は別のものがいいと思えたりもする。

振り子のように、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、何かを模索する。

時に振り子の対極へジャンプすることは大事かもしれない。
リスクを取って何かに挑戦する、人生の舵を自分で大きく切っていく。

ただ、そのタイミングというのは難しいし、自分で答えを見つけることはできないのかもしれない。

だから、主体的な舵切りだけでなく、「自然に身を委ねる」ということも大事。


振り子の揺れは、あるとき自然と収束していく。


振り子の振幅があまりに大きいのは、まだ自分の中で整理ができていない証拠。
あれこれ迷ったときは、ちょっとほっといてみる。自分の振り子を一歩引いて見てみる。焦らない。それがいい人生のための一つのエッセンス。
 

Tuesday, October 12, 2010

ブラック・スワン

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ブラック・スワン (上)・(下) <ナシーム・ニコラス・タレブ>

この仕事をしているのにも関わらず、今になってようやく読んだ話題作『ブラック・スワン』。
雑誌などでも大流行だったので概要は知っていたが、あらためてしっかり読むとなかなか面白い。
論じられていることは非常にシンプルで、核心は下巻にある。これだけの内容でこの分量の本にできる著者は書き手として良くも悪くも、凄いなと思う。

本論はわかるのだが、本書の各論は結構難しい。特に前提知識のない人が、ある程度以上のスピードで読むと、わけが分からなくなるはず。基本的な統計学の知識があって、さらに不確実性(リスク)について普段から興味があり、考えているという人向け。まあでも、リスクというのは、世の中だったり人生だったりの中でかなり大事な要素であることは間違いないので、そういう意味では万人が考えて読むような本なのかもしれない。

ちなみに、原文を読んだわけではないが、訳文がどうもしっくりこない。読みづらい。本書を訳すのはかなりしんどそうだが…。

さて、内容に関して。ベル型カーブでリスクを捉え、ありえない確率の事象が起きたときには、後講釈をつけながら、正当な計算をしていたのに、仕方がなかった、と言って思考停止することに対する警鐘。これが主な主張で、最終的には、「自分でつくったゲームなら、だいたいは負け犬にはならない。」に行き着く。
さらに引用すれば、
「ありえないことが起こる危険にさらされるのは、黒い白鳥に自分を振り回すのを許してしまったときだけだ。自分のすることなら、いつだって自分の思いのままにできる。だから、それを自分の目指すものにするのである。」(下巻p218)
ということになる。


その他記憶に残った各論を抜き出しておく。

「救われた命は統計だ」(上巻p206)
これは同じことを常々感じていた。100万人が救われる薬があるが、100人には強い副作用が出るとしよう。副作用の被害者の弁護士は医者や製薬会社に噛み付き、メディアは深刻な顔をしてストーリーを語る。この薬で救われた人の利害はどこへいったのか。日本は薬が世に出るのに非常に時間のかかる国だ。新しい治療法についてもしかり。流行りの「何が正義か」の話にもなってしまうが、こういう議論に歪みがあってはならないと思う。


「最初にいるギャンブラーの母集団全体で見ると、ほぼ間違いなく誰か一人は、運だけですごい成績を上げてみせるだろう。」(上巻p218)
感覚的には不思議な現象。友達が、2の40乗人が参加するじゃんけんトーナメントで優勝したことを考えると、それは凄いことだと思う。どれだけ偶然が重なったのか。奇跡だ。ただ、視点を変えて、主催者側にとって、そういう奇跡の優勝者が生まれる確率は1だ。もちろん人を特定するか否かという話なので、確率の考え方としてどこもおかしなところはないのだが、この「基準点」の発想は重要。


「公平なコインがあると思ってくれ。つまり投げたときに表が出る確率も裏が出る確率も同じだ。さて、99回投げたら全部表だった。次に投げたら裏が出る確率はどれだけだろう?」(上巻p226)
これは僕が大好きな問いだ。
優秀なギャンブラーの答えは「ほとんどないよ」だ。つまり、次も表に賭けるに決まってる。
これはギャンブルにおいてあまりにも基本的で、頻出するシーンだ。
「そろそろさすがに裏じゃないかな。これだけ表が出るなんて確率的に奇跡なんだから」といって裏に賭けるような人はすぐさまギャンブルをやめた方がいい。本書で言うような話はおろか、古典的な確率の考え方すらわかっていない。
「50%。あくまでも1回1回の試行は独立だ。」これは学校の勉強を頑張った人の教科書通りの解答。並だ。でもギャンブルでは勝てない。
そもそも、99回投げて99回表が出ている時点で、コインが公平だという仮定そのものを疑うべき。


「生まれつき人間は、外れ値、つまり黒い白鳥を過小評価する性質が備わっている」
「人は異常な事象、とくに具体的な姿を持った異常な事象を過大評価する場合がある」(上巻p254)
これは保険会社の儲けの源泉。行動ファイナンスの分野には非常に興味がある。世の中の少なくない仕組みがこれを利用している。仕掛ける側は、いかに黒い白鳥をリアルに想像させるか、そこだ。


「人間はそんな非対称性に振り回される犠牲者なのだ。うまく行けば自分の能力のおかげだと思い、失敗すれば自分ではどうにもできない外生的な事象、つまりまぐれのせいにする。」(上巻p273)
これも不思議な現象だ。自己の精神保護のために人間に備わった思考回路なのだろう。もちろん、僕自身もその恩恵にあやかっている。ただ、この仕組みを客観的に認識しておくことは別途必要だ。


「投機的なベンチャー企業より、有望な株式市場、とくに安全な優良株に不安を感じる。後者は見えないリスクの代表だ。」(下巻p215)
見えるリスクを主体的にとるか、見えないリスクを受動的に取らされるか。多くの人はこの違いを感知することもなく、見えるリスクを避け、見えないリスクを取っている。これも非常に的を射ている。それを知らずにリスクの本質など語れない。
 

Saturday, October 09, 2010

欧州経済本

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①衝撃!EUパワー <大前研一>

昨年11月末に発行された、一応大前さんの欧州関連最新刊。昔から欧州に関してはPositiveな見方をしているようだが、本書も同様。欧州経済の教科書のような内容で、様々なデータをつなげて、一本のPositiveストーリーを描いている。筋は通っていて、ストーリーテリングも申し分ないのだが、この本の内容・考え方だけを丸呑みするのは問題がある。

大前さんの本としては、あまり光るところはなかったが、とりあえず欧州経済の概要を知るにはいいかもしれない。一つ面白かったのは、ユーロを「行きはよいよい、帰りは怖い」通貨だと表現している部分。財政規律を守れず制裁金を課せられ、ユーロから離脱することになる国があるとしよう。これだけ、経済にユーロが浸透してしまっているのだから、国として独自の通貨を発行し直したところで、流通通貨も決済通貨もしばらくはユーロのまま。そんな状況では当然に独自通貨は市場で見放され、価値を失うことになる。

欧州経済自体は全く侮れないし、ビジネスのマーケットとしても切るわけにはいかない。ただ、統合通貨としてユーロがこれからもうまくいくかどうかという点に関しては、正直グレーな気もする。行方や如何に。

現状、引き続き欧州各国の信用不安が続いているが、本書から1年が経とうとする今、大前さんは欧州をどう見るのだろうか。

②本当にヤバイ!欧州経済 <渡邉哲也>

大前さんの方がPositiveサイドなので、ほとんど同時期に発行されたNegativeサイドの本書も併せて読んだ。勝間さんではないが、本書に関してはAmazonのレビューはひどいなという感じ。内容のほとんどがネット上のニュースの引用で、そこに簡単な解説をつけただけのもの。時系列に永遠と記事の引用が続く。あまりにもストーリー性に欠くし、唯一一貫性があるのは、Negativeニュースを集めているという点のみ。今回の僕の利用法のように、Negativeニュースをざっとさらうのなら良いが、一冊の本としてこれはどうなんだろうと思ってしまう。

世のニュースの半分はNegativeニュースなわけで、こういう風に集めるのなら、どこの国についても、「本当にヤバイ!○○経済」という本が書けてしまう。
 

Monday, September 20, 2010

DBAというデザインファーム

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DBAというNYのデザイン&プロダクト会社が面白い。
上のムービーはDBAのプロダクトの一つ、環境に優しいペン。
高々ペンの広告なのだが、美しく、非常に訴求効果が高い。
HPの方もなかなかのデザイン。日本で言うと深澤直人がディレクターを務める「±0」とかにブランドの雰囲気が似ている。

DBAのprofileから引用すると、
DBA’s wares are distinguished by an honest simplicity and a heightened sensitivity to user needs.
だそうだ。

因みに、±0の方はHP内にこんなことが書いてある。

---QTE---
±0。
プラスでもなく、マイナスでもないこと。
必要十分なこと。
見たことないはずのモノなのに、なぜかしっくりときてしまうこと。
きわめてノーマルなカタチなのに、なぜか魅きつけられてしまうこと。
こういうのが欲しかったんだ、って初めて気づくこと。

でも、そういう出逢いって意外と少ないもの。
世の中にはモノがあふれているのに。

だから、±0は、
いったんすべてを±0にリセットします。
そして、みんながほんとうに欲しかったモノを見つけだし、
デザインという知恵を使って、
ひとつひとつカタチにしていきます。
こういうのが欲しかったんだ、って言ってもらいたいから。
---UNQTE---


こういう普遍的なプロダクトデザインの追求ってワクワクするね。
ブランド価値の問題は難しいんだけど、できれば、マスにリーチして欲しい。その点、ちょっと形は違うけれど、ユニクロや無印は凄い会社だなと思う。
 
DBA
http://www.dba-co.com/#about-dba-redirect
 

Sunday, September 19, 2010

ライト、ついてますか

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①ライト、ついてますか -問題発見の人間学
 <ドナルド・C・ゴース / ジェラルド・M・ワインバーグ>


ワインバーグの古典。前から気になっていたので読んだ。
問題をどう定義するか、そもそも挑んでいる対象は解決すべき問題なのかどうか…など、問題を解くプロセスが1から始めるとするならば、プロセス0について主に論じた本。例が面白いのだが、かなり真剣に読まないと、何だか良く分からない…ということになる。表現が平易ではないだけでなく、内容もなかなか難しい。

誰の問題なのか、という視点の話と、問題解決による新たな問題の発生、という連鎖の話が特に参考になった。「問題」を、「認識された状態と望む状態の間の相違」と捉えると、ある問題を解くために状態を変えることは、即ち、また別の問題を発生させることだというのだ。問題解決はほとんどの場合で問題の転嫁に等しく、この転嫁先の問題は大抵無意識的に作られる。

「すべての解答は次の問題の出所」(p53)
「新しい視点は必ず新しい不適合を作り出す」(p65)

この2つの引用に凝縮されたポイントは日々の仕事でも生活でも意識すべき点。問題解決は気持ちのいい作業であることが多く、それ故にアフターケアを忘れがち。油断せぬよう、肝に銘じようと思う。

また、本書内で著者が「追って書き」という形で補足している部分が実は一番興味深かったりした。
2つ、要旨をメモしておく。

1. 「問題の出所はもっともしばしばわれわれの自身の中にある」(p118)
著者らの経験によると、問題が実は問題解決者自身に起因する割合は5割以上だそうだ。

2. 問題解決者が冒す危険
「問題解決に目を奪われるあまり、人は自らが解答を道徳的に容認できるかどうか考えるのを忘れる。」
「われわれの分野では、自分自身に対して真実であろうと思うなら、解答に、いや問題定義にすら、近づいて感受性が鈍り出す以前に、その道徳的側面について考えてみる必要があるのだ。」
「問題解決は決して道徳的に中立の活動ではない」
(p160)


問題解決、ロジカルシンキング系の本をいろいろと読んだ人は、こういう古典を読むのもいいかもしれない。
 

②20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義
 What I Wish I Knew When I was 20 <ティナ・シーリグ>


よく売れた本のようだが、内容はかなりシンプル。
今まで読んだ自己啓発本にいろいろな部分で似ている。ユダヤ人大富豪の教えにも似ている。

何点か簡単にメモをして終わりにしよう。

・リスクもいろいろ。何をリスクと感じるかは人それぞれ。ほとんどの起業家には大きなリスクを取っているという自覚はない。

・「自分は、自分の会社と一体ではないし、製品と一体でもない。往々にして同一視しがちだが、失敗したからといって自分が失敗したわけではない。あるいは成功したときですら、自分の成功ではない。会社や製品は失敗することがあっても、自分が失敗者なのではない」(p118)

・「生きることの達人は、仕事と遊び、労働と余暇、心と体、教育と娯楽、愛と宗教の区別をつけない。何をやるにしろ、その道で卓越していることを目指す。仕事か遊びかは周りが決めてくれる。当人にとっては、つねに仕事であり遊びでもあるのだ。」(p121)

・「世の中にはたった50人しかいない」(p163)
人生においては、おなじ人が役割を変えて何度も登場するということの例え。出会った人、関わった人を大切にしよう、という話。

・交渉のカギは、参加者全員にとって最大限に有利な結果を引き出せるように、全員の利害を探り出すこと。相手のことを確りと理解することなしに、win-winな状況など生み出せない。biasを振り払って、(多くの場合に存在する)共通の利益についてもっと考えるべき。

・「何かをしようとするのと、実際にするのでは大違い」(p193)


プロジェクトの合間など、ふとしたときに読むといいかもしれない手軽な本。
やはり今の時代、売れるのはポジティブな本のようだ。
 

Saturday, September 18, 2010

PG-BIKES

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最近チャリが欲しい。
高機能なチャリでもなく、安いチャリでもなく…かっこいいチャリだ。
気になっているのが、ドイツのこれ。

PG-BIKES
http://www.pg-bikes.com/epages/PGBikes.sf/en_GB/?ObjectPath=/Shops/PGBikes/Categories/Bikes

チャリの歴史とか知らないけど、何だかクラシカルさと斬新さを兼ね備えたデザイン。
"CUSTOM BIKES"を見ると、これだけ前後に長くて乗り辛いだろ…というものも多いが、そこがいい。なかなかない。


特殊な形のフレームは Handmade in Hungary というのも好感。
作り手の気持ちの入ったプロダクトっていいです。

プライスはピンキリだが、1,000ユーロ以内のものも多い。ユーロ安の今は特に買い。なんと59,500ユーロという驚きの Electro Bike もあり。もはやチャリの領域を越えている。

実はwebsiteをパッとみると欧州外へモノが出るかどうかあやしい。
要mail
 

Monday, September 06, 2010

人生の評価についての極論

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今、この夜中にふと思ったことについて記録する。

人が自分の人生をどう捉えるか、どう評価するかについて。

人生の成功とは何か、幸福な人生とは何か。



今日一日に関する2つの考え。

①今日という日は明日を含む未来(の幸せ)のためにある。

②今日一日が幸せであること、それが重要。明日のために今日があるわけではない。


①の場合、何か未来のターゲット(不明確でもいい)のために今日我慢する、ということが起こりうる。
逆に②は未来ではなく今日にウエイトを置く。判断の拠り所が決定的に違う。

①の考えは、極論すれば、死の一時点での評価が即ち人生の評価だとみなしているに等しい。今日が明日または未来の一時点のためのものだと定義すれば、その行き着く先は人生の終わり、死の一時点となる。つまりは、人生を構成する全ての時間は死の一時点のためにある、ということになる。そうすると、死の一時点で自分の人生を振り返って、またその瞬間の感覚として何を思うか、それこそが人生の評価となる。そこで「良い人生だった」と思えれば、その人生はその人にとって本当に良いものだったと言えるのかもしれない。

一方、②の考えは、極論すると、人生の評価点は生きている時間全てとなる。しかも重要な点は、それが人生の時間軸上のどの地点かに関わらず、全て同じ重み付けで評価されるということ。


普通の場合、上記の2つの考えはある程度ミックスされていることが望ましいと思うし、実際そうであることが多い。ただ、その調合割合は人それぞれ。自分なりに人生の評価法について考えておくことは無駄ではない。①の場合、より大きなリターン(成果)を生む可能性がある、が、リスクも大きい。突然人生が終わり、評価点が訪れたとき、自分の人生の幸福度を過小評価してしまうかもしれない。②であれば、どの瞬間に人生が終わっても、評価はそれまでの全期間について行われるため、最終評価のぶれが小さい。ただ、その日暮らし的な生き方になることは否めない。
 


あなたはあなたの人生をどのようにして評価するのだろうか?

そして、あなたは今、今日をどのようにして過ごすのだろうか?
 
 

Friday, August 27, 2010

野村不動産 "PROUD" CMの風景

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最近のTVCMでいいなと思うのが、野村不動産の"PROUD"のCM.
シリーズもので、世界の様々な美しい風景を物件のイメージに結び付けている。

最近の名目円高もあり、どこか旅行にでもいきたいところだが、このクロアチアにあるプリトヴィツェ湖群国立公園はいつかぜひ訪れたいと思う。美しすぎる。

"PROUD"のCMシリーズはなかなかチョイスが良くて、公式ブログにあるように、以下のような場所をCM題材にしてきた。

・デンマーク / フレデリクスボー城
・イタリア / カゼルタ宮殿
・イタリア / アマルフィ
・ニュージーランド / ロトルア
・ニュージーランド / ミルフォードサウンド
・ブラジル / 国会図書館
・ギリシャ / ザキントス島
・スペイン / バルセロナ
・アメリカ / モニュメントバレー
・アメリカ / ホワイトサンズ
・アメリカ / アリゾナ
・アメリカ / ハワイ

さらに、音楽がいい。
名曲「Someone To Watch Over Me」が上質な感じを与える。
因みにこの曲はかなり好きで、特にビル・エヴァンスの以下CDが好き。

       
The Melody At Night, With You

こういう上質なCMは好きだし、ブランドイメージの醸成に非常に効果的だと思う。
公式ブログの中でも以下のようなコメントが寄せられている。
いい仕事だと思うし、手本になる。

「こんな素敵なCMを作る会社にも興味がわきます」

「すばらしいCMに感動しました。製作者のセンスに拍手!」

「もう今まで見たCMの中で、3つの指の中に入るくらい印象の良いCMです。」

「こんなに素敵なCMを提供している会社のマンションにぜひ住んでみたいと思いました。」

「商品やタレントを前面に出した、目や耳(そして心)に心地良いとはいえないCMが多いなかで、PROUDのCMは、上質な映像と音楽をそえて、心の安らぎと平穏に立ちかえる時間を提供してくれる、ふとした精神の保養のようなものです。」

「PROUDが提示する生活の価値観と、撮影地の空気感が醸す世界観との調和に、理想の世界を見るようです。」

「これをコンセプトにしたプラウドの建物にとても興味が湧いてきました。」


やはり映像とか音の力は凄い。

最後はおまけで、アマルフィ編を載せておく。
今のところ、僕の一番好きな街なので。


 

Monday, August 16, 2010

Zen Design

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このところ、本を読みっぱなしにしていたが、かなり久しぶりに読書メモ。少しでもいいから書くようにしよう。

①プレゼンテーションzen デザイン <ガー・レイノルズ>

前作も読んだが、きっと眺めるだけでも楽しい、と思って購入。
本書はスライドの魅せ方・作り方について細部にわたって指南する本。相変わらずデザイン専門書のように美しい構成。

僕の場合、本書で「意識をしろ」と書かれていることについては、幸いすでに大抵理解している。それはデザインという営みが好きだから。ただ、それを実際に自分のアウトプットに反映させられるか、美しいスライドを作れるか、それは話が別だ。デザインは頭で理解して全てが終わるものではない。日々何に注意を払って過ごしているか、どういうものに刺激を受けているか、どういうデザイン、アートを見ているか…そういうものが全てアウトプットに響いてくる。つまりは一朝一夕ではマスターできないもの。
但し、プレゼンテーション用スライドのデザインをより良いものにするという目標を立てたとき、本書のような本を読むことは目標達成への近道となる。いいもの、洗練されたものを数多く見ることによって、それが肥やしになるからだ。特に、本書では実際のスライドデザインが数多く出てくる。

最近、堅苦しい会社の中でも、チャンスがあれば意識的にプレゼンテーションzenやアップルのような趣向のスライドを作るようにしている。美しいスライドを作るのは楽しいし、またプレゼンテーションとしてもやはり高い効果を生むからだ。
プレゼンテーションではよく「コンテンツ」と「デリバリー」ということが言われる。両方大事で、いい内容でも伝え方が下手ではしょうがないということ。僕は最近この「デリバリー」に内包される要素として「リテンション(retention)」を意識するようにしている。伝えたものをどれだけ人々の記憶に留めるかということ。大量の情報を日々浴びるビジネスパーソンのみならず、現代人は情報の洪水の中にいる。コンテンツが溢れ、「デリバリー」のうちの本当の「伝達」部分の手段が増えた現代では、いかに情報を他の情報と質的差別化し記憶に残すかということが重要になってくる。そういう観点で考えたとき、グラフィカルで美しい、シンプルなプレゼンスライドというのは非常に効果的なのだ。

世の中が素晴らしいスライドで溢れたら、それは人類的には進歩なのだろう。ただ、今は汚い、センスのないスライドが溢れているのが現状。そしてそれを見て、こう思ってしまう。「ありがとう。」悲しいかな、差別化が容易なのだ。


②V字回復の経営 <三枝匡>

あまりにも有名な三枝三部作の一つ。
相当長い間積読していたが、やっと読了。積読冊数がさすがにやばい。

読み終わった感想は、副題の「2年で会社を変えられますか」に対して、「……ふぅ(冷や汗)」という感じだ。それだけ腐った巨体を立て直すのは大変。本書ではリアルな企業再生を感じることができる。そのかわり非常に厳しい本。

コマツでの実話をもとにした、表面的なフレームワークではなく、人と現場をどう変えていくか、について死ぬほど示唆に富んだ内容となっている。いい本だとは聞いていたけれど、これほど面白いとは。
途中何度も、これってうちの会社じゃない?とか、自分もこういうところあるな…とか感じた。たぶん多くの企業が同じような問題を抱えているので、誰が読んでも仕事のヒントになるはず。社内で全社員必読の書としてもいいんじゃないか、とも思う。

中でも印象に残ったのは、プロジェクトチームの各自が問題点(と感じること)や本音をカードに書き出し、そこからボトムアップ的に何かを抽出しようという、よくある作業をしている場面。

「カードを何百枚出したところで、あるいは、停滞企業の病気をその会社の「社内常識」でいくら分類したところで、抜本的解決の糸口は見えないことが多い。今まで繰り返された議論がまた繰り返されるだけになりがちである。」
「皆さんはこれらの問題を分類しようと試みてきました。しかし今必要なのは、分類手法ではないのです。…われわれに今必要なものは?…」
「皆が参照すべき『考え方』つまり『コンセプト』ですよ…お互いの認識の共通基盤がなくて…つまり、社員一人ひとりが拠り所にしている考え方、理論、コンセプト、思想がバラバラだったら…集団として現実を整理することはできないのです。」(p130)

すばり。言うは易しかもしれないが、これは本当に大事な考え方。何もこれほど大規模な「作業」でなくても、どんな議論でも同じ。議論がうまく進まないときや、問題の糸口が見えないときには、こういう根本的なことを見直す必要がある。会議室に張り紙でもしておきたいぐらい基本かつ重要なことだと思う。

他にも、それこそ社内に「張り紙」をしたいようなことが詰まっているのが本書。
もちろんストーリーも面白い。間違いなくおすすめです。
 

Thursday, July 29, 2010

Citibankの仕組預金「プレミアム・デポジット」

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CitibankのHPを見ていたら、
個人のお客様>預ける・運用する
のページに、「プレミアム・デポジット」という名前の仕組預金が大々的に宣伝されていた。
https://citibank.co.jp/ja/deposits_investments/structured_deposit/index.html

「高金利で、積極的な運用ができる商品は?」
「うまくいけば、外貨への交換が高金利で出来る。そんな都合の良い商品ってある?」

などと書いてあり、それに対する一つの答えが、この「預金」であると。
ウィダーインゼリー的な商品イメージを使っていて、何やら「チャージできそう」、とそう見えるこの商品は、副題「為替オプション付仕組預金」だ。

非常に分かりやすい手口のハイリスク商品なのだが、しかし、これをオプションのリスクも分からない多くの人が買ってしまう(実際には売ってしまう)のかと思うと、売り方が悪どい。逆の見方をすれば、これにほいほいと食いついてしまう個人はもう少し金融リテラシを高めるべき。

集客目的の極一部の商品を除いて、基本的に、リスクリターンが素晴らしく良い金融商品などない(逆はあるが)。そんな商品を作ったら金融機関は商売にならない。我々は、自分のリスク許容度に応じて運用方法を考えるのみで、リスク許容度が低ければ、高いリターンなど期待してはだめだ。


この商品は、円資金、または特定通貨の外貨資金を預けて、普通より高い金利を享受するもの。但し、通貨オプションを売らされている。上のスライドは、このうち円資金を預けるタイプを簡単に図解したもの。実際多くの日本人は手持ちが円cashなので、やるならこのタイプだろう。

運用者に与えられた裁量は、預入金額、期間、設定レート、相手通貨、そして預入のタイミングだ。
このうち、volatilityの高い通貨を相手通貨として選び、預入期間を長くとって、設定レートを基準レートからの差額0円に設定すれば、強欲的に高い金利を享受できる。預入金額はリスク元本。預入タイミングについては相場観の問題なので何ともいえない。

ところで、この高金利、そして、商品名の「プレミアム」の正体は、通貨オプション売却に伴うリスクの対価、つまり「オプションプレミアム」。ただ高金利を享受できると思った人や、「プレミアム」という単語から「プレミアム感」を感じてしまった人の金融リテラシはゼロなのだ。

スライドのケースの場合、運用者が売ることになるのは、外貨put/円callのヨーロピアンオプションで、所謂short putという状態になり、黄線のようなペイオフダイアグラムとなる。「設定レート」というのはオプションのstrike priceのことで、これより円高になると、オプションの買い手は権利を行使して、strike priceでの外貨売り・円買いをする。オプションを売らされている運用者にはこれに応じる権利ではなく義務があるので、結局、満期日に設定レートより円高の場合、預けたお金は外貨となって返ってくる。そのときのレートは預入時より円高なので、これをまた円に戻そうとすると、為替差損が発生することになる。しかもその円転レートはTTBなので、さらに手数料を抜かれる。

このような、オプションを売るという行為は、最初にリスクに見合った対価を受け取り、その後は不利な相場にならないことを祈るのみ、という状況を選択することに等しい。不利な相場になったときには、損が発生し、しかも相場によっては限度がない。

先にお金をもらって、将来の無限大のリスクをとる、そういう行為なのだ。

そういう基本的な概念を知った上で、リスクリターンの妥当性については、実際にモデルを使って計算してみないと分からない。有名なブラック・ショールズの発展形である、Garman-Kohlhagen Modelとかを使ってプレミアムの理論値を計算し、通貨のvolatilityと比較したりするのだ。あとは、個人のリスク許容度と相場観の問題。

しっかり考えた上で、リスクを取るのは大いに結構で、そういう意味で、別にこの商品自体は詐欺的でも何でもない。ただ、複雑になればなるほど、金融機関に「抜くとこ、抜かれている」もので、微妙。
オプションの世界はとてつもなく奥が深いのだが、Citiの売り方があまりにも目に付いたので、「さわり」の部分をざっくり書いてみた。
 

Sunday, July 25, 2010

世界報道写真展2010

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先週の話だが、今年の世界報道写真展に行ってきた。
東京会場はガーデンプレイスの東京都写真美術館で、会期は 6/12~8/8
http://www.asahi.com/event/wpph/

50年以上の歴史がある、アムステルダムの「世界報道写真財団」が、毎年世界中の報道カメラマンを対象に実施するコンテストの受賞作を紹介するもの。53回目となる今年は、128カ国5847人の写真家から10万1960点の応募があったらしい。副題は、「ある時代の、地球の記録」だ。

「一般ニュース」、「スポーツ」、「ポートレート」、「自然」など10の分野で審査がなされるが、今回の展示ではそれぞれの分野での入賞作品計200点ほどを見ることができる。ロイターとかAPとかのニュースで、この写真いいなと思うことがあるが、なかなかまとめて見ることはないので、普段とは違った写真の見方ができるかもしれない。

やはり内戦とか飢餓とか、そういったテーマの写真はインパクトがあった。写真というのは恐るべき力を持っているもので、無限に広がる3D風景から一つのカットを切り出し、また絶えず流れる時間軸を一つの面で切ったものだ。その瞬間に何が起きているのか、時として現実以上にメッセージを鮮明に写し出す。
写真家は常に、「そこ」にいるわけで、彼らがどういう心理状態でシャッターを切ったのか、そういうことも考えさせられる。歓喜の瞬間ならまだしも、惨事に直面したときに、第三者として写真を撮るというのはどういう気持ちなのか。その写真に写真家の気持ちがどのように表れているのか。一枚一枚考えさせられる。

また、こういう報道写真展のいいところは、普段僕たちが見ていないもの、あるいは、そういう観点が抜けているものについて、事実を教えてくれるところだと思う。実際に多くの発見があったし、気づいていない視点がたくさんあることを実感した。
個人的に非常に印象深かったのは2つ。
一つは食肉処理場で働く男と牛の写真だ。スーパーに売っている、きれいにパック詰めされた肉だけを見ていると、その肉が、つい最近まで確かに「歩いていた」、「顔のついている」牛のものだということを忘れてしまう。いや、考えないようにしているだけかもしれない。しかし、そこには必ず「その瞬間」があるし、それを仕事としている人がいる。僕らが見ていない「プロセス」の現実性をただ証明する。写真家のそんな意図を感じた。
もう一つは、ジンバブエの人々を時系列的に写した写真。倒れ横たわった象の周りを人々が囲んでいる写真が1枚目。最後にはほとんど骨だけになった象の写真。ジンバブエの経済がハイパーインフレで崩壊しているというのは誰でもが知っている。が、その土地にこんな事実があることを、多くの人は知らないし、わざわざ想像もしない。この写真からは、空間を越えて知らされるニュースや数字の後ろには確かに僕らと同じ現実世界があることを再確認させられる。

どちらかというとショッキングな印象を受けた作品についての感想を書いてしまったが、本展はそれだけではない。とにかく事実と新たな視点、それを得に本展に足を運んではどうだろうか。
 
 

Sunday, June 06, 2010

世界を変えるデザイン

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『世界を変えるデザイン展』に行ってきた。
開催は、ミッドタウン及びAXISギャラリーにて。6/13まで。
Info : http://exhibition.bop-design.com/

正直に、まず、この展示を知った全ての人に足を運んで欲しい。行けない人も、最後に載せておいた本を買って読んでみて欲しい。
HPを見て事前にイメージを膨らませていたが、実際行ってみて衝撃を受けたし、見えるもの、考えることが少し変わった1日になった。デザインは確かに世界を変えるし、僕らの見えないところで、そうした活動をしている人たちがいる。素晴らしいデザインが地球上で非常に尊い価値を生み出している。

この展示の副題は、"imagine another life through the products"だったり、"Design for the other 90%"だったりする。
ミッドタウンやインテリア複合ビルのAXISでの開催とあっては、ハイソでカッコイイ"Design"を想像するかもしれないが、そうではない。以下の一文を読んで頂きたい。

"世界のデザイナーの95%は、世界の10%を占めるにすぎない、最も豊かな顧客向けの製品とサービスの開発に全力を注いでいる。残りの90%に届くには、まさにデザイン革命ともいうべきものが必要だ。"(『世界を変えるデザイン』P40)

世界には僕ら日本人の感覚では想像が付かないような環境で生きている人がいる。というか大多数がそうだ。食糧もなければきれいな水もない。世界人口の39%はトイレがない生活をしているし、全人口の3分の1は、木以外のエネルギー源をほとんど持っていない。本展示では、最初にそのような事実を皮肉なほどに分かりやすいバブルチャートで見せ付けられる。日本を基準として、どれだけの人がどのような生活実態なのか、様々な切り口で比較がなされる。
最初に現実をinputした上で、ではそれをどう改善していくのか、デザインに何ができるのか、その活動を約80点のプロダクトデザイン、プロジェクト事例を通じて伝えるのが本展示の目的だ。

今まで自分の視野がやはり10%のデザインの方に向いていたのが恥ずかしくなるぐらい、どれも素晴らしいデザインだった。ただ何かを与えるのではなく、人々に機会を与える、"empower"する。そしてBOP(the Base of the Pyramid)、つまり市場を定義し、ビジネスとして問題解決をする。頓挫した多くのideaとプロジェクトの上に、本展示約80点の成功事例があるのだが、デザインの持つ可能性と、これから本当に何が必要なのか再認識することとなった。

以下にいくつか事例を載せる。

これは、個人携帯用浄水器。水は命の源だが、同時に死へのトリガーとなることも多い。水が媒介する病気が多いからだ。水が飲みたい、ただ目の前にある水によって死がもたらされるかもしれない、そんなジレンマから人々を救うことができるプロダクト。水に関するものは他にも数多く紹介されていたが、安全な水がいつでも飲める日本のこの状況が如何に幸せであるかあらためて思い知った。


こちらは、使用済注射針を安全に処理するプロダクト。1つ$1強のコストだが、シンプルで良く考えられている。これだけシンプルなものでどれだけの不憫な感染が避けられるのかと思うと、凄いなと思う。


本展では、途上国における課題を以下の8つに分類し、イメージしやすいアイコンが設定されている。
[water],[food],[energy],[health],[housing],[mobility],[education],[connectivity]
こういうアイコンの感覚的なわかりやすさにもデザインの力を感じた。加えて、僕が凄いと感じたのはそれぞれのプロダクトの説明に、絵が使われていることだ。シンプルなイラストで、そのプロダクトの目的が何で、どういう使い方でどんな問題が解決できるか、子供でも分かる。そもそもプロダクトが使用されるエリアが識字率の極端に低いところばかりなので、そうした誰にでも理解できる説明書が必要なのだが、あまりの分かりやすさに驚いた。IKEAの商品説明書も文字なしで有名だが、イラストやデザインはコミュニケーションツールとしても大きな価値を出すことができるものだと痛感。




これは、最も唸らされたプロダクトの1つ、"Q Drum"についての映像。
またもや水関連だが、"運ぶ"ためのもの。水を得るのが困難な地域では、人々は何キロもの道のりを歩いて水を調達する。頭の上に"かめ"を乗せて毎日のように運ぶわけだが、首を痛めることも多いし、そもそも大変な労力と時間がかかる。このシンプルなプラスチック製の転がる容器を使うことで、水調達に伴う危険を軽減し、コストを下げる。子供でも50リットルの水を軽々運べるそうだ。

このプロダクトの説明を読んでいて、コストに関する考え方における気づきがあった。このプロダクト自体の価格は結構高い。確か数十ドル。但し、ユーザーの労務・時間コストを短縮することができる。僕はこれまで、途上国の人にはある程度の余剰時間資源があると思っていた。仕事などの機会がないために、うまくその余剰資源が使えない、そこにボトルネックがあると思っていた。しかし、実際には、彼らにそれほどの余剰時間資源などない。寧ろ、時間資源があれば、"遊び"によって幸福度を高めることもできるし、勉強することで現状を打開できる可能性も高いのだ。シンプルなデザインによって、時間を創出すること。その重要性と効果の高さを知った。先進国同様、時間創出は人間にとって最も基本的な、ものごとをプラスに進めるドライバーなのだ。


他に、印象に残ったことをメモしておくとすれば、途上国向けデザインのためのフレームワークだろうか。

<考慮すべき4つのP>
・People : 社会的側面
・Planet : 環境的側面
・Profit : ビジネス的側面
・Product : プロダクトとしての側面

<プロダクトの開発にとって重要な4つのA>
・Availability : 供給・販売の方法について
・Affordability : 価格の安さの追求
・Awareness : プロダクトの周知・普及方法について
・Acceptability : 現地の文化・社会への理解

確かに、利益追求体である企業がビジネスとしてBOPマーケットに切り込み、本展のようなプロダクトを提供することは簡単ではない。しかし、本展を通じて、"やりよう"によってはそれが可能であること、そして10%側の人間が、獲得した知見、能力を90%の人間に還元しなければならないこと、それはデザインという切り口で取り組むと有効で面白くもある、ということを学んだ。

"デザインは、人間の本当の要求にこたえるような道具でなければならない。"(展示物より)


会場で以下の本も買った。
素晴らしいです。

LINK
世界を変えるデザイン <シンシア・スミス>
 

Saturday, May 29, 2010

jimnyのCMから。ヴィヴァルディ

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こちらはゴッホ絵画のスライドショーとヴィヴァルディ「四季」から「夏」のコラボレーション。

なぜ?かと言えば、たまたまみかけたTVCMの中で躍動的に演奏させる「夏」が流れていて気になったから。
スズキのJimnyのCMで、演奏は川久保賜紀さん。ヴィヴァルディはそもそもあまり聴かないのだが、「四季」とえいば、「春」が好きで、それ以外はそんなに自分から聴きに行くことはなかったが、「夏」も実は良かった。というかCMとしてうまくmatchしていた。

CM作成過程については以下のページにその概要が載っているが、音選びのプロセスは面白いなと思う。世の中のCMの多くはこうしていろいろ議論がなされ、何曲も候補が出された上で決まっているのだと思うが、音の生み出す効果は非常に高い。人の心に何かを与えるような、または商品の魅力を何倍にも増すような、そうした音選び・作成のプロセスにはまだまだ発展の余地があるように思う。僕はTVCMを真剣にみるタチだが、思わず、え?と思ってしまうような、サウンド面でもったいないCMが世の中に溢れている。

CM:
http://www.suzuki.co.jp/car/jimny_x_adventure/gallery/index.html

川久保さん紹介:
http://www.suzuki.co.jp/car/jimnycd/
 

Sunday, May 23, 2010

サウンド・スペース・コンポーザー

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LINK

見えないデザイン サウンド・スペース・コンポーザーの仕事 <井出祐昭>

題名を見たとき、「これだ!」と思った。
興味ど真ん中の1冊。著者の井出さんは、空間に音を入れていく、たぶん日本にそう多くはないであろう、サウンド・スペース・コンポーザーだ。例えば、表参道ヒルズで聴くことができるあの微かな音、ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTの音、JR新宿駅の発車音…そうした音を創っているのは誰なんだろう、とふと考えたことはないだろうか。僕は音の持つ可能性についてかなり信じている方で、街に溢れている音にはもちろん、それを組み立てていくような仕事にも興味があった。本書は、第一線で音のある空間を作っている著者の視点を感じ、今までと違った角度でそうした空間を味わえるようになる、入り口のような1冊だ。

読んでみての感想は、圧倒的にプロだな、ということ。正直ここまで考えて創られているとは思わなかった。既存の音源を、何かソムリエのような感覚で空間にマッチさせているのでは、と思っていたら大間違いだった。普通の人の無意識のレベルで響く音、心地良くさせる音、それがとんでもない時間をかけて仕込まれている。そのコストたるやすごいのだろうが、コストをかければここまでできる、こだわれるというところに音の持つ可能性を再認識した。

著者は、以下のようにも述べている。

「その空間にいる人や動物や植物に、できるだけ深いところで幸せ感を感じてほしい、というような想いがあって仕事をしているようなところがあるんです。」(p69)

こういうマインドがないと、本書で読むような、地味で果てしないtry&errorはできないかなと。


著者による「音楽」の理解も面白い。

「精神的な満足感には、それこそ"ご飯からから悟りに至るまで"さまざまなものがあり、その度合いは、深さや高さ、奥行きで測られるように思います。時々私は、自分の行動や判断の基準となっているのは、結局はこういった心の満足感で、物欲、所有欲のような一見"精神的"ではないように思える欲求も、精神的満足感を代替しているのではないか、と思うことがあります。いずれにしても、音楽にこのような広く深い精神的ニーズがあるのは、人間の心の中には、アプリオリに、音楽に代表されるような精神的属性があるからではないか、そして、それを音楽が満たしているからではないか――。私は音楽がある理由を、そのように思っています。」(p207)

僕も、音というのは、人間(動物や植物も)にとって極めてに基礎的な、本源的な要素であるように思うし、その追究には何らかの形で関わっていきたい。


著者の仕事の面白いところは、音を単独で捉えるのではなく、"認識"の大きな枠組みの中で、考えている点だろう。空間認識と音認識、それは確かに、決して独立して人々の心に作用するものではないだろうし、(何らかの制約が与えられたとき)これを切り離してしまうというのは、実は非常に不自然なことなのだと思う。文明によって分断された要素を自然な形に帰していく、そんな営みがこれからは面白いような気がする。


最後に、以前友人に教えてもらった、デザイン・エンジニアリング・ファーム"takram"が本書の中で紹介されていて、やっぱりな、という気がした。すごい面白い活動している会社です。只者ではない。

takram:
http://www.takram.com/view.html
 

Sunday, May 02, 2010

為替の良本とフジマキ本

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LINK     LINK

①マネーの動きで読み解く外国為替の実際 <国際通貨研究所>

だいぶ前に本屋でパラパラと見ていて、表紙がゴッホだったことを決め手に買った本。確か2年ほど前。
実は超良本。為替関係の本はけっこう読んだが、本書以上の本はない。本質が凝縮されているという感じ。
為替とは?というところから、そもそもなぜ相場は動くのか、数字から何を読み取ればよいのか…等々、小手先のテクニックや単純暗記とは一味も二味も違ったレベルで理解できる。
特に、相場がどのように決まるかに関しての諸説、即ち、経常収支説、アセット・アプローチ説、購買力平価(PPP)説の解説が詳しく、しかもかなり中立的。これらの考え方をベースに「名目値」の錯覚から読者を救い出してくれる。証拠金取引は流行っているが、多くの素人プレーヤーは名目レートにしか目がいっていないのではないのだろうか。正直、購買力平価とかインフレ率とか何のこと?という状況では、通貨の金利差の話や外債の利回りの話など何もできないのではないだろうか。

本書は1回半ぐらい読んだが、まだ理解は8割程度。まだ体系立てて人に説明できるレベルではない。今後何度も読み返すに資する本だと思う。本屋での偶然に感謝。


②外資の常識 <藤巻健史>

実は藤巻本は初めて。昔TVでは良く見ていたが…
こんなに面白い(interestingではなく、funny)とは。ユーモアに溢れていてすごい。部下のウスイさんの話が特に面白い。
ただ、タイトルはどうかと思う。いろいろ協議の末これに決まったというエピソードも書かれていたが、ちょっとピントはずれ。「フジマキと愉快な仲間達の日記」という方がしっくりくる。もはやただのコメディ。

本書はけっこう昔の話が多いが、今フジマキさんは大丈夫なのだろうか。メディアでの相場に関する発言はあまり当たっていないような…

フジマキさんの『プロパガンダ』ではないけど、マーケットの人で面白い"レポート"を書く人は多い。三井住友の某氏とか、HSBCのFさんのレポートは毎日面白くて…マーケットに関する鋭いコメントとちょっとプライベートな内容、朝からやる気がでます。多忙ゆえ、相当な殴り書き的レポートにも関わらず、まとまっているし、面白い。頭の良さと文才、羨ましい限りです。
 

Saturday, May 01, 2010

Ave Maria

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シューベルトの"Ave Maria"
歌曲として有名だが、ピアノソロの演奏もよく聴くので、てっきりシューベルト自身がピアノソロ用の譜面も書いたものだと思っていた。オリジナルを弾いてみたいと思って楽器屋に行くと、意外に楽譜がない。予定が詰まっていたので探すのを早々に諦め、店員さんに聞くと、そもそもオリジナルは伴奏用の譜面しかなく、あとはアレンジ品だとか。
シューベルトのリートのピアノソロアレンジとして一番有名なのはリストだということで、全音の楽譜を購入。
LINK
リスト シューベルトの歌による13のピアノ小品集

"Ave Maria"が弾きたくて買ったのだが、"魔王"とか"ます"とか"セレナード"とか有名どころのアレンジもなかなかいい感じ。価値ある1冊。

冒頭の動画はベルマン。
ちなみにピアノソロはリストだけあって音が多く、けっこう難しいです。

以下は、非常に貴重な映像。ヴァイオリンの音色がかなりいい。
ヴァイオリンめちゃくちゃうまい人誰か周りにいないかな…


 

Saturday, April 24, 2010

twitterで世界は変わるのか?

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LINK    LINK

①Twitter社会論 <津田大介>
②ツイッター 会社と仕事はこう変わる <日経BPムック>


twitter関連で話題になった新書と最近のムック。
内容は、メディアの変化とか、ビジネス上の事例とか。

twitterって何がそんなにすごいんだろうか?正直よくわからない。
確かにコミュニケーションの形としては新しいし、テクノロジーとインターネット時代が成し得た産物なのだが、人間の生き方にそんなに影響を与えるものだろうか?

これらの本を読んでみて、実際使ってみて、まだ「世界が変わる」ポイントに達していないのかもしれないけれど、それでも何となく予想の範囲を超えない気がする。つまり、世界をある程度変えるかもしれないが、僕の世界、人生を変えるものではない。
なんかじりじりと嫌な世界になりつつあるな、とは感じる。コミュニケーションと情報の流速が高まり、受発信するものの量が増えた。ただ、寿命はそれほど伸びていないし、1日も相変わらず24hだ。そんな中、どういう影響が出ているかといえば、存在の希薄化、表面化、均質化、これに尽きる気がする。人生における偶然、偏在の面白さ、そういったものが低下している。紙の地図1枚を持って人生賭けた宝探し、から、上空よりレーダーで見つけて効率よく回収、そんなような変化を感じる。つまらない。

なにもtwitterの出現に限ったことではないが、時代は「必然性」を高める方向に向かっていると思う。経済や金融の世界で「完全市場」なんて概念があるけれど、方向性としてはそれに近い。そういう世界って面白いのだろうか?ますます、流されずに「個」を強烈に打ち出していきたいと思うようになった。

最後に、確かにビジネスの世界ではtwitterによるコミュニケーションのしくみを理解しなければならないだろう。僕はtwitterで人生はまったく変わらないと思っているが、twitterで人生が変わると思っている人に対してはtwitterというチャネルが有効。もちろん考え方は人それぞれ。生きている環境、今までの境遇、全て違う。

さらに抽象的な話をすれば、「twitterで世界は変わると思っている人の集合体(=彼らの世界)は確かにtwitterによって変わる」という感じだろうか。あなたの世界は変わるだろうか?
 

Monday, April 12, 2010

すごい会議

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LINK

すごい会議 <大橋禅太郎>

100SHIKIの田口さんが何度か取り上げていたので購入。
大橋さんの著書は初めて。
見た目・題名から何だか軽そうな雰囲気なのだが、想像以上だった。非常にラフな文章で、疲れる要素はゼロ。もちろん内容も多くはなくて、人によってはボられた感覚さえ抱くのでは?
と、ここまではあんまりなことを言ったが、シンプルすぎることが功を奏し、意外に数点しっかり頭に残った事項があったので結果オーライといった感じだ。

本書の内容は、著者のエネルギッシュな半生(ここは完全な自伝)と、その中で、とあるメンターに教わったミーティングの方法についてだ。後者の方がまさに本書題名の由来であり、非効率な会議、アクションに繋がらない会議を簡単に良くする方法なのだ。以下、数点、もはや僕にはこれだけ!という内容をメモしておく。

・ダメな会議の95%の時間はコメントの応酬。そこで、発言を3つの区分で統制してみる。「明確化のための質問」か「代替案の提示」か「リクエスト」だ。(p76辺り)
→これはかなり痛感。実際、建設的でないコメント交換多すぎ。参加者の意識の低さもあるのだが、こうやってルールを作ってしまうのは極めて効果的だろう。これを長老方参加の会議に適用するのはかなり至難だが…

・会議の後にはコミットメントリストを。誰がいつまでに何を達成するかというToDoリストのことだが、面白いのは、進捗管理の方法。目標に対して進捗xx%というありがちなやり方ではなく、「このままいくとスケジュールどおりに終わるか?でないとすれば何日遅れるか?(または早く終わるか?)」を記録・updateするというもの。スケジュールどおりなら"0"、3日遅れそうなら"-3"といった具合。他のメンバーも事前に対策が立てやすい。(p82辺り)
→ToDoリストを設定しても、現実はそのスケジュールどおりにはいかないもの(本当は何が何でもやるべきなのかもしれないが…)。そんなとき、期日になって、「せーの」で蓋を開けてみれば、全然終わってませんでした、なんていうメンバーがいると、チームとしてのアウトプットは最悪。律速段階・ボトルネックのマネージがプロジェクト管理では重要。本方法は非常にシンプルだが、常にボトルネックを可視化・共有できる素晴らしい方法だと思う。

・議題の設定方法として、「なぜ」で始まる質問を避ける。「なぜ~~が上手くいっていないのか」では、担当者から「できない理由」が返ってくるだけ。始めから議題を「どのようにすれば~~できるか」にすべき。(付録p12)
→これはハイレベルなメンバーならば自然とクリアできる部分だと思うが、現実はそうとは限らない。「できない理由」の列挙で思考停止に陥るケースはよくある。会議に挑む前提・意識を変えるのに、効果的な方法だと思う。

・いまのやり方でできる目標は、目標と呼ばない。組織で目標を立てる一番のメリットは、目標を立てなければ起こらなかったことの実現可能性を最大化すること。(付録p33)
→大企業の業績評価制度、予実管理…等々に関連してありがちな問題。僕自身も痛感。ちょっと会社に麻痺していた感がある。本末転倒になってはいけない。この辺り、企業経営における本質の部分だと思う。深い。
 

Saturday, April 10, 2010

Vittel

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良く飲む水はVittel
http://vittel.jp/menu.html

特に硬水好きというわけでもなく(むしろ軟水のvolvicの方が好き)、オフィスの自販機にあるからというのが一番の理由だが、いつもボトルのデザインが秀逸だなと感じている。青、水色系のパッケージが多い中、この赤の強さって単純に面白い。あとは、色の量、パーツの配置と様々な要素が絶妙。
トップの画像は新しいパッケージデザインらしく、水色が加わったのと、Ca、Mgの情報要素が増えた。情報量と色が増えたために、これまでのシンプルな美しさが若干失われた気もするが、それでもなお、Vittelらしいデザインの良さは健在。

水のようなシンプルな商品であるからこそ、コンセプトの打ち出し方、デザインが非常に重要だと思う。同価格帯の水(evian、volvic、CRYSTAL GEYSER…)の中でどれくらいのシェアを取れてて、その推移はどうなのか知らないけれど、面白いマーケットだなと思う。そもそもただの水にこれだけの価格をつけているわけで…

どこかに世界のミネラルウォーターの市場規模は4兆円とか書いてあったが、この資料(p128,129)によれば、2007年の輸入ミネラルウォーターの国内市場規模は出荷額ベースで600億円程度らしい。
http://www.nikkankeizai.co.jp/images/zou08.pdf

最近まで流通していた一つ前のVittelボトルデザインは以下。こちらの方が好き。

 
あとbotteled waterと言えば、今話題なのはこちらの動画。テンポが良くて面白い。蛇口回帰の動きも実際あるようです。


 

Monday, April 05, 2010

Presentation Zen

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LINK

プレゼンテーションZen <ガー・レイノルズ>

日本で出版されてわりと早いうちに買ったのだが、積読期間長く、今日やっと読んだ。
内容自体はそれほど新しいという感じはしないが、ジョブズやアル・ゴアのプレゼンを見ていてかっこいいな、わかりやすいな、と感じるそのエッセンスが本書にはある。大事なのは、こういう本が世界的に受け入れられること。多くの人に読まれること。頭を柔らかくさせること。
本書のみならず、多くのプレゼンの本に書いてあることだが、大事なのはオーディエンスとの"共感"である。だからオーディエンス次第で内容も喋り方も変わるのだが、オーディエンスの間に偏見があると、やはりやりにくい。本当は、本書のようなプレゼン方法の方が感動させる力、記憶に残す力、アクションに繋げる力…が強いのに、オーディエンスにその準備ができていないと、素晴らしいはずのプレゼンも「けしからん」ものになってしまう。
本書がもっと日本で読まれ、SlideShareにも日本人の素晴らしいプレゼンが溢れることを祈る。
僕個人としても、会社でプレゼンをする際、もう少し崩したスタイルで攻めてみようかとあらためて決意。

以下いくつかポイントをメモ。

・「他者は我々にインスピレーションを与え、情報は我々に知識を供給し、訓練はパフォーマンスを向上させる。しかし、物事を解明し、新たな発見をもたらし、独創的な答えを探り当てるためには、静寂の時間が必要である。」(p69)

・プレゼン用のスライドと配布資料は別。"スライデュメント"はやめよう。(p78)

・心に残るアイデアには6つの共通の法則"SUCCESs"がある。(p88)
simplicity, unexpectedness, concreteness, credibility, emotions, stories

・プレゼンテーションの目的は情報を提供することだけではない。(p111)

・「我々の人生は、細部を気にすることによって浪費されている ― 単純化だ、単純化するのだ」(p114)

・画像を使って視線を誘導する。(p161)

・バランスの取れたデザインは、明確な一つのメッセージを持っている。うまく構成されたスライドは、最初に目を引く部分がはっきり決まっており、その後も人々の視線を巧みに誘導していく。聴衆はどこを見るべきか「考える」必要がない。(p162)

・デザインとは形を認識し、それを巧みに操ることである。(p162)

・ステージに立っているとき、スティーブはある意味でアーティストである。どんなアーティストでもそうだが、彼もまた練習や経験を通じて技術や手法を磨いてきた。(p207)


何れにしても良書です。
ワクワクしてしまい、久しぶりにSlideShareサーフィン、stockphotoサーフィンにだいぶ時間を使ってしまった。
 

Monday, March 22, 2010

ARCHITECTURE NOW!

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LINK

ARCHITECTURE NOW! <Philip Jodidio>

シリーズの中ではわりと初期のもの。いろいろな建築家とそのプロジェクトに触れることができる図鑑のような本。知らない人ばかりで本当に面白いのだが、1ページ目の安藤忠雄に始まり、日本人が多いことには驚く。日本人はデザインセンスという意味ではとても優れているような気がする。文化も、世界という一つのくくりの中で見ると、異彩を放っているし、もっと世界に面白いものを提供できる人種であり国であるように思う。
ある場所に有るものをそれが無い場所にもっていく、伝えるということはまだまだできると思うし、一見省エネかもしれないが、それである種のwaveをつくることに興味がある。

本書に載っている建築家のうち、ここで1人ピックアップしようと思うのは、Renzo Piano(レンゾ・ピアノ)だ。イタリアの超有名建築家。日本では、関西国際空港で知られる。なぜかというと、たしか知ったのは3,4年前だったと思うが、あるプロジェクトで度肝を抜かれたからだ。そのプロジェクトとは、ニューカレドニアのTjibaou Cultural Centre(チバウー文化センター)だ。


この躍動感には衝撃を受けた。何かが地球から生えている…
僕はけっこう"家"を見るのが好きなのだが、このプロジェクトには本当に驚いた。

チバウー文化センター by Archstructure.net
http://www.archstructure.net/contents/tjibaou/

RPBW - Renzo Piano Building Workshop
http://www.rpbw.com/


本書に載っている建築家のうち、プロジェクトもので本当に好きなのが、巨匠、SANTIAGO CALATRAVAなのだが、こちらについてはまたの機会に書くことにします。
他にも、本書の表紙にもなっている、ALBERTO CAMPO BAEZAとかかなりいいです。
 

Monday, March 15, 2010

思考の整理学

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①思考の整理学 <外山滋比古>

初版は1986年。これはなかなか鋭い書だと思う。思考方法について、アイデアの生み方について、今の教育について、人間vsコンピュータについて…こうした分野における現在の名著と内容に齟齬がない。これだけコンパクトな本でありながらエッセンスがぎっしり詰まっている。

本書では、まず人間を2タイプに分類する。グライダー人間と飛行機人間だ。グライダーは自力では飛べないという意味で動力付きの飛行機にはだいぶ劣る。飛行機人間とは、簡単に言えば、創造性を持った人間のこと。そして本書の目的は、知識を受動的にでも吸収することに優れたグライダーと、自分で何かを発見できる飛行機の良さを兼ね備えた人間になるにはどうすればいいかというもの。

コンピュータという極めて優秀なグライダーが出現した今の世では、グライダー人間は通用しない。職を追われることになる。筆者は、多くの学校教育がグライダー養成教育であることに警鐘を鳴らす。これについては極めて同感。確かに学校教育の中で飛行機人間を養成するのは難しい。自力飛行能力の獲得にこだわりすぎると、グライダーとして飛ぶことすらできなくなってしまう可能性があるからだ。ある程度知識をインプットできなくてはアウトプットは思うようにできない。あとは画一的な教育方法に頼るのではなく、個別に子供を見て、その能力を慎重に伸ばしていく他ない。本書では、基本路線としてグライダー養成教育がなされる中、どういう工夫をすれば飛行機能力を伸ばせるかというところに主眼を置いている。それが思考の整理というやつなのかもしれない。要はインプット後からアウトプットまでの段階での方法論だ。
例えば、基本的なことにも思えるが、捨てる、忘れるという機能の必要性について。捨てる、忘れるということをせずに、どれだけインプットしてもアウトプットプロセスに影響が出ないのだとしたら、それはすごいが、残念ながら、我々人間の頭はそうはできていない。捨てる、忘れるというのは一つのメンテナンスなのだ。他にも、アナロジーの活用法、とにかく書いてみることの機能、セレンディピティなど、"頭"のしくみを多面的に分析し、いかにしてうまく使うかを解説。ライフハックの原典のような本。

文章も読みやすく、論理展開もクリア。行き詰ったときに読み返したい本。
ところで、これもよく言われることだが、ノートやメモについて、記録したという安心感が忘却を促進するらしい。メモも使いようだ。頭のスペックが落ちては元も子もないので。


②日本人が知らなかったETF投資 <カン・チュンド>

Amazonで高評価だったので購入したもの。
が、なぜそんなに高評価なのか理解に苦しむ。ETFの入門書としては悪い本では決してないと思うが、特段素晴らしいということもないと思う。広く浅く、初めての人でもETFを買おうかという気になるぐらい親切に内容が展開されているが、どれも当たり前のことばかり。逆に、リスクリターンの話やポートフォリオの話をよくわからずに投資をしている人が多いということなのだろうか。
債券と合わせてしっかり分散の効いたポートフォリオを組み、ポートフォリオボラティリティーのコントロールをしながら、長期で持てば勝てる、というのが大体の主旨だが、それだけで簡単に勝てれば苦労はしない。本質であるリスクリターンについて深堀りした解説ないままに、シンプルなルールを守ればたいがいは勝てると一貫して主張されていることに少し疑問を感じた。

ちなみにETF投資自体は、特に信託報酬の安さという観点で、非常にいいものだと思っている。アクティブ型の投信などはよほどのことがない限り買う気にはなれない。
 

Saturday, March 13, 2010

Time To Say Goodbye

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Time To Say Goodbye  by Sarah Brightman

映画『アマルフィ』を観て、久しぶりに聴いた曲。
この歌声は本当に奇跡だと思う。楽器を使わずこれだけの音楽を生み出せる…本当に女神。
実は曲名も好き。

動画ではアマルフィの写真が流れているが、この曲とすごくマッチする気がする。あの情景を思い出す。

いい音楽を聴くと人生について考えさせられる。
 

Sunday, March 07, 2010

Thought Leader

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"Thought Leader"

独自の意見や想い、アイデアを第一人者として発信し、社会の関心・議論を呼び起こす、巻き込む、変化を創りだそうとする。そうしたおぼろげなイメージでこの言葉を捉えていた。

Wekipediaの第一文によれば、

A thought leader is a futurist or person who is recognized for innovative ideas and demonstrates the confidence to promote or share those ideas as actionable distilled insights (thinklets).

http://en.wikipedia.org/wiki/Thought_leader

最近仕事において、この"Thought Leader"について考えなおす機会があった。というか主張している方がいた。そして今さらながら、麻生太郎氏(当時外務大臣)の著書や演説の中で触れられていることを知った。

麻生氏は"Thought Leader"を「実践的先駆者」と訳し、次のように述べている。

--Quote--
「ソート・リーダー」とは、この言葉が生まれた米国ビジネス界での正確な定義はいざ知らず、わたくしに言わせれば、他人(ひと)より先に難問へぶち当たらざるを得ない星回りにある者のことです。難問であるからには、なかなか解くことができません。けれども解決しようとしてもがく、その姿それ自体が、ほかの人たちにとって教材となるような人――。そういう人を「ソート・リーダー」といいます。
--Unquote--

引用元:http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/press/enzetsu/17/easo_1207.html

問題を解決できるに越したことはないが、たとえ解決できないにしてもそれにチャレンジするということはそれだけで大きな流れを生み出す。物事を前に進める。「他人より先に難問へぶち当たらざるを得ない星回りにある者」が問題を解決できないことに怯え、チャレンジしないという事態は、その人の所属するグループ全体の停滞を意味する。フロンティアにいる者がリスクを取れない、もがけないような評価制度、報酬体系は是正されるべきで、また、各人は自分がフロンティアにいるかいないかに関わらず麻生氏の述べるような"Thought Leader"を目指すべきだろう。

自分や自分の所属組織が"Thought Leadership"を欠いていないか、これは今後生きていく上で重要な視点であるように思う。逃げてはいけない。
 

Friday, March 05, 2010

ArtするSite

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2番目と5番目が好き。
2番目はスクリーンセーバーとして欲しいな。

http://www.conch.jp/


原健太郎

http://www.kentarohara.com/


やはり"音"の存在は大きい。
 

Sunday, February 28, 2010

フレームワークIndex

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①知的生産力が劇的に高まる最強フレームワーク100 <永田豊志>

ものすごく表面的な内容だが、Indexとしては利用価値があるかもしれない。
個々のフレームワークについては、1つにつき最低でも1冊の本を読み、実際に使ってみなければ何も習得できない。つまり、本書だけを読んでもまったく意味がない。
フレームワークというのは一見便利に思えるが、逆に頭がその枠組みを超えられなくなるという危険性を孕んでいる。現象をフレームワークに当てはめて考え始めた時点で思考停止に陥っていることはよくある。フレームワークにあてはめることは、あくまでも問題の分析や仮説検証のプロセスにかかる時間を短縮化する方法にすぎず、思考の本質ではないと思う。そして、フレームワークに事象をおさめて、何かが生み出されるというよりは、思考の結果、フレームワークが生み出されるようなイメージであるように思う。

本書にIndexとしての利用価値があるというのは、何かに「つまった感」が生じたときに、視点を変えるのに役立つという意味でのことだ。パラパラとめくるには丁度良いレイアウト(必ず見開きで1つの項目)になっているので、考えにつまったときには本書をめくってみる。3回ぐらいパラパラして何か新たな切り口が見つかったら儲けもの。なければまた引き出しへ。但し、これをやるには、個々の内容が分かっていないといけない。そしてこの「分かる」ためにやることは本書を読むことではない。

ちなみに新しい情報として唯一面白かったのは「ハインリッヒの法則」。
「1件の重大災害が発生する背景に、29件の軽傷事故と300件のヒヤリ・ハットがある」というもの。法則の名前はどうでもいいのだが、要は、目に見えてくるfactの背景にあるものにまで想像力を膨らませなさいよということ。


②ロジカルシンキング・リーディング <大石哲之>

なぜ手にとってしまったのか…
こちらは真に内容の薄い本。エッセンスは、「(ビジネスでの)読書は1点集中で」これに尽きる。
新たな分野に挑戦するときは、同じような本を5~10冊ガッと読む、という1点集中が一つ。もう一つは、1冊の本の中で緩急をつけて読むという1点集中。文章を読んで情報をinputするだけではなく、自分の頭を使って考えること。別に100ページの本を均等に読む必要はない。99ページを10分で読んで、大事な論点のある1ページを2時間考えて読んでもいい。
以上が本書の99%の内容。
 

Thursday, February 18, 2010

為替関係書籍

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①為替のしくみが基礎からわかる本 <青柳孝直>

非常にコンパクトな本。あらゆる無駄をそぎ落として基本部分を解説している感じ。文字数もかなり少ない。FX本の類を除いて、為替に関してこれほどコンパクトに書いた本もあまりないのでは?
解説はなかなかわかりやすいと思う。為替のディーリングに興味がある方も、そもそも為替とは?というところに興味ある方も、短時間で読めるので一読してみてはいかが。


②相場としての外国為替 <林康史>

古い本だが有名らしい。何と言っても初版は1993年。マルクとかが普通に出てくる。ただ、根本部分の解説は詳しく、やはり為替関係の名著の一つである気がする。

思うに、世の中でまだメジャーでない世界について、しかも機械化・オートメーション化が進んでいない分野について解説された本は後世に残る名著となることが多い。本当に一から原理に関して説明する必要があるからだ。ところが、なまじ分かりやすく噛み砕かれた情報が氾濫する時代においては、本当の原理部分について書いた本が、その他多くの本の中に埋もれてしまうことがある。為替に関しても、FX取引や外貨預金をしたことがある人は多いはずなのだが、そのうちのどれぐらいの人が本書に書かれているような基本的な部分について理解しているかと言えば"?"だ。
本書の内容には確かに古いものが多い。ちょっとこの部分今の呼び方と違うのでは?という部分も多い。しかし、それを差し引いても十分に価値ある一冊だと思う。
 

Monday, February 15, 2010

その数学が戦略を決める

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①その数学が戦略を決める <イアン・エアーズ>

タイトルに「数学」なんていう仰々しい単語があり、さらに本文中では「絶対計算」という単語が連発されるのだが、要は統計分析・データマイニングがすごいですよ、と紹介する本。具体例がぎっしりなので、イメージしやすいと思うが、普段から回帰分析や多量データの集計をやっている人にとってはやや冗長な内容。

細かい話はともかく、本書の中で大きなテーマとなっているのは「専門家」の立ち位置の問題だろう。ダニエル・ピンクの『ハイ・コンセプト』でも、今の私たちの「仕事」の多くは、安い労働力とコンピュータに奪われるというメッセージがあったが、まさにそれ。多量のデータを解析し、状況を判断したり、将来を予測する手法が一定の力を持っていることは間違いなさそうだ。そんな状況下、我々人間はどこで価値を出すのか。

本書で特に面白かった例は第4章の「医師vsプログラム」の構図だった。
「イザベル」という実在の診断プログラムを使うと、医師は患者の症状を入力して、最も高い原因一覧を得ることができる。医師も知識、過去の経験等いろいろな情報を頭の中で結びつけて、症状の原因を探るということをする。ただ、知識は常にアップデートされているわけではないし、主観・思い込みの類が判断の精度を落とすこともある。もし、最新の論文や臨床結果までカバーしたデータベースにアクセスして、しかも高い精度で解を出してくれるプログラムがあったら…本当に診断医はいるのだろうか?医師という専門職の座が無条件に安泰でないことは明白だ。勿論、人間にしかない直感や発見はあると思うので、完全に診断医は不必要になるということはないのだろうが、少なくとも、診断プログラムとの「融合」医療は現実になりそうだ。僕は、本書内で診断プログラムと相性が良いとされている電子カルテにもかなり興味があるので、本章は面白かった。

あとは、第5章に、人間の弱点と人間に残されている「出番」について述べられている部分があったので、メモしておく。

・人間の弱点
「人は何かについてまちがった信念を抱いてしまうと、それにしがみつきがちだ。新しい証拠が出てきても、信念に反するものはつい軽視してしまい、既存の信念を裏付けてくれる証拠だけに注目してしまう」(p154)

・人間の出番は残されているのか?
「一言でいえば、仮説立案だ。人間に残された一番重要なことは、頭や直感を使って統計分析にどの変数を入れる/入れるべきではないか推測することだ。統計回帰分析は、それぞれの要因につける重みは教えてくれる。だが人間は、何が何を引き起こすかについての仮説を生み出すのにどうしても必要なのだ。」(p169)

この2点は本当に重要な点だろう。特に後者はこれからの時代を生きていく上で外せない方向性の一つだと思う。

その他読了後の感想をいくつか。
まずは、本書で言うところの「絶対計算」について。データを解析して将来を予想。これは易し。何%の確率でこうなります…そう言うのは多くのことで既に可能になっている。ただ、これからはバックテストの発想が必要かと思う。推定と検定というやつだろうか。このサイクルがよく回りだしたところで、ようやく超「絶対計算」時代が到来するのではないかと思っている。
もう一つは個人的に伸ばさなければならないところ。偏差の頭とベイズ推定。偏差の考え方は十分わかっているはずだが、"平均"の考えほど頭の中でスピーディーに機能していない。サンプルについて、平均と偏差を同スピードのセットでイメージできるようになるとだいぶ頭のスペックが上がる気がする。ベイズの理論についてはもう少し勉強する必要がある。これはかなり強力なツール。むしろなくてはならない。1冊本でも読もうと思う。


②入門の入門 "株"のしくみ <杉村富生>

基本部分を、何冊もの違うテキストで塗りなおすのが最近の好みで、株式関連の入門本もこれまでに何冊も読んだが、本書はかなり良書だと思う。それほど内容が多いわけではないのだが、本当に入門書として必要な事項がコンパクトに纏まっている。入門本としては間違いなくオススメ。

最近脳力の劣化が進んでいるとはいえ、95%程度は頭に定着したので、株の本はしばらくはもういいかな。また忘れたときに適宜。

感想を少し。
税金の部分に関して、2010年まではとりあえず、キャピタルゲイン、インカムゲイン共に一定額までは所得税と住民税併せて10%なのだが、こういう税率はどういう風に決めているのだろうか。年によっては"基本"の20%になったりと大きく違うようだが。もはや一種の介入であるような気もする。
同じく税金の話で、単純に株を保有したり売買したりする場合、法人は個人に比べて非常に不利だ。スケールメリット云々はあるものの、税金が違いすぎる。40%取られてはたまらないな。
 

Saturday, February 13, 2010

メルシャンのバレンタイン

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好きとありがとうは、どっちも告白だと思う。

メルシャンのバレンタイン。Love More!


メルシャンのポスター広告が地下鉄駅構内にあったのを見かけた。
ワイン・アンバサダーとして押切もえを起用。

しかしこのコピーは"?"と思う人の方が多いのではないか?
せっかく大々的に広告打ってるのに、もったいない気がする。

メルシャンの狙いは次の2点だろう。
①チョコ以外のものをプレゼントに。具体的には、ワイン。
②贈るのは異性以外にも。「友チョコ」の発想の強化・拡張。

既存の文化・風習に対し、二次元変化(贈るモノ・贈る対象の2軸)で新しい市場を創る。そういう戦略は好き。頭を柔軟にすれば、この発想でかなりチャンスは拡がると思う。世の中には凝り固まった風習がいくらでもある。

ただ、定着した風習から消費者の発想を解放させるには、ストレートな方がいいと思う。ストレートな広告を打つことにあまりリスクはないと思うし。
若い女性が母親のグラスにワインを注ぐとか、ワイン瓶を手渡す、とか。僕だったらそういう絵にして、コピーもわかりやすいものにする。


それはそうと、バレンタインのシーズン、ワインの売上はどれぐらい伸びるのだろうか?
 

Sunday, February 07, 2010

通勤大学シリーズ

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①通勤大学MBA13 統計学 <グローバルタスクフォース株式会社>

「通勤大学シリーズ」を手に取ったのは初めて。ネーミングがいい。
統計学の基礎を勉強しようと、本書ともう少しまともな(解説の詳しい)本の2冊を購入。
このコンパクトな本でまず全体感をさらりと掴むことが目的だったが、それは大体果たせたと思う。統計学とはどういうものかに始まり、平均や分散などの超基本要素から、回帰分析、検定に至るまでそこそこ網羅的。
本の性質上、数学的解説が乏しいのだが現段階ではそこはよし。けっこうビジネス的な具体例も多く、馴染みやすい内容になっている。
1冊目、統計学の勉強の"chapter 0"といったところ。


②投資ファンドの基本と仕組みがよーくわかる本 <岡林秀明>

秀和システムお得意の超入門。ファンドとは何か的なところから始まり、広く浅くファンドの種類と仕組みを解説。 コンテンツファンドにまで触れてあって、網羅性は高い。
ただ、基本的なところから離れないので、理解は深まらない。 本書を足がかりに、深堀りしたい用語・概念をGoogleで検索というのがいいのではないだろうか。
間違った箇所が散見され、そちらはマイナス材料。
 

Wednesday, February 03, 2010

沈みゆくVenice

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ニュースを追っていて一つの記事が目に入った。

『水の都ベネチア改修事業、潮位上昇と浸水に勝てず』

-以下抜粋---

2/1 Bloomberg:
「運河の町」として知られるイタリアのベネチアが、アドリア海の潮位上昇と頻度の増す浸水との闘いに負けつつある。この町は数世紀にわたって沈下している。

今日のチャートは、イタリア政府がベネチアを海面よりも上に維持するため資金を投じているにもかかわらず、浸水する日が過去最多に達していることを示す。ベネチアの名所であるサンマルコ広場は、潮位が平均海水面を80センチ上回ると浸水する。2008年には水位が156センチに達し、市内の車道や歩道の多くが沈んだ。

イタリア政府は、03年にスタートした45億ユーロ(約5600億円)規模のモーゼ・プロジェクトの資金の一部を拠出するにとどまっている。このプロジェクトでは、季節的な潮流や異常気象の影響で水位が上昇した場合にせり上がる78個の水門を建設している。竣工(しゅんこう)期限は当初の11年から14年に延期された。

ベネチアの潮流センターのディレクター、パオロ・カネストレッリ氏は電話インタビューで「モーゼ計画は最良のプロジェクトではなかった。目に見えるような改善は今までのところない」と指摘。「現時点でできることは14年まで成り行きを見守ることだ」と述べた。

ロンドンを拠点とする慈善団体ペリル・ファンドのベネチアの責任者、アンナ・サマーズ・コックス氏によると、モーゼ・プロジェクトを終了させラグーン(潟)の整備や歩道の引き上げには75億ユーロの追加費用が必要と見込まれる。

コックス氏によると、イタリア政府は既に、状況の改善に向け過去20年間に78億ユーロを支出している。ベネチアを訪れる観光客は1日当たり約5万人。イタリア銀行(中央銀行)のデータによると、国外からの旅行者が宿泊や食事、ゴンドラや水上タクシーなどの代金として支払う額は年間約23億ユーロに上る。

記者:Flavia Krause-Jackson、Giovanni Salzano

原題:Record Venice Tides Defeat $6.3 Billion Project

-UNQUOTE---

ベネチアにはつい最近行ったばかりだが、"沈没"の話はあちらこちらで聞いていた。街の美術館には、ベネチアが一度ひどい水没被害にあったときの写真集などもあり、とても印象的だった。

考えてみれば不思議な土地だが、あまりにも微妙なバランスの上に成り立っている都市ゆえ、その魅力と生活を支えるのは難しい。悲しいことではあるが、地球を包む大きな海の前に小さな島は無力すぎる。ベネチアを愛する人々、利害を考える人々、自然保護を訴える人々…いろいろな立場の、しかし同じ人間が、この美しい奇跡の街の未来をどう創るのか。ベネチアに魅了された一人として非常に気になる。

それにしても添付画像(チャート)を見ると絶望的だ。長いスパンで着実に街の未来は食われつつある。
大海の潮位上昇に人工的な水門で対抗するというのはサイズ感の観点で何だか滑稽にも思えるが、完成後、グラフがピークアウトすることを祈るのみだ。


National Geographic提供の素晴らしいページがあったのでこちらもご参照。
いろいろな仕掛けがあるが、特に潮位によってどの部分が沈むのか視覚的に分かるようになっているのが素晴らしい。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0908/feature02/multimedia/index.shtml

もう一つ、モーゼ計画について、こちらも詳しい。
http://www.wave.or.jp/outline/doc/vene_j.pdf
 

Sunday, January 24, 2010

人生論ノート

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①人生論ノート <三木清>

哲学者・三木清の綴る人生論ノート。これは間違いなく名著だった。
頭が疲れたときに少しずつ読んだのだが、結局半分くらいしか理解できなかった。しかし、この古い書が深い洞察に富んだ、洗練されたものであることは分かった。ノートの形式も面白い。何より、3世代も上の人が綴った言葉が現代においてもなお人の心に刺さることが驚きだ。
手元に置いておき、人生に疲れたときに何度も読み直すにはもってこいの書物だ。

本書は、「死について」、「虚栄について」、「感傷について」など、人間・人生の周辺にある23の要素について、「~について」という題でそれぞれ論じていく。どんな順序で読んでもいいし、後で一つだけ読み返してもいい。まずこの形式が独特でかつ洗練されていて、座右の書に含めざるをえない。

以下、いくつかの項目について、文章を抜粋しておく。

・幸福について考えることはすでに一つの、恐らく最大の、不幸の兆しであるといわれるかも知れない。しかしながら今日の人間は果して幸福であるために幸福について考えないのであろうか。むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。(p15,幸福について)

・愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であったのではなく、反対に、彼等は幸福であった故に愛するもののために死ねる力を有したのである。(p19,幸福について)

・人生とは或る意味では習慣がすべてである。(p31,習慣について)

・人間は虚栄によって生きている。虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。(p39,虚栄について)

・ひとは軽蔑されたと感じたとき最もよく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない。彼の名誉心は彼の怒が短気であることを防ぐであろう。ほんとに自信のある者は静かで、しかも威厳を具えている。それは完成した性格のことである。(p57,怒について)

・嫉妬とはすべての人間が神の前においては平等であることを知らぬ者の人間の世界において平均化を求める傾向である。(p70,嫉妬について)

・あらゆる噂の根源が不安であるというのは真理を含んでいる。ひとは自己の不安から噂を作り、受取り、また伝える。(p85,噂について)

・外見上極めてよく整理されているものが必ずしも秩序のあるものでなく、むしろ一見無秩序に見えるところに却って秩序が存在するのである。この場合秩序というものが、心の秩序に関係していることは明らかである。どのような外的秩序も心の秩序に合致しない限り真の秩序ではない。心の秩序を度外視してどのように外面の秩序を整えたにしても空疎である。(p99,秩序について)

・愛は私にあるのでも相手にあるのでもなく、いわばその間にある。(p129,希望について)

・かようにして私は、個性が揺籃と共に私に贈られた贈物ではなく、私が戦いをもって獲得しなければならない理念であることを知った。(p144,個性について)



②デキルと言われる5つの仕事力 <東田一>

先輩の引越しの際に貰った一冊。
正直目新しい内容はなかった。とくに難しいことにぶちあたっているわけでもないのに、どうにもこうにもダメな状態だと感じている人はこの手の本を読んでみる価値があるかもしれない。題名はコテコテで手に取るのも小恥ずかしい本だが、いろいろ細かなエッセンスは入っている。

ちなみに著者はすでに400冊も本を出しているらしい。数が多ければいいというものではないが、それでも400冊というのは凄い。そういう見方をすれば本書にも何かヒントがあるかもしれない。

しかし本書にも書かれている「早起き」についてはどうも苦手…
どうにかならないものか。
 

Monday, January 18, 2010

ポケットに名言を

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読書メモも再開します。
最近積読癖が以前にも増してひどい。

①ポケットに名言を <寺山修司>

最高に粋な遊びにして、最高に粋な本。
こういう遊びをしようと思っていただけに、著者の考えが自分のそれに近いことに驚いた。
本書は「ことば」のスクラップブックだ。ことばそのものの力というか味を感じることができる。あとがきで著者は以下のように述べている。

“思想家の軌跡などを一切無視して、一句だけとり出して、ガムでも噛むように「名言」を噛みしめる。その反復の中で、意味は無化され、理性支配の社会と死との呪縛から解放されるような一時的な陶酔を味わう。”

“「名言」はだれかの書いた台詞であるが、すぐれた俳優は自分のことばを探し出すための出会いが、ドラマツルギーというものだということを知っているのである。”

これほど多様なソースから、サラダボールのようにことばを混ぜ込んだ名言集も他にあるまい。
ただ、その価値はよくわかる。昨年末から友人と話しているのだが、これに似たようなこと、はじめます。

最後に、寺山さん的「名言」の定義を引用しておきます。

1.呪文呪語の類
2.複製されたことば、すなわち引用可能な他人の経験
3.行為の句読点として用いられるもの
4.無意識世界への配達人
5.価値および理性の相対化を保証する証文
6.スケープゴートとしての言語

実におもしろい。


②ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている <松井政就>

ギャンブルで強い人というのはビジネスでも強い。これはある程度言えることだ、というのが僕の感覚としてある。ギャンブルでは、隠すことができないその人固有の強さと弱さが出る。その人のベースになっているものを最も簡単に知る機会でもあると思う。ギャンブルの強い弱いは人間の性質のうち非常にシンプルな部分で決まってくるが、それはギャンブルだけでなく、ビジネス、人間関係、いろいろなところに影響する。

本書を読んだところで、ギャンブルは強くならないし、ビジネスも上手くはならないだろう。ただ、ギャンブルもビジネスも意外とシンプルなところで差が生まれているのだということに気づく。ノーバイアスで読むならば面白い本だと思う。

p67~のソニーの話、「不良社員」の話は確かになるほどなと改めて思った。自分の経験からもそうだが、働きアリばかりでは何も生み出せないことが多い。「はみ出ている」ことや組織の多様性というのは非常に重要。それが"体感"として分かるようになると職場もだいぶ楽しくなる。

“見かけ上、遊んでいるように見える社員が不良社員かと言えば、全然そんなことはない。むしろ一日中デスクにかじりついて熱心にキーボードを叩いている人が、実は無駄な資料ばかり作っていたりするものだ。”

あとは、“一勝九敗”。この発想を持てるかどうかがポイントだなと再確認できる一冊でした。


最後に、本書にはコンパクトながら非常にいい名言があったので引用しておく。

“確実なことばかりを積み上げようとすればするほど、人間は負けるようになっている。生きていく上では、たとえ不確実と思われるものにでも賭けなければならない時がある。”

このことば(特に前半)は実に切れ味がいい。
 

Tuesday, January 05, 2010

初売りに思う

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年始に思ったことの書きとめその2


例年ほど時間は取れなかったが、3日の午後は買い物に行った。
今年は去年よりさらに足取りが重くなり、結局行ったのは伊勢丹メンズ館とInternational Gallery BEAMSのみ。
昔から行っているがこの2店は本当にいい。最高に面白い。よくこれだけ一つの店に多様なアイテムを集めたなという感じ。学生の頃のようには時間がない人にピッタリ。
ただ、最近思うのは、怠けているなということ。もちろん自分のことだ。ファッションってやっぱり「足」だと思う。これは物理的に歩くということだけでなく、いろいろな店でいろいろなアイテムを見ていろいろなinspirationを生んで楽しむことが大事だということ。もちろんnetでファッション関連の情報を集めることも。
最近は原宿の遊歩道をぶらぶら歩くこともないし、代官山や中目黒にも足を伸ばしていない。メジャーなセレクトショップをゆっくり一回りすることもしないし、ユニクロ、H&M、Forever21などの動きを定期的に観察するなどということもない。ある「決めた」信頼のおける場所でちょこっと歩いて選んで買うだけだ。

shoppingではなく、調達・準備・散財といった単語の方がはまりそうな勢いだ。ファッションとか買い物ってもっともっと楽しいはず。お金を使うという行為の満足感とは圧倒的に違う次元に楽しさがあるもの。忙しさに負けてそれを見失ってしまってはそれほど寂しいことはない。形骸化した値札付きのファッションで身を纏ってもしょうがない。
店に行く時間は極度に少なくなったが、この初売りで様々なアイテム、多くの大学生ぐらいの買い物客、いろいろな店の紙袋を見て、自分は買うという行為ではなくファッションが好きなんだということを思い出した。

情報過剰の時代。scopeはいたずらに広がりがちだが、好きなものにはしっかりとライトを当てる。それが正直な生き方としていいんじゃないだろうか。無意識的に生じてくるピントのズレを修正するのは自分だ。

この1月、もっと楽しくshoppingに出よう。
 

Monday, January 04, 2010

同窓会に思う

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今日は仕事始め。短い休みではあったが、正月という普段とはちょっと違った区切りの時でもあり、思ったことを書きとめておく。


2日に新年早々高校の同窓会があった。ちゃんとした会場でのちょっと大きな会だった。こういう規模では初めて。
一人ひとりを見ると当時とあまり変わらないようにも感じたが、一つの集団として見ると、その全体像はやはり変わったように思う。時計の針は見えないところで進んでいる。

高校の同窓生には、会社の同僚や大学時代の同期とは違う面白さがある。これは多分「多様性」に由来している。得意不得意が違って、人生の背景も違う人間が集まっているところに面白みがあるし、新しいものが生まれる予感もある。その点では中学校や小学校の同窓生の方がもっと面白いのではとも思うのだが、これは不思議、ただ多様性があればいいというものではないらしい。僕にとっては高校時代ぐらいのバラつきが丁度いいみたいだ。もちろんこれは交友関係云々とは次元の違う話だ。

多様性はあるものの、ある種独特な集団のキャラクターを感じることはできた。多様な人間をバインドしているものかもしれない。「ほのぼの感」だった。こうして超主観的に言うのもなんだが、僕の高校はいいやつが多い。そして僕はそんな母校が好きだ。僕自身もほのぼのとした人間なのかもしれないし、それが居心地の良さの源泉なのかもしれない。

一つの集団としての全体像が変わったように思えるのは、パッションが隠れたもしくは薄れたからだと考えている。高校時代は一人ひとりからパッションが漲っていたように思う。夢に満ち溢れていたようにも思う。この感覚を極端に言えば、渋谷や原宿の街を歩いているときに感じるものと大手町のビル群を歩いているときに感じるものとの差だ。大手町のビル群には四方八方飛び出すようなエネルギーを感じない。一方で渋谷や原宿の若者にはエネルギーがあるし、いろいろな人と夢がうごめいている。この感覚には、社会性や現実性の程度の議論では片付けてはならない本質が隠れていると思う。多くの人は、年をとると人生の舵の可動区域が狭くなっていく。それに伴いパッションは逓減し、エネルギー値が下がっていく。高校の同窓生の「ほのぼの感」、僕の好きなそれが昔より浮き立って見えたことであらためて気づかされた。

しかし僕はこれに抗いたいと思っている。エネルギー値を下げたくない。むしろ上げていきたいぐらい。人間が年を重ねていく上での摂理なのかもしれないが、この言わば"Time Dacay"に抗う方法はあるはず。意志と習慣と機会の積み重ねとによって(もちろんそれ以外の要素も)夢もパッションもより強く大きなものになりうるのではないか。機会は一人ではなく人と人とが創り出す。多様性を持った仲間が相互に影響し合って各々の夢を大きくできればいいなと思う。高校時代の友人にはそういう観点である意味期待しているし、僕も機会を創り出す人間であろうと思う。
高校の友人だけでなく、会う人の多くにおいて同じであることは言うまでもない。まずは自分からだが、集団の中の一個体としてのニンゲンに成り下がらないよう熱を持って舵取りをしていこうと思う。

最後に、忙しい中いい同窓会を企画してくれた幹事団には感謝。
 

Friday, January 01, 2010

謹賀新年2010

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Happy New Year!

今年の年末年始は4日間しか休みがなく慌しいものの、2009年始めとはだいぶ違った形で年越しの瞬間を迎えることができました。いい意味で。
数字的な区切りもよく、何だかいい年になりそうです。このBlogも細々と更新していきますので今年も宜しくお願いします。

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2009年の1年間は本当にあっという間だったように感じる。

「ただただ、時は過ぎていく。」

そう言えてしまうような淡々とした1年だった。
これには危機感を感じずにはいられない。
毎日は何となく忙しい。やることは多い。ただ、後になって振り返ってみてそう感じてしまうのは、強烈なパッションがないから。感情の大きな動きがないから。
どこかの本にも書いてあった気がするが、人間、インパクトがあったことしか覚えていないものなのだ。死ぬほど努力したこと、辛かったこと、恐れながらも挑戦したこと、緊張したこと、鳥肌が立つぐらい感動したこと…そういうことをどんどん増やしていかないと、淡白な、つまらない「並」の人生になってしまう気がする。人生の考え方は人それぞれだが、僕はもっと感情の振幅の大きい、印象的な人生にしたいと思っている。2009年はちょっと薄すぎた。普通すぎた。今年はそこを見直す1年にしたい。

New Year's Resolution
新年の抱負は、大きくはそんなところだ。

意識は上記の通りだが、方針について具体的にもう少し書くと、以下の大テーマとその下にある2つの小テーマを意識しようと考えている。

▼大テーマ

「収束の年」

僕は発散と収束を繰り返して成長していっていると考えている。多量の情報をinputして、いろいろなことに手を出す。そうした「発散」は必要なプロセスだと思っている。続けている。けれども、ある周期でそれを「収束」させていかなければ何も残らない種蒔き屋になってしまう。感情の大きな動きだってない。実は「発散」させることは誰でもできる簡単なことで、「収束」こそが勝負、その人の実力を決める部分だと思っている。収束には勇気とエネルギーがいるのだが、次の発散・収束のサイクルのためにも、今年は収束を意識するべき年だと考えている。

▽小テーマ 1

「一つの仕事の完結」

今はマーケットリスク関連の仕事をしているが、おそらく今年で一区切りを迎える。この仕事を終えて次のフィールドに進むときに、どういう経験値を持っていけるか。それはこの1年にかかっている。基礎ができ、点と点とが繋がり出した時が勝負。成し遂げる年。結実させる年。

▽小テーマ 2

「音楽への取り組み」

仕事外のこと。でも僕にとっては大事なテーマ。仕事外のことゆえ、相当な意志なくしては何もできない。
時間資源は僅少。毎日深夜帰りだとしてもここに絞ることで何かクリエイティブなことができると思っている。2つのテーマ、どう折り合いをつけていくのかは難しいところだが、欲張りはやめ、「発散」を少し抑えていこうと思う。