Wednesday, March 23, 2011

終わりのある旅

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人生は終わりのない旅のようだ、とはよく言う。

僕自身、そう思うこともある。
だけど、人生は終わりのある旅だと思うことが大事なんじゃないかと思う。

人生だけではない。
終わりがあることを知ったとき、ものごとの輝きが急に増すことがある。
終わりがあることを知ったとき、時間が進むのを貴重に感じるようになる。

終わりがないような平坦な毎日を過ごすなかで、その終わりを発見したとき、人は自分の中に何かを見つけることができる。

自分を包む時間の全てに終わりを感じること、それで明日はきっと変わる。



あとどれぐらいであなたの何が終わってしまいますか?
 

Tuesday, March 22, 2011

アルケミスト

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LINK

アルケミスト -夢を旅した少年 <パウロ コエーリョ>

ひょんなことで題名を聞いたのをきっかけに、何年かぶりに読み直した。
いい本だという記憶はあったが、当時の自分には今と比して響く部分が少なかったように思う。それがこんなにもしんみりと意味を噛みしめながら読む日が来るとは。僕もずいぶん大人になってしまったということだろう。また何年後かに読んだらもっと分かる部分が増えそうだ。いつまでも夢を語れる大人、そして、夢に向かっていつも歩いている大人でいたい。

短い本で、ストーリーはここに書くまでもない。読んだことがない人がいれば、何か気持ちが晴れないときに手にとって読むことをおすすめする。能がないが、書きとめておきたいフレーズのメモにとどめる。


・夢が実現する可能性があるからこそ、人生はおもしろいのだ。(p16)

・時がたつうちに、不思議な力が、自分の運命を実現することは不可能だと、彼らに思い込ませ始めるのだ。(p28)

・いつも「はい」と「いいえ」で答えられる質問をするようにしなさい。(p37)

・幸福の秘密とは、世界のすべてのすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ。(p40)

・本当に起こっていることではなく、自分がみたいように世の中を見ていたのだ。(p49)

・彼女は、男は戻ってくるために遠くへいかなければならないと知っている。それに、彼女はすでに自分の宝物を見つけたのだ。それはおまえのことだ。だから、彼女はおまえにも、おまえが探しているものを見つけてほしいと思っているのだ。(p140)

・おまえをオアシスに引き止めたものは、二度と帰って来ないのではないかというおまえ自身の恐れだったからだ。その時、おまえの宝物は永久に埋もれてしまったと、前兆は語るだろう。(p142)

・男が自分の運命を追求するのを、愛は決して引き止めはしないといことを、おまえは理解しなければいけない。もし彼がその追求をやめたとしたら、それは真の愛ではないからだ……大いなることばを語る愛ではないからだ。(p142)

・人は愛されるから愛されるのです。愛に理由は必要ありません。(p144)

・地球上のすべての人にはその人を待っている宝物があります。(p155)

・夢の実現を不可能にするものが、たった一つだけある。それは失敗するのではないかという恐れだ。(p168)
 

Sunday, January 09, 2011

「ソリティア社員」議論について

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最近、MyNewsJapanの渡邉正裕氏がネーミングした「ソリティア社員」(要は窓際族)について話題になっている。昔からいつだって議論されてきた話だと思うが、グローバル経済の中で日本のプレゼンスが相対的に低下している今、あらためて激しく議論されるのは面白いと思うし、ネーミングもいい。

渡邉氏の主張のポイントを挙げれば、

・ノンワーキングリッチとワーキングプアの格差は不条理で、それは良いことではない。
・ソリティア社員が多くいるようだと日本企業の生産性も上がらない。
・雇用・解雇規制が諸悪の根源。

というところ。

Togetter : http://togetter.com/li/84688


議論に加わる/考える人口が増えることはいいことだと思う。今このテーマで本を出されるのもいいと思う。多くの人が関心を持つテーマというのは国も権力者も無視できないから。渡邉氏としては狙い通りではないだろうか。
ただ、大勢での議論の過程で、ポジショントークや感情論だらけになってしまうともはや意味がないだけでなく、嫌な世の中になってしまう可能性もあるなとも思う。はっきり言って「ソリティア社員」はある意味で勝ち組だ。ある意味というのは、努力・労働・時間に対する金銭的なリターンという意味。人によっては「ソリティア社員は所属企業から放り出されたら生きていけないから可哀相だ」なんて言うが、これも実際にはケースとしてそれほど多くないし、彼らだってその気になれば実はそこそこ戦える。一部の識者を除いて、こういう意見のベースにあるのは羨望感情そのものだ。そして感情的な批判は、自分と違う立場にいる人間を揶揄することで自分の状況を正当化しようとする、人間の基本行動。

今、僕自身もソリティア社員か、それに準ずるような仕事をしない社員を少なからず見ることがあるが、本当に仕事をして欲しい場合は変えにいく。それをあきらめた場合にはその存在を否定することなど一切せずに、かまわない。仕事を進める上で彼らが害になる場合には、何か工夫をして引っ込んでもらう。これは一社員としての視点。

「一社員としての視点」と書いたのは、この手の議論は何を視点とするかによって話が変わってくるからだ。それが不揃いなまま感情的に議論してもしょうがない。国なのか、経営者なのか、一社員なのか、就職活動生なのか…。個人的には、経営者の目線で(経営者たちが)議論するところを見たい。

他に、少し危ないなと思ったことが2点。
一つは、分布の否定。もう一つは「ソリティア社員の何を知っているか?」という点。

一つめは、こういう不条理はあってはならない、という意見について。理想的にはそうなのだろうが、どんな集団内にも分布はある。しかもそれは時間とともに変化する。例えば、大企業の新卒採用である程度同じスペックの人間を採用したが、20年後にはかなりバラつきが出る、ということ。これは別に普通のことだ。分布を否定することは自分の足元をも危うくする。日本人だからという理由だけで、こんな裕福な日本で暮らせるということ自体が実はソリティア社員問題に似ている。国が外国人の流入を防いだり、日本語のバリアを作ったり。同じ日本で生まれたのに、ノンワーキングリッチとワーキングプアが生まれている現状は悪だというのなら、同じ地球で生まれているのに、なぜ日本に生まれた人間はリッチなのかも考えなくてはならない。以上は極論だが、ある特定の分布を一概に否定するというのはちょっと危険。

二つめは、僕自身が企業に入ってすぐに気がついたことだが、「社員の数だけ家族があるし、事情もある」ということ。国や経営者の目線でソリティア社員を否定するならともかく、一社員、もしくは部外者の視点で彼らを完全否定するなんて乱暴すぎる気がする。よほどの関係でもない限り、人の人生や家族、仕事外の背景のことなんて知る由もない。オフィスでの振舞いだけをみて何か言うのはおかしい。本来的には仕事をしてもらうべきだが、ビジネスパーソン以前に彼らも僕らも人間。


ともあれ、今後この話題がどうなっていくのかには非常に興味がある。いつも通り、直に収まる、というのではつまらない。何か真っ当な「動き」に変わって欲しいところ。

最後に、別の視点。個人的には、ソリティア社員は外国人投資家が理解しきれない日本株のポテンシャルだと思っている。日本企業が本気を出して生産性を上げることは十分可能。彼らは日本企業が持つ「余力」以外の何物でもない。
 

Monday, January 03, 2011

プロデュースについて

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巷ではAKB48の活躍が目覚しい。というか秋元康の活躍が目覚しい。
細かいことは全く知らないが、それでも彼は名プロデューサーだ。

彼から学んだことは、やはり「シナリオ」は大事だということと、フェーズの見極めについて。

世の中、何が起こるかわからないし、当初の想定通りに事が進むことはまずない。だから、その場その場で問題を解決する能力が大事。これは全くその通りで、問題解決能力は生きていく上で最も重要な能力のうちの一つ。ただ、これがたまに違う文脈で違うメッセージを孕みながら言われるときがある。即ち、何かをするときに、どうせ想定通りに行かないのだから、緻密なシナリオ作りに力を入れるのをやめろ、というメッセージだ。想定通りに事が進まないのは事実なので、時間配分のバランスという意味では一定の正しさはあるのだが、シナリオ作り、机の上での戦略作りは実際にはかなり重要だ。特に「プロデュース」において。

秋元氏は恐らく相当に緻密な戦略をとっている。どのタイミングで何をするかは勿論、予めかなりの精度で現象を想定している。あとはフェーズを見極め、そのフェーズにフィットした打ち手を放つ。フェーズというのが大事な概念で、いつでももてる100%の力を出せばいいというものではない。勝てる戦略の下では、どの段階で何をすれば効果的かがある程度決まっている。ついつい「今」にフォーカスしすぎると戦略的枠組みからはみ出てしまうのだが、そこでぐっと冷静になることが重要。

戦略・シナリオを練ること、そして、フェーズを見極めながら、それを冷静かつ俯瞰的な視点をもって実行すること、これがプロデューサーに求められる重要な能力の一つなのだと思う。

ところで「プロデュース」というのは何もミュージシャンやアイドルだけが対象ではない。例えば、部下や後輩の育成もまたプロデュース以外の何物でもない。あらゆるビジネスパーソンに求められるスキルだ。もっと言えば、子育てもある意味プロデュース(注:個人的には子供は自由に育てたい)なので、多くの人が一生のうちにプロデュース活動を経験する。

では、プロデューサーとして何が必要か?

秋元氏には経験がある。昔「おニャン子クラブ」を手掛けたというだけではなく、彼はAKB48をプロデュースするだけの材料を持っている。だからこそ、戦略が立てられるし、フェーズを見極められる。問題解決能力がいくら高くても、成果を確りと出せる確率という観点では、彼には勝てない。
同じように、僕らも経験値を溜める必要がある。このときただ溜めるだけではダメ。そんなのは誰でもできる。常に、次回は自分が一から戦略を練るのだということを頭に置き、またフェーズの変わり目に対してアンテナを張る。将来の(プロデューサーとしての)頭の使い方から逆算して、自分の経験値を豊かに溜める必要がある。

プロデューサー視点で仕事をすれば、将来のプロデュース活動に活きてくるもの。
くれぐれもプレーヤー視点だけで今の仕事を考えて機会損失をしないこと。自分への忠告。
 

Sunday, January 02, 2011

2011年のはじまり

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明けましておめでとうございます。
細々すぎる更新頻度の本blogですが、今年も宜しくお願いいたします。


ここでは、簡単に昨年の振り返りと今年の抱負を。

▼昨年

一言で言うと、良くも悪くも静かな一年だった。
変化が少ないということは、記憶にも残りづらい地味な一年を意味しており、この点大いに反省必要。多少乱暴な生き方でいいので、もっとリスクテイク、及び「空気を読まない」が必要。
一方で、矛盾しているようだが、変化が少なかったことの一部の要因は確りと「収束」ができたこと。収束は昨年掲げた抱負でもあった。いろいろなものに興味を持ち、首を突っ込んでみる、所謂「発散」過程は必要だし、僕のような人間には楽しいプロセスなのでどうもそれを続けがちだが、発散プロセスは次に収束をもってきてこそ意味がある。この点、いたずらに手を出すことなく、ピントを絞れたのは良かった。それが無理せずできたのは、人生の波の中で去年が収束するには適切な時期だったからだろう。


▼今年

正直なところ、今、ナチュラルに幸福だ。
環境はそれほど変わっていないので、おそらく自分の中で考え方とか生活のスタイルを少しずつ修正していく上で、バランスの良い地点を見出したからだと思う。ただ、何が本質的な要因で今幸福感が高いのか、それをもう少し明確にする必要がある。仮説はあるのだが、もう少し時間がないと核心にはせまれない。
人生の中でこういう瞬間は流れに身を任せるというか、変なことをしないことが大事だと思う。なので、少なくとも今年前半には、自分の人生に意図的な仕掛けを作用させることなく、様子をみてみることにする。過去にあまりなかった感覚なので、消極的と言えば消極的だが、むしろ意識的に「浮遊」したい。

その上で、ほんのり具体的に Things to do を挙げるとすれば、以下2つ。

(1)身辺整理

昨年に引き続き、"simple"を常に意識する。
整理するべきものはいくらでもある。整理ができていない状態を維持することは、時間資源を固定費的に削っているのと同じ。また、成果も出ない。

(2)協同

何か感覚を揺さぶられたり、パッションが湧くような人と協同する。少数でいいので。例えば音楽でも、「すごい」人と一緒に何かをやるだけで揺さぶられる意識や感覚の振幅が違う。精神が中途半端だったりアマな人とはやってもダメ。それには自分の意識のテコ入れから。