Thursday, July 29, 2010

Citibankの仕組預金「プレミアム・デポジット」

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CitibankのHPを見ていたら、
個人のお客様>預ける・運用する
のページに、「プレミアム・デポジット」という名前の仕組預金が大々的に宣伝されていた。
https://citibank.co.jp/ja/deposits_investments/structured_deposit/index.html

「高金利で、積極的な運用ができる商品は?」
「うまくいけば、外貨への交換が高金利で出来る。そんな都合の良い商品ってある?」

などと書いてあり、それに対する一つの答えが、この「預金」であると。
ウィダーインゼリー的な商品イメージを使っていて、何やら「チャージできそう」、とそう見えるこの商品は、副題「為替オプション付仕組預金」だ。

非常に分かりやすい手口のハイリスク商品なのだが、しかし、これをオプションのリスクも分からない多くの人が買ってしまう(実際には売ってしまう)のかと思うと、売り方が悪どい。逆の見方をすれば、これにほいほいと食いついてしまう個人はもう少し金融リテラシを高めるべき。

集客目的の極一部の商品を除いて、基本的に、リスクリターンが素晴らしく良い金融商品などない(逆はあるが)。そんな商品を作ったら金融機関は商売にならない。我々は、自分のリスク許容度に応じて運用方法を考えるのみで、リスク許容度が低ければ、高いリターンなど期待してはだめだ。


この商品は、円資金、または特定通貨の外貨資金を預けて、普通より高い金利を享受するもの。但し、通貨オプションを売らされている。上のスライドは、このうち円資金を預けるタイプを簡単に図解したもの。実際多くの日本人は手持ちが円cashなので、やるならこのタイプだろう。

運用者に与えられた裁量は、預入金額、期間、設定レート、相手通貨、そして預入のタイミングだ。
このうち、volatilityの高い通貨を相手通貨として選び、預入期間を長くとって、設定レートを基準レートからの差額0円に設定すれば、強欲的に高い金利を享受できる。預入金額はリスク元本。預入タイミングについては相場観の問題なので何ともいえない。

ところで、この高金利、そして、商品名の「プレミアム」の正体は、通貨オプション売却に伴うリスクの対価、つまり「オプションプレミアム」。ただ高金利を享受できると思った人や、「プレミアム」という単語から「プレミアム感」を感じてしまった人の金融リテラシはゼロなのだ。

スライドのケースの場合、運用者が売ることになるのは、外貨put/円callのヨーロピアンオプションで、所謂short putという状態になり、黄線のようなペイオフダイアグラムとなる。「設定レート」というのはオプションのstrike priceのことで、これより円高になると、オプションの買い手は権利を行使して、strike priceでの外貨売り・円買いをする。オプションを売らされている運用者にはこれに応じる権利ではなく義務があるので、結局、満期日に設定レートより円高の場合、預けたお金は外貨となって返ってくる。そのときのレートは預入時より円高なので、これをまた円に戻そうとすると、為替差損が発生することになる。しかもその円転レートはTTBなので、さらに手数料を抜かれる。

このような、オプションを売るという行為は、最初にリスクに見合った対価を受け取り、その後は不利な相場にならないことを祈るのみ、という状況を選択することに等しい。不利な相場になったときには、損が発生し、しかも相場によっては限度がない。

先にお金をもらって、将来の無限大のリスクをとる、そういう行為なのだ。

そういう基本的な概念を知った上で、リスクリターンの妥当性については、実際にモデルを使って計算してみないと分からない。有名なブラック・ショールズの発展形である、Garman-Kohlhagen Modelとかを使ってプレミアムの理論値を計算し、通貨のvolatilityと比較したりするのだ。あとは、個人のリスク許容度と相場観の問題。

しっかり考えた上で、リスクを取るのは大いに結構で、そういう意味で、別にこの商品自体は詐欺的でも何でもない。ただ、複雑になればなるほど、金融機関に「抜くとこ、抜かれている」もので、微妙。
オプションの世界はとてつもなく奥が深いのだが、Citiの売り方があまりにも目に付いたので、「さわり」の部分をざっくり書いてみた。
 

Sunday, July 25, 2010

世界報道写真展2010

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先週の話だが、今年の世界報道写真展に行ってきた。
東京会場はガーデンプレイスの東京都写真美術館で、会期は 6/12~8/8
http://www.asahi.com/event/wpph/

50年以上の歴史がある、アムステルダムの「世界報道写真財団」が、毎年世界中の報道カメラマンを対象に実施するコンテストの受賞作を紹介するもの。53回目となる今年は、128カ国5847人の写真家から10万1960点の応募があったらしい。副題は、「ある時代の、地球の記録」だ。

「一般ニュース」、「スポーツ」、「ポートレート」、「自然」など10の分野で審査がなされるが、今回の展示ではそれぞれの分野での入賞作品計200点ほどを見ることができる。ロイターとかAPとかのニュースで、この写真いいなと思うことがあるが、なかなかまとめて見ることはないので、普段とは違った写真の見方ができるかもしれない。

やはり内戦とか飢餓とか、そういったテーマの写真はインパクトがあった。写真というのは恐るべき力を持っているもので、無限に広がる3D風景から一つのカットを切り出し、また絶えず流れる時間軸を一つの面で切ったものだ。その瞬間に何が起きているのか、時として現実以上にメッセージを鮮明に写し出す。
写真家は常に、「そこ」にいるわけで、彼らがどういう心理状態でシャッターを切ったのか、そういうことも考えさせられる。歓喜の瞬間ならまだしも、惨事に直面したときに、第三者として写真を撮るというのはどういう気持ちなのか。その写真に写真家の気持ちがどのように表れているのか。一枚一枚考えさせられる。

また、こういう報道写真展のいいところは、普段僕たちが見ていないもの、あるいは、そういう観点が抜けているものについて、事実を教えてくれるところだと思う。実際に多くの発見があったし、気づいていない視点がたくさんあることを実感した。
個人的に非常に印象深かったのは2つ。
一つは食肉処理場で働く男と牛の写真だ。スーパーに売っている、きれいにパック詰めされた肉だけを見ていると、その肉が、つい最近まで確かに「歩いていた」、「顔のついている」牛のものだということを忘れてしまう。いや、考えないようにしているだけかもしれない。しかし、そこには必ず「その瞬間」があるし、それを仕事としている人がいる。僕らが見ていない「プロセス」の現実性をただ証明する。写真家のそんな意図を感じた。
もう一つは、ジンバブエの人々を時系列的に写した写真。倒れ横たわった象の周りを人々が囲んでいる写真が1枚目。最後にはほとんど骨だけになった象の写真。ジンバブエの経済がハイパーインフレで崩壊しているというのは誰でもが知っている。が、その土地にこんな事実があることを、多くの人は知らないし、わざわざ想像もしない。この写真からは、空間を越えて知らされるニュースや数字の後ろには確かに僕らと同じ現実世界があることを再確認させられる。

どちらかというとショッキングな印象を受けた作品についての感想を書いてしまったが、本展はそれだけではない。とにかく事実と新たな視点、それを得に本展に足を運んではどうだろうか。