Sunday, January 09, 2011

「ソリティア社員」議論について

------------------------------------------------------------------------------------
最近、MyNewsJapanの渡邉正裕氏がネーミングした「ソリティア社員」(要は窓際族)について話題になっている。昔からいつだって議論されてきた話だと思うが、グローバル経済の中で日本のプレゼンスが相対的に低下している今、あらためて激しく議論されるのは面白いと思うし、ネーミングもいい。

渡邉氏の主張のポイントを挙げれば、

・ノンワーキングリッチとワーキングプアの格差は不条理で、それは良いことではない。
・ソリティア社員が多くいるようだと日本企業の生産性も上がらない。
・雇用・解雇規制が諸悪の根源。

というところ。

Togetter : http://togetter.com/li/84688


議論に加わる/考える人口が増えることはいいことだと思う。今このテーマで本を出されるのもいいと思う。多くの人が関心を持つテーマというのは国も権力者も無視できないから。渡邉氏としては狙い通りではないだろうか。
ただ、大勢での議論の過程で、ポジショントークや感情論だらけになってしまうともはや意味がないだけでなく、嫌な世の中になってしまう可能性もあるなとも思う。はっきり言って「ソリティア社員」はある意味で勝ち組だ。ある意味というのは、努力・労働・時間に対する金銭的なリターンという意味。人によっては「ソリティア社員は所属企業から放り出されたら生きていけないから可哀相だ」なんて言うが、これも実際にはケースとしてそれほど多くないし、彼らだってその気になれば実はそこそこ戦える。一部の識者を除いて、こういう意見のベースにあるのは羨望感情そのものだ。そして感情的な批判は、自分と違う立場にいる人間を揶揄することで自分の状況を正当化しようとする、人間の基本行動。

今、僕自身もソリティア社員か、それに準ずるような仕事をしない社員を少なからず見ることがあるが、本当に仕事をして欲しい場合は変えにいく。それをあきらめた場合にはその存在を否定することなど一切せずに、かまわない。仕事を進める上で彼らが害になる場合には、何か工夫をして引っ込んでもらう。これは一社員としての視点。

「一社員としての視点」と書いたのは、この手の議論は何を視点とするかによって話が変わってくるからだ。それが不揃いなまま感情的に議論してもしょうがない。国なのか、経営者なのか、一社員なのか、就職活動生なのか…。個人的には、経営者の目線で(経営者たちが)議論するところを見たい。

他に、少し危ないなと思ったことが2点。
一つは、分布の否定。もう一つは「ソリティア社員の何を知っているか?」という点。

一つめは、こういう不条理はあってはならない、という意見について。理想的にはそうなのだろうが、どんな集団内にも分布はある。しかもそれは時間とともに変化する。例えば、大企業の新卒採用である程度同じスペックの人間を採用したが、20年後にはかなりバラつきが出る、ということ。これは別に普通のことだ。分布を否定することは自分の足元をも危うくする。日本人だからという理由だけで、こんな裕福な日本で暮らせるということ自体が実はソリティア社員問題に似ている。国が外国人の流入を防いだり、日本語のバリアを作ったり。同じ日本で生まれたのに、ノンワーキングリッチとワーキングプアが生まれている現状は悪だというのなら、同じ地球で生まれているのに、なぜ日本に生まれた人間はリッチなのかも考えなくてはならない。以上は極論だが、ある特定の分布を一概に否定するというのはちょっと危険。

二つめは、僕自身が企業に入ってすぐに気がついたことだが、「社員の数だけ家族があるし、事情もある」ということ。国や経営者の目線でソリティア社員を否定するならともかく、一社員、もしくは部外者の視点で彼らを完全否定するなんて乱暴すぎる気がする。よほどの関係でもない限り、人の人生や家族、仕事外の背景のことなんて知る由もない。オフィスでの振舞いだけをみて何か言うのはおかしい。本来的には仕事をしてもらうべきだが、ビジネスパーソン以前に彼らも僕らも人間。


ともあれ、今後この話題がどうなっていくのかには非常に興味がある。いつも通り、直に収まる、というのではつまらない。何か真っ当な「動き」に変わって欲しいところ。

最後に、別の視点。個人的には、ソリティア社員は外国人投資家が理解しきれない日本株のポテンシャルだと思っている。日本企業が本気を出して生産性を上げることは十分可能。彼らは日本企業が持つ「余力」以外の何物でもない。
 

No comments: