Wednesday, April 29, 2009

立場の弱い?投資家?

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今日仕事中に回ってきた記事を引用

~QUOTE~
【原題:Hong Kong Banks Sell Lehman Notes to Mentally Ill】

4月28日(ブルームバーグ):
香港の複数の銀行が、昨年破たんした米証券会社リーマン・ブラザーズ・ホールディングスに関連した証券を高齢者や知的障害者を含む「立場の弱い投資家」に販売していたことが、香港金融管理局(HKMA、中央銀行に相当)の調査で分かった。

立法会の公聴会で28日公開された調査内容によると、複雑でリスクの高い証券が高齢者や知的障害者に加えて、教育水準の低い人々に銀行から販売された102件のケースをHKMAが確認した。

香港証券先物委員会(SFC)が実施し、2月に公表された調査によると、リーマンの香港部門が組成し香港の個人投資家に販売された証券は総額139億香港ドル(約1720億円)規模だった。

【記者:Nipa Piboontanasawat, Kelvin Wong】
~UNQUOTE~

これは酷い。
確かに売り手から見て「売るのが楽」な「カモ」はいる。これが健康で学習もいくらでもできる人たちであれば、まあ仕方がない。金融商品を売るときは売り手側もそれなりに決まりを守らなければならないわけだし(日本なんかはかなり厳しいと思う)、買い手側に落ち度がないとも言えない。
しかし、相手が高齢者や知的障害者となると、フェアではない。

根本的な問題でもある。よほどの悪魔である場合を除いて、売り手も人間だ。会社や彼自身や彼の家族を守るためにどうしても売らなくてはいけないという状況に追い込まれ、葛藤の末、罪悪感を感じ実行する。そして麻痺したりもする。この短いニュースだけを見れば誰しも憤りを感じるのだろうが、そもそも損得の発生するほぼ全ての取引において、こうした人間の根源的な性質に関わる問題は生じる。何も、複雑な金融商品を弱者に売ったという極めつけな例でなくても、ちょっとした損得感情というのは人間が本来普通に持っているものだ。

しかし、その損得が著しく不当に生じうる場合は、それが起きぬよう、弱者を制度で守らなければならない。そもそも「立場の弱い投資家」なんていうのは全くおかしい。立場が弱かろうと何だろうと投資活動を行う権利はあるわけだが、投資というものがどういうものか考えれば直ぐにその違和感に気づくはずだ。何故、"弱者"と"投資"が結びつくのかと…

仕事の仕方、作り方、お金の稼ぎ方…
苦しいときこそしっかりと自分を律するのがいいのかもしれない。
 

Monday, April 20, 2009

xxとyyのあいだ

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①生物と無生物のあいだ <福岡伸一>

一月程前に読んだ本。何と今更。
世を賑わせた当時、何人もから内容を聞いてしまっていたために、わざわざ買って読む気をなくしていたのだが、春の自己紹介シーズンに向けてちゃんと読むことにしたもの。バイオ系の出身だというと、大体この本の話になる。あまりにも売れすぎた本ゆえ、職場でもかなりの人が読んでいて、その流れは避けられない。ならば読んでおこう、という不純な動機。

しかし結果として読んで良かったなというのが正直な感想だった。
DNAとかアミノ酸にときめいた中・高生のころの感覚が懐かしくも蘇ってきて、時間感覚の不思議な錯綜を感じずにはいられなかった。こういう本はやはり面白い。パラサイト・イヴやリングシリーズもそうだった。ストーリーとスピード感を伴ったバイオ。
結局、リアルな研究現場と研究者としての生き方が、描いていた像とはだいぶ異なるものだったことを知り、早々に方向転換することになったが、今でも興味はある。素直に面白いと思える。

サイエンスの一部分を新書という形式で描いた本書がこれほどまでに売れた理由が著者の類稀なる表現力、ストーリー構成力であることは論を待たないのだろうが、それにしても何だろう、このテンポ感は。本書の内容は実際、結構難しいものだが、多くの人は何となく「わかった」のではないだろうか。僕が読みやすかったのは何もこの分野の知識を持っているからだけではないだろう。
残念なことに本書が本質的に(表現力とかを超えたところで)なぜこんなに不思議な読みやすさ、わかり易さを生み出しているかは、僕にはさっとの一読では分からなかった。ただ、文を書く際に非常に参考になる本だということは分かった。また読みたい。

ちなみに、『冷静と情熱のあいだ』は好きです。福岡さんもきっと好きなんだろう。自著のタイトルを嫌いな小説のタイトルには似せまい。


②株式会社の基本 <柴田和史>

新会社法の基礎がコンパクトに纏められた本。
僕は以前、ビジネス実務法務検定2級なんて試験を受けては見たものの(一応合格)、法律にはかなり疎い。そして嫌いな分野だ。子供染みてはいるが、法律とかルールとか、そういう縛りがたまらなく嫌だ(もちろん法律のおかげで守られているし、生きれている)。
しかし、会社をやる場合や、起業こそしなくても経営者目線で仕事をするにあたっては法律を知らないわけにはいかない。知らぬうちに法律違反で捕まってしまった、なんてこともザラに起こりうるということが分かってきた。ビジネスの世界より法律の方が高いところにあるので当たり前といえば当たり前だが…。
株式会社に関する法律だったり基本的な仕組みを知らない人にとって、本書は非常に費用対効果の高い一冊になると思う。レベルも平易で、一冊読めば何となく会社のことが分かるようになる。ニュースを毎日見て断片的な知識を繋いでいってももちろんいいが、こういう本も悪くない。
 

Monday, April 13, 2009

体に変化があったなら

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4月だというのにインフルエンザにかかった。所々でしぶとくB型が流行っているらしい。
おかげで仕事を3日半も休むことに。異動に伴う「引継ぎ/引継がれ」の忙しい時期でもあるので3日半はあまりにも痛い。仕事が溜まりに溜まっている。おまけに薬とポカリ漬けの日々で弱った胃に、この時期の頻繁な歓送迎会は辛い。

事の始まりも歓迎会から帰った夜。酒のせいでフラつくのかと思いきや39.3℃。体温計を見て酔いが覚める。翌日町医者に診てもらうが、インフルエンザ検査の結果は陰性。解熱剤と抗生物質を処方される。
さらに翌日、解熱剤を3度飲んでも38度以下に熱が下がらない現実に違和感を感じ、少し大きな病院へ向かった。経過を話し、再度インフルエンザキットで検査をしてもらうがまたもや陰性。至れり尽くせり色々な薬を出してもらい帰路につくが、何か嫌な予感がしていた。薬は違えど相変わらず解熱剤と抗生物質のコンビ、やはり効かない。ちなみにもちろん安静にしてひたすら寝ていた。
一向に治らない中、同僚が何人かインフルエンザの診断をされたという事実を受け、自分もインフルエンザであることを確信しながら翌日再び医者に検査をせまる。3日連続で医者にかかるとは嫌な患者だ。
しかし予想は的中した。かなり密に採った体温データと薬の服用記録、さらに同僚がインフルエンザだという事実をひっさげてせまる僕に嫌な顔をしていた医者は、検査後急に申し訳なさそうに、インフルエンザにも関わらず検査キットで陰性が出てしまうケースについての講釈をたれた。可能性は2つ。ウイルスの増殖が足りなかったか検査する医者の技術の問題。おそらく後者であることを咎めても仕方がないので大人しく抗生物質ではなく今度はウイルスの増殖を止める薬をもらって家路についた。今回はグラクソのリレンザ。

今回のエピソードはしかしどんな病気においても普通に起こりうることだと僕は考える。
勝手な予想でしかないが、多くの医者の診察では100%の力が発揮されていない。医者は短い診療時間で限られた情報をもとに、自分の知識・経験へアクセスし診断を下す。そして1日に数多くの患者を診る。パレートの法則のイメージそのもので、短時間で"大体"ちゃんとした診断を下す。
しかし時にもっと時間をかけて良く考えれば見落とさないであろうことも見落とすことがある。これは供給できる医療の量が限られた中でできる限り多くの人を助けようとするのだから構造上ある程度致し方ないことだが、やはりそれが自分に当たってしまうと普段以上に考えてしまうものだ。
よく言われることだが、患者側はもっと医学に関するリテラシを高めるべきだと思う。自分の体を医者に任せきりではどうしようもない。24時間自分の体をモニタリングしているのは紛れも無く自分なのであるから、少なくともデータの取得には努めるべきだろう。素人判断は危険だが、それは医者に全てを任せたほうがいいということと同一ではない。自分はデータを提供する。医者はそれに基づいて判断を下す。これが基本的で最も成功率の高い事実の検証方法ではなかろうか。

特に理系の性というわけでもないが、僕はそのような考えの下、怪我でも病気でも、体に何か異変が起こった際にはデータをとることに努めている。薬の服用記録、体温の定期的な記録はもちろん、見た目や感じ方の変化も時系列で記録していく。特に五感で感じる変化というのは記録が必要だ。人間の記憶は非常に曖昧な上、感情にも左右されやすいからだ。客観的な事実としてのデータが重要なのだ。記録をつけることは簡単だ。何も労はいらない。医者に正しい情報を提示することは名医に出会うよりももっとベーシックで効果的な方法だろう。これまで意識したことがなかったという方は実践されたし。
医学に関するリテラシを個人が高めることは重要で、もっと意識するべき。ただ、事実を記録することはもっと重要。