Sunday, November 16, 2008

時間について Ⅱ

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【Introduction】
前回のentryではリソースとしての時間、お金との交換能といったところに触れたが、今回はその続きとして時間の投資というものを考える。ビジネスパーソンが自己投資に励みなさいという内容の本を読みつつ、自分の持っている時間で何をしようか考えるという光景はたぶん世界中のどこでも見られる。別にビジネスパーソンに限らずとも、人間はみな未来のために何かをやって何かをやらないというような「選択」を日常的にしながら人生を営んでいる。
ここでは「自分の時間を何かに投資する」という表現を、「何かの目的、目標のために今の時間を使って何かをする」というニュアンスで用いることにする。例えば、グローバル化が一段と進んだ未来を見越して今英語を勉強することに時間を使うというのは時間の投資。一方で、今何となく音楽が聴きたくなって、1時間程他に何もせずに音楽を聴いたというのは投資ではなく、ただリソースとしての時間を音楽を聴くという行為のために消費しただけ。

自分の持っている時間というリソースをどのように使うかは自由で、時間の「消費」によって人間は幸せを感じることが多い。これは普通、我慢してやるようなことではないからだ。一方で、時間の「投資」は必ずしも人間に幸福感を与えない。例えば将来のために勉強するという行為を通して自分が成長していることを実感し、嬉しく思える人は幸せで充実した時間を過ごしていると言えるが、嫌々やっていた上、投資に見合う結果が何もでなければその時間はその人にとって幸せを生み出すような性質のものではない。「投資」というのは100%リターンが得られるものではなく、全く無駄な投資になってしまうこともある。未来に結果がわかるものなのだから当たり前だ。米国会計基準の勉強を何年もしていた人にとって、世界が全く違う会計基準で統一されてしまうということが起きれば、それはそれは複雑な思いだろう。

人間に与えられた時間は物理的に有限なので、何に時間を使うかというのは人生のメインテーマで、迷うところなのだが、僕は次のような時間の投資は絶対にしたくない。

「(先輩に言われたからor本に書いてあったから…etc)とりあえずそれをやっておこう。」

意思の欠如した時間投資だ。人に勧められた、本に書いてあった…という理由で面白くないのを我慢して自分に「いつかの未来のため、将来のため…」と言い聞かせて本当にやりたいこともやらずにする時間投資。目的もなく、将来何かのプラスになるだろう、とりあえずやっとこうというスタンスで時間を投資することほどの時間浪費はないのではないかと思う。それならまだ一日中好きなようにぐーたらして瞬間瞬間の欲求に忠実にネコのように生きる方がよほど人生トータルでは幸せだと思う。(これは比喩です。実際のネコの気持ちはわかりません。昔飼ってたけれども。)

【時間の現在価値】
僕は「今を生きる」を軽視し、「将来のため」を重視し過ぎる風潮、環境には疑問と危機感を感じている。「今この瞬間が大事」と言ってきかない若者に対して大人が「何を言っているんだ、好きなことばかりやっていないで将来のことを考えろ」と言うのはよくあるケースではなかろうか。時間を豊富に持つ若者に対してよくわからない時間投資を無責任に強要するのは、金持ちにリスクのわからない変な金融商品を買わせることとそう大差ない。
賢明な大人であれば、過去と未来の境界が「今」なのではなく、実際には「今」しか存在していないことをもっと認識すべきだと思う。「今」の時間こそ最も大事で最も価値があるのだ。

ファイナンスは現在から未来のお金について考えるものだが、その核となる考えは、お金はいつのものかによって価値が違うということだ。今の100万円と20年後の100万円じゃ価値が全然違うという具合に。価値の違いを生み出しているのはリスクであって、未来のお金をリスクを考慮して現在の価値に換算したものがいわゆる現在価値というもので、お金の投資をする人たちはみな必死になってこの「見積もり」をする。ところがお金の現在価値には頭が回るのに、時間の現在価値については全く考えない人が非常に多いと感じる。僕の周りだけだろうか。
老後に楽して好きなことをやって暮らそうとして、今「つまらない、苦しい、あと20年」とか思いながら働いたり、いつかきっと役立つと言われるがままに、自分の意志なくつまらないと思う勉強、仕事に時間を投資したり…。こういう時間の使い方をしている人はちょっと立ち止まって考えた方がいい。未来の24時間は決して今の24時間とは等しくないということを。
僕はこの歳にしては人の死の近くにいたことが多いと思う。同級生の訃報も既に聞いている。そして死ななくても、障害をもったり、病気になったりというケースは往々にしてある。だからかもしれないが、将来自分に今と同じ質の十分な時間が確保されているとは到底思えない。リスクがあるのだから、その分未来の時間は現在価値に換算すると少ない。特にビジネスパーソンは自分の持っている時間が「リスク性資産」であることをあまり認識できていないように思う。毎日元気な人ばかりの職場に、元気な人ばかりが移動する通勤時間帯の電車に乗って行き、元気な人が書いたビジネス書を読む。これでは無理も無いのかもしれないが、実際には人間はいつか死ぬ生き物であるし、簡単に病気にもなるし、障害も抱える。社会の変遷に伴ってますますそういうことが普通なものとしては実感できなくなっているのだ。

もう一つ大事なのは、たとえ健康に20年後をむかえられたにしても、今の時間と20年後の時間では「質」が違ってしまっていること。お金の場合、よほど経済や社会が壊れない限り、多い少ないの価値は変わるが将来も同じ機能をもっている。ところが、時間の場合、長い短いという価値の変化に加え、質も変化する。20歳でできることと60歳でできることは違う。そういう意味でも「今」の時間をどう使うかは非常に大事で、将来の時間と安易にスワップをしてしまってはいけないと思う。
「今」という点の集合こそ人生であり、どこまで点を打てるかはわからない。線(人生)が先にあって、その中に点(自分の今の位置)があるわけではないというのが僕の感覚だ。

【では時間をどう使うか】
結局のところ、強い意思による選択を繰り返し、「今」を充実させる、幸せを感じるということがトータルで幸せだと言える人生を作ると思う。自分の人生を作るのは自分。流されてはいけない。

だらだら書いたためにかなり非構成的な駄文になってしまったが今日も自戒シリーズなのでよしとします。さて来週から気を取り直して、もっと"want"に忠実に生きよう。冬ボーナスも近いが、サラリーマンマインドセットに毒されてはいけない。



モモ <Michael Ende>

*『モモ』の世界では、時間貯蓄銀行に節約した時間を預けると、5年で2倍になると灰色の男が言っていた。かなりの利率。14.8%ぐらいか。 時間っていうのは相当なリスク性資産だということだね。

*灰色の男たちに占拠された街では子供たちが以前のような創造的な遊びをしなくなり、「将来のため」という理由で勉強ばかり。大人が変わってしまったことによる被害者。子供の人生にも多大な影響を及ぼす大人に対して「しっかりしろ」というエンデのメッセージが至る所に散りばめられている。
 

2 comments:

Anonymous said...

俺も同じようなことずっと俺も考えてた!人生と幸福観。そして俺もそれはかなりの範囲に有効な考え方だと思う

でも最近気づいたのは、その幸福見積もりは非常に危険だってこと。てのも時間を金と同じように投資源ってカテゴリでくくった時その価値は(金と違って)一元的じゃないから。

金を投資したリターンは金額の多寡でしか判断できない(のが一般的。もち環境保全とかは別)だけど時間はそうじゃないやん。時間を投資した場合に同じ過ごし方をしてもその投資者が視点を変えることでその価値は変わるわけだし。俗に言うパラダイム転換をすることで価値0に等しい時間投資も貴重な時間になるよね。客観的なリターンはない、レオも言うとおり。

だから、これにこれだけの時間を費やしたら、結果こうなってこうなる。みたいなシステマチックな考え方は時間に関してはあてはまりにくいと思うわけよ。むしろその見積もりをすることよりも、過ごしている時間に意味を見出すこと(例えばモラトリアムな時間から何か気付きを得ようとすること)、もしくは意味はあるけど退屈な時間に幸せを感じようと務めること(金持ちだがブサイクな彼女を好きになろうと務めること)の方が大事だと思うんだ。モラトリアムだから意味がない時間、好きじゃない女だから一緒にいても不幸せ。そう考えて時間の過ごし方による最大幸福を見積もるよりも、そもそもの価値観をひっくり返すことに務めることの大事さ。金で例えれば通貨価値をひっくり返すような行為だよね。

幸福感は自分の中にあるものだから無限大に生み出せるし、また、一元的には意味のない時間を別次元から見ることで意味を見出すこともできる。そしてそれらは自分自身が時間に対して多元的な視点を持つことでやっていけると思うんだよね。

何かめっちゃ語っちゃったけどヒトのブログで笑 でもレオが前言ってた「正しい選択をすることよりも選んだ選択を正しくすることに努力しろ」ってやつだと思う

いやー今度飲んだらまたそこら辺も語ろうぜ!

Leolio said...

>幸福感は自分の中にあるものだから無限大に生み出せるし

少なくとも、ただあるだけの金やただあるだけの物理的な時間によってだけでは真の幸福はもたらされないだろうね。
自分次第なんだよな、ほんと。

「正しい選択は何かとあれこれ考えるより、自分がした選択を正しかったといえるものにできるような努力をしろ」ってのは俺も又聞きの又聞きぐらいで得た言葉だよ。

自分の未来に対して今出せる「解」なんてないんだろうな。


なかなかスケジュールが合わないけど、早急にノミーティングだな。