Sunday, May 23, 2010

サウンド・スペース・コンポーザー

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見えないデザイン サウンド・スペース・コンポーザーの仕事 <井出祐昭>

題名を見たとき、「これだ!」と思った。
興味ど真ん中の1冊。著者の井出さんは、空間に音を入れていく、たぶん日本にそう多くはないであろう、サウンド・スペース・コンポーザーだ。例えば、表参道ヒルズで聴くことができるあの微かな音、ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTの音、JR新宿駅の発車音…そうした音を創っているのは誰なんだろう、とふと考えたことはないだろうか。僕は音の持つ可能性についてかなり信じている方で、街に溢れている音にはもちろん、それを組み立てていくような仕事にも興味があった。本書は、第一線で音のある空間を作っている著者の視点を感じ、今までと違った角度でそうした空間を味わえるようになる、入り口のような1冊だ。

読んでみての感想は、圧倒的にプロだな、ということ。正直ここまで考えて創られているとは思わなかった。既存の音源を、何かソムリエのような感覚で空間にマッチさせているのでは、と思っていたら大間違いだった。普通の人の無意識のレベルで響く音、心地良くさせる音、それがとんでもない時間をかけて仕込まれている。そのコストたるやすごいのだろうが、コストをかければここまでできる、こだわれるというところに音の持つ可能性を再認識した。

著者は、以下のようにも述べている。

「その空間にいる人や動物や植物に、できるだけ深いところで幸せ感を感じてほしい、というような想いがあって仕事をしているようなところがあるんです。」(p69)

こういうマインドがないと、本書で読むような、地味で果てしないtry&errorはできないかなと。


著者による「音楽」の理解も面白い。

「精神的な満足感には、それこそ"ご飯からから悟りに至るまで"さまざまなものがあり、その度合いは、深さや高さ、奥行きで測られるように思います。時々私は、自分の行動や判断の基準となっているのは、結局はこういった心の満足感で、物欲、所有欲のような一見"精神的"ではないように思える欲求も、精神的満足感を代替しているのではないか、と思うことがあります。いずれにしても、音楽にこのような広く深い精神的ニーズがあるのは、人間の心の中には、アプリオリに、音楽に代表されるような精神的属性があるからではないか、そして、それを音楽が満たしているからではないか――。私は音楽がある理由を、そのように思っています。」(p207)

僕も、音というのは、人間(動物や植物も)にとって極めてに基礎的な、本源的な要素であるように思うし、その追究には何らかの形で関わっていきたい。


著者の仕事の面白いところは、音を単独で捉えるのではなく、"認識"の大きな枠組みの中で、考えている点だろう。空間認識と音認識、それは確かに、決して独立して人々の心に作用するものではないだろうし、(何らかの制約が与えられたとき)これを切り離してしまうというのは、実は非常に不自然なことなのだと思う。文明によって分断された要素を自然な形に帰していく、そんな営みがこれからは面白いような気がする。


最後に、以前友人に教えてもらった、デザイン・エンジニアリング・ファーム"takram"が本書の中で紹介されていて、やっぱりな、という気がした。すごい面白い活動している会社です。只者ではない。

takram:
http://www.takram.com/view.html
 

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