Thursday, May 29, 2008

光学迷彩理論?

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かなり時代に乗り遅れてしまった感があるが、数か月ほど前に「光学迷彩」装置の可能性が証明されたらしい。(論文:February 11, 2008)
光学迷彩というのは、物体があるのに肉眼では確認できないというやつだ。「どこでもドア」と「光学迷彩」は多くの人が夢見る一大テーマだが、実現可能性のレベルが直感的にも違いすぎる。ゆえに先に後者が可能になると思っていたが、これほど早く証明されるとは…

科学の世界で「理論的に可能」ということは意外に大事で、実際にモノが作れなくても0を1にするという意味で重要なステップだ。あとは要素・ロジックの掛け算ができるので1は比較的容易に100にでも200にでもなる。「理論的に可能だが非現実的だ」というフレーズの中の「現実」は今の時点での現実であって、それは往々にして実現可能性を高める方向へと進化する。そうしていろいろなテクノロジーは生まれてきた。
今回発表された理論もまだまだ実現及び実用化というレベルには程遠いものではあるが、期待値が大幅に上昇した。

さて、そんな理論を発表したのは富山県立大学と University of St. Andrews 及び、公立はこだて未来大学の研究者3人。(T. Ochiai, U. Leonhardt and J.C. Nacher)

Journal of Mathematical Physics に掲載された論文
http://arxiv.org/PS_cache/arxiv/pdf/0711/0711.1122v2.pdf

それをだいぶ易しくした記事
http://techon.nikkeibp.co.jp/english/NEWS_EN/20080418/150685/?P=1

はっきり言って難しいです。何が何だか。

簡単に言えば、隠したいオブジェクトの周りにこの装置をかぶせると、その隠したいオブジェクトの後ろにあって本来であれば見えないはずの風景が「普通に」見えるということ。その装置 "Perfect Invisibility Devices" は屈折率が負の値になるメタ物質(左手系メタマテリアル)をはじめ、5種類の媒体を組み合わせたもので、この巧みな組み合わせによって光を曲げることができるらしい。そもそも屈折率は負の値になり得たのか…



Perfect Invisibility Devices のおかげで、隠したいオブジェクトの周りを光が迂回していくというわけ。

この理論でポイントとなるのは3つ。

①各媒体の境界で光の反射が起こらないこと
②遠方を通過する光に対して,媒体を通過した光に位相遅れが出ないこと
③光が装置に近づく前と装置から遠ざかった後で光の方向に変化がないこと

①~③を同時に満たした設計であるため、画期的な理論なのだ。
これだけ迂回させておいて位相の差をなくすというのは素人目にも凄い。


可視光の波長全体に対応するメタ物質の開発やコンパクト化など実現にはまだまだ大きなハードルがあるが、とても楽しみだ。透明マントや透明スーツとまではなかなか難しいだろうが、透明シェルターなら僕が生きているうちに実現するかもしれない。


<abstract>
  The aim of an invisibility device is to guide light around any object put inside, being able to hide objects from sight. In this work, we propose a novel design of dielectric invisibility media based on negative refraction and optical conformal mapping that seems to create perfect invisibility. This design has some advantages and more relaxed constraints compared with already proposed schemes. In particular, it represents an example where the time delay in a dielectric invisibility device is zero. Furthermore, due to impedance matching of negatively refracting materials, the reflection should be close to zero.
  These findings strongly indicate that perfect invisibility with optically isotropic materials is possible. Finally, the area of the invisible space is also discussed.
 

Saturday, May 24, 2008

鳥の巣 ~Herzog & de Meuron~

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中国が地震で大変なことになってますね。
放射性物質の漏れも非常に気になるところ…

北京五輪関係でも一悶着、二悶着あり、さすが中国という感じだったが国がこれだけ大変な中で五輪ボイコットでも起きようものならさすがに可哀想。
無事乗り切れることを願います。

ところで、上の写真はそのオリンピックのメインスタジアムとなる Beijing National Stadium の模型。「鳥の巣」の愛称がついているこのスタジアムは Herzog & de Meuron の設計。
どちらかと言うと僕はオリンピック開催自体より、このスタジアムの完成の方に興味がいっている。

   Beijing National Stadium 建設中?

Herzog & de Meuron はスイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH Zurich)で共に建築を学んだ1950年生まれの2人(Jacques Herzog と Pierre de Meuron)からなる建築家コンビ。同窓の仲間と事務所を持つっていいですね。
Herzog & de Meuron の建築の特徴は何と言っても「表層」表現にあって、比較的簡素な造形に表層の味をプラスすることで独特の世界を生み出している。建築界では超有名人だが僕は結構造形・構造重視の建築が好きなこともあって、あまり注目はしていなかった。ただ、ドイツW杯の会場ともなったミュンヘンの Allianz Arena には当時強烈な刺激を受けたのを覚えている。今回もどでかいスタジアムということでどんなものができるのか(できたのか)非常に楽しみにしている。よってスタジアムの全貌を捉えるであろう五輪開会式は必見です。

以下、Herzog & de Meuron の建築。

   Allianz Arena

         ご存知、プラダ・ブティック @青山

   Laben Dance Centre @UK

   Helvetia Headquarters @スイス

こんなオフィスで仕事したいものです。
 

Sunday, May 18, 2008

サブプライム・カーボン・アセット

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3ヶ月ぐらい前のものだが、アル・ゴアの最近のプレゼンの中で面白いフレーズが出てきた。
以前の entry で書いた竹村氏の講演の中でも少し触れられていたし、今後 key word になってくるかもしれない。

以下の映像が、ゴアのプレゼン。相変わらず素晴らしいプレゼンで面白い。


<partⅠ>


<partⅡ>


<partⅢ>

partⅡの真ん中あたりで、こんなフレーズがある。

There are a lot of great investments that you can make.
If you are investing in "tar sands" or "shale oil", then you have a portfolio that is crammed with "subprime carbon assets".

まさに言い得て妙とはこのことで、現象を的確に捉えているとともに投資家に対してかなりのインパクトを持つ表現となっている。さすがゴア。
今、排出権取引は国家レベルでなされているが、将来的にはもっと企業や個人に落とし込まれるだろう。そうなるとビジネスをする上での炭素排出量が大きな意味をもつことになる。メーカーのコスト計算もだいぶ変わってくるだろう。B/S や P/L に炭素排出関連項目が盛り込まれるようになると、いよいよ投資家にも影響が及ぶ。
炭素を大量に排出する企業もお金がなければビジネスはできない。ゴア氏が投資家にこのようなプレゼンをすることで、企業は「炭素排出体質」を改めざるを得なくなる。資本主義を利用した賢いアイデアに脱帽です。
近い将来、マーケットが激動するかもしれない…


こちらもご参考。(abc news)
Gore Warns on 'Subprime Carbon' Industry
http://abcnews.go.com/International/WireStory?id=4293939&page=1

 

Monday, May 05, 2008

BAUHAUS

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バウハウス・デッサウ展に行ってきた。
BAUHAUS experience , dessau

2008 4/26 - 7/21
@東京藝術大学 大学美術館

展示HP : http://www.bauhaus-dessau.jp/

藝大美術館HP : http://www.geidai.ac.jp/museum/


BAUHAUS は1919年、ドイツのヴァイマールに設立された造形芸術学校で、美術・工芸・写真・デザイン等と建築に関する総合的な教育を行っていたが、1933年、ナチスの台等によって閉校を余儀なくされた。
その短い歴史にも関わらず、75年経った今でも、世界中のデザインや建築に多大な影響を与えている。

本展は、BAUHAUS の歴史の中でも、デッサウに拠点があった頃の活動を主に取り上げている。
デザインや工芸、建築といったものは大好きな僕であるが、バウハウス・デッサウ財団のコレクションがこれほどの規模でドイツ国外に出て紹介されるのは世界でも本展が初めてということもあり、展示が始まってすぐに足を運んでしまった。
"ド"ストライクかつ大満足な展示だった。興味ある方は是非足を運んでくださいな。


BAUHAUS の活動方針や理念で最も印象的なのは2つ。

①「 芸術+合理主義・機能主義=新しい"工芸" 」という方針
②「あらゆる造形活動の最終目標は建築(バウ)である」という理念

①について
今でこそ、私たちの身の周りには、オシャレで機能的なものが溢れている。インテリアショップに行けば、プロダクトをそういう趣旨で作っている会社の商品が置いてあることが分かる。つまり、陶芸家や彫刻家といった芸術家ではなくて、会社が普通にそういったプロダクトを世に出しているのだ。大量生産で。
これは実はすごいことで、昔は芸術と工業(合理主義、機能主義の存在)は完全に分離されていたのだ。今私たちの生活の周りにオシャレなプロダクトが溢れているのは、BAUHAUS ありきかもしれない。

②について
これは BAUHAUS の創設者で最初の校長ヴァルター・グロピウスの言葉。
芸術と技術は最終的には、生活機能の総合場である「建築」に行き着くという発想。
4つ前の entry の Harry Seidler も BAUHAUS の理論を表現できる建築家の一人であるらしい。


展示は3部構成で、当時の時代背景→バウハウス・デッサウの教育→建築 という順に展示がなされている。当時の BAUHAUS の教授陣が何を教え、学生はどんな様子で造形活動をしていたのか、そしてそれが今にどう繋がっているのかが非常に分かりやすかった。
BAUHAUS で学びたい…

かなりじっくりと鑑賞し、同館で行われている「芸大コレクション展」(日本芸術に BAUHAUS がどう影響したかもわかる)も観たため、非常に疲れた。さらに、 time over で、もう一つやっていた「工藝考」というこれまた僕が好きそうな展示が見れなかった。残念。
まあでも本当に大満足の1日でした。


BAUHAUS dessau の HP : http://www.bauhaus-dessau.de/

ついでに、上野公園の周りでおもしろい家があった。


こういう「でっぱり」、嫌いじゃないです。
そういえば、通ってた大学も「でっぱり」つきの建物があったな…
 

Saturday, May 03, 2008

竹村氏の講演を聴いて

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少し前だが、京都造形芸術大学教授の竹村真一氏の講演を聴く機会があった。
テーマは環境問題について。

日本版アル・ゴアではないが、多くの写真入りスライドを交えての講演で、いろいろ記憶には残っているが、そのうち何点か備忘録として記しておきたい。


「平均」することの怖さ

例えば地球の平均気温が0.6℃上昇したと言われてもあまりピンとこないのだが、平均で0.6℃も変わっているとき、極地(北極とかヒマラヤとか)では5℃も6℃も変わっているという。
こういう事実を言われると、あんなに氷があるところで5℃も6℃も気温が上昇したら大変だ!と思うのだが…。
世の中「平均」でものごとを捉えることは言うまでもなく多い。マクロなものの捉え方をする際には平均という指標はかなり使いやすいものなのだが、人間はどうもこの値に惑わされて最大・最小値や分布といったものを考えずにすませてしまうことが少なくない。環境問題に限らず、この点留意しなければならない。


汚れた雪のメカニズム

アルベド(albedo)というものをご存知だろうか?
Wikipedia から引用すれば、

『天体において外部からの入射光エネルギーに対する反射光エネルギーの比をいう。反射能(はんしゃのう)ともいう。一般的には地表面が太陽の光を反射する割合のこと。反射率。単位は百分率、あるいは割合(0 - 1)である。
天体の反射率は大気がなく雲もない月は7%程度である。雲におおわれた惑星のアルベドは高く、白い雲のアルベドは70%程度である。
また、表面が雪氷に覆われている場合 (極地など) 、アルベドは80%にも達する。このため地球の熱収支において、雪氷域は単なる冷源としてだけでなく、太陽エネルギーの吸収率にも大きく影響する。例えば、地球が寒冷化し雪氷に覆われる面積が増えると、さらに寒冷化が加速されると考えられる(スノーボールアース)。
また、地球の赤道付近のアルベドは20 - 30%程である。逆に、温暖化によって雪氷が減る事は、さらなる温暖化の加速に繋がると考えられる。』

地球トータルの熱収支を考えるとき、氷雪に覆われた極地の役割というのはことのほか大きい。
これをふまえると、大気汚染が温暖化に結びつくというメカニズムが見えてくる。
すなわち、大気汚染によって氷雪の表面が汚れるとアルベドが低下するため熱吸収率は上昇し、地球温度が上昇するというメカニズムだ。
氷の汚れが温暖化に影響するとは…
白く見えるものは光を反射し、黒く見えるものは光を吸収しているということなど中学生でも知っていることなのに、こんなメカニズムに今まで気づかなかったとは何とも情けない。


人類社会の脆弱化

竹村氏は、現代の人類社会は過去に比べて、暮らし方を考えても、地球人口の増加を考えても脆弱になったと言う。例えば、都市はかつて自然の驚異から人類を守るためのシェルターの役割を持っていたが、今では逆に危険要因であると言うのだ。
過去の長い歴史の中にも地球の気候変動はあったが、それを乗り越えてきた背景には、状況に応じて文明を変化させたという事実がある。現代の人類社会はこの点で非常に弱く、これからは「変動」を前提とし、それに同調してゆくロバストな都市文明思想が必要だと同氏は説く。

地球という星に住んでいる小さな生き物である人間が傲慢になってはいけない。地球が人間に合わせるのではなくて、人間が地球に合わせるべきであって、これは文明が存続するための基本的発想なのだろう。


エネルギーは本当に不足しているか?

結論から言えば、太陽からのエネルギーは現在の地球需要の1.5万倍もあるらしい。
今は供給されたエネルギーを人類が使いやすいものに変換するインフラがないだけのこと。
ソーラーエネルギーに限らず、風力だってバイオマスだってとどのつまりは太陽からのエネルギーを利用している。今後はこの(無償に近い)エネルギーの利用方法を加速度的に模索していかなければならない。

ちなみに、化石燃料使用は「昔の」太陽エネルギーを現在になって使っているということに他ならない。

しかしそうなると、またミクロな視点に戻ってしまうのだが、国土の広い国はこれからの時代強くなっていくかもしれない。太陽エネルギーの受け取り方というのは、これから進歩してゆき、今では考えつかない様な技術も生まれるのだろう。そのとき、やはりもととなるエネルギー享受量というのは重要になってくるはず。正確に言えば、面積が広いだけではだめで、日照時間なども考えて総合的に太陽エネルギーの恩恵を受け取りやすい国が経済的にのし上がってくるだろう。
BRICs , NEXT11 ときて、もしかしたら次は太陽エネルギー享受にポテンシャルを持つ国々が経済的に注目されるのかもしれない。


food mileage.com

フードマイレージというのはご存知?
海外の遠くから輸入した食糧というのは、輸送の際に CO2 を大量に発生させているため、近くの国産食糧の方がエコだよ。という発想。
以下参照。

HP :  http://www.food-mileage.com/index.html
 

Friday, May 02, 2008

死神の精度

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死神の精度 <伊坂幸太郎>

毎度ながら、伊坂作品は何だか素朴。そして軽くていい。
本作品も伊坂ワールド全開で、6つの短編が「死神」をハブとしてうまくまとまっている。

死ぬ候補者として選ばれた人間を7日間調査して最終的に「死」か「見送り」かを決める役割を担っているのが本作品の主人公の死神だ。
6つの短編は、そんな死神の一人である「千葉」とそれぞれの候補者とで繰り広げられる短期間のストーリーを描いたもの。一つ一つのストーリーはどれも面白い。ただ、それ以上に1冊を通しての全体感というかバランスが良くて、読み終わったときにすごく清々しい気分になる。伊坂作品は往々にしてそうだ。

人が恐れ、悲しむ「死」、しかし必ず訪れる「死」。
これを非日常的な視点で、かつ軽いタッチで多角的に見せられることで、人生について考えずにはいられなくなる。
伊坂幸太郎自身のことはあまり多く知らないが、いろいろな作品を読んでいて思うのは、著者は何気ないものに対する感性が非常に鋭敏な人であるか、もしくは達観というかかなりの人生哲学を持っている人の何れかのように思えてくる。
著者自身がどんな人でもいいのだが、読者として新鮮な視点を授かれるのは非常に嬉しい。


内容に関して、そういえば何で最後は晴れたのだろう。
死ぬ候補者に選ばれたらほとんどの場合は「可」になるが、まれに「見送り」になったりするように、世の中何が起こるか分からない。天気だって千葉が仕事をしているときは基本的に雨だが、晴れることも時にはあるのだ。時間はいろいろな人の思いや判断、選択によって時々刻々とつくられていくのであって、誰か絶対者が決めているものではない。人の生死という一見大きな事の決定権をもつ死神の無力さによって、逆に、絶対者不在の世界の存在を感じさせられた。
人生、何が起こるか分からない。世界の誰にも。