Monday, March 09, 2009

音楽は自由にする

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音楽は自由にする <坂本龍一>

最近刊行の坂本龍一自伝。
「音楽は自由にする」というのは何か含みがあるような日本語だが、独題の"Musik macht frei"はおそらく、かの"Arbeit macht frei"のフレーズを文字ったものだろう(大学時代のかすかなドイツ語勉強、これがひらめく程度には残っていてよかった…)。坂本龍一は芸術家であり思想家、かつかなり博識な人物なので、発する言葉の一つひとつの含みを探りたくなる。
本書はただの自伝と言えば自伝なのだが、圧倒的多数のビジネスマンとは違った生き方をしている一人の人間の、しかもかなり「濃い」自伝なので誰が読んでも純粋に面白いと思う。音楽をやっている僕は特にひきつけられ、思わず手にとってしまった。

僕は坂本龍一のソロ曲や出演した映画、YMOでの活動のような、有名な一部分だけは知っているが、実は彼がどう生きてきたのか、コアは何なのか、音楽をどう考えているのか、そうした部分は全く知らなかった。そういう点でも興味津々だったのだが、読了しても正直良く分からなかった。人間だから当たり前なのかもしれないが、いろいろな面がありすぎる。思想が哲学的だったり、挑戦的だったり、ヒーロー的だったり、冷たいような部分があったり、やはり芸術家だったり…。幼い頃から作曲を学んで芸大へ、というコースをベースにして培われた音楽観ではないような気がするし、でもやっぱりルーツはクラシックと呼ばれる領域のピアノ音楽だったりする。結局良く分からないので、ますます今後の彼の生き方に興味が出てきてしまった。平凡な言葉しか浮かばないが、味があるな…と思った。

坂本龍一と僕とでは生きた時代が違うということがもちろんあるのだが、僕とか僕の世代の人間って何か「薄い」気がする。相対的にだけれど。本書を読んでいて、一人の人間の人生の振り返りと自分とを照らし合わせていて、そう感じずにはいられなかった。僕が平均値ではないし、逆に僕は僕の世代の薄っぺらい人代表だったりする可能性もないわけではないのだが、坂本龍一対僕というわけではなく、彼の世代対僕の世代という比較で何かそういうものを感じる。
一つ思うのは、僕の世代では圧倒的に単位時間あたりの情報量/選択肢/自由度が、多い/高いということ。物理的な時間が同一なとき、その差は一つひとつの事象/体験の濃度として表れてくるのだろう。本書を読む前から思っていた、というか危惧していたことなのだけれども、人間だとか生き方だとかそいうものが全体的に薄くなっているような気がしてならない。また、じっくり何かを考えるための時間を環境に剥奪されているような気がしてならない。ここではあまり多くは触れないが、この辺りは自分の中で今hotなトピックになっている。hotなだけでなく少なくとも自分にとっては結構大事な観点でもあると思っている。

さて、閑話休題。本書の内容に戻って、印象に残ったところを3点ほどメモして終わろう。

まずは、"はじめに"から。思わず頷けた一節。
『ルールを覚えて、そのルールどおりにものごとを並べる。たぶん一般的に、成長するというのは、それができるようになることなんだろうと思います。でもぼくの場合、それに対する齟齬が、いつもいつもあった。学習すればやれるようにはなるけれど、何かちょっと生理的に、そういうことがぼくには合わないようです。』(p9)

この一節の前半部分には「成長するというのは…」ということが書かれているが、それ(成長)に対しては多くの人が一家言を持っていて、いろいろな意見があると思う。「成長」を人生の生きがいにしているなんて言う人はたくさんいるし、そういう人から言わせてみれば、ルールどおりに云々なんてとんでもないこと言っていると思うかもしれないが、僕は何だか分かる気がする。芸術ってそういうもんだよね。ビジネスをはじめいろいろなフィールドで成長っていう概念はあるけれど、芸術においてはあんまりないかもしれない。成熟はあっても。
正しいかどうかは言えないのだけれど、「成長」について端的にぽろっとこういう言い方ができるところも面白い人だなと思う。


2つ目はこれ。
『音楽が「わかる」とか「わからない」とかいうのはどういうことか。それは民族音楽を考えるうえでも面白いところなんですが、簡単に言ってしまうと、文化的な背景がまったく違うところの音楽は、聴いてもほとんどわからない。』(p130)

ふむふむという感じ。ということは逆に、音楽を分かり合ったら、それから来る感情を共有できたら、少なくともある程度は文化的な背景が似てるっていうことだね。そんな気もする。そんなこと考えて、僕の好きな音楽が愛される街にでも行ってみようか。


最後は以下の部分。
『人は非常時には、普段から切り捨てていたようなレベルの情報もすべて拾うようになります。全方位に過敏になるんです。そうすると、音楽というものはできなくなってしまう。感覚の許容量を超えてしまうんですね。音楽が消えただけでなく、あの騒々しいニューヨークで、音がしなかった。誰もクラクションを鳴らさないし、ジェット機も飛んでいない。ものすごく静かでした。針が落ちただけで人が振り向くぐらいのぴりぴりした感じが、ニューヨーク全体を覆っていた。そんなときにもし誰かがギターなんか弾いたりしたら、殴られかねません。ああ、こういうふうになるんだなと思いました。』(p220)

感覚にゆとりがないと音楽なんてできない。確かにそうかもなぁ。実はこの部分の後に、葬送のシーンをもって初めて音楽が復活したと書かれている。極限状態では音楽は人の心に入り込む余地もないけれど、またその扉を開くのも音楽の役目だということか。人の心に入り込んで感情の拍動を促すような、なんかそういう音楽でも仕事でもやりたいなと思う。
 

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