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前回のエントリーでは触れなかったが、『建築家 安藤忠雄』 の中で子供の教育について触れられている部分があった。「第10章 子供のための建築」の部分だ。
安藤さんは最近の「過保護」教育ぶりを危惧している。危惧というよりは子供が「かわいそう」だという主張かもしれない。
小学校で生徒が校舎のガラスに当たって怪我をした…
⇒ガラスにぶつかるのはガラスのせいなのか?(p282)
これは何とも奇妙でばかげた問いかけなのだが、最近ではおかしいほどに(このケースで言えば)ガラスの加害責任ばかりが追及される。
これでは建物の作り手、サービスの提供者も消極的になってしまう。
本書の中での安藤さんの主張を簡単にまとめると…(p282~291)
・子供の個性、自立心を育てようという発想と、危険のありそうなものは全て排除して、徹底的に管理された環境で保護しようという発想とは全く矛盾する。
・過保護であることは自己管理能力の発達を阻む。「生きている」緊張感がなくなる。
・自分で何か工夫して問題を切り抜けようという創造力は育つだろうか?
・今の子供たちの最大の不幸は、日常に自分たちの意思で何かが出来る、余白の時間と場所をもてないこと。昔であれば、放課後の時間と、大人の定めたルールも何もないどこの街にもポカンとある空き地。戦後日本の経済一本槍の社会が子供達からこの空き地と放課後を奪った。
・建築も同じ。つくり手が「ここはこう使ってください」と全部決めつけてしまっては、使い手が想像力を働かせて使っていく楽しみがなくなってしまう。
僕も全く同意見だ。
なぜ、子供や親が自分たちで何とかしようとしないのか、環境に立ち向かおうとしないのか。モンスターペアレント?なんてふざけて言っているけれど、これは相当大きな問題ではないか?親がまともでなくてどうやって子供を教育するのか?現在親になるには何も資格はいらないが、このあたりもう少し真剣に考える必要があるだろう。おかしな親に育てられた、自己管理能力のない子供がやがて親になったとき、そのまた子供は一体どうなるのだろうか?そうなってしまってはもう戻れない気がする。
ガラスの例で言えば、僕は小さいときから、そういう一見危険なものに触れさせられた気がする。母親の方針でプラスチックの皿は使わず、普通に割れたり欠けたりする食器を使っていた。はさみや包丁なんかもかなり早い段階で与えられた。これには本当に感謝である。子供は意外なほどに適応力を持っており、そして失敗してもその10倍ぐらい学ぶ。自己管理能力の育成と危険とを天秤に乗せたとき、絶妙なバランスを保つ監督者が親であり、いい親はクリティカルなダメージを受けることがないように目を光らせながらも、最大限自己管理能力を伸ばす。こうした「親の」能力というのは実は誰もが持っているものではなく、そうしたバランス能力が欠如してしまった親が所謂モンスターペアレントだったりするのだろう。
他方で、問題の背景には親の存在だけではなく、学校の教師もいるし、もちろん環境の変化もある。昔に比べ、あまりにも生活が便利になり、本当に至れり尽くせりといった状態。ありとあらゆる製品が非常に高い安全性基準をクリアし、危険性を排除した作りとなっている。モノが、文明が人をダメにしているのか、それとも人の要請により環境が変わっているのか、鶏と卵の議論になってしまうが、今がそのスパイラルの中であることは確かだろう。
こんな時代だが、しかし「教育者」は確かにいる。教育について最近刺激を受けたのは次の2人だ。
・渡辺健介さん(株式会社デルタスタジオ代表)
『世界一やさしい問題解決の授業』の著者であり、研修でお世話になった方。
研修の場でも酒の席でもいろいろな話を聞くことができたが、この人が「教育」に関する事業をやっていてよかったな…と心底思える人だ。
HPに、"デルタスタジオでは、世界のどこでも生き生きと、主体的に想像し、考え抜き、行動できる人材の育成を目指し、弊社「寺子屋」にて独自の教育を提供しています。"とあるが、今の親や日本の教育制度に欠けている要素を見事に補っている。子供の未来を創る素晴らしい仕事だと思う。
・横峯吉文さん(通山保育園理事長)
ゴルファーの横峯さくらの伯父さんで、Yokomine式学育で有名。先日TVで見て、そのリアルな教育法に感心した。
子供をやる気にさせる4つのスイッチ
1.子供は競争したがる。
2.子供は真似したがる。
3.子供はちょっとだけ難しいことをやりたがる。
4.子供は認められたがる。
を上手く使って、楽しみながら自己管理能力、創造力、問題解決能力などを身に付けさせる学育は素直にすごいと思った。
(参考)http://www.cosmo.bz/azc/index.html
子供の可能性は無限大とは言わなくとも、それに近いと思う。ただ、子供は自ら機会を得にいけるほど社会が分かっていない。機会を与えてやり、ポテンシャルを高めることこそが親や教育者の役割だろう。あとは「何をやるか」「どう生きるか」…を子供自身が考え、切り開いていけばいい。
Wednesday, August 05, 2009
子供の危機
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