Monday, September 06, 2010

人生の評価についての極論

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今、この夜中にふと思ったことについて記録する。

人が自分の人生をどう捉えるか、どう評価するかについて。

人生の成功とは何か、幸福な人生とは何か。



今日一日に関する2つの考え。

①今日という日は明日を含む未来(の幸せ)のためにある。

②今日一日が幸せであること、それが重要。明日のために今日があるわけではない。


①の場合、何か未来のターゲット(不明確でもいい)のために今日我慢する、ということが起こりうる。
逆に②は未来ではなく今日にウエイトを置く。判断の拠り所が決定的に違う。

①の考えは、極論すれば、死の一時点での評価が即ち人生の評価だとみなしているに等しい。今日が明日または未来の一時点のためのものだと定義すれば、その行き着く先は人生の終わり、死の一時点となる。つまりは、人生を構成する全ての時間は死の一時点のためにある、ということになる。そうすると、死の一時点で自分の人生を振り返って、またその瞬間の感覚として何を思うか、それこそが人生の評価となる。そこで「良い人生だった」と思えれば、その人生はその人にとって本当に良いものだったと言えるのかもしれない。

一方、②の考えは、極論すると、人生の評価点は生きている時間全てとなる。しかも重要な点は、それが人生の時間軸上のどの地点かに関わらず、全て同じ重み付けで評価されるということ。


普通の場合、上記の2つの考えはある程度ミックスされていることが望ましいと思うし、実際そうであることが多い。ただ、その調合割合は人それぞれ。自分なりに人生の評価法について考えておくことは無駄ではない。①の場合、より大きなリターン(成果)を生む可能性がある、が、リスクも大きい。突然人生が終わり、評価点が訪れたとき、自分の人生の幸福度を過小評価してしまうかもしれない。②であれば、どの瞬間に人生が終わっても、評価はそれまでの全期間について行われるため、最終評価のぶれが小さい。ただ、その日暮らし的な生き方になることは否めない。
 


あなたはあなたの人生をどのようにして評価するのだろうか?

そして、あなたは今、今日をどのようにして過ごすのだろうか?
 
 

2 comments:

ペイ said...

この日記、すごく共感できる。
自分もこういったことを良く考えたりします。

1と2を踏まえて、一番いいのは両方両立だよね
一言でいうと「仕事楽しいっす!」みたいな。

でも将来のための投資とか我慢が常に楽しいはずはなく、、

でも俺的には次に続かない、あとに貯まらないその場限りの楽しさってあまり、、、なんだよなあ。これやってると成長できる(例えばスポーツの練習とかも)と考えると楽しいし。

ただ、人生いつまでも若くてチャレンジできるわけでもなく、今が楽しくないことばかりだとむなしくなっていく気もするなあ。楽しさは積分される、というのも一つ思うことで、「その場が楽しい」を繰り返しても人生豊かになる気もするし。。
例えが違うかもしれないけど、
毎日節約して貯金して60歳でで良い家と車GETするのと
毎日おいしいものを食べ続け、貧乏人生
どっちがいいか、というのもすごく悩ましい、難しい話だと思う。(これ前mixiで書いたかも汗)

う~ん、良くわかんないっすわ。

Leolio said...

そう、バランス。
難しいよね。

でも一つ言えるのは、楽しい!って心底感じたり、将来のためだ!って目を輝かせて過ごした日ならいいけど、何も感じない感情の薄い日っていうのを減らした方がいいかなということ。

感情の動きがない日って後になってあんまり残らないしね。