Friday, February 29, 2008

コンコルド効果

------------------------------------------------------------------------------------
ラスベガスへ旅行に行っていたこと、そして旅の途中でインフルエンザにかかり、帰国後も病床についていたことで日本の流れからすっかり取り残されてしまった。
日本を出るときに世間を騒がせていたのが、HD DVD とブルーレイの決着の話。そして帰国後、ワイドショーで話題に上がっていたのが新銀行東京のひどい話。この2つに共通するトピックの一つは「撤退」で、今日はこれについて少し考えたい。

ソフトをほぼ完全に押さえられた形になって東芝は次世代DVDの規格戦争から撤退を表明した。この損切りに対しては様々な意見があるが、負け試合をダラダラ長期化させすぎたという意見よりは、比較的早い決断で立派なものだったという意見の方が多いような気がする。新銀行東京の方はこの先石原都知事がどうするのかはわからないが、税金をさらにつぎ込むより今のうちに勇気ある撤退をという声がかなりあがっている。ある程度事業の見通しが悪くなると「撤退」というオプションは外側からかなりプッシュされてくるものなのだろうが、これを決めることやそのタイミング決めというのは難しい。
「撤退」を決めることが難しいのは何もビジネスの場だけではなく、人間の性質上どんなシーンでも難しい。
僕は高校1年のときに、長谷川眞理子著『科学の目、科学のこころ』の中で強烈な言葉を覚えた。思わず「あるある」と言ってしまう現象。それが、コンコルドの誤り(“Concorde fallacy”)もしくはコンコルド効果(“Concorde effect”)だ。有名な超音速旅客機コンコルドは、開発途中の段階で、完成しても採算はとれないということが分かっていたにもかかわらずに開発を続行し、その結果飛べば飛ぶほど赤字が膨らむという案の定な結末で幕を閉じた。このコンコルドの商業的大失敗をもとに、「ある対象への金銭的・精神的・時間的投資をしつづけることが損失につながるとわかっているにもかかわらず、それまでの投資を惜しみ、投資をやめられない状態」をコンコルド効果と呼ぶのだ。
「せっかくここまでやったのだから」という気持ちは生じやすい。時間的投資に関して言えば、日常生活においてもこの状態にはよく遭遇する。コンコルドの誤りを脱出できれば当然損失は最小限に抑えることができるし、それ以上無駄な時間を費やさなくてよい分、時間というリソースの損失も防げる。一方で、コンコルドの誤り状態に陥っていることを認めるということは、完全に「負け」を確定するという精神的タフネスが要求されるとともに、もしかしたらの可能性を放棄することになるため、なかなか簡単にはできない。とくにもしかしたらの可能性というのは決断を遅らせる大きな要因かもしれない。今までやってきたことを正当化するために簡単にすがれるのが「未来の可能性」というやっかいな幻想だ。未来の状況は誰にも分からないといえば分からないのだが、だからといって全ての決断を先送りにできるほど世の中は甘くない。
人間が陥りやすいコンコルド効果にやられないために、意思決定者には撤退しやすい環境と、未来ではなく現在の指標に基づいた撤退判断基準が必要だろう。

「やめたい」、「あきらめたい」という気持ちを振り切って頑張ることは大変だが、過去の投資に目をつむって、さらに「やりたい」、「続けたい」という気持ちを押さえてものごとをやめるというのもなかなかエネルギーがいる。
この話をふまえながら、近々ギャンブルの話を書こうかと思う。せっかくラスベガスにも行ったので。

 科学の目、科学のこころ <長谷川 真理子>
 
とくにどうということもない駄文になってしまったが、突っ込むことが大事なときは突っ込む、やめなければいけないときは自分にストップをかけるというように、自分の感情をうまくコントロールしたいものだ。
 

No comments: