Sunday, December 30, 2007

国語力というか言葉力

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大人の「国語力」が面白いほど身につく! <話題の達人倶楽部(編)>

話し言葉として使われる言葉は日本語全体の「単語」の5%ほどしかない。
前書きでそう書かれています。よくよく考えてみるとその程度なのかもしれない。
ところで残りの95%はどうなっているのかといえば、書き言葉としてはもっと使うはず。
しかし、あまり使わない言葉の意味や用法は知らなかったり、うろ覚えだったりする。

日本人たるもの、もう少し自国の言葉を使いこなしたい。そういう思いでこの本を手に取った。
題名には「国語力」とあるが、なんとなく語弊がある気がする。言うなれば「言葉力」というところだろうか。何はともあれ、本書の cost performance はかなりのものだと思う。広く浅くかもしれないが、1coin で最低限の知識をつけられる。分量も値段もお手軽なので、「言葉力」に自信がないという人は手にとってみる価値はあるだろう。内容は以下の 8step

①とにかく間違いやすい漢字240
②いまさら聞けない四字熟語75
③どうせなら使ってみたい慣用句191
④同音異義語、使い分けの法則96
⑤誰も教えてくれない敬語の話105
⑥知らないと恥ずかしいカタカナ言葉54
⑦教養として覚えておきたい「国語」の常識97
⑧あなたの国語を豊かにすることわざ・故事成語99


個人的には④⑤⑥あたりは概ね大丈夫だったが、他、特に②③⑧は勉強になった。知らないものもけっこうあったので2回読み直して身につけた(つもり)。


勉強はさておき、四字熟語、ことわざ、故事成語は本当に言い得て妙というか、昔の人の知恵が詰まっているなとあらためて感心せずにはいられなかった。

<pick up>
・窮鼠猫を噛む
・青は藍より出でて藍より青し
・角を矯めて牛を殺す
・鶏口となるも牛後となるなかれ
・雨垂れ石を穿つ
・自家撞着
・我田引水
・多岐亡羊
・山紫水明
・曲学阿世


漢文とかもう少し勉強してみようかな、とでも思えてくる。味わい深し。
 

Friday, December 28, 2007

Oscar Peterson

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A Summer Night in Munich

オスカー・ピーターソンを初めて聴いたのはこのディスクだった。
jazz を聴きたての頃だったが、すっかり酔いしれてしまったのを思い出す。
#5.サテンドール , #6.ラヴ・バラッド は言うまでもなく、比較的親日家として知られるピーターソンのオリジナル曲である #8. スシ は何度聴いても最高。まさに
jazz へのいざない、そしてオスカー・ピーターソンの世界へのいざないとなった。後で知ったことだがピーターソンは93年に脳梗塞で倒れ、このアルバムのレコーディング時には左手にまだ不自由があったのだ。それなのにピーターソンの音楽は圧倒的に自由だった。

そんな jazz piano 界の巨匠が12月23日夜、トロント郊外の自宅で逝ってしまった。82歳だったらしい。世界は今年、3大テノールの1人であるルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)も失ったが、このような真のアーティストの死は残念で仕方がない。

“鍵盤の皇帝”などとも言われたピーターソンだったが、テクニックの素晴らしさもさることながら僕はその happy な演奏スタイルが好きだった。スタンダードをやっても自作曲をやっても、なんだか happy な雰囲気がバックにあるような感じがするのだ。そのスタイルが jazz 本来のものなのではないかとも思えてくるぐらいだ。

今日は僕が聴いたピーターソンのアルバムのうちいくつかをここに載せて、ピーターソンの音楽を思い出すことにする。

  

Ⅰ)酒とバラの日々 ~ベスト・オブ・オスカー・ピーターソン~
Ⅱ)We Get Requests
Ⅲ)ソロ

   

Ⅳ)いそしぎ ~ベスト・オブ・ジャズ・ピアノ~
Ⅴ)Oscar Peterson Plays The George Gershwin Songbook
Ⅵ)Oscar Peterson Plays the Cole Porter Songbook

  

Ⅶ)Night Train
Ⅷ)Oscar In Paris: Oscar Peterson Live At The Salle Pleyel
Ⅸ)Blues Etude
 

Sunday, December 23, 2007

IQtest あれこれ

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IQ って何だ?
そう言われると、説明ができない。
僕が知っていたのは、“Intelligence Quotient”の略であって、日本語では知能指数と訳されていること。そして頭の回転の速さとか空間把握力の指標のように扱われていること。あとは誰それが IQ いくつだとかアメリカのライスさんが高IQだとか、MENSA なる高 IQ コミュニティがあるとか、そういうレベルのこと。
一つだけ言えるのは、IQサプリのような番組で IQ ○○相当とされている問題が1問解けたところで、その人はその IQ ではないということだ。完全に論理破綻している。

というわけで、手短なところで Wikipedia へ。

しかし、読んでもかなり曖昧。定義によってその数値の意味するところは変わってくるし、いわゆる頭のよさと相関があるかどうかも定かではない。
気がつくところといえば、その取り扱いに慎重で、かつ有識者はいざというときのために伏線をはっているということだろうか。

人間一人ひとりがもつ性質や能力、性格といったものは、2つの要因によって決定される。すなわち遺伝的要因と環境要因のことだ。このどちらか一方が人間の決定に影響しないということはほぼないのだが、たまに誤解されてしまうときがある。例えば、クローン技術が広く世に知れ渡ったとき世間ではヒトラーの複製が生まれてしまうのではないかという噂が生じた。確かにヒトラーと全く同じゲノム配列をもつ人間を作ることは可能かもしれないが、それでは遺伝的要因を押さえたにすぎない。そのベイビーを当時のヒトラーと完全に同じ環境で成人まで育て上げなければ、ヒトラーの複製はできない。これは到底無理だ。逆に、環境的な条件を全く同じにしてそれぞれ違う親から生まれてきた2人のベイビーを一緒に育てたところで、その2人は同一の人間にはならない。
ただ、人間の性質のうち、あるものは遺伝的要因の寄与が大きく、あるものは環境要因でほぼ全て決まる、というように2つの要因の寄与割合は性質によってある程度決まっているものだと思う(わからないが)。つまり何が遺伝して何があまり遺伝とは関係ないかが大体わかる未来がそう遠くなく訪れる。
今でもある程度のことはわかっているのだが、もっと細かくわかってしまう未来だ。

IQ も同様に人間の一つの性質であり、その遺伝的要因の寄与がどの程度なのかは今研究されているようだ。今のところ、その遺伝的要因の寄与割合はそれほどは小さくないとする考えが一般的だろう。
となると、IQ と知能とが関係あることが証明されてしまうとやっかいになる。
知能が高い親からは知能が高い子ができる傾向があるということが言えてしまい、さらには遺伝学的に民族を分けたときに知能の高い民族と低い民族がいるということが言えてしまう可能性が高いからだ。こうなると大変で、優生思想の蔓延る危険な世の中になってしまう。
知能というのは人間の性質の中でも、プライオリティーが高く、それに関係するかもしれない IQ の取り扱いには特別な注意がいるのだろう。
もしかしたら一部の人間はすでに知っているのかもしれないが(僕はこういうことに対しては非常に懐疑的)、基本的に、IQ の意味するところやその遺伝性質は Wikipedia の説明が曖昧さを多く含んでいたように、ブラックボックスの中だ。しかし、その箱がクリアになってしまったときに収拾がつかなくならないように、今慎重に扱う必要があるというわけだ。


とは言っても人間、自分の IQ は知りたいものだ。
子供の頃に、今思えば IQtest だったであろう試験を受けては結果が返却されないということがよくあった。上述の危険性のために個人個人が自分の IQ を知ることがないようにしているといった見方もできる。このような背景もあって、自分の IQ を知っている人はあまりいないだろう。
そして知りたい欲求と現実の制度とのギャップを埋めるように、IQtest サイトは数多く存在し、IQに関する TV番組も多い。テレビ朝日の「テスト・ザ・ネイション」などはその最たるものだ。
Wikipedia でも様々な IQtest の信憑性はないし、個人でなかなか測れるものではないとしているが、興味を持ったので、片っ端からやってみてサンプルを多くとってみた。
以下に僕がインターネットで集めてやってみた IQtest をちょっとした説明つきで並べてみるので、暇があったらどうぞ。ちなみに僕の場合、IQ 値が出るようなテストでは比較的テスト間のばらつきも小さく、意外に一定のレンジに収まった。

①世界でもメジャーな IQtest のベータ版
短時間で終わる。問題もけっこうやさしい。規則性問題のみ。
http://onemansblog.com/wp-content/uploads/2007/11/iqtest.swf

②世界でもメジャーな IQtest (①とほぼ同じ)
http://www.iqtest.dk/main.swf

③お試し版
とりあえず左の空欄12問をやって、大体のレンジを判定。
http://www.bergmandata.com/indexg.htm

④問題豊富
こちらのテストでは問題のジャンルが選べる。数字、図形、論理など、個別に問題に挑戦できるが、IQ 値を出すという主旨ではないような気もする。得意の Mathematical でも、レベルの高い問題はけっこう骨が折れる。普通にやっておもしろいサイト。ランキングもある。
http://www.iqtest.sk/index.php?jazyk=en&akcia=test

⑤バランス型
いろいろなタイプの問題が入っているが、知識系の問題もまじっていたりする。
それほど時間はかからない。
http://www.highiqsociety.org/iq_tests/

⑥欧州系
英語じゃない…が、IQtest に言語の壁はないので、読めなくてもできる。
内容はけっこうオーソドックス。
http://www.iqtest.websig.org/

⑦50問
variety に富んだタイプ。問題数は多いが、一つひとつがかなり軽め。
http://amadeus.upr.clu.edu/~carlose/Iqtest/iqtest.html

⑧10問。遊び度高し。
参考にならない。が、問題としてはけっこう楽しい。
http://www.afsgames.com/iqtest.htm

⑨異種
もはやゲーム。これはこれで楽しい。頭の体操か。
http://w1.nirai.ne.jp/h-kane/javalab/iqtest.html

⑩普通
難易度的にはやさしい問題が並ぶ。短時間でできる。
http://met.chu.jp/test/iq.htm

⑪15問
けっこう面白い。問題は他のとは違うタイプ。
http://shindankan.com/iq/

⑫問題難易度ちょうど良し
非常に簡単なものから、中ぐらいのものまで。
しかし僕の場合、全部やったのに結果が見れなかったという悲しいオチがあった。よって⑫番目。
http://derutcarf.s7.xrea.com/etc/iq/

以上。
 

Thursday, December 20, 2007

デザインとしてのキノコ

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キノコに対してどんなイメージがあるだろうか。
僕の第一のイメージは食用のキノコよりはむしろ鮮やかな毒キノコだ。右の写真はベニテングタケ。幼いときに読んだキノコの図鑑には興味深い形と奇妙な色を併せ持ったキノコの写真が並んでいた。

見た目の興味深さとは裏腹に、キノコの「食」の機能に対しては僕はどうも消極的だ。あまり好んでは食べない。健康にはいいはずなのだが、菌類としてのイメージが食感や香りを僕に良くないものとして認識させているらしい。余談だけれども代表的な食用キノコを抵抗無く食べられる順に並べると、個人的には次のような序列になる。

きのこの山(Meiji)→マツタケ→マッシュルーム→エリンギ→しいたけ→しめじ
→まいたけ→えのきたけ→なめこ
(トリュフ、アガリクスは未食)

チョコ党の僕にとってはマツタケをもってしても明治「きのこの山」に勝てないのが現状だ。

ところで、上の写真のテングタケ、軸の部分を縮めるとマリオに出てくるキノコになる。

今やキノコのイメージとして食用と同等の強さを持っているのが、この2頭身、いやそれ以上に頭でっかちなアイテムキノコだろう。
左の写真はUFOにつかまりそうになっているキノコたち。ちゃっかりクリボーも写っている(実はコイツもキノコ)。
食べるものとしてのキノコに対する評価が厳しい僕も、デザインのもととしてのキノコには注目している。

キノコをキャラクターにしたものはマリオのキノコだけではない。NTTドコモのドコモダケは人気が出たし、教育テレビのえいごリアンもいい味を出している。食用キノコを売る会社もキャラクター作りに余念がなく、ブナピーなどの「きのこ組」なるキャラクターも人気だ。
    
キャラクターのみならず、キノコをモチーフとしたアイテムは世の中に多々あるし、多くの人にポップなデザイン、かわいいデザイン、もしくは不思議な感じのするデザインなどとして受け入れられている。

人々はなぜこのようなデザインのもととしてのキノコを好むのか。

往々にしてポップなキノコデザインはテングタケのような毒々しい色を放っている。キノコのうち圧倒的多数は地味な色だし、代表的な食用キノコにいたっては全部が地味な色だ。それなのに、人々のイメージに刻まれていくのは非日常的なキノコばかり。
僕が思うにはこのルーツは「メルヘン」。
メルヘンといえば、どうも静かな森とその中で繰り広げられるストーリーを想像してしまう僕だが、そのイメージ上でのメルヘンの森の中には必ずといっていいほど色鮮やかなキノコが生えている。緑と茶色の森を不思議な感じにする、そしてストーリーに明るさを生み出すのがキノコの役目なのだと思う。
幼い子供にミクロな視点で森の絵を描かせたら、色鮮やかなキノコを描く子は多かろう。

恐るべし、キノコの存在意義、そして人々へのメルヘンキノコの浸透度。

ところで、ファッションにもキノコデザインは取り入れらている。
右の写真は先日買った帽子。冬だし、ニットキャップが欲しいなと思っていたら、渋パルを何となく歩いていた僕の前にこの帽子が現れた。
何やら帽子からボコボコとしたものが出っぱっているが、これはキノコデザインらしい。普通の黒いニットキャップに突起物という遊び。やられてしまった。

ポップなカラーでなくてもそれとなくキノコを感じさせるのは、キノコ本来が持つ、「木などからポコッと生えているもの」というイメージなのだろうか。

この帽子は、FRAPBOIS(フラボア)のデザイナーだった、宇津木えりさんが2005年に立ち上げた mercibeaucoup, というブランドのもの。
このブランド、かなりポップ。というかなかなか笑えるアイテムが多い。ちょっとぶっ飛びすぎているので、僕にはブランド全体としては抵抗があるのだが、こうしたデザインは非常に面白いと思った。キノコのストールや手袋なども何だかかわいくて良かった。

いやはや、デザインとしてのキノコ、恐れ入りました。興味は尽きないです。

ちなみに、mercibeaucoup, の2008年東コレ映像はこんな感じ↓

http://www.yomiuri.co.jp/stream/jfw/mercibeaucoup.htm

実にメルヘン。
写真の黒い帽子はこのブランドの中で最も地味な1点だったり。
 

最後に、大多数を占める「地味」なキノコたちに敬意を表して、写真を。 グアム旅行時の1枚。
         toadstool @ Talofofo Falls Resort Park in Guam
 

Monday, December 17, 2007

ジャック・クリスピン曰く?

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グラスホッパー <伊坂 幸太郎>

久しぶりに読んだ伊坂作品。
軽さとスピード感を求めて読み始めたつもりだったが、イマイチすっきりしない感覚が読み終えた僕には生じた。相変わらずキャラクターが原色絵の具のような個性を出していて伊坂作品らしいとも思ったが、同時に好みによって感想がかなり割れてしまうような作品にも感じた。
僕が思うには、伊坂作品には内容や作品背景に反するような明るさがあるものが多く、それが独特なキャラクターと物語のスピード感にマッチして爽快感がもたらされる。ところがこの「グラスホッパー」では、いくら殺し屋小説とはいえ、簡単に人が死にすぎる。そう感じてしまうと、いつもの伊坂ノリでは読めないのかもしれない。
巻末の解説でも少し触れられているのだが、この作品は人間を世界の中心と見るのではなく、一つの構成要素と見なすという考え方をしているように感じるところがあった。解説で杉江松恋さんは『だからこそ「グラスホッパーでは、人間は淡々と「破壊」されるのである。』と述べているが、頷ける。

最近、馴染みの美容師とめずらしく真面目な話をしたのだが、その話を思い出してしまった。地球環境問題の話をしていて、ふと2人の考えが摺り合わされた先にあったのが人間のおかしな考えやふるまいだったのだ。それは、地球を人間の所有物、または人類全体という主が棲む家として何の疑問もなく議論を進める人間のスタンスのことだ。
「地球を守ろう!」、「地球を保護する。」
こういった文句は全て対象物が人間の棲みかとしての地球であるという暗黙の認識の下で発せられている。
[人間の棲み良い地球環境を守る」…良く考えてみれば少しおかしい話であることは誰しも気づく。
全生物的な見方をすれば、僕を含む人間というものは非常に傲慢な生命体である可能性が高い。

さて、そんな人間観や生物観が伺えてしまうこの作品は、3人の人物(鈴木、鯨、蝉)の視点で描かれるローテーション型もしくは、らせん型とでも言えるような形式で三つ編みのように進んでいく。
全く違うスタート地点から発進した3人がいずれ出会うことは予想できても、あまり最後の展開が読めない作品で、次へ次へとページをめくるしかない。
押し屋はどうなるのか…
鈴木は結局どうなるのか…
それは最後までわからない。

ところで、この作品には名言が多く飛び出したと思う。蝉の上司である男が崇拝するミュージシャンのジャック・クリスピン(架空)の名を使って単純でかつ意義深いフレーズが現われる。

『死んでいるみたいに生きていたくない』
『本当に国を導く人間は、政治家の格好をしては現れない』
『同じ場所に置かれたものは腐る』

などなど数多い。
他にも、ジャック・クリスピンの言葉ではないが、「危機感」についてなかなか鋭い洞察もあってなんだか兜の緒を締められた感じもする。


何はともあれ、伊坂作品の軽い文体には文字列自体に読者の肩のこりをほぐすような効果があり、次の作品へと弾みがついたところです。