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グラスホッパー <伊坂 幸太郎>
久しぶりに読んだ伊坂作品。
軽さとスピード感を求めて読み始めたつもりだったが、イマイチすっきりしない感覚が読み終えた僕には生じた。相変わらずキャラクターが原色絵の具のような個性を出していて伊坂作品らしいとも思ったが、同時に好みによって感想がかなり割れてしまうような作品にも感じた。
僕が思うには、伊坂作品には内容や作品背景に反するような明るさがあるものが多く、それが独特なキャラクターと物語のスピード感にマッチして爽快感がもたらされる。ところがこの「グラスホッパー」では、いくら殺し屋小説とはいえ、簡単に人が死にすぎる。そう感じてしまうと、いつもの伊坂ノリでは読めないのかもしれない。
巻末の解説でも少し触れられているのだが、この作品は人間を世界の中心と見るのではなく、一つの構成要素と見なすという考え方をしているように感じるところがあった。解説で杉江松恋さんは『だからこそ「グラスホッパーでは、人間は淡々と「破壊」されるのである。』と述べているが、頷ける。
最近、馴染みの美容師とめずらしく真面目な話をしたのだが、その話を思い出してしまった。地球環境問題の話をしていて、ふと2人の考えが摺り合わされた先にあったのが人間のおかしな考えやふるまいだったのだ。それは、地球を人間の所有物、または人類全体という主が棲む家として何の疑問もなく議論を進める人間のスタンスのことだ。
「地球を守ろう!」、「地球を保護する。」
こういった文句は全て対象物が人間の棲みかとしての地球であるという暗黙の認識の下で発せられている。
[人間の棲み良い地球環境を守る」…良く考えてみれば少しおかしい話であることは誰しも気づく。
全生物的な見方をすれば、僕を含む人間というものは非常に傲慢な生命体である可能性が高い。
さて、そんな人間観や生物観が伺えてしまうこの作品は、3人の人物(鈴木、鯨、蝉)の視点で描かれるローテーション型もしくは、らせん型とでも言えるような形式で三つ編みのように進んでいく。
全く違うスタート地点から発進した3人がいずれ出会うことは予想できても、あまり最後の展開が読めない作品で、次へ次へとページをめくるしかない。
押し屋はどうなるのか…
鈴木は結局どうなるのか…
それは最後までわからない。
ところで、この作品には名言が多く飛び出したと思う。蝉の上司である男が崇拝するミュージシャンのジャック・クリスピン(架空)の名を使って単純でかつ意義深いフレーズが現われる。
『死んでいるみたいに生きていたくない』
『本当に国を導く人間は、政治家の格好をしては現れない』
『同じ場所に置かれたものは腐る』
などなど数多い。
他にも、ジャック・クリスピンの言葉ではないが、「危機感」についてなかなか鋭い洞察もあってなんだか兜の緒を締められた感じもする。
何はともあれ、伊坂作品の軽い文体には文字列自体に読者の肩のこりをほぐすような効果があり、次の作品へと弾みがついたところです。
Monday, December 17, 2007
ジャック・クリスピン曰く?
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