Sunday, January 06, 2008

右左

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右翼と左翼 <浅羽 通明>

下馬評も良いなかなか画期的な本。どこが画期的かといえば、なんとなく分かっているようで分からい「右」と「左」について薄い1冊の新書が語っている点そのものだ。
僕のように日本で生きていれば右や左という言葉を耳にすることは誰しもある。そして各人が右と左に対して(特に右に対して)それぞれぼんやりとした知識やイメージをもっている。そうした中、今回は3つのことを知りたいと思い本書を手に取った。

ⅰ)右左の概念ができた背景とは?
ⅱ)自分の持っている知識やイメージは正しいのか?
ⅲ)右左は現代においても何らかの意味ある指標になりうるのか?

さて、読んでみると…

ⅰ)
歴史の知識がある人であれば本書を読めばすごく良くわかるのではないかと思う。残念ながら僕には難しいというか歴史の知識が足り無すぎるというか、細かいところはよく分からなかった。しかし、どのようにして生じた概念なのか、そしてそれがヨーロッパ、日本それぞれの歴史の中でどのように変わっていったのか大まかな流れを知るのにはちょうど良いものだった。そもそもフランス革命が起源ということすら知らなかった僕には大変勉強になった。

ⅱ)
予想通りだが、「とらえきれてはいないものの外れてはいない」という感じだった。とらえきれていなかったのは当然だった。右左の概念とは歴史そのものであって、それを知らなければ右左というのが意味ある指標かということ以前に、何にも当てはめることはできない。

ⅲ)
結論。個人的にはもう意味をなさなくなったと思う。
そもそも右と左は議会の席位置の話であって、立場を分かりやすくするような意味合いを持っていた。まさに通常使うミギやヒダリという一次元的な概念だったわけだ。それが軸の本数が次第に増え、右と左があらわすものも複雑になっていった。その複雑化の流れは国によって、そして時代によっても違い、現代では非常におぼろげなものとなってしまったというわけだ。
考えや立場を分かりやすくするための空間的な分け方として始まったものが、誰にでも分かるように考えや立場をはっきりとポジショニングすることができなくなったとき、その指標は指標として機能していないと思う。実際、右左という複合化された指標を使うより、個々の対立軸を何本も立てて総合評価をする方が明確だし、意味がある。

ただ、僕のような若い世代がまったく知らなくて良いということでもないと思う。上の世代の方が右左の指標を使って考えを述べたとき、それを正しく理解しなければならないからだ。どういう意図、そしてどういう理解のもと右や左と言っているのか解釈しなければならないのは僕だからだ。
そういう意味でも本書は役に立った。

僕のように歴史の弱い人は真ん中の3,4,5章をとばして読んでもいいと思う。
逆に歴史を勉強したい人は通史片手に本書をじっくり読むのもいいだろう。
 

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