Saturday, December 15, 2007

Another Earth

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前 entry では梅田望夫さんの書いた「ウェブ時代をゆく」のレビューをしたのだが、これに関連してもう少し考えたいことがある。
「ウェブ時代をゆく」内の言葉で、『もうひとつの地球』、『脳をネットに預け、他者の脳と接近』というものがある。前回のレビューでも key word として挙げたのだが、これらは新たな時代の「知」の在り方を表す重要な考え方だと思う。もうひとつの地球となったネット空間に僕たちは何かを預けるわけだが、その何かとは自分の知の一部のことだと僕は思っている。自分の一部というのがポイントで、今ある世界ともうひとつの世界に分散したものを足し合わせなければ100% の自分にはならないことになる。これを考えたとき、自ずと不安になってしまうのが「もうひとつの地球は安全か?」ということだ。ここだけは梅田さんのオプティミズムの波に乗っている僕でも目を瞑ることができない影なのだ。

攻殻機動隊というちょっと極端な例
「攻殻機動隊」というアニメ作品をご存知だろうか。僕はこの作品が好きな友人の家でDVD を少し観たことがある。この作品を簡単に説明するのは難しいので Wikipedia にでも飛んでさらっと予習してもらいたいのだが、非常に高度なネット社会が背景にある。「電脳化」という単語が key word として使われ、完璧なユビキタスネットワークが敷かれているこの世界では義体(サイボーグとしての体)技術も確立されていて、人間のうち体というシェルに対する中身の部分の重要度が非常に高くなっている。Wikipedia から引用すれば、『サイボーグとしての体(義体)と、人間個人としての、シェルに納められた脳という分離が起こっている。』というわけだ。これは何もこのアニメ作品の中だけでの話ではない。
臓器移植や再生医療の発達がしていく中で、「体(body)」がシェルであることが容易に予想されるようになってきている。移植された臓器に donor の記憶が残っていた例などもあり、はっきりとしたことは未だ分からないが、少なくとも人間の自我の多くは脳に依っている。再生医療が高度に発達した社会で僕が恐ろしいと考えるのは、一人の人間が脳以外の体のダメになった部分を作り直して生きながらえている図だ。攻殻機動隊の妙なリアリティは、人間は脳以外の部分はどうやら交換可能だという「body=shell」のイメージと、完璧なユビキタスネットワークがいずれ完成するだろうという予感とをベースにして生み出されているのだろう。

安全性?
攻殻機動隊の任務の一つがこうした社会で起こる種々の問題の解決なのだが、作品中では脳や人格そのものがハッキングされてしまうという事態が起きたり、ウイルスの蔓延が起きたりするなど、問題を例示し始めれば枚挙に遑が無い。この作品は究極に近い状態なので、今急にそんな心配をしても仕方がないのだが、新しいウェブ時代を迎えるにあたっては、「もうひとつの地球」の安全性を考えないわけにはいかない。もうひとつの地球が安全であるためには、その世界での秩序と、その世界を支えているリアル世界のインフラの2つが非常に重要だ。ネット空間が anarchy では安心して自分の一部を預けることはできないし、リアル世界のインフラがダメになってしまえば、預けておいた自分の一部が行方不明になってしまう。ネットを便利に使わせて頂いている身としては、なんだか麻痺してしまうところがある。あちら側に開かれたスペースはなくならないのだと。しかしそんなことはない。そのスペースを管理しているのは紛れも無くリアル世界のコンピュータたちだ。グーグルの異常なまでの利便性を生み出しているのだって数え切れないほどのコンピュータだ。そこにミサイルが飛んできたら、もうひとつの地球などなくなってしまう。

ではどう生きるか
ネット空間の秩序については、オプティミズムを貫けば、オープンソース的な仕組みによってルールが形成されて上手くいくような気がしないでもない。リアル世界が法律を差し込むことで秩序を作ってもいい。ただ、こればかりはどうなるかわからない。同じく、もうひとつの地球を支えているリアル世界のインフラについても、上述のミサイルの例のような極端なものはなかなか起こらないかもしれないが、これまたどうなるかは分からない。
ではどうすれば良いのか。不安に目をやっていても前には進めないし、梅田さんが本を出し、ブログを書くことで世界に植えたエネルギーの種も芽を出さなくなってしまう。
僕としては最低限のリスクヘッジをしながら前に進むしかないと思っている。最低限のリスクヘッジとはもうひとつの地球がたとえ消えてしまってもやっていけるようにすることだ。もともともうひとつの地球なんて無いのだから死なない限りやっていけないなんてことはないと思う人もいるかもしれないが、果たしてどうだろうか。記憶することを全面的にもうひとつの地球で行っていたとすれば、そこが消えたとき手元には何も残らない。
少しずつ少しずつの変化は僕たちを麻痺させる。以前は紙の形で所有していた写真を「こちら側」の PC 内で管理するようになり、今ではウェブアルバムのような「あちら側」に預けている。僕たちの感覚では写真を保有していることになるが、もうひとつの地球が消えてしまったときに守れない写真を本当に保有していると言えるのだろうか。写真であればまだしも、人間生活の大切な部分を自分では守りきれないところで全面的に行うのは危険ではないだろうか。ウェブ進化によって「知」の在り方が大幅に変化する。これはチャンスだ。しかし、そこに依存しすぎることはリアルな世界での危険を意味する。交友関係を例に挙げても同じだ。SNSやブログ上での交友関係に依存しすぎていて、ある日突然その空間がなくなったときに何も残らなくなってしまう人が多発することは、現時点でも十分危惧される問題だ。だからこそ最低限のリスクヘッジをするに限るのだ。これから2つの地球で暮らしていく者として、定期的に2つの地球外のどこかから自分の様子を俯瞰してバランスをとっていきたい。
地球が2つになって、1つの時より幸せな人生を送れますように。I wish.


そういえば
前回のレビューを梅田さんにブックマークして頂いた模様だ。
とんでもなく忙しいと思うのに、僕が書いた駄文をすぐに読んでもらえるとは…
ありがたいことです。う~ん…やっぱりいいですね、ウェブ時代。

「将棋」という key word がひっかかったのか、はてなブックマークには自動的に「ゲーム」のブログだとカテゴライズされてしまいましたが…(笑)
 

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