Saturday, December 26, 2009

イタリアの旅3 -花の都と水の都を巡って-

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南イタリアを離れて、長いことユーロスターに揺られ辿り着いたのは「花の都」フィレンツェ。
フィレンツェと言えば何を思い浮かべるだろうか。訪れる前に僕が描いていたのは、メディチ家を中心とした貴族文化と芸術、パリのような華やかさ、それから『冷静と情熱のあいだ』だった。
華やかな貴族文化に正直そこまで興味がなかった僕は、今回の旅の中ではフィレンツェにあまり重点を置いていなかった。ところが、実際に訪れるといい意味で想像を裏切られた気がした。意外に渋かったのだ。

「花の都」の歴史は確かに美術館やブランド街に見て取ることができたのだが、今のフィレンツェは夕方のオレンジ色と家々のオレンジ色とがよく合う哀愁に満ちたともいえる街だった。一部の華やかな通りを除いて、古い小さな店が並ぶ街並みにはゆったりとした静かな時間が流れていた。そこで暮らす人たち一人ひとりが街の歴史を守り、街を愛し、今のフィレンツェをつくっているようだった。

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上の写真は名所のヴェッキオ橋からアルノ川とグラツィエ橋を望んで。水面に写る建物が美しい。ちなみにグラツィエ(Grazie)とは「ありがとう」の意。これは覚えた。

フィレンツェをすっかり好きになってしまったのだが、その理由の一つが職人の街であること。特に皮革製品のラインナップと品質は素晴らしかった。昔からの職人が多くいて、本当にいいものを手頃な値段で売っている。craftsmanship に惚れた。ローマに引き続き、ここでもいくつか皮革製品を購入。革のノート、使えば何かいいアイデアが浮かびそうだ。

しかしすっかり忘れていたのが、貴族文化と「芸術」や「職人」との結びつきだった。知識としては当たり前のことなのだが、芸術家や職人を支えていたのは貴族だった。パトロンあってこそのルネサンスなのだ。貴族がいるからこそ、皮革製品の需要がある。食器でも名品が生まれる。これは現代においても根本的な部分に変わりはないと思う。芸術や職人の技術は金持ちのためだけのものでは決してないが、その価値を認め、彼らを貨幣経済から解き放とうとする力が振興におけるバックボーンとなることは間違いない。あらためてそれを感じることで、貴族文化に興味を持つことができるようになった。

ウッフィツィ・アカデミア両美術館で、『ダヴィデ像』やボッティチェリの『春』、『ヴィーナスの誕生』など名だたる芸術もしっかりと押さえ、フィレンツェはいろいろな面で大満喫できた。冒頭の写真は街のシンボルであるドゥオーモのクーポラ展望台から。463段の階段を上るのは相当にしんどかったが、フィレンツェを一望できる最高の場所だった。『冷静と情熱のあいだ』のロケ場所でもある。

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旅の終着点は憧れの地、ヴェネツィア。
僕は物心ついたときからこの神秘的な水の都に並々ならぬ興味を持っていた。この地のゴンドラを唄うもの悲しい曲は数多くあったし、子供ながらに街中に水路があるってどういうことなのだろうと思っていた。
ついに訪れたヴェネツィアはやはり、水の都だった。アドリア海の浮き島は、一つの島をあまたの水路が横切っているのか、それとも、バラバラのパーツを橋が繋いでいるのかわからないような不思議な土地だった。交通手段に車はなかった。形式様々だが、すべて船だ。こんな街、世界のどこを探しても他にないのではないだろうか。近年、土地の存続が危ぶまれるヴェネツィアだが、まだ沈まずにあって本当によかった。というかこの地を沈めたくない、とすぐさま当事者のような意識が芽生えた。

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水路を抜け、一歩外を見れば、そこはすぐ海だ。この水路によって細分化されたもろい街が広大な海を前にして形をとどめ、人々の暮らしを支えていることに本当に感動した。奇跡だと思う。

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ヴェネツィアには2泊したので、そこそこゆったりと街の空気を感じることができた。迷路のような細い路地は、夜になると宿に帰れないのではないかと思わせるほど複雑だったが、治安もよく、おそらくいつもと変わりないのであろう街の風景が確かにあった。水と船は人々の生活と本当に密接にリンクしていて、それが普通であることが不思議だった。

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夕方から夜にかけてのヴェネツィアは「哀愁」を帯びていて、あの風景をテーマにいくらでも曲がつくれそうだった。ガラス細工や仮面を扱う多くの店から漏れる暖かい色の明かりがこじんまりと街を照らし、冬の冷たく静かな水面に幻想的な風景を映していた。


あまりにも印象的だったので3回にわたって書いてしまったが、イタリアの旅は得るものの多い、素晴らしい旅だった。海外で初めて「和食を食べたい」と思わなかった旅でもあり、イタリアとの相性を感じた。こんな10日間の旅ではイタリアの1%も理解できなかったが、今回足を運べなかった都市を含めて、また何度でも訪れたい、そう思った。
また来る日まで、Arrivederci!
 

Sunday, December 20, 2009

イタリアの旅2 -アマルフィ・青の洞窟~南部の情緒-

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ローマを離れ、サレルノ経由で向ったのはアマルフィ。
鉄道駅のあるサレルノとソレントを結ぶ海岸線の中間地点に位置するのがアマルフィだが、その道のりは険しい。ほんとにこんな断崖絶壁の曲がりくねった道をバスで進むことができるのか…スリリングな思いの連続を乗り越えて到着したのは夕方で、美しい海岸線と、夕日に照らされオレンジ色に染まった白色の家々の風景が一気に目に飛び込んできた。すぐに世界遺産・アマルフィ海岸の魅力の虜になった。

いまだかつて見たことのない都市の形に惚れ込むとともに、一つひとつの建物、道、そして物語が長い時間をかけてこの街を造り上げたのだと感じた。ひっそりとはしているもののリゾート地。にもかかわらず、そこには確かな人々の暮らしがあった。スーパーや薬局も多く、観光客ではない、地の人々の生活が普通にある。こんなところで2年も暮らしたら人生観の一つも変わってくるだろうなと感じた。賃貸物件を並べる不動産屋もポツポツとあったが、安いところであれば月€500。意外と現実的だ。

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アマルフィの魅力は海の青と建物の白とのコントラスト。それを支える緑と太陽の光とがいろいろな表情を作る。垂直方向に重ね重ね建てられた白い建物群の中は迷路のような細い道が続き、そこには治安のいい、ほのぼのとした街の空気が流れている。朝と夜の薄暗い感じもまた趣深い街だった。

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切立った崖には名産である柑橘類の段々畑が伸び南イタリアの情緒が感じられる。

たまたま選んだホテルもオーシャンヴューの素晴らしい部屋で、もうどれだけでもここにいれるという思いを残しながら、次の地へ向った。また訪れたい。

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カンツォーネ「帰れソレントへ」や工芸品の街として有名なソレントを経由してナポリへと向った。ソレントでは工芸人の血が騒ぎ、その心意気を持ち帰るべく、しっかり購入。写真の中の一つが今我が家にある。

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ナポリは大きな港町特有の治安の悪さを感じたが、南部の"都市"を見るという意味では一巡りして良かったと思う。唄で有名なサンタ・ルチア港にも足を運んだ。横須賀の欧州版?といったところか。
ナポリは、街自体の観光というより、どちらかというと"拠点"として滞在。鉄道で世界遺産のポンペイ遺跡に行ったり、フェリーでカプリ島に行ったりした。

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カプリ島は、青いパッケージのh&sシャンプーのCMでも(たぶん)使われている「青の洞窟(Grotta Azzurra)」で有名。今回ももちろんそれを見に行った。洞窟への入り口はかなり狭く、手漕ぎボートの中に寝る形で入っていく。故に、天候や潮の状態によっては入れないことも多いらしく、今回はラッキーだった。そもそもイタリアで最も降水量の多い11月にも関わらず、この旅では一度も雨に合うことがなかった。晴れ男としか言いようが無い。

洞窟の中にいたのは多分ほんの数分だったと思うが、言葉では言い表せない幻想的な空間が広がっていた。これがどのようにして自然にできたのか全くわからない。何故にここまで洞窟の奥まで碧いのか。奇跡とはこのことだ。そしてよくこんな小さな洞窟を発見したなと。いつ見れなくなるかわからないぐらい繊細なバランスによって造られているこの空間を肌で感じることができて良かった。実はそのfragileな様子が見るものに一層美しさを感じさせるのかもしれない。

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洞窟へは、こうして入る。ほんとによく発見したな…
 

Monday, December 14, 2009

イタリアの旅1 -エステ荘を歩いて-

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ここに書くのがだいぶ遅くなったのだが、11月に10日間ほどイタリアへ旅に出た。
なぜイタリアかといえば、土地への興味、文化への興味、イタリア製品への興味、そしてイタリアンが好きといろいろ条件が揃っていたからだ。イタリアは初めてで、どの都市にも興味があったが、時間を考えて取捨選択し、結局以下のルートで回ることにした。せっかくなのでこのBlogにも少しだけ旅の風景を書くことにした。

<旅のルート>
Roma → Salerno → Amalfi → Sorrento
→ Napoli → Capri → Firenze → Venezia

旅行では定番の中部~北部の主要都市に加え、南イタリアを回った感じです。


▼ローマの風景

最初に降り立ったのが首都ローマ。
首都だけあって人は多い。中央駅周辺ではイタリアのイメージをまず一つ壊される。
街はきれいとは言えないし、伝統的なものもそれほど感じない。列車のpaintingにも驚く。もう描けるところがないぐらいに車両にはpaintingがなされている。イタリアの地を拠点とした芸術家たちのDNAが今も息づいているのだろうか。ただ、その内容は日本のガード下のラクガキと変わりはない。

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後で比較してわかったことだが、ローマとナポリの中央駅周辺は特に美しくない。
ただ、中央駅を離れて街に出れば、そこにはイタリアの歴史と現代の人々の生活とがミックスされた、思い描いていたイタリアがあった。ローマ市街の建物はその一つひとつから歴史を感じることができ、日本にはない不思議な時間軸を感じた。

主要な名所は回ったものの、たぶん今回の旅では本当の意味でローマの良さはわからなかったと思う。そこは首都、いろいろなものが混在する街だし、住まなければローマの何かは知れない。

意識していなかったのにたまたま、少し運命的に目に入ったのが、以前に書いたことがある Campo Marzio Design の店だった。
日本には店がないので、セレクトショップ、ネットショップで一部の製品が買えるぐらい。場所も調べていなかったのに偶然バスで通り過ぎたことに感謝し、いろいろ買って帰った。やはりモノがいいし、最高の店だった。A4のノートホルダーは特に気に入った。ITO-YAの黒いホルダーを使っていたが、鮮やかなオレンジ色の皮製ホルダーに変えることにした。

Campo Marzio Design HP :
http://www.campomarziodesign.it/index.html

ローマといえば、世界最小の主権国家であるヴァティカン市国にも行った。サン・ピエトロ広場には、おそらくローマ教皇を映したりするのであろう大型モニターがあったが、でかでかとPanasonicの文字。「繋がっているな」と感じた。世界のどこにあるものでも誰かが作っている。

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コロッセオは巨大だったし、トレヴィの泉はやはり青々としていたのだけれども、ローマの旅を振り返って最も印象に残っているのはその郊外にあるエステ荘(Villa d'Este)を訪れたことだ。
世界遺産でもあるVilla d'Esteは古代ローマの別荘地であるティヴォリ(Tivoli)にある。
僕はたしか中学生ぐらいのときにこのエステ荘を知った。好きな作曲家の一人であるフランツ・リストの曲「エステ荘の噴水」に衝撃を受けて以来、気になり続けていた存在。ここを訪れることは実はこの旅の一つの目的でもあった。

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エステ荘は枢機卿イッポリート2世(Ippolito d'Este)が1550年に修道院を改築したもの。美しく構成された広い庭園と数々の噴水が非常に素晴らしい。まさに水の饗宴。
エステ荘を幻想的な世界にしているのは噴水だけでなく、緑でもある。高く上がった噴水の形は糸杉のシルエットで両者が何ともいえない融合を果たす。糸杉といえばゴッホだが、僕も糸杉というものには何故か特別な感情を持っている。あのひょろりとしなやかに上昇するフォルムは何なのだろうか。不思議と気持ちが安らぐのだが、一方で少し哀しくもある。リストは1877年に『巡礼の年 第3年』の中で「エステ荘の噴水」だけでなく、「エステ荘の糸杉に 哀歌」という曲を2曲書いている。
晩年、リストは僧籍を取りエステ荘に滞在したのだが、後のラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」に大きな影響を与えることになる印象派音楽がここで生まれたことは頷ける。

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エステ荘は確かに五感が研ぎ澄まされる、文字通りの「別荘」だった。訪れる人の人生観にも影響を及ぼすぐらい圧倒的でかつ感傷的な地にいつかまた行きたいと思った。人生に迷ったときには特に。

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エステ荘は高台にある。周辺の長閑な風景が一望できる。俗世から一歩出た気持ちになる。

Villa d'Este :
http://en.wikipedia.org/wiki/Villa_d'Este

写真の数々 :
http://www.youtube.com/watch?v=rNNLpbz2bRE


「エステ荘の噴水」 フランツ・リスト
演奏:クラウディオ・アラウ(Claudio Arrau)
 

Thursday, November 26, 2009

片山正通さんのシゴト

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Logの更新が完全に止まってしまっていた。

11/14~23の10日間、有給休暇をこれでもかと取ってイタリアへ旅に出かけていた。
当然その間の仕事を前倒し・後ろ倒し…ということになったため、慌しい生活になってしまった。企業に勤める者の自由度のなさを感じる一方で、同時に、もっと「個人」として仕事にコミットしたとき、勝負に出たときは旅どころではないな、とあらためて思った。でもそれはそれでたぶん幸せ。緩急つけた人生を楽しみたいところだ。大きな企業の中での生活はvolatilityが低すぎる。

今日も深夜帰りなわけだが、「忙しい」と言ってしまってはそれまでなので、また書いていこうと思う。イタリアへの旅のレビューと雑感は近々書くとして、今日は5分で書けるメモ。

昨日(11/24)のNHK「プロフェッショナル~仕事の流儀~」に出ていたのはインテリアデザイナーの片山正通さん。Wonderwall のfounderでBAPEやA.P.C. 、UNIQLOなど、ファッション系の店舗デザインではもはや有名。
番組内ではこんなことを言っていた。


・クライアントの想いを伝えるのがデザイナーの仕事。


・頭の中にあるものを掘り起こすイメージ。手を動かし続けると見えてくる。


・どれだけ愛情がつまっているか、それがデザインのバロメーター。


・「選ばれた者の責任」…選ばれたデザイナーなのだからどんな困難な要求にも挑む、ベストを尽くす。


・「楽しめているか」、それが人に伝わっていく。それがプロの条件。


どれも片山さんでなくても思いつくような言葉に見えて奥が深い。僕にはストンと落ちた。最後の「楽しめているか」はちょっと難しい。最近考えているtopic. 楽しみとは「見出す」ものなのか「感じる」ものなのか。
今は「見出し」にやや傾倒だろうか。
 

Tuesday, October 13, 2009

minimiam の世界観

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"minimiam"というユニット、もしくは"Foodscaping"という言葉をご存知だろうか?
3ヶ月程前にたまたま知ってかなり感動したのでここにて紹介。

Foodscapingというのは直訳で食材風景…というところだが、そのまんまで、食材を使っていろいろな世界観を創る試みのようだ。その中でも僕がたまらなく好きなのがminimiamの作品。日本人写真家の井田晃子さんとフランス人男性のPierre Javelleさんからなるユニットで、本当に心躍るような作品を数多く生み出している。

上の写真もスイカにズームインしてそこに作業員を見るという何とも言えない感性。詳しくはHPにある全作品を見て頂きたいのだが、身の回りにこんなほのぼのしたストーリーが見られるとは…その視点の面白さに感動。いかに僕たちが普段見ている世界が偏った視点からのものかが分かる。ズームイン/アウトしたり角度を変えたり、目線を上げたり下げたり…世界は本当はもっともっと面白い。感覚として大好きなだけではなく、いろいろ考えさせてくれる作品だ。

井田さんが日本人だというのも嬉しい。こういう素敵な活動をされてる方が実は日本でもあちらこちらにいるんだと考えると、その観点でも僕はもっといろいろな視点を持たなければなと思う。井田さんには是非お会いしてみたい。

"モンブラン"登頂

キウイですよ、キウイ。心温まる。

ぜひぜひminimiamのHPを楽しんで下さい!
(僕の友人の貴方は全てチェックして下さい!後日語りましょう。)
enter→Gallery→各Galleryで表示される3つの●のうち、真ん中の●で見進められます。

minimiam HP : http://www.minimiam.com/


Foodscapingとしては、他にこんな世界もあります。

イギリスのアーティストCarl Warnerさんの作品。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1089160/A-feast-eyes-The-artist-turn-market-stall-masterpiece.html
 

Monday, October 12, 2009

MFA型キャリアの著者の本

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①図で考えるとすべてまとまる <村井瑞枝>

『ハイコンセプト』の流れを受けて…
あまりにも経歴が面白い著者による新刊をついつい買ってしまった。

高卒→辻調理師専門学校(調理免許取得)→米ブラウン大(アート専攻、この間ボローニャ大、RISDに留学)→JPモルガン→BCG→レストラングループの戦略プロデューサー(現在)

まさに、"The MFA Is the New MBA"の実例とも言えるようなキャリア。面白すぎる。コンサルならともかく、金融機関でどんな仕事をしたのだろう。
と、ここまでは本書を読む前の感想にすぎないが、肝心の中身はというと…これがちょっと残念、非常にありきたり。この人ならもっといろいろなことが書けるのではないかと思うのだが、もはや僕でも書けるような感じ。ハッとするようなセンスだったり発想というものがない。次作に期待するしかない。日頃からまったく図を書いたりしない人、PPTのスライドを作るときに表現方法が浮かばなすぎて困っている人などは一読の価値あるものの、イマドキのビジネスパーソンには不要かも。


②毎朝1分で人生は変わる <三宅裕之>

先輩にもらった本。タイトルからは、早起きして何かちょっとしたことを習慣づけてより良くなろう、というような内容かなと思っていたのだが、意外と「朝」であることのウェイトが低かった。普通の自己啓発本という感じで、その中でも「軽い」ものを集めたという印象。ただまぁ、その軽いことを継続できるかというのが一番大事だったりするのでバカにはできない。
以下にいくつか内容メモ。

・毎日の小さな変化により遠心力が働く(p35)


・後回しにしている大事な仕事に毎朝最低5分真剣に取り組む(p37)

→これは確かにいい試み。短時間で簡単にできてしまうようなことはサクサク進む。一方で、緊急度と重要度を2軸としたマトリックスで緊急度低・重要度高に入る仕事で、特に考える時間を要するものは後回しになりがち。無理矢理でもその仕事用の時間を朝にとることで意外に進んでいく可能性がある。意識的に実践しようと思う。


・チャンスが来ればそれは神様からのGoサイン(p70)
・怖いと思ったらそれはGoサイン(p96)

→迷わず飛び込めと。「怖い」という感覚とドキドキ・ワクワクとは同方向のベクトルだと著者は言う。自信なんてなくてもいいからとりあえず飛び込んでしまう。「言うは易し」だが、そういって言い訳をすることなく常に心に留めておくべきか。


・今の状況は自分の意志で選んでいる(p82)

→全く同感。というか同じことをよく言っている。物理的に不可能なこと(今10mジャンプするとか)以外のほとんどことは自分の意志で選んでいる。5秒後の行動も明日会社に行くことも…全て自分の意志で体を動かしている。自分の意志で行っていることにはもっと真剣になっていいと思うし、言い訳をしてもしょうがないということ。最近はこの考えをかなり大事にしている。


・起床報告mail(p114)
・自分の「ルール」を決める(p132)

→ちょっとしたことだけどいいかもしれない。僕もどうしても自分に負けてしまうので…


・何かをやめる=実は何かを生み出している(p195)

→「やめる」ための士気アップに。
 

Monday, October 05, 2009

ハイコンセプトの時代

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ハイコンセプト <ダニエル・ピンク>

何と買って1年以上も本棚に眠っていた本書。積読に至った理由は今となっては謎だが、僕の場合、その原因は往々にして装丁にあったりする。

読んでみて、斬新さはなかった。ただ、僕が常日頃から考えていることと非常にマッチする。かなり有名な本だが、そういう意味で僕はいろいろな人に薦めるだろう。
情報化とナレッジワーカーの時代の次にくるのは、以下6つの感性が重視されるハイコンセプトの時代であるというもの。

1.機能だけでなく「デザイン」
2.議論よりは「物語」
3.個別よりも「全体の調和」
4.論理ではなく「共感」
5.まじめだけではなく「遊び心」
6.モノよりも「生きがい」

どれも納得。今プロフェッショナルの「仕事」になっていることの多くは安い労働力とコンピュータに取って代わられてしまうもので、今後はその2つの波が容易に飲み込むことができないような能力がプロフェッショナルには問われる。
訳者の大前さんのはしがきでは、総中流社会からM型社会へと急速に移っている日本で上に行くための3つの「避ける」が提唱されている。まさに2つの波から逃れるための鉄則だ。

(1)「よその国、特に途上国にできること」は避ける。
(2)「コンピュータやロボットにできること」は避ける。
(3)「反復性のあること」は避ける。

今後は、創造性、イノベーション、プロデューサー、クリエイティブなどのwordが今以上にkeyになってくる。近年の急速なグローバル化とテクノロジーの進歩には目を見張る。僕はかなり前から、"記憶"や"知識"への執着をなくしている。中高生の時などに比べて記憶力が落ちたというのも理由ではあるが、コンピュータの圧倒的な力の前に、人間が人生の多くの時間を使って"input"することの必要性を感じなくなったからだ。ただ、当時はロジカルに考えるということには力点を置いていた。単純知識の記憶という点ではもはや到底コンピュータには勝てないが、その知識を繋げていく過程ではまだ人間が勝るし、何よりも人間の素晴らしい力の一つだと感じていたからだ。ところが、ロジカルに考えるという行為の一部はコンピュータに侵食されつつある。飛躍のない一本筋のロジックに基づき分析をするというのはコンピュータにとってはお手の物で、スピード・正確さの両面でなかなか手強い。何かを分析するという仕事のうち少なからずはそうしたドライなロジカルさに基づくものであり、これが人間の仕事として成り立たなくなるのは目に見えている。ロジカルに物事を考える力は勿論必要だが、もはやそれだけではvalueにならない。

"今"の投資は5年後とか10年後とか、人によって期間はさまざまだが、将来の自分のためのもの。ここで忘れてはならないのが今の前提と将来の前提は違うということ。10年後のためだと言いながらがむしゃらに旧型のナレッジを身につけたとしても、10年後にその価値が下がり、二束三文にしかならなかったとしたら投資は失敗だ。自己投資はあくまで将来の状況を見据え、そこでのなりたい自分をイメージして行うものだと思う。今なんとなく周りよりできていないこと、ビジネス書にあたかも「絶対必要そう」に書かれていること、それをコツコツとできるようにしていくだけではまるで凡人。いつまでたっても一歩先の領域には辿り着かない。


全体的に共感しきりの本書だが、特に印象深かったのは以下の部分だ。

・トースターの話(p146)
普通の人にとって、トースターは一日の1%が「実用性」を発揮する時間で、残りの99%はただあるだけの時間。もはや趣味で部屋に置いておくオブジェと変わらない。自分の嫌いなデザインのオブジェをわざわざ置く人はあまりいない。価格が下がって誰でも簡単に手にいれることができるようになったトースターはもはやデザインが最重要ポイントになりつつある。この考え方は身の回りのあらゆるものに適応できる。

・パオラ・アントネリの言葉(p133)
「優れたデザイン=今までそれがなかったことに世界の誰も気づかなかったような物を無から生み出すもの」
これは非常に本質的だと思う。僕は「なぜ、それがなかったことに誰も気づかないのか?」という質問を突き詰めてみたいと思っている。その向こうにこの先を生きる大きなヒントがあるように思う。

・医師、ハワード・ブロディ博士の言葉(p187)
「人は病気になったとき、自分の身に起こっていることを物語の形で理解するものだ。」そして、その物語を認識できない医師は片方の手を後ろに縛られたまま仕事をしているのと同じだと説く。これにはシビれた。これを聞くだけで名医だなと感じるのは僕だけだろうか。

・「創造性の大部分は伝統領域の境界を超えることにある」(p214)
領域とは関連性によって形作られるもの。ただしかし、関連性は一つと決まっているわけではない。思ってもいない関連性はまだまだ存在する。領域という名の関連性バイアスを取り除くことが新たな関連性の発見に繋がるとも思う。

・これまでのナレッジワーカー(p223)
「概して割り当てられた仕事をこなすだけで、大きな庭の中の自分の持ち場の世話をして一日を過ごすようなもの」
重たい1フレーズ。会社の壁に貼ったらどうだろう。日本のサラリーマンの90%は何かガックリくるのではなかろうか。その一日の積み重ねで人生は出来上がる。幸せの形は人それぞれだが、今の僕では到底幸せな人生とは思えない。

・ダライ・ラマの言葉(p321)
「私は人生の究極の目的は、幸福の追求だと信じています。」
完全に意見は同じ。いつも周囲の人にも言っている通り。僕も追求します。

・ロバート・ファイアストーン博士の言葉(p327)
「あなたは石の下に隠された、誰か他の人が書いた人生の意義を見つけ出すわけじゃない。自分自身の内側から人生に意義を与えることでしか、それを見出すことはできないのだ。」
スティーブ・ジョブズの言葉に似ている。これも同感。

・90歳になった自分(p339)
そこから眺める自分の人生は?
僕はこれに近い視点を毎日確認している。すごく大事だと思う。

・20-10テスト(p340)
「もし自分の口座に20億円以上あり、あと10年も生きれないとしたら、今やってることをやり続けるだろうか?」
この自問に対して何の迷いもなくYesと答えられる人は幸せだろう。なぜかNoの人が多いはず。Noの人がその状況を変えられない理由は何だろうか。これも大事な考え方。


最後に、本書には、これからはMBAよりMFA(Master of Fine Arts : 美術学修士)の時代だと書かれているが、それに関連するものと、ダニエル・ピンクの講演の様子を付け加えておく。

The MFA Is the New MBA
http://blogs.harvardbusiness.org/cs/2008/04/the_mfa_is_the_new_mba.html

HARVARD BUSINESS IDEACAST 版
http://blogs.harvardbusiness.org/ideacast/2008/05/harvard-business-ideacast-92-t.html

ダニエル・ピンク TEDの講演 コメント欄には本人降臨?

 
http://www.ted.com/talks/lang/jpn/dan_pink_on_motivation.html
 

Sunday, October 04, 2009

ざっくり会計の本

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①借金を返すと儲かるのか? <岩谷誠治>

ざっくりと会計のイメージを掴み、仕事でのActionが会計上どういう影響を引き起こすのか考えられるようにすることを目的とした本。
会計ブロックという面白い考え方を用い、簿記的な細かい仕訳作業にアレルギー反応が出ている人でも落ち着いて読める内容になっている。
一見密度が低そうな本にも見えるが、内容は極めて本質的だと思う。
僕は会計嫌いの困ったさんで、会議でも会計処理の細かい話になってくると途端にモチベーションが下がるのだが、それでもやはりあらゆるビジネスパーソンが本当の意味での基本を押さえておかなければならないことは論を俟たない。ゲームをする上でのルールだからしょうがない。ではCPAや簿記1級を取った方がいいかというと、必ずしも、それは必要ないと思う。何でも知識や技術はあるに越したことはないが、人生時間が限られている。会計の専門家になるのでなければ、他にやり方はある。本書のようなアプローチはその一つだと思う。簿記2級持ってても、決算書類を作成するときと見るとき以外頭にないというのではイマイチ。会計というルールを意識してビジネスのActionが取れるようになると俄然違うだろう。
同じようなアプローチでもう少し突っ込んだ部分も理解できるような続編に期待。


②「俯瞰」でわかる決算書 <中村亨>

ざっくり決算書を見るということをテーマにした本。
まず、装丁だが、読みやすい。余白のスペースがたっぷりとられていて疲れない。決算書というと普通は文字・数字がギッシリという印象なので、その点でまず初心者に対して訴求力がある。
デザインの話は置いておいて、内容はかなり基本的ながらも頭の使い方を復習するにはいい。細かいルールを覚えれば覚えるほど固くなっていく頭と視線をズームアウトさせて決算書の要所を押さえ、そこから何を読み取れるのかを解説。実例をそこそこ多く出しているのもいい。
どうでもいいが、表紙で著者の上着の着丈袖丈が長い気がする。
 

Monday, September 28, 2009

クラウドソーシング

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クラウドソーシング <ジェフ・ハウ>

新書としては『ウェブ進化論』以来のexciting作。
起きている変化を希望に満ちた変化として描いているところが共通している。人によっては、突っ走りすぎというような感想を持つかもしれないが、僕としてはこれぐらいが丁度いいし、心地いい。

「クラウド」がつく単語が最近巷を賑わせているが、クラウドソーシング(Crowdsourcing)もその一つ。本書はクラウドソーシングという単語の生みの親であるジャーナリストのジェフ・ハウ氏自らの本だからこそか、非常にわかりやすいし、面白い。
Tシャツ販売の"Threadless"、写真素材提供の"iStockphoto"、R&D委託の"InnoCentive"などの代表的クラウドソーシング企業を例に挙げながら、その仕組みとそれが成立する理由、さらにはこれから世の中がどうなっていくかについて熱く展開される。そもそもクラウドソーシングとは、クラウド(群集)にソーシング(委託)するということで、今までのように特定の業者と契約を結んでアウトソーシングするというのではなく、不特定多数の人の力を借りて目的を達成するというもの。

これが上手く機能するのは、まずソーシングを行う企業側にとってメリットがあるから。即ち、高い人件費を払って自社に専門家チームを作るよりも、外部の専門家に頼むよりも、多様性に富んだ群集に解を求める方がコスト的にも、そのクオリティーにおいても有利であるということだ。環境さえ整えば、群集は企業の専門家チームよりも良いものを生み出すことができるのだ。
著者は、「(クラウドには)行き場のない才能や創造性がもてあまされている」(p12)と述べ、ビル・ジョイも「頭のいい人々のほとんどは他人のために働く」(p19)と述べている。
本書で著者は具体例をふんだんに使って、実際にクラウドがどれだけ優秀か証明する。
他方、ソーシングされる側、すなわち我々群集にもメリットがなければクラウドソーシングは成り立たない。しかし、これが上手くはまっているからこそ例えば上述の3社のような企業が存在する。クラウドソーシングは群集に新しい働き方を提供しているのだ。先に"行き場のない才能や創造性"というフレーズを引用したが、まさしくそれがポイント。僕たちは本当に100%自分の能力を活かせて、自分がやりたい仕事をしているのだろうか?そういう人はたぶん稀だ。それぞれいろいろな事情もあり、そう簡単にそんな最高な仕事にはありつけない。だからこそ、その言わば"もったいない"リソースを提供する側と享受する側とにWin-Winな関係が生まれる。

Webという大きな波に後押しされ、クラウドソーシングは社会を確実に変えようとしている。そして新しい働き方の台頭により、働くことの意義、報酬とは何か、そういう所まで個々人が考え直すことができるようになった。クラウドソーシングという単語を著者が生み出したのは2006年。時代はじわりじわりと変わりつつある。本書は新しい時代の生き方をポジティブに考えるきっかけを与えてくれる非常に良い本だと思う。オススメです。

一つだけ心配なのは、やはり芸術家、クリエイター、研究者といった人の中で食えなくなる人が増えること。これは確実だろう。どの分野でもとんでもない才能を持った人が一定数いる。そういう人にとっては群集が相手だろうと全く関係ない。常に想像もできないようなパフォーマンスを生む。ただ、そうではなくてそこそこの才能とすごい努力でもってある一つの分野に励んでいる人が多くいて、実はそういう人たちが文化や基礎研究を支えていたりする。彼らの生活は今だってそんなに余裕のあるものではない。そしてクラウドソーシングが高度に機能する世の中になると、彼らの生活は破綻する。今までフルコミットし続けてきたフィールドから離れざるをえない状況になることも考えられる。そこにポッカリと空いた穴を群集の力が埋めることができるかどうか、僕は正直不安だ。まあその頃になると前提となる構造すら変わってしまっているのかもしれないが。


以下に本書で印象に残った部分をいくつかメモ。

・スレッドレスはTシャツを販売しているのではない。コミュニティを販売しているのだ。(p13)

・クラウドソーシングには一種の完全な実力社会を形成する力がある。~~仕事そのものの質だけが問われるのだ。(p23)

・クラウドソーシングは、われわれの誰もがクリエイターだという仮定にもとづいている。(p23)

・報酬はドルやユーロに換算できるとはかぎらない。(p25)

・ウィキペディアやフェイスブック、ユーチューブなどの例では、企業の仕事をコミュニティが行っている。(p155)

・イノベーションはメーカーではなくユーザーによってもたらされる。~~ユーザーのほうが製品パフォーマンスの向上を必要とし、それを実現させる能力をもちあわせている。(p159)

・情報経済での原材料は鉄や鋼などではなく、ベンクラーの言によれば、「人間の創造的な労働」である。(p162)

・(InnoCentiveを活用するP&G)「毎年、研究予算は営業予算よりも急激な勢いで増えていく。現行の研究・開発モデルは破綻している。(p209)

・じつは、課題を解決できる確率は、専門とは異なる分野の課題にとりくんだ科学者のほうが高かった。(p212)

・(ビル・ジョイ)社内にどれだけたくさん賢い人間がいても、いちばん賢い人間はどこか別のところで働いている。(p219)

・(参加型メディアに関する法則)1対10対89の法則といって、あるサイトを訪れる100人のうち1人はじっさいに何かを作りだし、10人はその人の作品に投票し、あとの89人はその作品を消費するだけであるというもの。(p318)

・クラウドソーシングを成功させるには、マズローの五段階欲求説でいう最上位、自己実現欲求を満足させることである。人びとが参加の方向へ引きつけられるのは、なんらかの心理的、社会的、あるいは感情的な必要を満たされるからだ。(p403)
 

Saturday, September 26, 2009

ファイナンス入門の入門

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①道具としてのファイナンス <石野雄一>

世の評判も良いが、かなりよくできた本だと思う。
ファイナンスを全く勉強したことがない人から、多少勉強したものの消化不良という人まで有用。
ファイナンスの本と言えば、基本概念を極端にやさしく説明するかハードカバーの所謂「基本書」系のどちらかであることが多いが、本書は「実務に使える」ということを主軸とし、基本的にexcelでの説明がなされる、まさにそれを待っていたという人が多数現れそうな内容。本書内で出てくるシートは全て一括DLできるしかなりCP高めな一冊。
著者も昔溢れるほどファインス本を読んだが結局使えなかった、イマイチだったというエピソードが書かれているが、そういう"実"経験があるからこその分かりやすさ、展開だなと感じた。
万人にオススメできる1冊、かつ自分もデスクの引き出しに入れておく価値ある1冊。


②MBAバリュエーション <森生明>

こちらも良本だと思う。けっこう有名&レビュアーの評価も高いのも頷ける。
難しさは全く感じさせずに、しかし要点は確実に押さえている。 特に簿価純資産、時価純資産、会社価値、企業総価値の4つの違いが明解に説明されていて、初心者にも分かりやすい。

valuation は細かく見ていくと本当にプロの、というかvaluation屋さんの仕事だとつくづく感じるが、本書では一般の人がネットや四季報などで簡単に手に入れられる情報を、非常にシンプルなexcelにinputするだけでそこそこ意義のある数字を出すことができるように解説されている。valuationは仮定の置き方など正直キメの部分で何とでもなってしまうもの、もしくは結論となる価格ありきであることも多い。従って、本書のような"ざっくりvaluation"の数字を何に使えるかと言えば難しいところなのだが、ポイントを押さえた大まかな枠組みで数字をはじき、それを比較分析することは非常に勉強になる。また、会社の価値とは何かをぼんやり考えるのではなく、ざっくりとでも数字を出して考えることに意味があるとも思う。

ハイレベルな本は何冊もある一方で、本書はvaluationの一冊目としてオススメ。
因みに著者の森生さんはドラマと映画の「ハゲタカ」の監修担当。ハゲタカも相当面白い。
 

Tuesday, September 22, 2009

Le Corbusier のメッセージ

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2ヶ月程前に発行された Casa BRUTUS の特別版MOOKがコルビュジエ特集だったのだが、最後の方に、インドを代表する建築家であるバルクリシュナ・ドーシがコルビュジエから以下のようなメッセージを受けたという話が載っていた。

「彼(コルビュジエ)はいつも変化を加えることを考えて仕事をしていました。創造的な人間にとって規則は破るためにある。彼はこう言いました。"真実とは川のようなものだ。方向を変え、自らを少しずつ変えながら流れていく。真実が大海に出るためには、両側の堤に触れてはならない"つまり、時間を超えたものを創造したいのなら、流れつづけ境界に縛られてはならない。創造には境界がない。それが彼のメッセージです。」(p177)

真実を、時を超えて流れつづける川に例えるこのメッセージは深いなと感じた。この部分だけ3回ぐらい読み直してしまった。「真実は一つ」なんてよく言うけれど、そこからガッチリした不動の真実の像を思い浮かべるとしたら、それはある種の切り口に固執した感覚だと思う。フローとしての時間の概念を考慮せず、ある瞬間を捉え、その状況を隈なく調べ考えた結果にすぎない。でも実際に世の中は時間の流れの上に乗っていて、その流れの中で真実は常に変化するもの。その日その時代のスナップショットばかりを見て考えていては真の創造はできない。小手先のアイデア作りではなくて本当の"創造"とはどういうものなのか、最高の比喩を用いたメッセージ。フレームワーク思考に溺れないためにも頭に留めておくべき重要なメッセージだと思う。

ロンシャンの礼拝堂 (Photo by Liao Yusheng

コルビュジエといえば誰もが知っている?ような巨匠で関連の出版物も多いが、今回のCasaのMOOKはよく纏まってるし、読んでいて楽しい。買ってよかった一冊。
上の写真はお馴染、ロンシャンの礼拝堂。コルビュジエ建築の中で1,2を争うほど好き。見に行きたい…

サヴォア邸 (出典:CoolBoom

2年前に森美術館のコルビュジエ展に行ったが、建築だけでなく絵画も多数あり、アトリエの実寸大再現もありで最高に面白かった。また次どこかで開かれるのなら観にいきたい。もっとも、森ビル社長の森稔さんは世界有数のコルビュジエコレクターらしいため、2年前の展示以上のものが開催されるかはわからないが…

やはり偉大。
 

Sunday, September 20, 2009

葉加瀬太郎のパフォーマンス

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葉加瀬太郎率いるこのグループのパフォーマンスはすごい。
この人はソロでクラシックをやるのも、こういうライブパフォーマンスをするのも、伴奏をするのも、曲をつくるのも、全て上手い。バイオリン一挺でこれほど人の心を動かすのか。
プロフェッショナルとは何か、才能とは何か、パフォーマンスとは何か…いろいろ考えさせられる。

誰もが持つ、人より僅かにでも秀でた自分の才能を活かし、楽しみ、プロフェッショナルとして最高のパフォーマンスで他の人を幸せにする…そういうことを真剣に考えずに生きていたくない。霧に隠されていた何かを刺激してくれた映像。



これは葉加瀬太郎と古澤巌のチャルダッシュ。
弾き手によって本当にいろいろな味が出る曲だけど、こういう今っぽいのも悪くない。


最近何か作品をつくるということをしていない。
無理矢理でも継続してつくり出すものなのか、それとも内から込み上げてくるものを捉えるものなのか。良い作品を生み出す人からは両方の考えが出る。答えはないのだろうが、今の僕には前者が合っている気がする。
 

Thursday, September 17, 2009

原点回帰的な空気清浄機 ANDREA

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いろいろなDesign系Blogで取り上げられている"ANDREA"が新しい。
上の写真のような、植物が入ったカプセル様の空気清浄機で、キャッチコピーは、
"An innovation in ecological living through plant-based air purification."

若手フランス人デザイナーの Mathieu Lehanneur と、Harvard教授のサイエンティスト、David Edwards のコラボ作。

天然の空気cleanerであり、フィルターである植物の"仕事"効率を高める工夫がなされているらしい(それがなかったら部屋に普通に植物置いておくのとさしたる変わりはないだろう)。ファンで空気を取り込んで、植物に効率的な仕事をさせ、きれいな空気をはき出す、と。official siteを見てもあまり詳しいことが書いていないのでイマイチその技術が腹に落ちないが、構想から完成まで結構な月日をかけているところを見ると、ただカプセルの中に植物を入れただけではなさそうだ。
他に特徴として挙げられているのは、「家にありそうな普通の植物なら大抵OK」、「オゾンフリー」、「省エネ」といったところ。


デザインは近未来的でなかなかGood.
保育器も彷彿させるデザインで何だかやさしさがある。




10月より買えて、価格は€149とのこと。それほど高くはない。
買ってアロエでも入れようか。興味は強い。

official site:
http://www.andreaair.com/

販売site:
http://www.laboshop.fr/andrea.html
 

Monday, September 14, 2009

スウェーデン式 アイデア

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スウェーデン式 アイデア・ブック <フレドリック・へレーン>

いい本にめぐり会えた偶然に感謝。小粒だが非常に効く1冊。
ダイヤモンド社が出しているわけだが、完全にビジネス書。この「気づき」の多さ、会社で配ってもいいんじゃないだろうか?素晴らしい。

本の形も面白ければ、カラフルで子供の絵本のような一見「癒し」な装丁だが、中身は凝縮された30の小話。どれも面白い。最近、読んで分かった気になることが多い小難しい本よりも、こういうシンプルなものが一番「今日から変える」力を持っていると思う。シンプル・イズ・ベストだ。

サラッと読めるのでまた煮詰まったときにでも読みたいのだが、一部メモ。

・はてなタクシー…基本条件、絶対条件と思っていたことの一つを排除してみると、意外に良いアイデアが得られる。こういう大胆な「仕掛け」を意識的にやることでブレイクスルーは生まれる。「話にならない」、「ありえない」と一蹴してしまってはアイデアの芽は見れない。


・「レンガ一個の使い道を15分で50通り考えてみてください。常識にとらわれない人がだれかわかります。」(p15)
・「20通りの方法で日課をこなす」(p23)

⇒トレーニングしないとね。


・「混ざらないものを混ぜる」(p36)

⇒この表題が深い。ダヴィンチの言葉。これもかなり意識してやらないとできない。


・「創造性の4B」
Bars, Bathrooms, Busses, Bed

⇒ジェームス・W・ヤングの『アイデアのつくり方』でもココは重要視されているポイント。
 

Sunday, September 13, 2009

細野真宏の株本

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①細野真宏の世界一わかりやすい株の本 <細野真宏>
②細野真宏の世界一わかりやすい株の本 実践編 <細野真宏>


モノを教える能力が神がかっている細野さんの有名本。経済の基本についての本が素晴らしかったのと、どうも相当売れているらしいのとで買ってみた。今さら。
相変わらず教え方が上手いなと思った。基本がよくわかっていない人に本当の基本を教えるというのは実は非常に難しい。基本ができている人に難しい事象や学問を教えることの何倍も。1冊1,000円の親しみやすい本でそれができてしまう細野さんは凄い。

僕は株についてはド素人というわけではないので、本書の内容で理解できていなかったなと感じる部分はなかったが、むしろ驚いたのは、いろいろ専門的なことを知らなくてもこのシンプルな2冊で充分まともに株式"投資"ができるということ。株は奥が深く、学ぶことはいくらでもある。ただ、本書は読者のターゲッティングとそこでのプライオリティーのつけ方が非常に上手いゆえに不思議な機能を見せる。
株には興味があるが株の「か」も知らない、という人にはとりあえずこの2冊をオススメする。
 

細野さんは慶應在学中から教育界で活躍し始めるも、プロフィールは意外に謎。これだけ本が売れているのに、勝間さんのようにあまり表に出てこない。けっこう気になる存在。会ってみたいものです。
 

Saturday, September 05, 2009

仕事への取り組み

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①セクシープロジェクトで差をつけろ! <トム・ピーターズ>

トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦シリーズの第2弾。
第1弾と内容的にかぶる部分も多いが、プロジェクトマネジメントというか、日常の仕事(=全てプロジェクトになる)の変え方、始め方に特化した本。トムピーターズ本はやはりあつい。本書を読んで、「めちゃくちゃだ」、「子供騙しだ」、「できっこない」と感じる度合いが強い人ほど状況は危機で、サラリーマンどつぼにはまっていることの表れだろう。
本書もテンションが下がったときに読み直したいが、以下は備忘のため内容メモ。


『物分かりがいい人間は自分を世間に合わせようとする。分からず屋は世間を自分に合わせようとする。したがって、分からず屋がいなければ、この世は進歩しない。』(p36)

⇒ジョージ・バーナードの言葉を引用している。シンプルながらすごいフレーズ。分からず屋は悪ではない。人類の進化は非常識な人間の力にかかっている。


『15年もすれば、すごい仕事、あるいは、すごいことをやろうとして失敗した仕事しか憶えていない。60歳になって人生を振り返ったとき、自分が何をしてきたか、何も憶えていないというのは、悲しすぎる。みじめすぎる。』(p59)

⇒これは本当にそうだと思う。死ぬ前や歳をとってから人生を振り返るという視点が必要。今何をしなければならないのか自然に分かる。近頃はそればかり考えている。p59の挿絵が非常に印象的でこの挿絵を見るだけでも本書を読む価値あり。


『これから取り組むプロジェクトのプレスリリースを作成してみよう。』(p72)
『一年半から二年の間に、自分の履歴書に書き加えたいと思うものを二つか三つ考えてみよう』(p93)

⇒プレスリリースが書けないような、履歴書にも書けないような、しょぼいプロジェクト(=仕事)ならやめてしまおう。もしくは変えてみよう。というもの。これも多くの終身雇用型サラリーマンにはない意識で大事。


『公理。すごいプロジェクト=ルールの変更。ルールの変更=怒りだすヤツがいる』(p95)

⇒プロジェクトを実行しようとすれば政治はさけられないもの。如何にして味方を増やすか、敵を弱くするか、そういうのもダサいことではなく、真剣に取り組まなければならないこと。本書にはサポーターを増やすためにも、エレベータースピーチ、廊下スピーチの練習は欠かすな、ともある。


『せっかく人に生まれて、冒険をしないなんて、命がもったいない!』(p106)

⇒トム・ピーターズはここまでいう。冒険とか海賊とかロマンとか血がさわぐ言葉は血がさわぐお客さんを引き寄せるとも。冒険と言う言葉は個人的にもかなり好き。


『有能な改革の旗手は、誹謗中傷など気にしない。~~時間とエネルギーと資源の無駄である。そして何より、私たちのもっとも貴重な資源である感情資本が無駄に消費される。』(p162)

⇒ついついカッとなって戦ってしまうのが常だが、そこは一皮剥けなければならない。冷静に考えればそうなんだけどね。


『すばらしい失敗、気高き失敗、誠実な失敗、カッコいい失敗にはご褒美を出し、平凡な成功は罰する』(p229)

⇒日々罰されそうだ。これは個人の問題というよりは、組織作り、環境づくりの話。自分が組織をもつときには強く意識したいところ。


『ベンチャー企業でも、起業家からプロの経営者にバトンを渡すべき時がくる。これは苦悶の決断だから、潮時を読み間違う起業家が多い。』(p248)

⇒本書はプロジェクトからの退場、引き際についても指南がある。この辺りはけっこうレベルの高い話。言っていることは頭では分かるが、これも経験値が必要だろう。ただ、予め頭に入れておけるのは非常にありがたい。


②PLAY JOB <ポール・アーデン>

サンクチュアリ出版の本。装丁は毎度素敵。今回も写真やデザインが文字に力を与えることを再認識。
実は、上記のトム・ピーターズ本と全く同じジョージ・バーナードの言葉が引用されていたりする。

本書で印象に残ったことは、願望からの脱却が大事だということ。
人は誰だって「人とは違う人生を送りたい」とか「刺激的な人生を送りたい」とか思っている。人は何事に対してもいつも誰でも、賢明な判断をしようとしているが、それだけでは願望は叶えられない。無難な選択はやめ、ラジカルに生きなければ。本書には、多くの人が誰かの人生を借りて彼らの興奮を擬似的に味わっているという指摘がある。有名な人に自分の人生を投影して気分だけ味わっていると。ただ、やはり未来の一時点から自分の人生を振り返ったとき、そこには何も無い。幻想だ。投影先の「有名な人」は真剣に選択すべき局面で、いつも信じられない方ばかりを選んできた。そして、堅実な方を選ぶことだけは危険だということを気づいていた。そう本書は指摘する。
この話は本質的で胸が痛い。どれだけ過激な本を読んでも、どれだけ画策をしても、どれだけ夢を抱いても、リスクをとった勇気ある行動なくしてはリアルな変化はない。蜃気楼。願望は大事な気もするが、健全な願望が邪魔をして何もできないというのが難しいところ。とにかく誰かの人生への投影という準麻薬行為だけはだめだ。リアルな自分を生きろ。
 

Sunday, August 30, 2009

偶然の再会に思うこと

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8月27日、仕事を早々に切り上げ、東京都現代美術館(MOT)に向かった。
MOT×Bloombergでのプロジェクト、"PUBLIC SPACE PROJECT"として開催されている、"大西麻貴+百田有希 展覧会"の特別内覧&懇親会に参加するためだった。MOTの展示室以外のスペースを使って国内外の若手アーティストに作品を展示する機会を提供するプログラムだが、今回は、82,83年生という本当に若い建築家DUOの作品が取り上げられた。正直全く知らなかったのだが、興味があったし、"Food And Beverages Served"とあったし、で思わず申し込んだ。
MOT URL : http://www.mot-art-museum.jp/index.html

会場は、大西さん、百田さん、その関係者、建築界の方々、そして僕と同様縁あって内覧に参加した人々で賑っていて、日常ない刺激を受けることができた。作品も非常に面白く、若手DUOのセンスとそのスタンスに感服した。メインとなる鍾乳洞のような空間「夢の中の洞窟」はもちろん印象的だったが、僕は隣の会場に展示されていた彼らの設計した建築模型の方に興味を覚えた。特に「I邸」という、お伽話に出てきそうな家がかなり気に入ってしまい、こんな家に住んでみたいと素直に思った。決して広くはない土地に立つコンパクトな家なのだが、四角い家の周りに螺旋状に通路が巻きつく面白い構造で、しかもその通路は中を通ることはもちろん、上(外)をベランダのように歩くこともできる。言葉でなかなかうまく表現できない不思議な家だ。百田さんと話せる機会があったので聞いてみると、「"路地"が家に巻きつく」という不思議なコンセプトであることが分かった。家には興味があるので定期的にかなりの家(の写真)を見ているが、本当に新感覚。カメラを持っていなかったので写真が撮れず、かつネット上にもまだupされていないようなのでここに載せられず残念なのだが、ただの構想ではなく、クライアントもいてもうじき実際に建つということだ。是非見に行きたい。

偶然の再会は帰り際に訪れた。しっかりワインを飲んだ後、もう一度そのI邸の模型を見て帰ろうと思ったそのとき、誰かに呼ばれたのだった。そこにいたのはもう3,4年も会っていなかった高校時代の友人だった。クラスメートであり、共に本格的な木工作品を作る仲間だったが、彼は当時からずば抜けたセンスを持っていた。同時に非常に繊細で、「如才なく」という言葉とは対極にある生き方をしていた彼に何とも言えない可能性と興味を持っていたが、高校卒業後交信は途絶え、紆余曲折の後、美大の建築学科に進んだという話を聞いたのと、同窓会で軽く会った程度だった。
そんな彼は今回のプロジェクトの関係者だった。模型制作に尽力し、美術館のガラス箱に入ったメイン作品の模型には彼の名前が制作者として書かれていた。

再会に歓喜し、軽く話をして別れたが、一人の帰り道で僕はいろいろ考えずにはいられなかった。
「それぞれの道」についてだ。この歳になり、再会する学生時代の友人は皆それぞれの道を歩んでいる。それぞれの街でそれぞれの仕事、それぞれの暮らし…人には皆それぞれの道がある。世の中は広いし、人間ができることはたとえちっぽけなことだとしても、いろいろある。僕は一介のビジネスパーソンとして都会のど真ん中の高層ビルの森の中で日々暮らしているが、たぶん、僕に会う旧友にとって、それは「それぞれの道」に映るのだろう。だがしかし、それぞれの道を知っているのは、決めることができるのは間違いなく自分だけ。自分の意志で道を進まなければならない。右へ倣えはどれだけ楽なことかもしれないが、自分の道を歩んでいない可能性がある。年齢的にも自分の道を歩んでいていい頃だろう。今一度道について静かに考える必要がある。東京の大企業のビジネスパーソンが構成する世界は人間の見うる世界に比してあまりにも狭く、変化に乏しい、画一的な世界。その世界の誰が何と言おうが、僕は淡々と素直に、自分の道を歩まなければならない。いや、歩みたいと思う。
 

Monday, August 17, 2009

新世紀メディア論

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新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に <小林弘人>

「メディア」についてかなり熱い本。メディアには直接関わっていない僕は正直そのパッションについていけなかったのと、カタカナが多すぎる業界っぽい文章に疲れ、読了するのにかなり時間を要した。

小林さんはウェブメディアで成功している人だし、題名や前半の語り口からも、新聞や雑誌のような古いメディアはもうダメで、新しい形(ウェブ)に目を向けなさい、というような本かと初めは思った。ただ、読みにくい文章を越えて後半になって、いや最後の最後になって著者の想いが分かったように思えた。著者はメディアの本質自体が今とは違う何かに変わるとは言っていない。メディアや編集者というのは本質的には不変で、環境、形が変わっただけだ、と。新聞や雑誌という今衰退中の媒体の上で活動するメディア人、編集者の考え方が媒体の形式ありきになってしまっていて、それについて「違うだろ」と警鐘を鳴らしている。さらに著者は実はかなり紙メディアにも思い入れがあるように感じられる。p275辺りで特にそうした色が出ている気がする。紙には紙のいいところがあり、ウェブとは違う役割を果たせることを説いている。

僕はメディアに対し特に一家言があるというわけではまったくなく、普通に消費者として関わっている身だが、メディアについて誤解していたことが多分にあった。まだうまく言語化できるほど理解できていないが、本書は僕が考えていたものよりずっと上の概念の話をしていた。何回も読めばもう少し理解できるのかもしれないが、今回はとりあえずそれだけ感じることができた。読んでいて最初はつまらないと感じる本ほど深みがあったりする。

以下気になったところを簡単にメモ。(引用or要約)

・メディアビジネス=コミュニティへの影響力を換金すること(p22)

・「誰でもメディア」時代に突入。ただ、だからといって誰でもプロとしてやっていけるわけではない。カメラの例と同じ。誰でも写真は撮れるがプロ写真家としてやっていけるわけではない。「存在感は増しているのにもかかわらず、価値がデフレーションを起こしている。」(Lecture01)
⇒これは以前のエントリーで書いた音楽の価値の話と同じ。

・アテンションこそメディアの通貨(p31)

・クリエイティブの原点は共感の創出(p112)
⇒この一節は深い。

・「損益?赤字ならほかでバイトして、それをやり続けるだけですよ。」の発想の台頭で、メディア高給状態が崩壊。(p138)
⇒これがあるからウェブビジネスには正直手を出す気にはなれない。

・紙がやるべきこと→人間のキャパシティに合わせて情報をスクリーニング。「稀少性」の訴求。旧来のような情報コモディティ(日用品)から嗜好品への転換。(p179)
⇒「紙は嗜好品」の発想はかなり先進的。確かにそうなると思う。問題はいつ頃そうなるか。

・ウェブメディアの時代では、以下3つのスキルセットが必要。(p192)
(1)ウェブ上での人の流れや動きを直感し、情報を整理して提示する編集者としてのスキル
(2)システムについての理解、UIやデザインについての明確なビジョンと理解
(3)換金化のためのビジネススキーム構築までを立案できること

・「わたしが自ら会社を興したのも、社内での根回しや他部署との闘争などに辟易していたからです。出版の前に、まずは社内政治を戦い抜くだけで疲労してしまうわけですから。そして、その次には取次企業、あるいは代理店のネゴというふうに、真に見据えなければならない読者コミュニティからはほど遠くなっていくのが現状です。」(p223)
・「フローの高いウェブメディアでは、読者は上司の決裁など待ってくれない」
⇒これはメディアに限らずあらゆる大企業のBtoCビジネスに関係すること。大企業でも中小でも個人でも誰でもほとんどハンデなしに戦える環境ではこういう姿勢のBtoCはすぐに淘汰されるだろう。

・メディアビジネスの変遷。「ラージ・フォーカス、スモール・プロフィット」から「スモール・フォーカス、スモール・グループ、ラージ・プロフィット」へ。(p225)

・従来のパッケージング・メディアはそれ自体が完結しているのに対して、ウェブメディアはフローによって成立する。故に、そこからアクションを起こすことに繋げなければ意味がない。(p244)

・「人間は便利を欲しつつも、どこかで折り返し地点のようなものを内蔵していて、過剰な便利さに疲労するとそれを折り返し地点とした揺り戻しが起きるのではないかと。」(p286)
⇒同感。絶えず進化を続ける時代において大事なポイントだと思う。
 

Thursday, August 13, 2009

Mr Jones Watches

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時計を買った。
1週間程前に一つ買ったにも関わらず…
先週の月曜日、愛用していた腕時計の針が止まっていて電池交換に出したのだが、お盆の影響もあり、何と手元に戻ってくるのは1ヵ月も先。たまらず、代わりの時計を購入したのだが、急だった割になかなか気に入ったものが買えた。その出費から1週間も経たずに買ってしまうほど衝撃的な時計が現れた。

Mr Jones Watches

London の Crispin Jones という若手デザイナーの時計だが、本当に面白い。IDEOと協働したり、いろいろなPJTに携わっている同氏だが、最近はTenguというオモシロPJTと、この腕時計製作に重点を置いているらしい。

Mr Jones Watches のコンセプトは、
"Our watches are intelligent design pieces that do more than simply tell the time."
というもの。各シリーズを見ると、どれもこのコンセプトどおり、面白い"+1"がついている。そして時には時計が本来追求する機能を多少落としてでもその"+1"をつけるという作り方が粋だ。

例えば、"The Decider"というタイプの時計は"Yes"と"No"が毎秒交互に表示される。優柔不断な人はこの腕時計に判断を仰ぐことができる。すなわち、時計を見た瞬間に"Yes"ならGo!だ。

僕が今回即買いしたのは、Series 3 limited edition の"Cyclops"だ。『Odyssey』に登場する1つ目巨人の名前だが、色相環(だいぶ違う…)のように各時間の場所に12色の「目」が描かれている。数字は一切出てこない。そして「直線」も一切出てこない。多くの時計は目盛の部分や数字、針に直線がみられる。直線が「ある」とはおかしな話だが、逆に「ない」時計を作るとすればこの"Cyclops"のようになる。何ともシンプルでほのぼのとしたデザイン。
正直、正確な時刻はきっと分からない。電車にも容易に乗り遅れるだろう。だが、そこがこの時計の"+1"なのだ。
"Cyclops can be read with a relaxed kind of accuracy that offers a counterpoint to our hectic modern lives."
現代社会の慌しさからオーナーを救ってくれそうだ。


限定100本シリアルナンバー入りで、僕が買ったとき(今週月曜未明)はまだ残り24本あったのに、今はどうもsold out.
MoCoLocoで紹介された影響か、急ピッチで売れてしまったようだ。たまたまGBP/JPYがかなり円安に振れていたタイミングだったので、アホなレートで決済してしまったのだが、商品がすぐに売り切れてしまったことを思えば即買いして正解だった。

ちなみに、購入時多くの人が忌み嫌いそうなNo.44が残っていたので僕はあえてそれにしてみた。

まだ手元に届いていないし、安いし、材質的なクオリティーは未知なるも、今後も同氏の面白い時計には期待。

Mr Jones Watches :
http://www.mrjoneswatches.com/index.html
 

Wednesday, August 05, 2009

子供の危機

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前回のエントリーでは触れなかったが、『建築家 安藤忠雄』 の中で子供の教育について触れられている部分があった。「第10章 子供のための建築」の部分だ。

安藤さんは最近の「過保護」教育ぶりを危惧している。危惧というよりは子供が「かわいそう」だという主張かもしれない。

小学校で生徒が校舎のガラスに当たって怪我をした…
⇒ガラスにぶつかるのはガラスのせいなのか?(p282)

これは何とも奇妙でばかげた問いかけなのだが、最近ではおかしいほどに(このケースで言えば)ガラスの加害責任ばかりが追及される。

これでは建物の作り手、サービスの提供者も消極的になってしまう。

本書の中での安藤さんの主張を簡単にまとめると…(p282~291)
・子供の個性、自立心を育てようという発想と、危険のありそうなものは全て排除して、徹底的に管理された環境で保護しようという発想とは全く矛盾する。
・過保護であることは自己管理能力の発達を阻む。「生きている」緊張感がなくなる。
・自分で何か工夫して問題を切り抜けようという創造力は育つだろうか?
・今の子供たちの最大の不幸は、日常に自分たちの意思で何かが出来る、余白の時間と場所をもてないこと。昔であれば、放課後の時間と、大人の定めたルールも何もないどこの街にもポカンとある空き地。戦後日本の経済一本槍の社会が子供達からこの空き地と放課後を奪った。
・建築も同じ。つくり手が「ここはこう使ってください」と全部決めつけてしまっては、使い手が想像力を働かせて使っていく楽しみがなくなってしまう。

僕も全く同意見だ。
なぜ、子供や親が自分たちで何とかしようとしないのか、環境に立ち向かおうとしないのか。モンスターペアレント?なんてふざけて言っているけれど、これは相当大きな問題ではないか?親がまともでなくてどうやって子供を教育するのか?現在親になるには何も資格はいらないが、このあたりもう少し真剣に考える必要があるだろう。おかしな親に育てられた、自己管理能力のない子供がやがて親になったとき、そのまた子供は一体どうなるのだろうか?そうなってしまってはもう戻れない気がする。

ガラスの例で言えば、僕は小さいときから、そういう一見危険なものに触れさせられた気がする。母親の方針でプラスチックの皿は使わず、普通に割れたり欠けたりする食器を使っていた。はさみや包丁なんかもかなり早い段階で与えられた。これには本当に感謝である。子供は意外なほどに適応力を持っており、そして失敗してもその10倍ぐらい学ぶ。自己管理能力の育成と危険とを天秤に乗せたとき、絶妙なバランスを保つ監督者が親であり、いい親はクリティカルなダメージを受けることがないように目を光らせながらも、最大限自己管理能力を伸ばす。こうした「親の」能力というのは実は誰もが持っているものではなく、そうしたバランス能力が欠如してしまった親が所謂モンスターペアレントだったりするのだろう。

他方で、問題の背景には親の存在だけではなく、学校の教師もいるし、もちろん環境の変化もある。昔に比べ、あまりにも生活が便利になり、本当に至れり尽くせりといった状態。ありとあらゆる製品が非常に高い安全性基準をクリアし、危険性を排除した作りとなっている。モノが、文明が人をダメにしているのか、それとも人の要請により環境が変わっているのか、鶏と卵の議論になってしまうが、今がそのスパイラルの中であることは確かだろう。


こんな時代だが、しかし「教育者」は確かにいる。教育について最近刺激を受けたのは次の2人だ。

・渡辺健介さん(株式会社デルタスタジオ代表)

『世界一やさしい問題解決の授業』の著者であり、研修でお世話になった方。
研修の場でも酒の席でもいろいろな話を聞くことができたが、この人が「教育」に関する事業をやっていてよかったな…と心底思える人だ。
HPに、"デルタスタジオでは、世界のどこでも生き生きと、主体的に想像し、考え抜き、行動できる人材の育成を目指し、弊社「寺子屋」にて独自の教育を提供しています。"とあるが、今の親や日本の教育制度に欠けている要素を見事に補っている。子供の未来を創る素晴らしい仕事だと思う。

・横峯吉文さん(通山保育園理事長)

ゴルファーの横峯さくらの伯父さんで、Yokomine式学育で有名。先日TVで見て、そのリアルな教育法に感心した。
子供をやる気にさせる4つのスイッチ
 1.子供は競争したがる。
 2.子供は真似したがる。
 3.子供はちょっとだけ難しいことをやりたがる。
 4.子供は認められたがる。
を上手く使って、楽しみながら自己管理能力、創造力、問題解決能力などを身に付けさせる学育は素直にすごいと思った。
(参考)http://www.cosmo.bz/azc/index.html


子供の可能性は無限大とは言わなくとも、それに近いと思う。ただ、子供は自ら機会を得にいけるほど社会が分かっていない。機会を与えてやり、ポテンシャルを高めることこそが親や教育者の役割だろう。あとは「何をやるか」「どう生きるか」…を子供自身が考え、切り開いていけばいい。
 
 

Sunday, August 02, 2009

建築家 安藤忠雄

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建築家 安藤忠雄 <安藤忠雄>

素晴らしい本。ここ1年で読んだ本のBEST3には入ってくる。
最近「自伝」というジャンルの本を読むのが面白くなってきたように思う。昔は、自伝というと自分とは違う人が自分とは違う価値観に基づいて自分とは違う時代を過ごしてきた記録であり、そんなに気づきの多いものではないと思っていた。どちらかというと何かを得に行くというよりは読み物として楽しむものという整理だ。
そう捉えていた自伝が面白くなったのには二つ理由があるように思う。一つは、自己啓発の類の本をいろいろ読んだこと。自己啓発本からは多くのことを学べるし、視野を広げることもできるが、次第に、極端に言えば「どれも言っていることは同じ」というように感じてくる。新しい発見はもちろんあるが、内容が被ってくるのだ。そして何だかストレートに腹に落ちなくなってくる。「そういう考え方、視野があることは知っている」という状態で止まってしまって次のステップに行かないときがよくある。実生活での学びと上手く結び付けられればいいのだが、あくまでも「本」の中での話をすると、自伝が効く。自己啓発本で何となくinputしたようなことが、自伝を読んでいると繋がってくる。実生活に繋がったときほどではないが、科学の教科書で学んだ知識を実験によって確かめるような感覚がある。もう一つは、自分が以前と比してより人生について真剣に考えているということ。そろそろもやもやしたところから転機というかブレイクスルーを起こしてもいい歳なわけで、自伝を読んでいても、その人の一瞬一瞬の選択について真剣に考えてしまう。もはや僕でも書けてしまうような月並みな自己啓発本より、一回きりの真剣勝負そのものである自伝の方が面白いし、学びも多い。

さて、本書は、安藤建築を見ながら(写真も豊富)安藤さんが建築に対してどういう考え方をしているのか、そして建築家としての人生で何を感じてきたのか、どう生きてきたのか、そういうテーマが凝縮されている。正直、安藤建築は4つか5つぐらいしか頭に思い浮かばず、安藤さん自身についても、「元ボクサー」、「大学に行かずに独学で建築を勉強」ぐらいの断片的な事実だけしか知らなかったので、面白すぎて引き込まれるように読んでしまった。また読みたいのだが、面白かった部分を以下に一部メモ。

・建築家とは「社会的な組織をもった個人」(アーティストと建築家との違い)
・個人が組織に飲み込まれるようになってしまえば、その建築家は終わりだ。
(p11~12)

⇒建築家と芸術家との違いは何なのか、ということは非常に気になっていた。安藤さん自体が、建築家ではなくて芸術家だと揶揄されることがあるが、僕は本書の安藤さんの考えに触れて、やはりこの人は建築家なのだと感じた。安っぽい言葉で言えば、芸術家のように主張する建築家という感じ。


・モノづくり=モノに生命を与える尊い仕事(p36)

⇒モノに生命を与えるとは言い得て妙だ。物質とモノとの違いについて、よく分かる。


・知のレベル:抽象的な言葉≪≪実体験(第2章)

⇒ボクサーをやめ、24で世界放浪の旅に出た安藤さんが痛烈に感じたこと。これは本当にそうだろうなといつも思う。上述の、自己啓発本からの学びと自伝からの学びとの違いもこれと同じこと。


・既成のものを否定し、今に反逆する…経済国ニッポンへとなし崩し的に進んでいく社会にあって、安保闘争に始まる60年代には、それに抗って自分たちの人生を生きようという時代の精神が確かにあった。
・時代が、社会が、人間の感情を揺り動かす力に満ちていた。揺さぶられ、突出してきたありとあらゆる異形のものを、許容する包容力があった。
(p58~60)

⇒すごい表現だと思う。「人間の感情を揺り動かす力」…これにはかなり興味がある。個が圧倒的に弱いと感じる。世の中こんなに丸くて、画一的な価値観の下で動いていていいのだろうか?時代として、ひいては個人として面白いのだろうか?これは僕にとっても大きなテーマであると思う。


・世界の代表的な都市に見られる「時間の豊かさ」…1世紀以上昔の建物が、当たり前に使われ続けていて、その中で現代アーティストの前衛的な活動が繰り広げられている…そんな過去と現在、未来が渾然一体と重なり合う情景に、非常に新鮮な感動を覚えた。…成熟した都市の文化。(p107)
・一つの集合住宅の中に一つの街、共同体が育まれるのに充分な生活要素が封じ込められていた。そこには、単に量の供給を目的とした経済的メリットだけではない、集まって住むことでしか得られない豊かさが、はっきりと提示されていた。(p182)

⇒本書では「豊かさ」について考察する部分が散りばめられている。物質的な豊かさではなくて、どのような豊かさを人々に提供できるか、これについても僕の人生の中の「仕事」という側面において重要なテーマとなるだろう。


・やりたいことを見つけたら、まずはそのアイデアを実現することだけを考える。現実問題としてどうか、というのはあとで考えればいい。だから依頼を受けた敷地だけではなく、隣の敷地の建物まで設計して、模型をつくることもよくある。(p239)
・無謀な挑戦なのは分かっている。だが、無駄に終わったとしても、遠くに投げたボールを追いかけ走っていれば、進むべき道は見失わないでいられるだろう…そんな気持ちで毎日を過ごした。(p244)

⇒こういう姿勢いいと思う。簡単に見習えるものではないが、これぐらいの気概をもって生きたい。特に2つめのような生き方をしたからこそ、安藤忠雄という建築家は大成したのだろう。自分の生き方を見失いそうになっている人にとっては大きなヒントとなるはず。


・建築もまた、完全なるグローバリゼーションの時代を迎えた(p262)

⇒そう思う。建築家は自分の力を最大限活かすフィールドで仕事をしているだろうか?人々は世界中の建築家が生み出す可能性を考慮に入れて、自分の家のデザインを考えているだろうか?建築のグローバリゼーションを人々の豊かさに変換できるようなプラットフォーム作りには非常に興味がある。


・現実の世界では、本気で理想を追い求めようとすれば、必ず社会と衝突する。…連戦連敗の日々を送ることになるだろう。それでも、挑戦し続けるのが、建築家という生き方だ。
・何を人生の幸福と考えるか、考えは人それぞれでいいだろう。私は、人間にとって本当の幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。
(終章)

⇒建築家に限らず、だと思う。終章は建築から少し離れて、安藤さんの人生観に触れることができる。本書を読むと、安藤さんの人生は、必ずしも才能まかせの恵まれた、誰もがうらやむ光だけの人生ではないということに気づく。陰の中でどう生きるか、これが人生の本質なのかもしれない。

フローベールも次のような言葉を残している。
"The most glorious moments in your life are not the so-called days of success, but rather those days when out of dejection and despair you feel rise in you a challenge to life, and the promise of future accomplishment."

光の教会
 

Monday, July 27, 2009

トム・ピーターズというカンフル剤

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①ブランド人になれ!(トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦1)
 <トム・ピーターズ>


さすがトム・ピーターズ!という感じ。名著。
以前から好きだったが、これから氏の数ある著書の8割程度を読んでいくことに決めた。
これだけエネルギッシュな本もなかなかない。超コンサバな上司には、1万円払ってもいいから本書を2度ほど読んでもらいたい。上司がこんなマインドだったらきつそうだけど面白いだろうな、毎日。

気合の入るフレーズだらけではあるが、ほんの一部を以下にメモ。

QUOTE

・ただ生き延びるだけでなく、"生きた"というしびれるほどの充足感を味わってもらうために…。(p23)
・死は生きることをやめる多くの方法の一つにすぎない。(p159)

⇒一回きりの人生、死んでるように生きないために、絶えず自分は何で生きてるのか、どう生きたいのか、問い続けたい。

・事前に許可を求めるより、あとで叱られる方がいい。(p18)
・許可を求めるのは、「だめだ」と言ってくれと頼むのと同じ。(p96)

⇒この志でいくと、かなり怒られる。が、
「(ある上司に)or(ある組織で)怒られること」=「悪いこと」ではない。
結果で魅せましょう。

・昨日という一日、名医は何人かの命を救い、立派な牧師は何人かの魂を救った。あなたの昨日は、どんな一日だったか。(p68)

⇒名フレーズ。こういうことを当たり前のように自分に対して言えること。そして人前でも大真面目に言えること。非常に大事。

・世の中は大忙しで、そのうえ大混雑している。だから、的をしぼらないといけない。(p45)
・エクセレンスへの道は、いますぐ、エクセレントではないことをすべてやめることだ。(p105)

⇒自分とはどういうブランドなのか?どんな「商品」として売るのか?
早く飛び抜けたいのなら、コアは意識して創るもの。発散フェーズからどのタイミングで収束フェーズに移るか。そろそろ頃合ではなかろうか。

・世界中で競合製品はますます似通ってくる。消費者がどの会社の製品を選ぶかを判断する際、会社のパーソナリティー、会社のアイデンティティーが最大の判断材料になる。(p165)

⇒不可避。目には見えない価値に価格がつけられていく時代に。

・お偉いさんをもって、お偉いさんを制す。(p211)
・権力闘争にひるまない強靭な精神が必要。(p230)
・権力は、さわるのも穢らわしいものではない。歴史を変えた人はすべて、たとえ気が進まなくても、それをしっかりと手中におさめている。(p230)

⇒政治、権力闘争は苦手分野だが、自分の美徳観云々では片付かない問題。事を成すためにはある種の割り切りが必要。信念が必要。

UNQUOTE

本書はバイブルの一つとして、いつでも開いて渇を入れられるようにしようと思う。リポビタンDよりいいカンフル剤。会社生活が悪い意味で「穏やか」な人は一読することを強く勧めます。


②なぜ、ベンチャーは失敗しやすいのか? <真田哲弥×TNK>

題名が月並みな「成功する方法」ではなくて「失敗しやすいのか」であることに興味を引かれ、購入。
東大の起業サークルTNKが短期間で書いたいくつかの事業計画書をサイバード創業者の真田氏が添削するという形式。事業計画書自体は学生のものだな…という感じはあるものの、大学1,2年の段階で短期間で作成したものとしてはなかなか。大学は授業でもビジネスプラン作成とかもっとやらせた方がいいんじゃないだろうか。本業である「アカデミックな」勉強の邪魔にはならないと思う。
内容としては、いくつか学びがあるものの、素材となる事業計画書のレベルが微妙…であるために、「失敗しやすい」部分が決して網羅的には見えてこない。「起業」のイメージ作りと、ヒント取得という点では読む価値があるかもしれない。悪い本ではないのだが。一風変わった企画本。

そういえば、p209に真田氏のコメントとして、
『確かに「何をやるか」より「誰とやるか」が重要だが、「誰が集まるか」は「何をやるか」「何を目指すか」によって左右される。』
とあるが、先日お会いした某社CEOも似たようなことを言っていた。結局は、自分がどういうvisionで何をやっているかで、集まってくる仲間や付き合うお客さんも決まってくる。「何をやるか」と「誰とやるか」のどっちが大事?という議論はあまり本質的でないのかもしれない。学生の時はよく悩んだものだが。
 

Friday, July 24, 2009

お手軽ファイナンス本

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①金融工学とリスクマネジメント <吉藤茂>

市場リスクマネジメントの実務に使える理論を、銀行で実際に(実験的に)行われている手法を含め解説した本。 著者が「純粋」な学者ではなく、ディーリングやRM現場の当事者である点がいい。

内容は
(1)マーケットやリスク管理の基礎的な話
(2)VaRを中心としたリスク管理手法の具体的解説
(3)研究的内容
の3つに大分できるが、バランスが良くコンパクトな一冊になっている。
ただ、(1)に属する内容でひっかかる部分がある人は他に読むべき本が数多くあると思うので、本書は薦められない。

一つのトピックを丁寧に掘り下げるというような類の本ではないので、手法の解説がさらっとしすぎていて(式や前提をはしょりすぎ)よくわからないというような部分がいくつもあったが、全体としてリスク管理を考える上でのヒントはいろいろあったなという感想。加えて、銀行、やっぱり結構がんばってるな、という感じ。

本書のメインからは少しはずれるが、最後の章で紹介されていた行動ファイナンスの部分が個人的には面白かった。 以下内容をいくつかピックアップすると、

1.価値関数とかウエイト関数とか

・価値関数とは「望ましさの心理学的評価値」であり、次の3つのことを前提としている。
-人は変化には敏感だが、絶対的な価値については比較的鈍感
-儲かりそうなときはリスク回避的、損しそうなときはリスク愛好的
-損失は儲けよりもずっと重大に思える

・ウエイト関数とは「意思決定に関する望ましさの心理学的評価値」
-非常に低い確率は過大評価され、中~高確率は過小評価される

ex)どちらのクジを選ぶ?
A:確率0.45で100万円当たり vs 確率0.9で50万円当たり
→多くの人は後者を選ぶ(期待値は45万円で同じ)
B:確率0.001で100万円当たり vs 確率0.002で50万円当たり
→多くの人は前者を選ぶ(期待値は1,000円で同じ)

これはすごい。たしかに。人はチャンスの低いクジに高値を付けすぎる傾向あり。
身近な例をいろいろ想像するとかなり当てはまる。


2.ランダム系列の誤認知

・コイン投げで表が続くと、そとそと裏が出るはずだと考えがちなこと
・偶然の産物にトレンドをみてしまう錯覚


3.固着性(アンカリング)

・確率評価が特定の値に引きずられる傾向

ex)質問の仕方によって評価値に大きな差
「この壺はいくらだと思うか?」
という質問だけの場合と、
「この壺は10万円以上か?以下か?」と聞いてから
「この壺はいくらだと思うか?」
と質問するのとでは評価値に差が出る。
壺の値段がいくらにせよ、後者の聞き方では最終的な回答の分布が10万円に引きずられる。
このケースはよくある。かなり意識していないとやられる。
冷静に分析されると非常に勉強になる。

その他いくつも面白い性質や研究結果が載っていた。
またふとしたときに読み返してみよう。


②コーポレート・ファイナンス入門 <砂川伸幸>

「入門」という名にふさわしい、レベルも分量もちょうど良い一冊。
それでいて、満遍なくコーポレートファイナンスのトピックに触れている。リアルオプションについての話も多少だが入っているのも好感。

簡素な文庫本にしては驚異的な「わかりやすさ」だろう。アマゾンのレビュアーの評価が高いのにも納得。
ファイナンスに関しては、ハードカバーで分厚い「基本書」をじっくり読んでいくのもいいのだろうけど、「入門書」をいくつか読んでみるというのは、それはそれで有益だと思う。著者によって同じ理論を説明するための角度が若干違っていて、新たな気づきがあることも。
 

Sunday, July 19, 2009

myspaceCDについて考える

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今週のニュースからいくつか。

▼音楽発信をもっとfreeに。myspaceCDサービス開始。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20396561,00.htm
http://jp.ibtimes.com/article/biznews/20090713/37471.html
記事のポイントは以下の通り。
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・マイスペースとポニーキャニオンは7月13日、業務提携し、「MySpace」にてCD音源の販売サービス「myspaceCD」の提供を開始。
・MySpaceに登録するアーティスト(現在12万組)の音源をダウンロードし、ユーザーのPCにてCD-Rに書き込むことができるサービス。
・販売価格はアーティストが300~1万円のあいだで自由に選択可。
・将来的にはポニーキャニオン本体でのメジャーデビューまでを検討。

販売にかかる費用:
初期登録費用・月額固定費用:0円
販売手数料:販売価格の50%
サービス基本使用料:販売価格の25%(ただし101枚以降は無料)
⇒アーティストは金銭の負担なしでCDを販売できる。

・ポニーキャニオン事業開発本部本部長小林聡氏
「MySapceの2億ユーザーというフィルターを通して才能を発掘」

・マイスペース代表取締役社長大蘿淳司氏
3つのポイント
(1)CDのパッケージとしての力を再発見する
(2)MySpaceをアーティスト側からの「プロモーション」の場だけでなく、支援を行うことで次世代アーティストの積極的な発掘を行う
(3)日本のアーティストの世界展開を支援する

両社ではサービス開始1年で2,000人の利用(デビュー)と1億円のCD販売売上を目指す。
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審査はあるものの、利用者は金銭的には無リスクでCD販売ができるのだから非常に魅力的なサービスに見える。個人的にも面白いと思うし、参加してみたいなとも思う。

ただ、こうしたサービスの出現は下手をすると文化の破壊にも繋がりかねない諸刃性を持っていると思う。
「両社ではサービス開始1年で2,000人の利用(デビュー)と1億円のCD販売売上を目指す。」ということは、1人あたりの売上は50,000円/年。アーティストに還元されるのはその25%の12,500円。ローンチ1年目とはいえ、これでは「仕事」にはならない。もちろん、このMyspaceCDは「まず知ってもらうため」、「メジャーへの登竜門」としての位置づけになり、その場を利用して生計を立てるという趣旨ではないのだろうが、2億ユーザーというフィルターを通して選ばれた2,000人への待遇としてはちょっと物足りない。
プロスポーツ選手や芸能人、プロミュージシャンなどの世界は確かに選ばれし人たちの世界で、非常に厳しいもの。しかしそのプロの中で本当に「食べていける」人が少なくなったらどうだろう。文化的には難しい問題だと思う。
インターネットのような「個をエンパワーするインフラ」が創り出すチャンスというのは大きい。ただしかし、参入障壁を強制的に下げてしまうという側面には問題がないわけではない。今回のような「文化」の話では特にそうだと思う。プレーヤーが多くなり自由競争が高まることによって、一時的には、全体として出るアウトプットのレベルは高まるだろう。ただ、本来的には個の生活、創作環境あってのアウトプットなのだから、どこかで波は必ずブレイクポイントを迎えると思う。ルネサンスの時代からそうだが、パトロンあっての芸術・文化振興という面がある。

本件とは直接の関係はないが、坂本龍一は「音楽の価値」についてシンプルながら興味深い洞察をしている。
どこで読んだかは忘れてしまったのだが、僕もおぼろげながらに感じていた問題意識と合致し、妙に納得したのを覚えている。要旨は以下の通り(自分のメモファイルに残っていたものを転載。何かのインタビューだった気がする)。

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例えば、ベートーヴェンの第九っていうのは、72分かかるでしょ。で、昔は、アナログ版は2枚か3枚するのよ。そうすると、もし2枚なら、第九の値段は4,800円(アナログ版)だったのよ。それが、CDが出てくると、第九の値段は3,000円になるのよ。同じ第九が、4,800円から3,000円になっちゃうのよ。で、ネットで誰かがリップしちゃえば…、タダになっちゃう。だから、メディアの容量が上がってくれば、音楽自体はどんどん安くなっちゃう(笑)

で、これは音楽の値段じゃなくて、そのモノとそのモノを作るコストを算出した値段なんだよ。
だから、本当の音楽の値段なんてのは、わからないんだよ。わかる?フルオーケストラで72分の第九がいくらか、って?

僕もわかんないけど。でも、CDが3,000円のときは、それは音楽の値段だと思って買ってたでしょ。僕もそうだったよ。でも、今にしてみれば、あれは音楽の値段じゃなったんじゃないかって思うのよ。で、コンテンツのバリューっていうのは、長いスパンで見ると、どんどんどんどんゼロに近づいていくわけよ。
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加えて氏は、自著の中でも、「もう音楽では食べていけないな」と言っている。あの坂本龍一にそう言わせしめる時代の潮流に僕は危機意識を感じている。
参入障壁の突然の無力化、そしてコンテンツの本当の価値がはっきりしていない状況の継続。じわりじわりと進む利便性の向上と文化を生み出す場の保全をどうバランスさせるのか、一歩引いた目線で考えていく必要がありそうだ。


▼世界金融危機で富裕層減。資産減。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20090715-OYT8T00638.htm
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・世界で100万ドル以上の資産を持つ富裕層が2008年末は前年末比14.9%減の860万人となった(メリルリンチの調査)。
・国別では、米国が18.5%減の246万人で最多、2位は日本の136万人ながら、前年の151万人から9.9%減。中国は11.8%減の36万人だったが、26.3%の大幅減だった英国を抜き、ドイツに続く4位に浮上。
・富裕層が持つ資産残高も19.5%減の32兆8,000億ドル(約3,050兆円)と大幅に縮小。
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この記事の数字からだと、富裕層の定義に属する人々の平均資産額は3~4億円。日本の終身雇用型サラリーマンのうち最高クラスの数社の生涯賃金が4.5~6億円、また、人は平均して死ぬまでに2~3億円使うなどという話を勘案すると、所謂サラリーマンだとなかなか富裕層にはなれないようだ。日本人の136万人の内訳に興味あり。
そういえば、金融危機を受けての日本人の「やられ」度が他国に比して小さいことも興味深い。単にドル換算時の「円高」影響か、それともやはり現金持ちが多いために影響が少なかったのか。


▼藻でトウモロコシ超え?エタノール生産
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20090715AT2M1501Q15072009.html
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・エクソンモービルは、クレイグ・ベンター博士らが設立した米シンセティック・ジェノミクスと共同で、藻を使ったバイオ燃料の量産化技術を開発する。
・6億ドルを投じて実験用の温室を作り、光合成で繁殖する藻から燃料を量産する技術を開発する。
・ダウ・ケミカルも藻からエタノールを生産する実験を開始。トウモロコシなど食料を使わない代替燃料の開発が活発になってきた。トウモロコシから作る現在のエタノールより効率良く生産するのが目標で、今後5~10年内の実用化を目指す。
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藻の利用。それにしてもクレイグ・ベンターは遺伝子解読したり、人工生命?合成したり凄い。そのハングリーさ、日本人も見習った方がいい。藻で6億ドル呼び込むとは。
エタノールは間違いなくポスト石油なのだろうか。いまいちエネルギー周りの真実がわからない。
 

Sunday, July 12, 2009

起業?仕事?

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①起業家2.0 <佐々木俊尚>

2007年12月発刊。1年半ぐらい前ということか。
当時と今の経済環境の差は歴然。本書で紹介されている9つのベンチャー企業とその社長たち、果たしてこの荒波をどう乗り越えていくのだろうか。
所謂ナナロク世代を中心に、エニグモ、mixi、アブラハム・グループ・ホールディングス、ゼロスタートコミュニケーションズ、チームラボ、ルーク19、paperboy&co.、フォートラベル、はてなの計9社の誕生までのストーリーが熱く纏められている。

著者はジャーナリストの佐々木氏だが、非常にかっこよく書かれたストーリーだなと思う。プロジェクトXのダイジェスト版という感じ。ビジネスを軌道に乗せるまでの泥臭い部分を読んでも、多くの読者が「やってやるぞ」と思えてしまうような語り口。しかし、実際には、たった1年半で経営陣が変わってたり…いろいろある。良くも悪くもベンチャー企業のスピード感。恐ろしくも思う。
最近ベンチャーに対する考え方が少し変わった気がする。以前はベンチャーというのは大企業とは比較ができないある種の組織カテゴリーに属するものだと思っていた。自由で何でもアリで、学生でもできるっていう。このイメージが最近になって、ベンチャーも一「企業」だと感じるようになった。守るべきものが多くなったためなのか、強固なシステムを見すぎてしまったのか、理由は分からないが。会社を作るだけなら簡単、書類を出せばいい。ただ、雇用を生み出し、世の中に価値を生み出し、そしてそれを継続して、結果社員や社員の家族が生活できる…そういう企業を創り、維持することの難しさ。痛烈に感じる。30年会社を存続させるというのは並大抵のことではない。歴史ある企業に対しても、今まさに起業という格闘をしている経営者に対しても尊敬の念を忘れてはならない。断片だけを見てしょぼいビジネス…そんなことは軽々しく言ってはならないと思う。もう少し「企業」について基本に立ち返って理解しなくてはとも思う。

本書はまだ古くはないし、読み物として面白い1冊。幸い、9社とも名前も変わらずに、存続している。
 

②働く理由 <戸田智弘>

先輩にもらった本。
表紙が子供っぽくてちょっと抵抗があったのだが、意外にいい刺激、ヒントをもらった気がする。会社という組織に入った若手ビジネスパーソンにはピッタリの本かもしれない。この手の本は占い本に似ていて、誰もが「自分に当てはまる!」と思えるようなフレーズが散りばめられている。目の前の仕事に迷いが出たときに一読、オススメします。何かは得られるのではないだろうか。

いくつかフレーズをピックアップ。

-Quote-

苦労したくないなら、結局それほど「好きではない」のである。<養老孟司>(p23)

生きるとは選択することだ。選択しないことは、実は自分の人生を生きていないということ。<著者>(p67)

決心する前に完全な見通しをつけようとする者は決心することができない。<H・F・アミエル>(p77)

私は、やりたくないことは絶対にできない性分だったのです。それを自覚するようになり、やりたくないことを長い時間をかけてひたすら排除してゆき、そうして残ったたったひとつのもの、それが本当の「やりたいこと」でした。<中島義道>(p80)

変えられることは変える努力をしましょう。変えられないことはそのまま受け入れましょう。起きてしまったことを嘆くよりも、これからできることを皆で一緒に考えましょう。<加藤諦三>(p89)

下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。<小林一三>(p122)

仕事は探してやるものだ。自分が創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは雑兵だ。<織田信長>(p124)

「お前には無理だよ」と言う人のことを聞いてはいけない。<マジック・ジョンソン>(p144)

習慣は、その人格、品格まで変えてしまう。<シェークスピア>(p228)

-Unquote-

本書を読んでいて、ふと思いついた。
p171のドナルド・E・スーパーの『仕事の重要性研究』で示された14の労働価値についてだ。何を優先させて、何をあきらめるかについて考える際に参考になるかと。

(1)まず、14の労働価値の各項目がどれだけ大事だと思うか、10点満点で点数をつける。(絶対評価)

14の労働価値とは…(各項目について詳しくは本書、または原著をどうぞ)
①能力の活用
②達成
③美的追求
④愛他性
⑤自律性
⑥創造性
⑦経済的報酬
⑧ライフスタイル
⑨身体的活動
⑩社会的評価
⑪冒険性、危険性
⑫社会的交流性
⑬多様性
⑭環境

(2)次に、14項目について優先順位をつけてみる。1位項目は10点、以下1点ずつ減少し、10位以下は1点。(相対評価)

(3)絶対評価と相対評価のグラフを重ねてみて、その差が是正すべき点。相対評価に比べ絶対評価が高すぎる項目は「あきらめる」類の労働価値ということ。あきらめるまでいかなくても、相対評価が高い項目を実現するまでは忘れておくぐらい優先度にメリハリをつけてもいいかもしれない。

ポイントは(2)、(3)の作業をすることを知らない状態で、まず何も考えずに(1)をやってみること。多くの人は絶対評価による点数の方が相対評価による点数より高いという項目が相当数あるだろう。「よくばりすぎ」状態であることを認め、まず自分が何を狙っていくべきか考えるきっかけとなるだろう。