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論理で人をだます法 <ロバート・J・グーラ>
カバーの手触りと秀逸なイラストに魅されて買ったのだが、この本すごく役立つと思う。
所謂「ロジカル本」、「論理的思考本」というのはちょっと前のコンサルブームに乗って巷に溢れているが、その手の本はそんなにたくさん読む必要はない。それらの本の多くが同じことを説明しようとしていて、違うのは説明の切り口やレベル感だけだ。そしてコンサルタントや本当にロジカルな人が習得しているような本質的な部分を身につけるのはそれほど簡単ではない。(少なくとも巷のロジカル本をさらっと読んだだけでは上っ面しか理解できていない。)
多くの人にとって必要なのは、もっと実践的なスキルというか日常生活に溢れている論理に対する感度の高さやレスポンスの速さなのではないだろうか。本書は邦題こそ「論理で人をだます法」などという詐欺師のような題名になっているが、原題の"NONSENSE ~A Handbook of Logical Fallacies~"が表すとおり、論理に対するセンスを高められる内容だ。
「どうしてこんな街角に立って、派手に手を振り回して叫んでるんですか?」
「ゾウを追い払ってるんだよ」
「でもゾウなんかいないじゃないですか」
「そりゃそうだ。おれがここにいるおかげだよ」
上のやりとりは本書第9章の1ページ目に、千野工一氏の面白いイラストと共に書かれたもの。
本書の第1章から第15章までは、その章のテーマに関する面白いやりとりが最初のページに描かれている。
非常に面白い本なので章構成を下記します。
序章:日常は意味のない会話にあふれている
第1章:感情的表現① 人を丸め込む
第2章:感情的表現② 人を扇動する
第3章:感情的表現③ ほのめかしをうまく使う
第4章:<番外編>論理のごまかしを見分ける
第5章:無関係話を持ち出す
第6章:話をそらす
第7章:あいまいさと不正確な推測
第8章:混乱と不正確な推測
第9章:原因と結果の混同
第10章:単純化しすぎる
第11章:まちがった比較や対比
第12章:はぐらかし
第13章:<番外編>何のための議論か、を考えよう
第14章:誤解を招きやすい表現
第15章:<番外編>三段論法について
第16章:最後に
具体例が非常に多く、自分の日常での体験と良く結びつけることができる。多くの章の内容は理屈では分かってはいる内容だが、どうもとっさに反応できない。上司に一見正しそうなロジックでねじ伏せられてもその場では即座に的確な切り返しができず、後になって、やっぱりさっきのロジックはおかしいだろ!と思うことがよくある方、また、相手の発言の論理の欠陥がすぐに見抜けてしまう一方でそれがどういう勘違いで引き起こされているのか、そしてそれに対してどう思いやりをもって対処していいか分からないという方、本書は網羅性が高く、オススメです。
論理的な間違いを厳密に指摘するだけでなく、その間違いが起きている背景、人間的な思考回路、感情といったものにも触れているのが本書の良さであり、より実践的な本となっている理由だろう。
最後に感想をもう2点。
一つ目は、自分も毎日のように論理の乱用をしているな、ということ。筆者、訳者も述べているが、あまりガチガチでもつまらない会話になってしまうし、その辺は割り切りが必要。ちゃんとした結論を出さなくてはならない会議や商談などではもちろん正しい論理を用いるべき。
二つ目は三段論法の奥の深さについて。三段論法は論証プロセスの核であり、最も基礎的かつ応用性の高いものだが、「AならばB、BならばC、ゆえにAならばC」だけが三段論法ではない。2つの命題と1つの結論からなる三段論法にはかなりのバリエーションがある。本書では「三段論法は全部で250種類以上あるけれど、そのうち妥当なのは24種類だけで、さらにその中でも重要なのは15個だけだ」とし、三段論法の正誤チェックの方法を詳しく述べている。一見単純である三段論法も会話のなかで何気なく変化形を使われるとコロッと騙されてしまうものだ。三段論法はネコでも分かる単純なものだと高をくくっている人こそ、本書を読んで、けっこうキケンなツールだなということを感じて欲しいものだ。
PS
テレビCMや広告って、こういう論理の立場から見ると笑ってしまうぐらいつっこみどころが満載です。
それがまたいいんですけどね。人間の本質を突いていて。
Saturday, December 27, 2008
実践的論理本
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Label : books
Thursday, December 11, 2008
脳内情報、外に出る。
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昼休みに会社でニュースをチェックしていたら、二日酔いの頭痛を吹き飛ばす、とまではいかないものの、かなり興味深い発表があったので、備忘のためエントリー。
上に載せたのは12月11日付のNeuron誌の表紙。
この表紙になった研究成果こそが世界初の超ホットなトピックで、被験者が目で見ている映像をその人の脳活動のパターンからコンピュータ認識するというとんでもない技術。 脳から直接情報を出力するためのBMI(ブレイン-マシン・インターフェース)に利用できる可能性は高そう。 正直、仕組みはかなり浅くしかわからないが、できることをもっとできるようにするのではなく、できないことをできるようにした功績は大きい。しかも未知なる脳の領域で。昔NHKが「驚異の小宇宙・人体」という番組をやっていたが、人体の中でも特に脳の機能は驚異的かつ神秘的。その仕組みも少しずつだが分かってきていて、いつかは壁を破るんだろうなとは思っていたのだが、出力された画像のレベルの高さにびっくりした。現段階では実際に見ている画像の再構成しかできないらしいが、同じ手法を用いて、完全に脳内で作り出されたイメージを画像として取り出せる可能性もあるという。
ちなみに、これを成し遂げたのは日本のチームで、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報研究所・神経情報学研究室の神谷之康室長らのグループ。(他にも共同研究者あり)
日本も最近やるなぁ。
<御参考>
Neuron:
http://www.sciencedirect.com/science?_ob=ArticleURL&_udi=B6WSS-4V4113M-P&_user=10&_rdoc=1&_fmt=&_orig=search&_sort=d&view=c&_acct=C000050221&_version=1&_urlVersion=0&_userid=10&md5=a643f4c74084461af0646cbda3e7d983
ATR プレスリリース:
http://www.atr.jp/html/topics/press_081211_j.html
上段の画像を見ている被験者の脳を介して下段の様な画像が読み取れる。今は白黒だが、同様な手法を用いて「色」の情報も再構成できるかもしれない。何となく人に伝えづらいイメージを「こんな感じ」とか言いながらスクリーンに写せる日がくるのかもしれない。面白い。
と、ここまでは新しい発見・成果に乾杯という流れだったが、実はかなり怖い。
僕の中では脳は遺伝子とともに「侵してはならない神の領域」2トップだからだ。あんまりわかってしまいすぎるのもどうかと思うわけです。確かにこの脳とコンピュータ間のインターフェースが発展したら体の不自由な人にとってはすごく頼りになるし、現状特に不自由ではない人でも新たな芸術が生まれたり、生産性が上がったりといったメリットは多そう。遺伝子だって同じ。研究を進めて医療にどんどん応用できれば、ピンポイントで誰かの助けにはきっとなる。ただ、人類トータルで考えたときに、これらの研究が進んだ50年後の未来が今より幸福な世界になっているとは限らないし、逆に僕の感覚は「恐ろしそう」だ。ある人間が他の人間をコントロールしうる可能性が高まれば高まるほど世の中って危ないと思うのは僕だけだろうか。 人間はあまり個の力を持つべきではないというのは最近の持論です。他の生物種でも同じで、100万匹の中の1匹1匹それぞれが残り99.9999万匹をどうにかする力を持っている場合、その種とか集団って脆弱すぎる。1匹のとち狂った個体が発生するだけで絶滅しうるからね。我々人類も実は既にけっこう危険な状態にあるな。
外部と繋ぐことで脳をハッキングされたりしたら嫌だな…
もちろん遺伝子に変なミューテーション入れられるのも嫌だし。
Posted by Leolio At 23:59 0 comments
Label : science
Sunday, December 07, 2008
HOLES, デザイン魂
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①HOLES <LOUIS SACHAR>
ベストセラー小説でAmazonのレビュアーの評価も高かったので買って読んでみた。
まず主人公の少年の名前が"Stanley Yelnats"という回文で何やら面白そうな雰囲気あり。
基本的には大人向けの小説ではないのだが、いろいろなエピソードが最後に収束する系の作品で細かい描写を読めると面白い。ただ、僕はアメリカ人?との感性の違いがあるのか、そこまで(ベストセラーになるまで)の作品か?というのが正直な感想。もしくは、僕の reading のレベルが小説を楽しむまでに達していないか。ニュースが読めても、微妙な表情を楽しむ小説となるとなかなか難しい。最近忙しさにかまけてオフィスの外ではめっきり英語の勉強をしなくなった。1日1hぐらいは捻出したいところ…
②トム・ピーターズのマニフェスト(1) デザイン魂 <TOM PETERS>
ぐちゃぐちゃなレイアウトと書き殴りの文章、でもこの本には圧倒的なパワーとスピード感がある。25時帰りで目肩腰が痛い日でも帰りの電車で寝ずに開けるこの本を書いたトム・ピーターズは凄い。このパッションを超えなければだめだ。他の誰が何と言おうとも僕はこの本のような考え方に共感するし、そうじゃないとたぶん仕事も一生つまらない。トム・ピーターズの本は今までそんなに読んでなかったけれど、今の僕には大事な触媒になりそうだ。
新品がもうAmazonでも手に入らないという状況…普段使わないマーケットプレイスで無理矢理買った甲斐がありました。
ちなみに所謂デザインの本ではないです。このデザイン魂の"デザイン"はもっといろんなものを含んでます。
Dreams!Dreams!Dreams!
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Label : books
Monday, November 24, 2008
静かな夜に Keith Jarrett
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最近、というほどでもないが少し前に買ったキースの disc
ともに名盤中の名盤で、どれだけの人の心を揺さぶったかわからないであろう2枚。The Melody At Night, With You の方は昔借りたことがあったのだが、手元に置いておきたくなって買ったもの。
①The Melody At Night, With You <keith jarrett>
珠玉の1枚。
都会の喧騒から離れて静かな夜を過ごしたいときに最高。
人間の感情が湧き出るどこかの部分にダイレクトに刺さってそれを揺さぶってくる静かで感傷的な Melody.
言葉ではうまく表現できないのだが、この作品を聴くと感受性のようなものが高まった状態で極主観的に自分の人生を振り返りたくなる。というか勝手に振り返ってしまう。キース自身が人生の哀愁を感じながら演奏しているために、それが聴いているこちらにも伝わってくるのかもしれない。音楽の持つ不思議な力というか何か得体の知れない音を介したコミュニケーションの存在を感じる。
こういう感性全開の音楽を聴いて心を洗うことがたまには必要だと思う。明かりを消して、うまい酒を片手に少しまどろみながら、キースの紡ぎ出す音に酔いしれては如何でしょうか?この作品を聴いたことがない人がいるとしたら何が何でも勧めます。ぜひ。
ちなみに中でも僕が大好きなのは、
#4 Someone To Watch Over Me
#5 My Wild Irish Rose
#9 Be My Love
②The Köln Concert <keith jarrett>
こちらは全く雰囲気の違う作品。
全曲即興演奏というキース特有のコンサート in ケルン。
即興でこんな音楽が生まれたことに度肝を抜かれることは確かで、この1枚で人生変わったという人も多いが、僕の個人的趣味では上の The Melody At Night, With You の方が完成度は高い。大枠のある音楽と完全即興との違いはやはりある。シンプルであればあるほど一音一音の表現は難しいし、一つの音が含んでいるものも大きい。そういう意味で The Melody At Night, With You はキース最高の1枚だと思うのだ。
もちろんこのケルンコンサートもすごい作品であることに変わりは無い。即興演奏というのは僕も家でよくやるのだが、けっこう冗長になりがちだし、弾いている本人が気持ちいいだけで、客観的に全体を見ると構成云々とはかけ離れたものになっているはずだ。しかし、このケルンコンサートはけっこうな長さの演奏なのにも関わらず、構成が素晴らしい。メロディーも斬新でいて心地いいものが次から次へと出てくる。キースにとってピアノの音というのはきっと麻薬的なものなんだなと思う。そうじゃなきゃこんな即興、ステージでできない。鬼才です、ほんと。
To:僕の周囲の人
①の The Melody At Night, With You 買って聴いて良かったら教えてください。
Jazz聴きながら酒でも飲みましょう。
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Label : music
Friday, November 21, 2008
市場周辺トピック
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いくつかのトピックを備忘録/雑記的に。
▼そろそろ潮時? Citi
The Economist のオモシロまんが
Citiグループの株価が4ドル台に突入し、上のまんがのGM程ではないが、いよいよ臭ってきた。
さすがにCitiが Chapter11 なんていうことになると米国内でも大パニックなのであらゆる手立てで救済されるとは思うのだが、こうなったらCitiに口座を持っている意味も薄れてきた。土曜やっていたり、一定額以上預けていればタダでATMから引き出しし放題だったり、邦銀とは違った独特の利便性があったが、一番の特徴はグローバル性とそれにちなんだ外貨関連の便利さだったように思う。ところが、外貨預金などは預金保証制度の適応外なので、これだけ credit risk の高まった状態では嫌な感じ。円預金も保証されているとはいえ、もしもパニックになったらいろいろ面倒そうなので、そろそろ引き上げ時かなとも思う。Citiの経営状況は米国だけでなく世界にとって一つの大きなカギだ。
▼大学もやられている
駒沢大がデリバティブ取引で154億円の損失を出したというニュースに次いで今度は立正大の含み損148億円のニュース。損失は計上されていないものの、資産運用のための金融取引でやられている点に変わりは無い。
いまや金融機関以外でもデリバティブ取引は当たり前のように行われていて今後も思わぬ会社が思わぬ損失を計上する可能性はあるだろう。大学のような教育機関で立て続けにこういうニュースが出るというのは事態の深刻さを物語っていると思う。同時に大学経営の厳しさも感じ取れる。
▼じわりじわりと新世界を目指すマーケット
今週もよく相場が動いた。リスク回避傾向に。
株も為替も10月24日の底に近づきつつあるが、年内どこかで突き抜けるのだろうたぶん。GBPやNZDに関しては最安値圏。今日もまた思ってしまった…ニュージーランド旅行に行きたいと。ニュージーランドの牧場とかでノホホンとしたい。
Posted by Leolio At 23:59 0 comments
Label : other topics
Sunday, November 16, 2008
時間について Ⅱ
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【Introduction】
前回のentryではリソースとしての時間、お金との交換能といったところに触れたが、今回はその続きとして時間の投資というものを考える。ビジネスパーソンが自己投資に励みなさいという内容の本を読みつつ、自分の持っている時間で何をしようか考えるという光景はたぶん世界中のどこでも見られる。別にビジネスパーソンに限らずとも、人間はみな未来のために何かをやって何かをやらないというような「選択」を日常的にしながら人生を営んでいる。
ここでは「自分の時間を何かに投資する」という表現を、「何かの目的、目標のために今の時間を使って何かをする」というニュアンスで用いることにする。例えば、グローバル化が一段と進んだ未来を見越して今英語を勉強することに時間を使うというのは時間の投資。一方で、今何となく音楽が聴きたくなって、1時間程他に何もせずに音楽を聴いたというのは投資ではなく、ただリソースとしての時間を音楽を聴くという行為のために消費しただけ。
自分の持っている時間というリソースをどのように使うかは自由で、時間の「消費」によって人間は幸せを感じることが多い。これは普通、我慢してやるようなことではないからだ。一方で、時間の「投資」は必ずしも人間に幸福感を与えない。例えば将来のために勉強するという行為を通して自分が成長していることを実感し、嬉しく思える人は幸せで充実した時間を過ごしていると言えるが、嫌々やっていた上、投資に見合う結果が何もでなければその時間はその人にとって幸せを生み出すような性質のものではない。「投資」というのは100%リターンが得られるものではなく、全く無駄な投資になってしまうこともある。未来に結果がわかるものなのだから当たり前だ。米国会計基準の勉強を何年もしていた人にとって、世界が全く違う会計基準で統一されてしまうということが起きれば、それはそれは複雑な思いだろう。
人間に与えられた時間は物理的に有限なので、何に時間を使うかというのは人生のメインテーマで、迷うところなのだが、僕は次のような時間の投資は絶対にしたくない。
「(先輩に言われたからor本に書いてあったから…etc)とりあえずそれをやっておこう。」
意思の欠如した時間投資だ。人に勧められた、本に書いてあった…という理由で面白くないのを我慢して自分に「いつかの未来のため、将来のため…」と言い聞かせて本当にやりたいこともやらずにする時間投資。目的もなく、将来何かのプラスになるだろう、とりあえずやっとこうというスタンスで時間を投資することほどの時間浪費はないのではないかと思う。それならまだ一日中好きなようにぐーたらして瞬間瞬間の欲求に忠実にネコのように生きる方がよほど人生トータルでは幸せだと思う。(これは比喩です。実際のネコの気持ちはわかりません。昔飼ってたけれども。)
【時間の現在価値】
僕は「今を生きる」を軽視し、「将来のため」を重視し過ぎる風潮、環境には疑問と危機感を感じている。「今この瞬間が大事」と言ってきかない若者に対して大人が「何を言っているんだ、好きなことばかりやっていないで将来のことを考えろ」と言うのはよくあるケースではなかろうか。時間を豊富に持つ若者に対してよくわからない時間投資を無責任に強要するのは、金持ちにリスクのわからない変な金融商品を買わせることとそう大差ない。
賢明な大人であれば、過去と未来の境界が「今」なのではなく、実際には「今」しか存在していないことをもっと認識すべきだと思う。「今」の時間こそ最も大事で最も価値があるのだ。
ファイナンスは現在から未来のお金について考えるものだが、その核となる考えは、お金はいつのものかによって価値が違うということだ。今の100万円と20年後の100万円じゃ価値が全然違うという具合に。価値の違いを生み出しているのはリスクであって、未来のお金をリスクを考慮して現在の価値に換算したものがいわゆる現在価値というもので、お金の投資をする人たちはみな必死になってこの「見積もり」をする。ところがお金の現在価値には頭が回るのに、時間の現在価値については全く考えない人が非常に多いと感じる。僕の周りだけだろうか。
老後に楽して好きなことをやって暮らそうとして、今「つまらない、苦しい、あと20年」とか思いながら働いたり、いつかきっと役立つと言われるがままに、自分の意志なくつまらないと思う勉強、仕事に時間を投資したり…。こういう時間の使い方をしている人はちょっと立ち止まって考えた方がいい。未来の24時間は決して今の24時間とは等しくないということを。
僕はこの歳にしては人の死の近くにいたことが多いと思う。同級生の訃報も既に聞いている。そして死ななくても、障害をもったり、病気になったりというケースは往々にしてある。だからかもしれないが、将来自分に今と同じ質の十分な時間が確保されているとは到底思えない。リスクがあるのだから、その分未来の時間は現在価値に換算すると少ない。特にビジネスパーソンは自分の持っている時間が「リスク性資産」であることをあまり認識できていないように思う。毎日元気な人ばかりの職場に、元気な人ばかりが移動する通勤時間帯の電車に乗って行き、元気な人が書いたビジネス書を読む。これでは無理も無いのかもしれないが、実際には人間はいつか死ぬ生き物であるし、簡単に病気にもなるし、障害も抱える。社会の変遷に伴ってますますそういうことが普通なものとしては実感できなくなっているのだ。
もう一つ大事なのは、たとえ健康に20年後をむかえられたにしても、今の時間と20年後の時間では「質」が違ってしまっていること。お金の場合、よほど経済や社会が壊れない限り、多い少ないの価値は変わるが将来も同じ機能をもっている。ところが、時間の場合、長い短いという価値の変化に加え、質も変化する。20歳でできることと60歳でできることは違う。そういう意味でも「今」の時間をどう使うかは非常に大事で、将来の時間と安易にスワップをしてしまってはいけないと思う。
「今」という点の集合こそ人生であり、どこまで点を打てるかはわからない。線(人生)が先にあって、その中に点(自分の今の位置)があるわけではないというのが僕の感覚だ。
【では時間をどう使うか】
結局のところ、強い意思による選択を繰り返し、「今」を充実させる、幸せを感じるということがトータルで幸せだと言える人生を作ると思う。自分の人生を作るのは自分。流されてはいけない。
だらだら書いたためにかなり非構成的な駄文になってしまったが今日も自戒シリーズなのでよしとします。さて来週から気を取り直して、もっと"want"に忠実に生きよう。冬ボーナスも近いが、サラリーマンマインドセットに毒されてはいけない。
モモ <Michael Ende>
*『モモ』の世界では、時間貯蓄銀行に節約した時間を預けると、5年で2倍になると灰色の男が言っていた。かなりの利率。14.8%ぐらいか。 時間っていうのは相当なリスク性資産だということだね。
*灰色の男たちに占拠された街では子供たちが以前のような創造的な遊びをしなくなり、「将来のため」という理由で勉強ばかり。大人が変わってしまったことによる被害者。子供の人生にも多大な影響を及ぼす大人に対して「しっかりしろ」というエンデのメッセージが至る所に散りばめられている。
Posted by Leolio At 02:03 2 comments
Sunday, November 09, 2008
時間について Ⅰ
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毎日のように24時前後に帰っているとついつい「時間がない」と思ってしまう。
残業中、帰宅後寝るべき時間が訪れとき、日曜の夜…「時間がない」と思う瞬間は多い。
楽しすぎて時間が早くすぎてしまったという感覚とは全く違う。やるべきことは多いのだが、何かに時間が食い潰されたような感覚。いい感覚ではない。
今日は自戒の意味も込めて、時間についての考えをメモしておこうと思う。
時間には非常に大きな価値があるということには誰もあまり異論を唱えないだろう。活かさなければ意味がないという話もあるが、物理的に少しも時間がなければ活かすこともできない。つまり人生を如何様にもする基本的"材料"なのだ。使い方は人それぞれ。人生を構成する要素の中でも最もファンダメンタルなものの一つだと思っている。そして寿命に差こそあれ、とりあえずはほとんどの人に生まれたときに平等に与えられる。たまに非常に不平等で、生まれてすぐにその生涯を終えてしまう子もいるが。
この人生にとって大事なリソースである時間をどのように使うかは人の勝手で、人間は時間を何かと交換して生きていく。例えばこうしてパソコンのキーボードを叩くことに対しても自分の時間は対価として払われている。仕事をするのも、寝るのも、食べるのも、全て時間という資源を利用している。食べたり寝たりというのは人間がこの世に生まれた太古の昔からやっていることなのだろうが、いつしか人間は労働というシステムを取り入れるようになった。それは自分の時間を何か別の「もの」に交換するシステムとしての色を強くもっている。労働をして、その代わりに食べ物をもらうという具合。(詳しくはないが)おそらく時系列的にはその後だと思うのだが、お金というこれまた何かと交換して使うものが発明された。以後、人類社会では何かと交換して使う基本的リソースは時間とお金の2つになった。この2つ、もちろん性質は違うが、今ではお金の方が数段出世してしまった。お金は世の中にあるほとんどの"モノ"と交換可能で、モノとモノを交換する際の媒介機能も持っている。非常に便利で凄い力を持っているので人々はお金を欲しがる。ところが、もう一つお金という資源には時間とは決定的に違う特徴がある。前述のとおり、ほとんどの人は時間をもって生まれてくるが、お金を持っては生まれてこないということだ。これが何を意味するかと言うと、今の世の中では物質的な何かを手に入れるためには大体お金を経由するため、お金自体を手に入れなくてはならないということ。そしてモノをお金に換えてもいいのだが、そんなモノももっては生まれないので、唯一生まれながらにして持っている時間を使うことになる。これが現代版「労働」の仕組みで、働かなければ生きていけないというやつだ。
労働のシステムによって時間とお金の間に交換レートが生まれた。このレートは何によって決まるかというと、一つは時間提供者(=労働者)の本源的価値。その人だけが持つ能力があれば高くなるし、そうでなくても効率的に仕事ができるとか正確だとか健康だとか、いろいろな要素がある。もう一つは需給関係。これは経済学の教科書に書いてあることと同じ。世の中に自分の時間を売ってお金が欲しい人が溢れていて、一方でお金を払って時間を買いたい人がわずかだったら、当然レートは「お金高時間安」になる。円高ドル安とかと一緒。僕は個人的に時間の価値は非常に高いと思うのだが、どうも世の中を見ると俄然「お金高時間安」な気がする。例えばアルバイト。1時間¥800で働いたとき、その人はそのレートでお金と時間を交換したことになる。もちろんアルバイトによってお金以外のものを得て楽しんでいる人はそれでいい。こうした時間とお金の交換に付随する要素(楽しみ、悲しみ、経験、疲労感、成長…)はいろいろあるが、例えばそれがあまり感じられないときはどうだろう。単純労働で特に楽しくもないし、ちょっと疲れるぐらいという感じ。こういう労働って世の中に溢れてると思うし、自分もよくやった。お金があるなら他のことしてるよっていう時間の使い方。僕だけではなく多くの人が経験してるんじゃないかな。一方で、お金で時間を買うっていう例も身近に溢れている。まず人を雇っている側の人。もちろん総合的な労働力を買っているのだが、そこには時間を買っているという意味も多分に含まれている。自分でもできることを「これやっといて」とお金を払って頼むのは、その時間を自分が別のことに使うためにそうしているにすぎない。あとは、タクシーや電車なんかもそう。人間って歩ける生き物じゃなかったっけ?いやいや、労力と時間を交通費で買っているんです。もっと顕著な例が東京大阪間の新幹線と飛行機。新幹線で2.5hぐらいかけて行けばいいところ飛行機で50分ぐらいで行く人はより高いお金を払って時間を買っている。労力を省き、時間を短縮する機械を買うこともそう。お手伝いさんを雇うのもそう。時間を買っている例だ。
こうしてみると、やっぱり時間を売るときは安いのに時間を買うときは高くない?と思うのだが、それは現在の需給の関係上そうなっているにすぎないし、前述のとおり、時間はみんなが平等にもって生まれてきているものなのに対し、お金は後から手に入れるものだからだ。その辺りの議論はまた今度にするとして、言いたいのは、時間とお金は交換可能で、時間の価値はお金やモノに対して相対的に評価されがちだということ。こういう状況下では時間の価値は1時間どれぐらいとかそういう風に考えられる。物理的に定められた時間の長さで価値を決められてしまいそうなのだが果たしてそんなんでいいのだろうか?
最初に書いたとおり、時間というのは人生を如何様にもする材料なのだ。そりゃ生きていく上である程度は仕方ないけれど、お金やモノに交換していくだけじゃもったいない。もちろんそれで happy な人もいるから一概には言えないけど。少なくとも僕はただ1回の人生でそれじゃ嫌だ。
給与や賞与をもらうと、あらかじめ作ってあるExcelシートにそれを入力する。そうすると、累計や税率や時給がパッと出るようになっている。自分のコストを常に意識して働き、それに見合った value を出そうなんてビジネスパーソンごっこしてるけど、一歩ひいて自分の人生を考えたとき、「どうなんかね、コレ」って思ってしまうのもまた本音。特に大きな企業ゆえ、valueとか言うのも憚られるぐらいばかばかしい仕事もあって、それに対して1時間のコストいくらなんて考えながら残業していたら虚しくもなってくる。まさに時間の切り売りじゃないか。
今日は時間の交換能についてざっくりと。続きは次回。
ちなみに、大人が読むべきだと思う時間に関するテキストはミヒャエル・エンデの「モモ」。
小さいとき白黒映画で見てけっこうなインパクトがあったのを覚えていたが、また活字で読んだ。
素晴らしい作品。何とも言えない世界観。もし読んだことがない大人がいたら是非読んで欲しい1冊。
モモ <Michael Ende>
「ほんとうの時間というものは、時計やカレンダーではかれるものではないのです。」
p317にこうあります。
Posted by Leolio At 23:31 0 comments
Monday, November 03, 2008
DESIGN TOUCH 2008
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「Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2008」に行ってきた。
今年のテーマは"ジャパンデザインを楽しむ"らしく、日本人を中心にデザイナー、クリエイターが集結。ただの展示だけでなく、気軽に買えるマーケット、参加型コーナー、オークション、セミナーなど面白いコンテンツでいっぱいだった。昨年始まったイベントだそうなのだが、こういうのってバンバンやって欲しい。
僕はというと、行った時間が若干遅めだったこともあり、あまりイベントを堪能できなかったのだが、Tシャツに絵を描いてきた。ミッドタウンガーデンでは青空の下、幅広い分野のデザイナーたちが様々なテントを設けていてその中の一つが¥1000でオリジナルTシャツを作ろうというよくありそうな企画。
一見すると水彩絵の具に見える、理想科学工業という会社の出している特殊なインクを使って筆で布に絵を描いていく。絵の具筆とかパレットを見るのが久しぶりだったので思わずやってしまった。
ノープランな上、日も落ちてきて描きづらい&時間もなかったので、テキトーになってしまったが、一応40分ほどの制作時間を経て完成。
土台の純白Tシャツの質がかなりbadで外着になるかはわからないけど、結構楽しかったのでよしとします。これがそのTシャツ。ペラペラな布に絵の具筆ってのは結構描きにくかったりする。
あとはオークションコーナーで面白いのが出品されていた。
特に気になったのが以下2点。
いや~東京いいよ。
Posted by Leolio At 19:14 2 comments
Friday, October 31, 2008
Campo Marzio Design
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Campo Marzio の Document Holder を買った。
イタリアの文房具ブランドなのだが、僕は非常に高く評価している。
万年筆やペンはある程度有名かもしれないが、むしろ革製品にかなり魅かれる。
Campo Marzio の HP には多くのプロダクトが載っていて見ていてもとても楽しいのだが、如何せん日本であまり見ない。まず店舗が日本にはない。これについてはあと5年以内ぐらいにできることを期待するのみだが、インテリアショップなどでもそれほど多くは出回っていないだろう。(あまりリサーチできていないが…)
たまたま COREDO の DESIGNWORKS に入ったらボルドーの Document Holder があったので即買いしてしまった。色的に会社に持っていけるかはかなりギリギリのラインな気もするのだが、気に入ったので。他の色(ブラウンやネイビー)も買いたいところ。
とてもシンプルなデザインなのだが、イタリア独特の色合い、そして高い quality が魅力。逆にシンプルさが素材や技術、色味といった基本的要素を際立たせている。もちろん超高級品を調達すればそれは文句なしのプロダクトなのかもしれないが、手頃な価格で売っているところに真のクラフトマンシップ、そして文房具屋としての信念を感じる。
出張・旅行などでヨーロッパ、シンガポール、香港などに行ったときはいろいろ買いたい。
早く日本に出店しないかな…
画像はHP内ものを capture して適当に編集したもの。左下のボルドー買いました。ブリーフケースも渋い。
こういう quality のものをそこそこの価格で世に出す。
う~ん…まさに「良い仕事」だな。
Campo Marzio HP
http://www.campomarziodesign.it/index.html
Posted by Leolio At 01:05 2 comments
Label : design
Monday, October 27, 2008
株とギャンブルとマーケットと
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①ネコでもわかる株の売買
②90分でわかる株・証券の仕組み
本棚に長いこと眠っていた株の本を週末にぱらぱらとめくった。2冊ともけっこう古い本なので制度的にも相場的にも?時代錯誤の感が否めない感じではあるが、ちょっとした相場用語のおさらいという意味と、当時の株入門本はどんな教えをしていたんだっけかという純粋な興味で読んだ。もちろんかなりざっくりと。
感想としてはすごく素直なテキストだなという感じ。ただやはり「株はギャンブルとは違って真面目なものだよ(リスクはあるけど)。さぁ始めよう!」というのがスタンス。
このような古い本と今の市況とを比較すると何だか滑稽に思える。当時から投資を続けてきたネコも今は真っ青だろう。
本の内容はどうでもいいとして、Volatility の高いものへの投資は株だろうが債券だろうが為替だろうがギャンブルに他ならないと思う。「よほどの玄人」でない限り、今株式に投資することがギャンブルでないなんて言えない。この議論はよくなされるところで、大抵の教科書では「株はギャンブルではない」が答えになっているのだが、それは多分に経験論だと思う。たまたま、セオリーを守って、しっかり勉強してまっとうに投資すれば勝つ確率が負ける確率より高かったという経験がまたセオリーを生み、それが脈々と続いていただけ。そうして作られた、且つ数式を使った理論とも一致する「分散投資&長期保有」なんていう絶対的なセオリーも今ではクエスチョンマークだ。
パラダイムが変わりつつあるのだから、ギャンブルであること、もしくはギャンブル性が極めて強いことをしっかり認識することが素人にとって一番大事な姿勢ではなかろうか。従って、やるならギャンブルの鉄則である「Scared Money には手を出さない」ことをまず守って今のマーケットを"遊ぶ"べきだろう。
僕はというと、日本株なんかは買いたいところだけど、ラスベガスでのルーレットを思い出して踏みとどまっている。今がいくらかなんて関係ないんだよ、きっと。過去の数字と比較しても意味がないんだよ。テーブルの上には世界中の人々の不安と欲望が蠢いている。
話は少し変わって明日(というか今日)の仕事の方。
あと4時間半後には起きて会社行ってロイターのスイッチ入れるわけだけど、あまり行きたくないというのが正直なところ。下馬評では下げ材料ばかりで僕自身もあんまりいい気分はしない。金曜に虐殺相場を呈した為替もね。ここ2ヶ月間ぐらいのどの通貨の対円チャートを見ても、PCのモニタが右に傾いてるのかという錯覚までは起きないものの、そんな感じ。もはやイギリスかオーストラリアかニュージーにでも旅行に行きたい。
PS.
「今の相場は異常。」そうやって思うこと自体が実は間違いだったり。
異常というのは通常あっての概念。これまでのマーケットは通常だったのか?
静寂と激動を共に孕んだマーケットこそ"通常"、"フツー"なのではなかったか。
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Label : books, other topics
Wednesday, October 22, 2008
Lipton × Select Shop
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上の画像は紅茶のLiptonとセレクトショップとのコラボキャンペーン広告をcaptureしたもの。
こんな広告を知ったのは、10月14日に発売した"Lipton THE ROYAL"を既に3本飲み終えた後のことだ。
今日が21日だから、8日間で3本購入という貢献具合。もちろん発売日自体も知らなかった。
何か飲み物を買おうと仕事帰りに立ち寄ったコンビニで偶然上記のコラボを発見し、試しに買ってみたのが最初で、今や3種類のクリップ(BEAMS,SHIPS,ARROWS)が手元にある。消しゴムは如何せんいらなかったので。
このミルクティー、味はまあまあいいとして、パッケージのデザインが結構気に入っている。色合いがなかなか良い。このLiptonに始まった話ではなく、500mlペットボトル飲料のパッケージデザインはかなり洗練されてきていると思う。
要はマーケティング力。紅茶を飲みながら Unilever やるなぁと思ったのだが、ネットでちょっと調べてみてびっくり。僕の中では完全に Lipton=Unilever だったのだが、意外に複雑だった。紙パックタイプは森永乳業との、ペットボトルタイプはサントリーとの共同開発商品なのだ。LiptonブランドはUnileverだが、基本的に商品開発は飲料メーカーというような仕組みなのだろう。
ところでサントリーの商品開発力というかマーケティング力はかなりのものだと思っている。ソフトドリンクであれば、DAKARA、伊右衛門、黒烏龍茶のマーケティング成功例は有名。現状上手くいっているかどうかはわからないが、BOSS、なっちゃん、C.C.レモンなども、超激戦のソフトドリンクマーケットでは名が通っている(+生き残っている)。
そんなサントリー&Unileverが打ち出した Lipton THE ROYAL の"おまけ"は飲料のおまけとしては珍しいファッションブランドもの。BEAMS,SHIPS,ARROWSのようなセレクトショップを"ブランド"とすることには若干の抵抗はあるが、オリジナルの商品ラインも充実しているし、その知名度を考えてもここではブランドとしておく。
Liptonサイドにとって、ある程度ターゲットを絞って今回のようなキャンペーンをやったのはなかなか効果的だと思う。前例があまりない(僕が知らないだけ?)だけにこれを実現できた背景と、その実際の効果には非常に興味がある。
一方で、セレクトショップサイドに立つと、このキャンペーンへの参加はどうなんだろうとも思う。本当にwin-winなのだろうか?BEAMSは他の2ブランドとは違って、こうしたコラボに取り組んできた背景がかなりある。セブンイレブンではBEAMS文具が売っているし、スバルとのコラボ、みずほ銀行のトートバックキャンペーンなども記憶に新しい。何より、グッズだけではなく本当に広くBEAMSのネームを浸透させているという印象だ。実際BEAMSの組織内にも「服」以外のことを仕掛ける部署・会社が数多くある。BEAMSというのは何だか掴めない企業で面白いのだが、いずれコングロマリット的な組織になり、社会の至る所にファッショナブルなセンスを提供する企業というかブランドというか…になると感じている。(もっともBEAMS内部でそれを良しとするかは別の問題だが…)
ところがSHIPSとARROWSはそんなBEAMSに比べると断然「服屋」だというのが僕の持っている感覚。オリジナルも提供する、服を中心としたファッションのセレクトショップだと思うのだ。BEAMSとは現状決定的に違う。そうした背景のもとでは、BEAMSと足並みを揃えて、スーパーやコンビニで買える150円のペットボトル飲料の「おまけ」に"SHIPS"や"ARROWS"の文字を入れてしまうことの危険性を感じる。生半可なvisionではブランドをますます陳腐化させるだけだ。ファッションの世界ではメジャー化と陳腐化は隣り合わせどころか超隣接。ブランド経営の永遠のテーマだ。先駆者のBEAMSだってこれからどうなるか分からないし、いろいろな葛藤の中こうしたコングロマリット化の動きを推進しているというのに、BEAMSの後追いではSHIPSやARROWSはウマくないと思う。ARROWSは「服」にフォーカスすればBEAMSより好調なぐらいなのだから、ここが勝負の分かれ目、判断時だと思うのは僕だけだろうか。
何れにせよ、セレクトショップビッグネームの動きには今後も注目。
<ZOZORESORT>
http://zozo.jp/_event/lipton/?KID=11201
<Lipton THE ROYAL>
http://www.lipton.co.jp/product/rtd.html
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Sunday, October 19, 2008
Noteflight を使ってみた
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ネット上の作曲ツールを使ってみた。
100SHIKI.com で紹介されていた『Noteflight』がそれなのだが、なかなかGood!
ネット上で本当にいろいろできる時代になったなと思う今日この頃。
説明書きをざっと読んで実際にいじってみると、最初は使いにくさを感じたものの、慣れてくると作業スピードが上がってきた。マウスを使っても当然作業できるのだが、注目すべきはキー操作が可能な点。音の高さを変えたり、♯や♭をつけたりはもちろん、連符の指定などもワンタッチでできる。また、Ctrl+C や Ctrl+V などのお馴染みのショートカットも使える。すべての機能をしっかり頭に入れた上である程度慣れてくれば便利なツールになるだろう。
β版だし、今後もっと改良されることが期待できるが、実際に使ってみての現時点でのデメリットは次のようなもの。
①リズム・拍子の自由度が低い。例えばメジャーなところでもリストのような譜面を書くのは難しい、というか不可能?
②音符のレイアウトがイマイチ指定できない。音符や記号が込み合ったときに、融通が効かないため非常に見にくくなる。
③音は書けるが、音楽性をプラスできない。Staccato, Marcato, Tenuto, Fermata とかそれぐらい。スラーはないし、強弱記号もない。当然 ritardando や accelerando のような部分的に速度を変える記号もない。
④いくつか楽器が指定できるが、如何せん音がよくない。非常に陳腐。
操作性、インターフェースはなかなか良いのだから、上記のような点が改善されてくるとかなりのツールになると思う。今後に期待。
実験がてら今日とりあえず作ったものを貼っときます。
上記のように現段階ではあまり音楽っぽくできないので、シンプルなフレーズを作ってみました。
シンプルということで、最後はもろにバッハ風に無理矢理纏めてみました。
<Noteflight>
http://www.noteflight.com/
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Label : music
Saturday, October 18, 2008
Warren Buffett のコメント
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今週もとんでもない1週間だった。株価の回復も束の間、また暴落。
こうした中、CNNを読んでいるとバフェットが面白いコメントをしていた。
バフェットが彼個人のポートフォリオは米国債だけだと言っていた時期から一転して、今は株を買っているという記事。その中でいくつかコンパクトながらズバッと言っている部分があるのでメモということでここに引用しておく。
①投資のシンプルなルール
『A simple rule dictates my buying: Be fearful when others are greedy, and be greedy when others are fearful.』
この哲学に従えば、今はまさに"その時"。
こういう信念を持った投資というのは強いとも思うのだが、僕のようなペーペーにはこの状況をそれほど高いところから俯瞰するだけの目がない。目というか哲学がない。
②ちゃんとした企業は長期的には成長?
『Fears regarding the long-term prosperity of the nation's many sound companies make no sense. Most major companies will be setting new profit records 5, 10 and 20 years from now.』
5年というのはあまり賛同できないが、10~20年後の回復の見通しには十分頷ける。
ただ、「既存の優良企業が軒並み記録的な利益を出す」という状況は果たしてどうなのだろうか。
GMの話ではないけど、この金融危機が閉幕した後の世界では、フィールドに立つプレイヤーが今とは大分入れ替わっているのではないかという気がする。
③米国の未来は大安売り
『Bad news is an investor's best friend. It lets you buy a slice of America's future at a marked-down price.』
"Bad news"はバフェットにとってはスーパーのチラシのようなものなのだろう。
これももの凄く短いセンテンスなのに、信念めいたものが感じ取れる。
出典元:
http://money.cnn.com/2008/10/17/news/economy/buffett_op_ed/index.htm?postversion=2008101709
さて、来週はどうだろう。
今の水準からもう一発大きい下げがあると、日本の中小企業も相当参ってしまうだろう…
PS
航空会社よ、油価が下がってきてるんだから燃油サーチャージを下げてくれ。
円高の楽しみといったら海外旅行でしょ、日本人にとって。
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Label : thinking
Sunday, October 12, 2008
World University Rankings 2008
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THE-QS世界大学ランキング2008が発表された。
THE(Times Higher Education)社とQS(Quacquarelli Symonds)社の発表する最も有名なランキング。大学のランキングはいろいろあるし、それによって順位も異なるのだが、最も有名なランキングというのは例えば留学する人にとって一つの大きな判断材料となる。国を越えた人の移動がますます多くなるであろうこれからの世界では、大学側にとってもこうしたランキングを意識することが少しは重要になるだろう。
TOP10 は以下の通り。
1.HARVARD University [us]
2.YALE University [us]
3.University of CAMBRIDGE [uk]
4.University of OXFORD [uk]
5.CALIFORNIA Institute of Technology [us]
6.IMPERIAL College London [uk]
7.UCL (University College London) [uk]
8.University of CHICAGO [us]
9.MASSACHUSETTS Institute of Technology [us]
10.COLUMBIA University [us]
ご覧の通り、すべて米・英。さらに11~15位もすべて米大だったりする。
発表されているTOP200はTHE社のサイトで見れます。
http://www.timeshighereducation.co.uk/hybrid.asp?typeCode=243&pubCode=1
日本の大学はどのぐらいの位置にランクインしているかというと…
19.東京大学
25.京都大学
44.大阪大学
61.東京工業大学
112.東北大学
120.名古屋大学
158.九州大学
174.北海道大学
180.早稲田大学
199.神戸大学
世界TOP200のうち10校とまぁまぁ健闘している気もするが、先進国、科学技術立国、経済大国とうたっている割には情けない。国民一人当たりのGDPランキングで低位置にいるのも教育の影響があるのではないか。
ところで、日本では有名な一橋大学と慶應大学がTOP200に入らなかったのは残念(慶應は去年は161位に入っていたものの今年は評価を下げ、ランク外)。慶應は研究成果的にはちょっとという感もあるが、総合的な教育の場(どっちかというとビジネスより)としては僕は高く評価しているだけになんだかなぁという感じ。ビジネス界においては凄い奴はダントツで慶應出身が多い。"上"を伸ばす機会と教育のある大学だとは思うが、"下"になってしまう学生があまりにも割合的に多いのが問題なのだろう。人数も多いし仕方ないか…
このTHE-QSランキングのメソッドは下記QS社のサイトにある。
http://www.topuniversities.com/worlduniversityrankings/methodology/simple_overview/
先に挙げたTHE社のサイトと文言は違うが、以下6つの項目に重みをつけて評価している。
①PR:Peer review score 研究者の評価 ― 40%
②REC:Recruiter Review score 雇用者の評価 ― 10%
③SFR:Student Faculty Ratio 教員数と学生数の比率 ― 20%
④CIT:Citations per Faculty 教員一人あたりの被論文引用件数 ― 20%
⑤INTF:International Faculty Ratio 外国人教員比率 ― 5%
⑥INTS:International students Ratio 外国人学生比率 ― 5%
TOP10入りした大学の平均スコアをレーダーチャートにすると以下のようになる。
一方で、TOP200入りした日本の大学の中で、サンプルとして、2強の東大京大、非総合大学として唯一ランクインした東工大、私学として唯一ランクインした早稲田大のスコアを同様に作成してみると、以下のようになった。
こうして見るとどうも、日本の私学の弱点はSFRとCITつまり、教員・学生比率、そして被論文引用件数。この2項目は比重も大きく、日本の私学の現状の形態ではアカデミックな場としては世界であまり認められていないことを意味している。いい大学の定義にもよるんだろうけどね…
東大京大含め、日本の大学全体に圧倒的な問題として残るのがINTFとINTSの低さ。即ち国際性の低さ。確かに日本の大学は外人教授も留学生も非常に少ない。特にアジアでは教育においても日本はリーダーでなくてはならないはずなのにプレゼンスが低い。この一番の原因は言葉だろう。
今の日本の現状では外国の学生は授業になかなかついてこれない。言語が日本語だからだ。
いきなり外国人学生の誘致を促進するのは難しいにしても、僕は英語で授業をする外人教員がもっと増えてもいいと思う。そりゃ英語がからっきしだめな日本の学生にとって英語の授業はきつい。しかし論文だって英語だし、世界の知の多くは英語で蓄積されている。英語から遠ざかっていてはやがて日本が孤立してしまうことは間違いない。時間が湯水のようにある大学生に対する教育だからこそ、嫌でも英語力が上がるような高等教育現場にすることが重要なのではないだろうか。結果として、日本の大学のグローバル化も進むはずだ。ランキングの指標に迎合するというわけではないが、日本の大学は国際性を向上させるための改革をもっと radical に進めるべきだろう。
Posted by Leolio At 22:32 2 comments
Label : thinking
Thursday, October 09, 2008
マーケット大荒れ
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最近仕事量が増えている。というのもマーケットが荒れているため、いらぬ仕事がかさんでいるのだ。
昨日は日本人ノーベル賞も出たし、株はどうだろかなと思って出社すると、いきなりガツンときた。
前場の段階でTOPIXは40p以上下げて、結局この有様(前日比▲78.60p)。
本当にどうかなっているとしか思えない相場。日経平均▲952円は下落率ベースで歴代3位とのこと。
かなりの優良&高収益企業でもPBR1倍割れが続出…
配当利回りも異様に高い。何だかゆるやかな恐慌といった様子。
アナリストのレポートを見るとセリングクライマックスだという声もあるし、配当利回り、PBRを考えても普通であれば割安感充満の相場。それでも関係なしに落ち続けるのは何か世界のパラダイムが変わろうとしているのかもしれない。これまでもてはやされてきた投資理論やヒストリカルなリスク評価法、さらには財務指標などがあまり当てにならない、急に視界が闇になった状態にマーケットはパニックに陥っている。
僕自身、今こそとばかりに株を仕込みたい気持ちもあるが、いざ意思決定をするとなると、静観という選択肢をとってしまうだろう。こういうのが「不安感」というやつだろう。
為替も大変なことになっている。為替ってこんなに動くっけ?というほどのボラの高さ。
リスク回避傾向ゆえ世界で円最強状態なのはいいとして、AUD、NZD、BRLなどの動きっぷりは相当なもの。
資源国通貨がここまで下がるとこれまた買いたくなってしまう。
AUDの外貨預金とかに余資をつぎ込みたい衝動に駆られる。金利も高いし長期的に見れば絶好の仕込み時だと思うんだが…
短期的なFXでポジション張ってる人にとっては今は戦場なのだろうが、余資をどうするかという人には稀に来る大波だろう。(きっと)
マーケットがこうなったのは、サブプライム問題から始まる一連の信用低下の流れのせいだとされる。しかしこれはある意味当然のことかとも思う。何らかの合理性を利用して複雑化すればするほど、ロジックで張り巡らされた合理的な空間ができるかと思いきや、実はそれが超非合理的なひずみだらけの空間だったりもする。これはマーケットに限らずいろいろなフィールドで起こりうること。
巷では"論理的思考"や"ロジック"をわけもわからず崇拝する傾向が近年強い気がする。確かに基本的な部分ではロジックは非常に重要。ただ、巷に溢れるロジックで完全なものというのは実はほとんどない。
完全なロジックとは数学や物理の世界。「x≦2,2≦xを満たすとすればx=2」こういうのは完全体。
しかし、実際の世の中を作り上げているロジックというのは不完全なものだらけ。一般的にとか経験的にとかほとんどとか欠陥つきのロジック。小さな欠陥も掛算をするとたまに大きなひずみを作り出す。これは不可避。一つひとつのロジックに欠陥があるのは当たり前。実世界なのだから。問題なのは掛算の回数、即ち複雑化の度合いなのだ。
いろいろな意味での"向上"という得体の知れない欲求のために我々は高度なものやシステムを生み出すのだが、実はそうした営みによって人類を絶滅させるだけのインパクトのあるinvisibleなリスクが着々とため込まれている。誰に聞いたわけでもなく、子供の頃からそうした感覚はあった。複雑化、崩壊、複雑化、崩壊…地球、いや宇宙ではこれが繰り返されてきて今に至るのではなかろうか。
たまたまこういう稀に見る激動期に、仕事上日々ロイターやBloombergを見ているので、日記的な感じで相場についての所感を記録に残しておくまで。
そういえば、話は変わって、ついにGFPがノーベル賞になったかという感じ。
バイオの世界じゃGFPはリトマス紙ぐらい大事だろう。いや、それ以上か。
とにかくめでたいです。
(これぞGFP!という上の写真は、古いですが以下理研のページより)
http://protein.gsc.riken.go.jp/News/PressRelease/030519/
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Label : thinking
Sunday, October 05, 2008
エネルギー
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エネルギー(上)・(下) <黒木亮>
『トップ・レフト』や『巨大投資銀行』で御馴染みの黒木さんの新刊。
題名は味もそっけもない『エネルギー』だが、読了してみると、確かにいろいろな意味を込めて一番シンプルなエネルギーという題名をつけた作者の気持ちもわかる。
主な舞台は産油国周辺(中東、ロシア)とマーケット周辺(英国、シンガポール)、そしてもちろん日本。
物語は3つの商社「五井商事」と「東洋物産」、「(旧)ト―ニチ」を中心に、エネルギービジネスの裏側を描く。
本書はフィクションということになってはいるが、ノン・フィクション度合いが強すぎる。社名・プロジェクト名は、ストーリーへの関わり具合(もしくはエグさ)によって実名か少し変えられた名前かに分けられているが、基本的に手を加えられた名称にボカシの効果はない。特に詳しくない人でも容易に想像がつくものばかり。丸の内にある商事といえば一つしかないし、大手町にある物産というのも一つしかない。外銀の名前もCSFA、JPモリソンなどほとんどそのまま。一方で、ストーリー上重要なCAOやガスプロムといった企業は実名で出てくるからこの辺りの線引きも謎。
とにかくどこまでが事実でどこからがフィクションなのか分からないぐらいの作品で、内情をよく知る人からは「リアルすぎ、エグすぎで読めない」という声もある。まったく黒木さんの豊富な知識と情報収集力には舌を巻く。また人脈という意味でも恐ろしい。黒木さん自体は「五井商事」の出身なので、五井商事の内情をよく知っているというのは分かるが、東洋物産、トーニチについてもこれだけリアルに書けるというのは本作品が相当なリークに下支えされているということに他ならない。
さて、内容はというとエネルギービジネスの2つの側面をパラレルに描いたもの。一つは油の出ない日本がどのようにエネルギーを確保するかという実需の話。もう一つはマーケット上でのエネルギー・デリバティブの話。どちらも世界規模で(特に日本では)重要なこと。実需の面で世界は石油の争奪をしているし、最近の原油価格の高騰は一般的な日本人でも数字のみならず実感しているところだろう。エネルギーを巡って一般の人々に見えないところではどのような戦いが繰り広げられているのか楽しみながら理解することができるのが本作品だろう。本作品をじっくり読めば、何気ないエネルギー関連のニュースの裏にある動きを何となく想像できるようになるだろう。上述したように、企業名・プロジェクト名もほぼナマのもの、また時間軸もリアルなので非常に勉強になる。下巻の巻末には簡単な用語集がある上、本文中にも分かりやすい説明が挿入されている。政治の話も多分に絡み、確かに難しいのだが、普通の人が読めるギリギリのレベルになっていると思う。
小説としても、黒木さんらしく躍動感溢れたものになっている。仕事帰りの眼精疲労をしょってもついつい電車の中で読んでしまう作品だった。詳しい内容については触れたいことも多いのだが、ここで論ずるのはやめときます。
しかし、commodity の最近の volatility の高さには驚く。WTI先物はここ1ヶ月、ただ一瞬を除けば100ドル±10%程度で落ち着いている感もあるが、一向に動きが予測できない。実需の面で考えてもスペックの面で考えてももうしばらくは大きく下がることはないというのが個人的な感覚です。長期的には commodity につぎ込まれている資金ははじけるんだろうけど…
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Label : books
Sunday, September 28, 2008
光と影な2冊
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対照的なタイトルの2冊。
①サラリーマンなんか今すぐやめなさい <堀紘一>
堀さんの本を1冊でも読んだことがある人なら、本書のタイトルを見て、サラリーマンじゃなくてビジネスパーソンになれということだとすぐわかる。堀さんの本はどれも内容が似ている気がすることもあり、最近あまり読んでいなかった。ただ、学生の時とは違った視点でも読めるだろうということで本書を読んだ。
しかし内容はというと、やはり軽い自己啓発本といったところ。新たな視点などあまりなかった。堀さんは自分のことを凡人だなんて書いているけど、全然凡人じゃないですよ。かなりね。
一つ、語学習得に関しては非常に凡人目線で書いてあるなという感じ。日本人ビジネスパーソンの多くの人には英語習得は費用対効果が悪すぎるから、いっそ捨てて、他のところに投資して差別化を図りなさいという主張。一理あるとは思いながらも、僕は日本、そして日本語のプレゼンスが加速度的に低下している中、これから自由に生きるためには基本的なツールになると信じてやまないので、中途半端ながらも勉強を継続しようと思う。
②今日、ホームレスになった <増田明利>
DIの超スピードIPO、そしてBCG時代も年収2億円だったと、光があたりまくりの堀さんが書いた①の本とは対照的に、本書は15人のホームレスの実態を取材したノンフィクション。このような本の性質上、サンプルのとり方にも偏りはあるだろうし、ホームレスの全てを知った気になってはいけないが、少なくとも、普段軽視しがちな彼らの実態そして背景に触れることができる本。
ホームレスの人たちは今だからこそああして暮らしているが、彼らにも人生、歴史はある。そしてそれは何食わぬ顔をして毎日通勤している会社員の生活とかけ離れたものではない。
本書は特に、サブタイトルに「15人のサラリーマン転落人生」とあるように、もとは普通の勤め人だった人がどのように転落したのかという点に主眼を置いている。外資ファンドマネージャー、総合商社管理職、大手メーカー○○長、中小企業経営者…と彼らの職歴を振り返ると、日本の平均的なサラリーマンよりむしろ社会的には成功者として見られるようなもの。それでなぜ今はホームレスなのか。
本書で語られている範囲だけで考えると、いくつかの共通点があるように思える。すなわち、
①バブル
②感覚の麻痺
③井の中の蛙
④借金
①バブル
これは彼らに責任はないかもしれない。景気が悪くなったのだからしょうがない。しかし、多くの場合バブルが人間の感覚を麻痺させ、転落へのトリガーとなったことは事実。
②感覚の麻痺
人間の感覚というのは麻痺するのは簡単だが、元に戻すのは難しい。①でトリガーがひかれた後も、感覚を戻せないために耐えられるはずのところを耐えず、結果として人生をふいにしたというケースは多い。環境に麻痺させられるのではなく、自分の頭で考えたニュートラルさを維持したいものだ。
③井の中の蛙
同じ組織・業界にずっといると居心地が良くなってくるものだ。そしてその組織・業界内でだけしか通用しないルールの中でゲームをすることが上手くなっていく。特に日本の大企業の場合、社歴の長い人の行動が社内ルールに等しいというような奇妙な状態もある。そうすると、その年長者は自分が何でもできるかのような錯覚に陥る。さらに、自分の実力に大会社ならではのレバレッジをかけてビジネスをしているという事実を忘れてしまえば、ますます"井の外"では何もできない危険な状態に陥る。
④借金
金融リテラシが個人レベルに浸透していないにもかかわらず、ローンという名前の借金の形態が広く受け入れられているこの状態は何なのだろう。自分で計算もできない、リスクもまったく定量的に考えられない人々が金融機関にカモられている現実がある。①②③とこの借金が組み合わさったときは最悪で、一気に返せないという状況に陥る。そもそも、何かしらの default があったときに返せないような借入の仕方をしているのが間違い。家計もB/Sで考えろという人がよくいるけど、リスク管理という意味ではそれぐらいしてもいいのだろう。異常なレバレッジをかけた住宅ローンを組んでいる人が多すぎ。
①などの環境的な異常事態や、勤めていた会社の倒産が運悪く起きたときに、②③④のような要素の合わせ技に遭うと途端に自己破産したり、ホームレスになったりする。人間ただでさえ、健康などのリスクも抱えているのだから、不要なリスクは保持すべきではない。チャレンジの代償としてリスクをとるのは生き方そのもの、大いに結構なのだが、何のリターンもない不要なリスクなどとるべきではない。特に④借金の話などは、机の上の学習でも回避できるものだとは思うが、②③のような人間の性質的なものはかなり意識を高めなければ容易に陥るものだ。その点、ホームレスの人々を他人事などとは思わずに、教訓としたいものだ。
そういえば、もう一つ。
ホームレスの人にも少し前までには普通の人と変わらない生活があったという意識をもっと持てば、理由もなく虐げたり、ましてや少年が虐待をするなどという事件は起こらないのではないだろうか。
Posted by Leolio At 13:39 0 comments
Label : books
Thursday, September 25, 2008
自然との再会。上高地
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月・水と2日間有休をとって5連休を作り、その真ん中3日間で久しぶりの国内旅行に行ってきた。
行き先は日本アルプスの辺り、乗鞍・奥飛騨・上高地。岐阜と長野にまたがるこのエリアだが、なんと岐阜県の土を踏むのは人生初。
青い空と木々の緑のコントラストを堪能する超アウトドアの旅のはずだったが、インドア時間の長い旅になってしまった…
そう、天気が芳しくなかったのだ。
土曜夜遅くに東京を出て早朝に着いたのは乗鞍高原。アルプスの少女ハイジがいるような緑豊かな高原でウォーキングやサイクリングを楽しむはずが外は雨。そして深い霧に包まれた灰色の世界。おまけに予想以上に寒いときたので、たまらず5時間ほど予定を前倒しして乗鞍山頂(畳平と呼ばれる場所)へ。予想通り、そこも灰色の世界。というか白い世界。視界はさらに悪くなり、50m先は真っ白で何も見えない。3000m近い高度ということもあり、余計に寒い。気温は6℃。バスターミナル隣接の小屋でうどんをすすりながら待機するも、登山者の表情には落胆の色しかない。過酷な状況に、「素人が何か行動をする=遭難」の式が浮かび、さらに予定を前倒しして、朝9時には奥飛騨温泉郷の一角である平湯温泉へ。本来であれば、1日目は乗鞍高原・山頂を満喫して夕方に平湯へ移動して1泊のはずだったが、致し方なし。
温泉街なので遭難の危険こそないが、平湯も天気は雨。湯に浸かることと食べることを中心にして過ごす。露天風呂に入るも、頭には冷たい雨があたる。観光は屋根つきのクマ牧場と鍾乳洞というインドア?なものをチョイスして宿に戻り、また温泉と食。
晴天を願った2日目もなんと朝から雨。2度寝して少々時間稼ぎをしたが、午後には上高地に向かう予定だったので、潔く宿を出て新穂高ロープウェーへ。今回の旅行の楽しみなスポットの一つでもあったので非常に残念。見えるのはひたすら霧。アルプスの少女ハイジの唄を口ずさむはずが…
絶景view を諦め、上高地へ向かうとやっと雲間から青空を見ることができた。いや、長かった。
地球上のものの色、そして美しさは太陽の光、青空あってこそのものだとあらためて実感。今まで灰色だった水は青さを取り戻し、黒かった森も青緑色を取り戻す。
2日目の夕方から3日目にかけては天気に恵まれ、最高にリフレッシュすることができた。おいしい空気と心地良い水の音、虫の音を堪能しながらのウォーキングは大手町のビル群を忘れさせるには十分な癒しとなった。
大正池でのんびりボートを漕いだり、笹の船を浮かべたり…また行きたいぞ、上高地。
最後は上高地帝国ホテル伝統のビーフカレーに舌鼓を打ち、上高地を後にした。
定期的に都会を離れることの重要性を再確認した旅、これにて終了。自然はやっぱりいい!
Posted by Leolio At 00:53 3 comments
Label : events
Wednesday, September 17, 2008
ウシ、丸の内に現れたる
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Cow Parade Tokyo Marunouchi 2008
http://www.cowparade-tokyo.com/index.html
この企画ツボです。「アートな牛が丸の内ジャック!」
そんなコピーが何とも抜けていていい。大手町とは違って丸の内にはやはりそうした面白さや"ゆとり"、アートというものが必要だと感じる。大手町の無味乾燥なビル群と丸の内の小洒落た雰囲気とを比べると若干萎えるのだが、寄り道しないストイックさを保てるのはやはり大手町だろうか。
近くの日本橋はニホンバシで COREDO もあって洒落てるしなぁ…
そういえば、COREDO から牛のマークが消える日も近いのかな…寂しくなります。
それはそうと、この牛ブームは何だ?
古株の牛ファンとしては、牛のイメージのコモディティ化を危惧する。僕は動物の中でも牛に凄く魅かれるところがあり、牛をうまくデフォルメしたようなグッズなどに目がない。メリルのマークのような強い牛ではなく、のほほんとした乳牛の生き様には惚れぼれ。そしてあの模様。白と黒の織りなす独特な模様は全く不可解かつ芸術的。シマウマのようなシャープさやパンダのようなシンプルさはないが、モノトーンのお手本。凄いアイデンティティ。
老後は"firm"ではなく、"farm"をやりたいもんです。
さて、そんなシンプルデザインの持ち主である牛を redesign しようという試み。
official site を見るとなんと73頭もの牛がワガモノ顔で立ってるようで、全部見るのはかなり大変だが、仕事が早く終わった日にはマップ片手に牛追いツアーをするのも面白そうだ。
▼Google Chrome
話は変わってブラウザへ。
僕の使っている2台のノートPCのうち旧型の1台がかなり瀕死で、歳をとるごとに重くなる彼を助けようと大規模整理を行った。いろいろアンインストールしてデフラグして…みたいな作業を続けていると、いつの間にかネットが見れなくなっていた。(=ブラウザがなくなっていた)
XPにIE7を入れるのも癪なので、ここはひとつ、話題の新ブラウザである Google Chrome を導入してみることにした。
で、多少のデメはあるとしても使い勝手がいい。無駄があまりなく、ユーザインターフェースがなかなかgood。旧型XP君の命が尽きるまで Chrome でいきそうです。
ちなみに、僕の中でのデメは2つ。
①ブックマークがちょっと使いづらい。IEではお気に入りをこれでもかというぐらい整理せずにストックする人間なので、そうなると使いにくい。ある程度のストック量、及び整理を厭わない人なら十分かもしれない。
②web site の見え方は変わる。例えばこのブログも若干見え方が変わる。web designer にとっては由々しき問題かと思料。
他は非常に気に入ってます。けっこう速いし。
ダウンロードはこちらから。
http://www.google.com/chrome/?hl=ja
Posted by Leolio At 22:54 0 comments
Label : art, other topics
Sunday, September 07, 2008
Long Vacation
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少し前に、いや、2,3ヶ月前か?
あのドラマを久しぶりに観た。ロングバケーション。
ドラマはいろいろ観てきたし、僕が生まれてから放送されたドラマの数は相当なものだと思う。その中でこのドラマは群を抜いて好きで、僕の人生に大きな影響を与えた。多分僕はロンバケの話だけで一晩語り明かせます。
珍しく何回も観たドラマだが、もうしばらく観ていなかった。96年のドラマだからなぁ…あれから12年、時が経つのも早いものです。
このドラマは何気ないしぐさや表情がキャラクターやストーリーと密接にリンクしている点で秀逸。おまけにストーリーも役者も音楽もいい。前半回(特に第1回)だけを観ると、多少おちゃらけた部分のあるドラマに観えるが話が進むにつれて大人の深みが増してくる。本当に大人の世界を描写するドラマや青臭い恋愛ドラマが多い中で、恋愛ベースなんだけど大人の深みのある数少ないドラマだと思う。夜の描写も素晴らしい。
わざわざ今こうして紹介してるのも、観たことのない人には是非観てもらいたいからです。平均視聴率30%とはいえ、多くの人は観てないわけなので。
YouTubeだと、「Long Vacation ep」の名前で"1-1"~"11-8"まであります。(通常回はTV放送の1回分を6パートに分割してある。)
Long Vacation ep 1-3
それと、ドラマを観ていて思わず楽譜を買ってしまった。今頃。
最初にAmazonで買ったのがKMP社の「やさしく弾ける ロングバケーション ピアノソロアルバム 」という楽譜。ネットを駆使してかなりいろいろ探したのだが、最後に瀬名がコンクールで弾いた曲の原曲versionが載ってるというレビューが多く、期待していた。
が、オリジナルとされていた譜面は劇中のピアノとは大分違ったもの。
曲数は多かったのでまぁ満足はできたのだが、肝心の曲がドラマとは違った譜面だったため、また探すことに…。
ロンバケ関連の楽譜はけっこう色々出てるのだが、絶版になっているものも多く、入手はなかなか困難。
その中で必死に探し、たどり着いたのはヤマハから出ていた「ピアノミニアルバムスペシャル Minami~Piano Piece of Sena」という楽譜。どこ探しても新品はなかったので、やむなくusedを購入。
完全versionと書いてあったので今度こそはお目当ての譜面が手に入ったと思い、配送をわくわくしながら待ったのだが、届いた譜面はまたもや劇中のピアノとは違ったもの。ちなみに前述のKMP社のものともまた違う。
これだけ調べて言えることは、おそらくドラマで弾かれていた音は譜面になっていないということ。そしてドラマで弾かれていたものが原曲ではなく、当該シーンでは逆に原曲として書かれた譜面を多少アレンジしたものが使われているということ。
しかし、劇中での曲の方が断然いい。譜面になっているものは展開部の音が単純で深みにかける。
このままだと時間をかけて耳コピして自分で譜面書くよりなさそうです。
まぁ家に五線紙はたっぷりあるのですが…
どなたかドラマと同じ譜面の存在を知っているという方いらっしゃいましたら御一報頂ければ幸甚です。
僕の中で唯一可能性があるとすれば、まだ見ぬ下の楽譜です。
(CAGNETが出しているみたい。しかし手に入らず…)
DON'T WORRY BE HAPPY
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Monday, September 01, 2008
"プロ"コンサルタント?の本
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①プロフェッショナル原論 <波頭亮>
コンサルタントが読むといいかもしれないが、そうでない人はあまりピンとこないであろう本。そして、逆にプロフェッショナルという言葉が鼻につく。
筆者はおそらくプロであり、ざっくりとした言葉で言えば、意識が高い。
近年着々と肥大化しつつあるコンサルティングファームでのコンサルタントたちの意識低下、そしてファームの経営方針の変化、そうした流れに警鐘を鳴らしているのが本書なのだろう。その内容は非常に高い理想であり、コンサルタントたちを鼓舞しうる内容かもしれない。
ただし僕の感想としては、いい言い方をすれば、筆者は自分の仕事に誇りを持ち、愛している。悪い言い方をすれば、コンサルティング業界に浸かりすぎで自己満足。
経営コンサルティングはいつの時代も存在意義を問われることの多い業種だ。本当に必要なのか?高いフィーに対してペイするものなのか?虚業ではないか?…そんな意見は後を絶たない。これについては僕の立場からは何とも言い難く、真に value を出しているコンサルタントやファームもあればそうでないものもあるとしか言えない。実際一歩間違えれば大きな流れによって消されかねない業種だとも思う。本書には、コンサルティングの仕事に異常なまでの誇りを持っているからこそ、業界が受ける風に対して同士を鼓舞して立ち向かおうとする筆者の姿勢が見える。
ところが、本書を読んで、自己満足、論理のねじまげのように思えてしまうのは、コンサルティングという特殊な仕事をベースにしすぎた構成と、プロフェッショナルという言葉の強引な定義が原因ではないかと思う。
本書内では、代表的なプロフェッショナルとして、コンサルタントの他に、医者、弁護士、会計士、建築家などが幾度となく挙げられている。大まかに言うとクライアントの問題を解決する職種という定義のもと、これらをひとくくりにし、具体例を挙げつつコンサルタントがあたかも医者や弁護士と同じようなプロフェッショナルだとしているが、多くの人は本書を読んでかなりひっかかるところがあるのではないだろうか。
僕の場合、そのひっかかりは、以下の部分に注目することで解けた。
『もしプロフェッショナル達がこの的確さと公正さを放棄してしまい、クライアントや自分自身の金儲け追求のために都合主義的な判断や処理をするようになってしまったとしたら公益なぞ一挙に消失してしまう。耐震強度不足のビルが乱立し、不公正な財務諸表ばかりが公表されるようになってしまったら、社会の大混乱と崩壊は自明である。』(p183)
プロフェッショナル達の意識低下が社会の崩壊をもたらすと警鐘を鳴らしているが、よく考えると、コンサルタントの意識低下によっては別に社会崩壊は起きない。ただどこの企業も政府もコンサルタントを雇わなくなるだけだ。ところが、医者がいなければ世の中大混乱になるし、法律が支配する世の中で弁護士がいなければ大変なことになる。建築設計する人が誰もいなければ都市も建造物も大変なことになる。
つまり、現代社会でそれぞれの職業の存在が「必須であるかどうか」を考えたとき、医者や弁護士、会計士、建築家は多くの人が必須であると思うのに対し、コンサルタントは別に必須ではない、いなくとも社会はまわると感じることがひっかかりの原因ではないかと思うのだ。
本書に書いてあることは的を射ていることも多いし、非常に美しい仕事像も描かれている。
コンサルティングという業種自体も、上述のようにしっかり value が出せていれば意味があるし、ありがたがられる仕事でもある。
だからこそ、もっとニュートラルな視点でもって、正しいことを提唱するような「プロコンサルタント原論」であって欲しかった。
②たった3秒のパソコン術 <中山真敬>
銀色の表紙+コンパクトさ+お手軽な分量
ということで、あまり中身も見ずに買ってしまった本書。普段からかなりショートカットの類は使うので(特にexcel)、おさらい及び確認をするイメージだった。
概ね知っている内容であまり意味が無かった(これ知らないでどうやってPC仕事しているんだ?的なものも非常に多い)のだが、いくつか「知らない」かつ「使える」ものがあったので、まぁよしとします。¥600だし。
マイクロソフトのHPを見れば、そうでなくとも、ネットでいろいろなショートカット集はあるが、「本」という形式はまだまだ価値ある形式でスピーディーに情報を吸収できる。普段コピペやオルトタブ、Ctrl+Fなどの超基本ショートカットしか使ってない人には費用対効果の高い1冊ではないでしょうか。
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Wednesday, August 27, 2008
花火
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暑さも和らぎ、今年の夏も終わろうとしている。
夏といえばやっぱり…というような言い方もしたくはないのだが、夏の風物詩は花火だ。
今夏も1回だが花火を見た。
僕は花火は芸術だと思っている。芸術作品には"仕事"という表現がよく使われるが、花火は英語で fireworks 。そもそも花火の起源が日本なのか外国なのかは知らないが言い得て妙な単語だと思う。
しかしもっと素晴らしいと思うのは日本語の"花火"という単語。非常にシンプルなのだが僕のイメージにはしっくりくる。
花火のいいところはどこだろうと考えたとき、当然視覚的美しさや音の清々しさが素晴らしいのだろうが、僕は、花火師の心意気と花火の儚さに芸術を覚えている。
僕は芸術を鑑賞するとき、作品そのものの独立した美しさ・性質に感銘を受けるだけでなく、作品を通して作者のマインドに触れることができた場合、さらなる芸術感というか得体の知れない感覚を覚える。
だから、作者がどのような思いでその作品を完成させたのか、またどのような感情をもってそのような表現をしているか知っているケース(例えば、人生を共に歩んできた人の作った音楽を聴く場合)では特に感じ取れるものが違う。プロや著名なアーティストの作品でなくとも、僕にとってだけの至高の芸術というものは確かに存在しうる。
これに近いのだが、直接知らない人の作品でもその人の感情が強く伝わってきた場合には、視覚、聴覚でのみとらえる芸術とは違うものとなる。つまり、作品を通して、作者と対話しているようなイメージだ。
花火の場合、なぜだか特にそのような感情が起こりやすい。わずか数秒で夜空に咲いた花が次の瞬間には消えていく…そんな儚い花に思いを込める花火師たちの心意気が伝わってきたとき、花火は他の何物にもかえることのできない芸術だと感じるのだ。
夏の少し涼しい夜と、浴衣にうちわ…日本の花火は"花火"のままで、そうした今と同じ要素に囲まれてこれからも夏の夜に儚く咲き続けてほしいものだ。
ちなみに今年行った花火は去年も行った多摩川花火大会。田園都市線をまたいで、2サイドで同時に行われる花火大会だが、個人的には世田谷区主催のものより、川崎市側のもののほうが好きだ。
音楽と花火をコラボさせた企画は挑戦的だがかなり面白い。特に去年の威風堂々は秀逸だった。
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Tuesday, August 26, 2008
ビームスの奇跡
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ビームスの奇跡 <山口淳>
ビームスっていうのは不思議な店だ。「店」であって会社ではない、未だにそんな感覚が拭い去れない。
ビームスではこれまでどれだけ買い物したか忘れるぐらい買ったと思う。
若い世代なら誰もが通る「服屋の基本」のような位置づけともなっているのはビームスだけではない。アローズやシップス、ジャーナルスタンダードなどのセレクトショップもまさしくそう。こうした世間での認識、位置づけにより、一時期はメジャーなセレクトショップがつまらない、陳腐だと感じたものだった。特にビームスはそのプレゼンスがいい意味でも悪い意味でも大きい。みずほ銀行のCMでビームストートがどうだなんてやっていたのも記憶に新しいし、最近ではセブンイレブンにビームスとコラボった文房具が置かれたりしていた。つまり、出すぎなのだ。誰にでも身近なところにありすぎる。
一部の人間はこのような状況をあまり歓迎せず、メジャー(≒陳腐)化していない服屋に出入りする。上述のように僕もそうで、一時期はセレクトショップなんて…という感じで、メンズノンノやポパイでピックアップされるような「小さな店」をハシゴする買い物の仕方をしていたものだ。
ところが、ある時からまたビームスを訪れるようになった。他のセレクトショップには足りない魅力があったからだ。(未だにシップスやジャーナルでは買い物はほぼしない)
インターナショナルギャラリーやビームスFとの出会いがきっかけだった。今も当時もビームスはメジャーで、どこにでもあるようなシャツやパンツが1万円ぐらいの無難(クオリティにしてはちょっと高め?)な値段で売られている。またビームスのロゴが入っただけのようなつまらない商品もあり、こういう部分を見ると何だかがっかりしてしまうのだが、一方でビームスにはいろいろな顔があることに気づいたのだった。ギャラリーには今も何ともいえない雰囲気があるし、最もメジャーなビームス東京とかでだってけっこうエッジの効いたアイテムが売られている。いろんなものに手を出していていろんなところで顧客を逃しているが、また attract する力も持っている。そんな気がする。
今は買い物の時間があまり取れないこともあり、便利さという意味でセレクトショップを重宝しているが、たぶん時間があってもビームスには足を運ぶと思う。なんか面白いからだ。
本書を読むと、客としてそういう気がどうして起こるのか、少し納得できるところがある。
ビジネスという観点からもビームスは非常に面白い。これも理由の分からぬ面白さ。こんな企業ありうるのか?と思わせるような内容が本書にはこれでもかと収められている。よくも絶妙なバランスをとりながら、売り上げを伸ばしていけるものだ(利益の方は心配だが)。読了したところで不思議感は拭えない。
しかし言える事は、やっぱりこういうビジネスは自由な人・感性のある人でないとできない。そしていわゆる株式会社のような企業の枠組みを壊さなければ成立しない。頭の固い、感性不足の巨大コングロマリットがアパレルやブランドに手を出してもイマイチなわけです。
何も考えぬ客としても面白いし、ビジネスとしても面白い。今後もビームスが絶妙なバランス感覚を駆使して、自社のポジションをキープできるのか、見物だ。
ビームスの最大のリスク=設楽社長の引退
これは幻冬舎のアナリスト説明会で聞いた内容と同じ。
幻冬舎の最大のリスク=見城社長の引退
ワンマンチーム、どこまでいけるか?
※ちなみに、ビームスFの"F"は"Future"のFらしい。初めて知った。そんなことも知らずにスーツ買ってたよ…。いいねぇ"Future"っていうコンセプト。
※あと、アローズが、言わばビームスからの"枝"だということも初めて知った。
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Monday, August 18, 2008
ウォーターマネー?
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ウォーター・マネー 「水資源大国」日本の逆襲 <浜田和幸>
発刊日(7月30日)だかその翌日だかに偶然見つけて購入したが、読まぬまま幾日も過ぎ、ようやく読了。
最近買ったはいいが読まずに放置というパターンの本が部屋の中で目立つようになってきた。
一度「後で読もう」リストに入ると、また新しく購入された本に対してプライオリティーが低くなり、どうにも読む機会がなくなってしまう。この問題を解決するためには、一定期間本屋に立ち寄らない、そして Amazon を開かないことが大事(笑)
さて、本書のタイトルにはいきなりひっかかった。ウォーター・「マネー」なのか、果たして?(まぁオイルマネーと対比してあえてキャッチーな題名をつけているのだろうけど…)
テクノロジー、経済水域、淡水、様々な面で確かに日本は水資源大国である可能性は高いが、それをマネーにしてしまうのはいかがなものかと。それが直感。今はまだ水という資源に関して真に深刻な状況とは言えない。これがもっと極端なケースになると、お金はあまり意味をなさなくなるはずだ。
例えば、生きていくのに必ずAとBの2つの物質が必要であるとする。世界にはXYZの3つの国しかなく、X国は経済大国でお金の面では他の2国を圧倒している。しかし、AはY国でしか、BはZ国でしか採れないということになったときどうなるか。Y国とZ国が物質A,Bを物々交換し、A,Bは決してお金には換えないというスタンスをとったときX国はもうだめだ。もしくは他2国に戦争をしかけて物質A,Bを奪うしかない。
こんな極端なモデルにはならないにせよ、世の中で一番流通してしまっていて価値がないものはもしかしたらお金かもしれない。
ダイヤモンドなんかは確かに産地が限られていて、それ故高いレートでお金に変換することが可能だ。同様に希少なものほど高いレートでお金に変換することができる。 しかし、人が生きるために最低限必要なものになると話は変わる。ダイヤモンドなんか別になくてもいいが…
水は命の源だ。そうであるからこそ、お金と交換できなくなる日が来ることも考えられるし、戦争のトリガーにもなる。
生きるために最低限必要なものが極端に偏ってしまったとき、長く続いた世界の貨幣経済は終焉を遂げるかもしれない。今普通に暮らしている分には世の中から貨幣の仕組みがなくなるとは考えづらいが、無効化・無力化の可能性は十分にある。
そんなことを考えつつ、本書を読んでいったが、なかなか面白かった。
この手の本はいささか主張が偏っていて、マスコミのように一つの事象を変に煽りたてる傾向があるが、その辺り差し引いて読んでも得るものは多々あった。そこそこfactベースで書かれていることもあり、今まで日本の強みは水だなんて考えてもいなかった人には特におすすめ。かなり最近のことまで反映されているところを見ると、良く練って書かれた本というわけではないので文章は粗いが、さっと読んで現状を捉えるのにはいい。
内容をざっくり挙げると以下のような感じ。
・水不足に困る人、国の現状
・水道事業の民営化
・水や水関連技術が限られた国や企業に独占される可能性
・水に関わる商売
・水に対するお金の流れ(ウォーターファンド)
・日本の水関連技術
・これからのkeyとなる廃水処理
・ダムについて
・水はどんな問題を引き起こすか(テロ)
・中国の話
最後に「中国の話」と書いたのは、あまりにも驚いたからだ。
本書には各国の水事情が書かれていたが、中国のひどいありさまが非常に印象的だった。
是非読んでください。3割減のスタンスで読んでも、まぁひどい…
ところで、裏表紙には
「これまで日本はエネルギーも食料もまったく自給できないで苦労してきたが、今後は水技術で世界に再び躍り出ることができる。世界に冠たる水テクがあれば、石油や食料とトレードして生きていくことが可能だ。」
とある。そうなんです。お金じゃなくて、他に必要なものとダイレクトにトレードするっていう発想が大事だと思う。水や水テクは日本の最後の切り札かもしれない。
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Label : books
Tuesday, August 12, 2008
青木淳の"HOUSE"
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そういえば、カルロ・ザウリ展に行った時、同時に MOMAT ではもう一つの展示が行われていた。
「建築がうまれるとき
ペーター・メルクリと青木淳」
という展示で、ちょっとしか観る時間がなかったのが悔やまれるほど面白そうな展示だった。(実際、仕事後に2つの展示を観るのは時間的にムリ…)
ペーター・メルクリというスイスの建築家はそもそも知らなかったのだが、そのドローイングの過程はなかなか興味深かった。なぜ青木淳との組み合わせなのかは未だに謎なのだが、独特な雰囲気のある展示だったと思う。あと30分でもあれば…
ペーター・メルクリ : http://www.maerkli-peter.arch.ethz.ch/
もう一方の青木淳は日本で非常に有名な建築家なのだろうが、なぜだがあまり彼の仕事を観た記憶がない。LOUIS VUITTON 各店舗の設計者であることは知っていたが、その程度だったので今回の機を活かしてofficial site を見てみた。
AOKI JUN : http://www.aokijun.com/
上のサイトなのだが、これが面白すぎ。刺激されまくり。
特に HOUSE の仕事が最高。アルファベット1文字の題名にまずそそられる。
あまり奇抜なものではないし、一軒家建築だけあって素朴なのだがすごく温かみがある。
壮大な建設PJTや、芸術作品のような建造物は僕ももちろん好きだ。心躍るし、本当に凄いなと感嘆してしまう。だけど、1番ベースとなる「けんちく」ってのは家のような気がしている。建築っていうのが何のためのものかを考えたとき、建築家の芸術意識でもなくエゴでもなく、権力の象徴でもなく、機能重視のものでもなく…一番大事な目的はそれに関わる人、そこで暮らす人の幸せのためだと思う。そもそも1人、2人、数人単位の人の幸福を育むシェルターだと思うのだ。そういう観点で青木淳の建築を観たとき、非常に温かみを感じ、かつ建築の原点感が感じられる。よくわからなくても、この人に家作ってもらいたいなと思えてくるから不思議だ。
"ほぼ日刊イトイ新聞"の過去の特集にこんな面白いのがあった。
"AOKI JUN × ITOI SHIGESATO 建築っておもしろそう。"
http://www.1101.com/architecture/index.html
とりあえず、一番下までスクロールしてください。
第1回~第15回まであります。「もどる」を多用する必要がありなんだか読みにくいが、内容はかなり面白い。個人的には第12回あたりからが特に面白かった。
これを読んでますます青木淳のプロフェッショナリズムに魅せられてしまった。
いや、ほんとに将来建てる家が今から楽しみでなりません。
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Label : architecture, art
Sunday, August 10, 2008
人を動かす
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人を動かす <DALE CARNEGIE>
言わずと知れた名著を読んだ。
あらゆる自己啓発書の原典とも言われる本書はやはり読む価値があった。
デール・カーネギーは本書の他にも多くの自己啓発書の類の本を書いているが、これだけの事例を取り上げ、これだけヒューマンスキルの研究をしたことは賞賛に値するとしか言いようがない。
本書が書かれたのはとうの昔だが、社会構造が大きく変化した現代においてもこれだけ多くの人が読んでいることには驚かされる。やはりそれだけ素晴らしい本なのだろう。
さて、本書のジャンルであるが、一見すると対人関係戦略論。相手の心理構造を考え、自分の nature の感情をぐっと抑え、効果的な言動・行動をする。そういうメソッドが相当数の事例とともに解説されている。
そういう見方をすると、本書の内容を完全に実践している輩は何だかイヤな奴に映る。営業など、ビジネスのシーンでは非常に役に立つ内容ではあるが、ビジネス以外での対人関係においてここまで戦略的になるのは少々気持ち悪くさえ思える。
ところが、本書に対するスタンスや読み方によっては、そして何度も本書を読むことによっては別の境地に達するのだろうとも思える。すなわち、何も考えずに自然と本書に書いてあるような思考ができるようになったとき、本当に「幸せな人」や「偉人」…になれるのではないかと思うのだ。
p.300に以下のような記述がある。
『重ねていう。本書の原則は、それが心の底から出る場合にかぎって効果をあげる。小手先の社交術を説いているのではない。新しい人生のあり方を述べているのである。』
まだ僕には本書の内容を完全に自然なものにすることはできないと思う。だいぶ時間はかかりそうだ。しかし、本書の内容を当たり前なこととするべく努力し、そのために本書も何度も読み返したいと思う。
ところで、本書の核は以下の記述そのものだ。
『人を動かす秘訣は、この世に、ただひとつしかない。この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。しかし、人を動かす秘訣は、まちがいなく、ひとつしかないのである。すなわち、みずから動きたくなる気持を起こさせること…これが、秘訣だ。』(p.33)
フロイトやジョン・デューイを参考にして人間のあらゆる行動の動機を考えたとき、それは「自己の重要感」と「性の衝動」とに集約されるとし、本書は前者にフォーカスして書かれている。
その「自己の重要感」についての重要な記述が例えば以下2つだ。
『人はだれでも他人より何らかの点ですぐれていると思っている。だから、相手の心を確実に手に入れる方法は、相手が相手なりの世界で重要な人物であることを率直に認め、そのことをうまく相手に悟らせることだ。』(p.144)
『自己主張は人間の重要な欲求のひとつである。』(p.70)
「自己の重要感」というのは確かに人間にとって非常に重要な「生きている価値」かもしれない。逆に言えば、それがなければ存在意義がないという不安にさえ駆られる。人間は自分が存在することの意義を日々確かめるために「自己の重要感」を追い求める生き物なのかもしれない。
この「自己の重要感」という考えは本当に色々な言動・行動のベースとなりうる。
例えば、人を非難しない、代わりに褒めるというのも言ってしまえば「自己の重要感」の尊重問題に帰着する。
人を非難せずに褒めるということの重要性は本書内で大きなテーマとして述べられていたが、その論の中で特に印象に残った記述は以下3点。
『われわれは他人からの賞讃を強く望んでいる。そして、それと同じ強さで他人からの非難を恐れる』(p.15 ハンス・セリエの言葉)
『神様でさえ、人を裁くには、その人の死後までお待ちになる』(p.32 ドクター・ジョンソンの言葉)
『(お世辞とは)相手の自己評価にぴったりと合うことをいってやること』(p.47)
また、議論を避ける、誤りを指摘しないという項目中においては以下2つの記述が印象に残ったが、これも結局のところ「自己の重要感」に帰着する問題だろう。
『こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手にゆずるべきだ。百パーセントこちらが正しいと思われる場合でも、小さいことならゆずったほうがいい。細道で犬に出あったら、権利を主張してかみつかれるよりも、犬に道をゆずったほうが賢明だ。たとえ犬を殺したとて、かまれた傷はなおらない』(p.164 リンカーンの言葉)
『相手がまちがっていると思ったときには…思うばかりでなく、事実、それが明瞭なまちがいだったときにも、こんなぐあいに切り出すのがいいと思うがどうだろう……「実は、そんなふうには考えていなかったのですが…おそらくわたしのまちがいでしょう。わたしはよくまちがいます。まちがっていましたら改めたいと思いますので、ひとつ事実をよく考えてみましょう」。』(p.169)
このように「自己の重要感」を核として本書は書かれているが、若干脱線したところにもビビッとくる記述は散りばめられている。言われてみれば「あ~」となるような基本的なことなのかもしれないが、それが非常に大事なのだ。それが凝縮されている本書の価値はやはり僕が言うまでも無く高い。
最後に、特に印象に残った記述を備忘のためにも引用しておく。
『偉人は、小人物の扱い方によって、その偉大さを示す』(p.27 カーライルの言葉)
『成功に秘訣というものがあるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である』(p.57 ヘンリー・フォードの言葉)
『われわれは、自分に関心を寄せてくれる人々に関心を寄せる』(p.88 パブリアス・シラスの言葉)
『まるでどんちゃん騒ぎでもしているようなぐあいに仕事を楽しみ、それによって成功した人間を何人か知っているが、そういう人間が真剣に仕事と取っ組みはじめると、もうだめだ。だんだん仕事に興味を失い、ついには失敗してしまう』(p.94)
『物ごとには、本来、善悪はない。ただわれわれの考え方いかんで善と悪とが分かれる』(p.98 シェークスピアの言葉)
『良い習慣は、わずかな犠牲を積みかさねることによってつくられる』(p.114 エマーソンの言葉)
『人にものを教えることはできない。みずから気づく手助けができるだけだ』(p.168 ガリレオの言葉)
『河や海が数知れぬ渓流のそそぐところとなるのは、身を低きに置くからである。そのゆえに、河や海はもろもろの渓流に君臨することができる。同様に、賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人のうしろに身を置く。かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない』(p.228 老子の言葉)
『人間は一般に、同情をほしがる。子供は傷口を見せたがる。ときには同情を求めたいばかりに、自分から傷をつけることさえある。おとなも同様だ…傷口を見せ、災難や病気の話をする。ことに手術を受けたときの話などは、事こまかに話したがる。不幸な自分に対して自己憐憫を感じたい気持は、程度の差こそあれ、だれにでもあるのだ』(p.245 アーサー・ゲイツの言葉)
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Sunday, August 03, 2008
CARLO ZAULI
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カルロ・ザウリ展 @MOMAT(東京国立近代美術館)
に行ってきた(金曜)。色々な意味でギリギリだった。展自体が8/3までだったのと、閉館時間が20時(金曜日限定、最終入館19:30)だったからだ。職場から徒歩圏ということもあり、早々に仕事を切り上げて19時過ぎに入館。仕事帰りに美術館に行けるのは何とも幸せ。
さて、CARLO ZAULI はイタリア現代陶芸の巨匠らしいが、恥ずかしながら正直あまり知らなかった。そして"陶芸展"なるものを見るのも久方ぶり。僕はどちらかというと2Dより3Dの芸術を鑑賞する方が好きなので、陶芸というのもたまにはいいなという程度の思いで足を運んだ。
僕の陶芸に対するイメージは、壺、ろくろ、益子、九谷、備前…そんな感じだったのだが、現代陶芸というだけあるのかないのか、今回の展示にはいい意味で陶芸に対する上記のイメージを取っ払われた。
正直、こんなに自由でこんなに深く、こんなにダイナミックなものだったのか!と驚かされた。
陶芸は工芸の中の一分野で、機能を持ったものだと勝手に思っていた僕だったが、ザウリの作品はそうした区分けからは完全に解放されていた。
<壺>1953 <球体のふるえ>1968‐1970 <塔>1986
CARLO ZAULI(1926‐2002)は1960-70年代の「ザウリの白」と呼ばれる代表的な陶彫作品で非常に有名で、世界的に権威のあるファエンツァ市主催の国際陶芸コンペでもグランプリを3度獲得したらしい。その非凡なる才能でイタリアの現代陶芸を牽引したというわけだ。
気に入った作品は以下(似たような名前が多いので覚えている分)
「アザラシ」 1958年
「大きな白い破れた球体」 1967/68年
「それは壺だった」 1971年
「黒い汚染物質」 1972年
「自然のアーチ」 1973年
「歪められた欲望」 1987年
あとは、色のついていない作品の方が多かったのだけれども、たまにあった「青い」作品が絶妙だった。個人的にはザウリの青とでも呼びたいぐらい、その青さが美しかった。ターコイズ系の色になるのかな…吸い込まれるような深みのある青だった。
青といえば、こちらのタイルも非常に美しい青がベースとなっていた。
ザウリは実はタイルのデザイナーとしても活躍したらしく、本展、数多くのタイルの展示もあった。
そして僕もタイルが造りたくなった。本当に。もしかしたらタイル作りはけっこうお手軽にできるんじゃなかろうか。いいものを観ると、もの造りがしたくなる。いい刺激です。
MOMAT : http://www.momat.go.jp/index.html
CARLO ZAULI : http://www.museozauli.it/
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Label : art